読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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数学的帰納の殺人 草上仁 著
なんだかものすごい知的な読み物を読んだ気がします。 登場する新興宗教教団の教えは至極まっとうなもので、危険な臭いはしてこない。 ・分かち合わなかればならない。 ・収奪してはいけない。(収奪には同等の償いが必要) ・助け合わなければならない。 ・思い悩んではいけない。 ・個として重んじられるべき。 ・但し自己を破壊する自由だけは認めない。 とはいえ、どんなカルト教団だって表面的な教義は至極もっともなことを書いているのだろうから、そんなものは信用に値しないのかもしれません。 ところが、この数学的帰納法(果たしてその表現が妥当なのだろうか)によるとこの極めてまっとうに見える教えであっても、一歩地雷を踏んでしまうと果てしもない連続殺人の教義となってしまう、というとんでもないお話なのです。 そのロジックを荒唐無稽と言ってしまえばそれまでなのですが、かつての世の中を騒がせた某オウムにしたって、エリート集団がとんんでもない荒唐無稽な行為に走ってしまったという現実も一方ではありました。 教祖は元財界の大立者で善人そのもの。 信者の誰にも悪意のかけらも無い。 この本では、航空機疑惑で失脚した元総理、その総理の資金源であった昭和の大政商、揉み消された航空機の構造的欠陥・・・などなど実際に有った話を仮名でいくつも登場させている。 それがオウムだけは仮名になっていない。 あの事件はもう歴史の彼方ということだろうか。 まだまだ歴史の彼方にはなっていないと思うのですが・・・。 それにしても大政商になった人の頭の中に世のため人のために資財を投げ打って教団をつくろう、などという発想が出て来るものでしょうか。 税金逃れの目的で宗教法人を作るならまだ納得できるのですが・・。 あの大政商の顔を思い出すと尚更。 航空機事故で亡くなった人の遺族への償いの気持ちで身を焦がす思いになるなどというナイーブな感情が出てくるタイプには到底思えない。 それは、まぁそういう設定の小説なのだ、というところで本来の突っ込みどころではないのでしょうね。 突っ込みどころはやはり数学的帰納法を用いて生まれた奇妙なロジックによる荒唐無稽な行動でしょうか。 どうしても「そんなやつおらんやろう」と突っ込みを入れたくなってしまうのです。 そんなこんなはさておき、この本、いろいろと勉強になります。 ピタゴラス学派の話有り、素数の話有り・・・と数学好きにはたまらないかもしれない。暗号の解説などでは、「カルダン・グリル」という暗号については図解で説明されているので非常にわかり易い。 惜しむらくは、最後の方の再度一からの種明かしをする一連は蛇足としか思えないのですが、必要だったのでしょうか。 種明かしはそれまでのストーリーの中で、過去を舞台に現在を舞台にした話の中で出来ていたでしょう。 まぁ、あらためて、という方にはいいのかもしれませんが。 最後の締め括りの部分に関しては・・・何も申しますまい。 そういう結末もありでしょう。 08/Dec.2009 GF ガールズファイト 久保寺 健彦 著
短い小編が5篇ほど。 「キャッチライト」 後述。 「銀盤がとけるほど」 小さい頃からフィギアスケートを習っていた女の子の話。 日本では、競技人口が少ないと言われるペアを選択。 フィギアスケートの経験者の父とペアで練習をするがその父が亡くなり、新たなパートナーとどうもしっくり行かない中、頑張る女子スケート選手の話。 「半地下の少女」 何故かいきなり時代が変わって昭和20年の敗戦直後の満州国大連。 それまで道路の真ん中を歩いていた日本人としてのそれまでの誇りはどこへやら。 道路の片隅でなるべく目立たないように目立たないように暮らす日本人達。 とあるきっかけから、口がきけなくなってしまった少女はひがな地下室に隠れるように住み、昼も夜も一歩も外へ出ることがない。 その少女が外へ・・・。 「ペガサスの翼」 バイク乗りの女の子の話。 同じバイク乗りでも引ったくりの常習犯を捕えようとする。 「足して七年生」。 小学1年生の男子児童に思いを寄せられた小学6年生の女子。 この本の表紙(装丁)やタイトルからは、闘う女子高生みたいなイメージを連想するだろうが、程遠い内容で少々ミスマッチ。唯一「頑張る女性」で集めてみました、みたいな集め方で、それ以外にあまり統一性の無い話が並ぶ。 唯一面白い印象を持つのは 冒頭の「キャッチライト」 元アイドルの話。 とうていガールというにはとうが立ちすぎているが、