読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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吉田キグルマレナイト 日野俊太郎 著
当初、読み始めた時はさほど期待していなかったのだが、エンディングが最高。 何やら自身のモチベーションまで上がって来そうな本だ。 吉田キグルマレナイトの吉田は主人公の在籍する京大の隣の吉田神社の吉田。 京大の学生でありながら、大学そっちのけで子供向けヒーローショーのアクション劇団に入り浸る青年。 本番の前には必ずトイレへ行かないと本番で腹が痛くなるという神経性の過敏性腸症候群だろうか。 そんな持病のため、アクション劇団はクビになるのだが、次に出会った「鞍馬からかさ一座」というのは相性が良かったようだ。 着ぐるみをかぶれば、何故か失敗しない。 とんでもない失敗をするはずが、偶然にもいい結果になってしまう。 着ぐるみの中から自分を叱咤する声が聞こえて来るし、着ぐるみが勝手に動いてくれる。 この著者自身、自ら人形劇団での役者や脚本を担当した経歴を持つ、と背表紙の裏に書いてある。 着ぐるみが何でも勝手にやってくれるとしたらそれはファンタジーだろうが、それは単にファンタジー的な誇張ということだろう。 どんな着ぐるみも一旦身に付けてしまえば、その外面の役に成りきって自分はもはや自分ではないということなんじゃないのか。 昨年、ゆるキャラコンテストなるものが世を騒がしたが、あれにしたって有名キャラのかぶり物をしているからこそ、子供に握手を求められ、美女とハグをしたり、キャーと騒がれもするが、中にいる人単体では女性に握手をしようとした途端、痴漢呼ばわりをされるのが落ちだ。 やっぱり着ぐるまれて、着ぐるみのやりたいことように動いてあげる、それがこの本で言うところの着ぐるみに全て委ねてしまえ、ということなのだろう。 なんだか、そんなに感動するほどのものでもあるまい、と思いながらもラストシーンのシーンなどはなかなかどうして感動してしまっている自分に気がつく、というちょっと変わった本なのだ。 なんでも「日本ファンタジーノベル大賞」の優秀賞を受賞したのだとか。 ちょっとジャンルが違うような気がしないでもなかったのだが・・・・とするとやっぱりファンタジーだったのか? 25/Jan.2012 ガラスの巨塔 今井彰 著
この著者、あのプロジェクトXの生みの親のプロデューサーである。 本の前半で繰り広げられるのは、主人公西氏の活躍ぶり。 1991年の湾岸戦争の時にイラク軍の捕虜となった米軍兵士。米軍兵士しては屈辱的な放送を流されたその兵士のアメリカの両親を取材し、息子を兵に取られた親の辛い思いを映像にし、それが終わるや、実際に捕虜となった兵士の取材へ飛ぶ。 それだけでもまだ飽き足らず、実際にかれの乗っていたF16戦闘機が墜落した映像をおさめようとイラクへ飛ぶ。 そのドキュメンタリーは絶賛され、芸術作品賞までもらう。 その他にもドキュメンタリーものをいくつか手掛け、評価された主人公西氏は「チャレンジX」という番組をプロデューサーとして取り組む。 「チャレンジX」というのが、「プロジェクトX」を指すのはだれが読んでもすぐにわかる。 ならば、本業でのやり方と同様にドキュメンタリーとしてこの本を書けば良かったのに、何故、わざわざ名前や番組名を変えて敢えて小説というスタイルを取る必要があるのか。 自らの作ったものに絶対の自信と誇りを持っているのは大いにわかるし、それはそれで良いことなのだろうが、第三者に取材させた格好でまとられたものと違い、自分で自分を小説の主人公にしてしまっていると、なんだか、自分の自慢を良くそこまで書けるなぁ、と変に感心してしまったりする。 それでも、なんとか小説として割り切って読み終えてしまおう、と読み進めるうちに、著者の目的がだんだんと見えて来た。 これは小説という体裁を取り、一応架空の名前を使用してはいるが、告発本でもあり、暴露本でもあり、それより何より復讐本なのだ。 NHKという巨大組織、社員1万人。関連グループ3000人。全国各地に莫大な不動産を持ち、黙っていても7000億円の金が転がり込む。世間で言うところの不況などとは無縁の会社。これらの数字はこの本の記載によるもの。本の中では日本放送協会ではなく全日本テレビという名前だったが・・。 その金遣いの粗さはかねてから、良く言われる。 この本の中でもイラクへ取材に行こうとした主人公がヨルダンのNHK記者に挨拶に行ったところ、首都アンマンのインターコンチネンタルホテルのスイートルームに陣取って、短パン、サンダルというラフな格好で酒を飲みながらリゾート気分を謳歌していたり。 バグダッドでは、先にイラク情報省へ取材したNHK記者が多額の米ドルをばらまいたために他国の取材者は同様に金をせびられ、大いに迷惑した、と他国のメディアはNHKへ憤りを見せる。 同じようなことがかつてNHKがシルクロードを特集した時もあった。 取材協力者として映像を映した村人に多額の金をばらまいたため、後にシルクロードへ入ろうとした普通の取材者は一様には迷惑した、という話である。 そんな金にいとめをつけない組織だからこそか。 官僚主義が蔓延していて、物作り=番組作りを行う人間よりも、上司にうまく取り行る人間が出世して行く。 そんな組織の中での「プロジェクトX」だ。 「プロジェクトX」は確かにいい番組だったし、感動した覚えもある。 放送界の天皇とまで呼ばれた当時のNHK会長が、「プロジェクトX」とそのプロデューサーである主人公を評価し、プロデューサー氏は二階級特進の出世を射止める。 「男の嫉妬は怖いわよ」と当時の女性役員が主人公に言う。 絶大な権力を持った会長が社内の不祥事で辞任に追い込まれると、特進した主人公氏を妬んでいた部長だの局長だのが、こぞって主人公氏の不祥事を暴こうとし、「プロジェクトX」も潰そうとする。 組織の有り方もいいものを作って評価されることよりも、減点主義で問題を起こさないことのみを重視するようになる。 本書の帯には 「この小説を書くためにNHKを辞めた」 とある。 著者はこの本で実名ではないにしろ、内部の人はおろか、ちょっと調べる気になればすぐに誰だかわかるような悪意ある人たちがこれまでどんなひどい行いをしていたかを暴露することで復讐を図ろうとしたことは間違いない。 どこかの料亭で集まって、主人公氏を追い落とすための作戦会議の模様などが、何度も書かれるのだが、これは裏付けあってのことではないだろうから、小説形態なのか。 「自分を蹴落とすために集まって謀議を図っていたはず」などということは逆の立場から言えば、思い込みも甚だしい、と一蹴されるだろう。 通常の民間企業だって数年前よりコンプライアンスの部門が立ちあがって、現場のやる気を殺いでしまうことなど多々ある話。 不祥事があった会社であれば尚更だ。 確かに「プロジェクトX」というヒット商品を作って、賞を総なめにして名が売れたプロデューサーに対する妬みや嫉妬があったことは想像できるが、ここまでその個人達を追求するのなら、やはり元来の取材屋の本領を発揮してXX部長が週間○○に情報を売っていた事実を突き止めるなりをして、訴訟も辞さずの気構えでドキュメンタリーにして欲しかった。 ちょっと小説とは呼べない小説なのです。 20/Jan.2012 同期 今野敏 著
そもそものはじまりは一件の殺人事件から。 被害者が組関係者だったことから、敵対する組が抗争を仕掛けたとして敵対する組へガサを入れる。 そのガサ入れの最中に逃げ出した組員が次の標的となり、2つの組からそれぞれ死者が出たことで、捜査本部は組対組の抗争事件として進めようとする。 捜査一課から駆り出された刑事達は、組織犯罪対策部(略して組対)の使いっ走りをさせられながら、抗争事件としてはどうも様子が違うのではないか、と思い始める。 ところが、抗争事件にしてはいくらおかしなところが出て来ようとも、捜査本部は頑としてその捜査方針を曲げようとしない。 そんな矢先に捜査一課の主人公の同期で現公安所属の刑事が突然、懲戒免職になってしまう。 その同期を探そうとすると、かなり上の方からの圧力がかかる。 その圧力をかけたのはZEROだという。 ZEROという組織は公安の中で最もシークレットな部隊で、諜報防諜などの任務を行う組織として、かつて麻生幾の小説でその実態が細かく紹介されていた。 同期の男に何があったのか、主人公はやっきになって探しまわり、自らの危険も顧みず・・・と、話は展開していくわけだが・・・。 その理由は?と聞かれると、 「同期だから」 同期ってそんなに珍しいものなのか。 全国に警察官と呼ばれる人、何万人といるのだろうから、同期だけだって何千人規模だろう。 そんな規模の組織で同期だからどうの、なんていうのは、成人の日に同じ会場に来た連中全て同期だから、というようなものではないのか。 それとも、昔の軍隊同様に上下関係の厳しい組織だから「俺、お前」で呼び合える同期というのは特別な存在なのだということだろうか。 いずれにしても捜査本部を立ち上げておいて、某大な費用をかけて、所轄を含めれば、かなりの大所帯の人手を割いておきながら、その人達に間違っていることが分かり切っている情報を与え、偽りの捜査をさせる、なんて無駄なことをするだろうか。 捜査員達がそれを知った途端、その担当の人達はおろか全国の警察組織の士気は二度と上がらなくなってしまうのではないか、などと心配してしまうのである。 そんな筋立てが安易なこと、それにあまりにもあからさまにZEROの存在が出てしまうあたり、麻生幾の作品とはだいぶん違う。 それでも、政治家さえおびえるという、戦後右翼の大物が出て来たり・・・と、軽い読み物(作者の意図とは違うかもしれないが) としてはなかなかに読ませてくれる。 18/Jan.2012 天国旅行 三浦しをん 著
自殺願望、遺言、幽霊、心中、そんな死にまつわる短編が7編。 『遺言』という小編。 永年連れ添った妻への夫からの愛情を込めた手紙。 これほどまでに夫に愛される妻はなんて幸せだろう。 と余韻に浸りたいところだが何か引っかかるところがあって再読してみる。 なんて、通り一遍に読んでしまったのだろう。 夫から妻へのようで、この夫というのは女性だよね。 それを前提に読みなおすと各所、各所のほんの小さな違和感の部分が全てあぁそれでか、と解消されていく。 三浦しをんさんという作家、こういうひっかけみたいな書き物はされない人だと思っていただけに、少々意外。 『君は夜』 小さい頃から眠ると夢を見、その中では自分は江戸時代の若妻。 男女の営みも性教育の授業がはじまるよりはるか前より夢の中で体験済み。 もはや、夢の中の自分が本当の自分なのか、昼間の自分が本当の自分なのか、わからなくなってしまう。 「インスペクション」という夢を扱う映画を見たあとだけに「夢」というキーワードに飛びついたが、趣きは全く異なる。 ここでは、寝ている時に見る夢は潜在意識の表れという認識とは全く正反対だ。 『初盆の客』 これが一番が温かくていい話しだったかな。 祖母の初盆に現れた一人の青年。 祖母が祖父と知り合う前に産んだ子が居て、自分はそのさらに子供。 従って自分はあなたの従兄弟なのだ、という。 その先の話は異なるが、少々前に自分の身近な所でこれと同じ状況になったことがあるので、つい引き込まれてしまった。 ストーリーの肝心な部分はそれから先の展開のでしたね。 他に 『森の奥』 『炎』 『星くずドライブ』 『SINK』 一味違う三浦しをんさん作品集でした。 16/Jan.2012 ばんば憑き 宮部みゆき 著
もののけ、怪異、そういう話のようでちょっと違う。 強い恨みの念を抱いた亡者のことを「ばんば」というのだそうだ。 江戸の小間物屋の若旦那と若おかみが箱根へ湯治へやってきた旅の途中の宿で相部屋になった老婦人。 若おかみが酔っぱらって寝入った後に、若旦那は老婦人から昔語りを聞くことになる。 その老婦人若き頃、これから夫婦になろうという新郎新婦が居たそうな。 その新郎を片思いで思い続けた女が新婦を刺して亡き者にしてしまう。 「さぁ、これであなたは私と一緒になれる」 とんでもない思い込み女なのだが、事情があって代官所へ届けるわけにもいかない。 では沙汰やみにしてお咎めなしか、というとそうではない。 その村ならではの解決策があった。 その強い恨みの念を抱いた亡者が自分を殺めた人の身体を乗っ取って、その人の魂を追い出してしまう。 それをとり行うことを「ばんば憑き」とその村では呼んでいる。 死者が勝手に乗っ取るのではなく、周囲がその儀式をとり行うのだ。 だから、もののけ、怪異、妖怪とは違って、寧ろ生きた人が、死者から魂を復活させて犯罪者の魂を追い出して入れ替わるように取り計らう。 追い出して入れ替わった後は、元の新婦が別の顔、身体でそこに居る。 顔が違うので結婚式はささやかに身内だけで。 その後もなるべく外へ出ないように、静かに暮らさねばならない。 そうして子供も三人生まれて、新婦(いやもう新婦ではないか)の親は喜ぶが、本当に喜べるのか? 子供へ渡った遺伝子は亡き娘の魂からではなく、やはり犯罪者の遺伝子だろうに・・などと思ってしまうが、江戸時代の話。 もとより遺伝子などという概念は無い。 跡取りが無事出来た後、女はどこへともなく姿を消したのだという。 そんな不思議な話を老婦人から聞いた小間物屋の若旦那。 その老婦人の正体とは?と思い至る。 そしてその後、そのばんば憑きの話を若旦那は役に立てたのだろうか。 その他小編が五編。 「坊主の壺」 「お文の影」 「博打眼」 「討債鬼」 「野槌の墓」 なかでも「博打眼」とか「討債鬼」などというのはおもしろい。 「博打眼」と契約を交わし「博打眼」の主となるととたんに博打には負け無しとなるのだという。 博打で勝ったお金は放蕩して使い尽くさなければ、悪気にやられて死んでしまう。 また、放蕩して使い尽くす生き方をすれば身体を壊してやはり短命になる。 こういう「博打眼」を扱った民間伝承でもあったのだろうか。 「討債鬼」とは、人に貸しを作ったまま亡くなった者が、その貸しを取り立てるためにこの世に現れるというもの。 これは話しの流れからして、どこの宗派かはわからないが、お坊さんの説法に出て来る類の話なのだろう。 いやはや宮部みゆきという作家は、実にいろんな引き出しを持っておられる。 11/Jan.2012
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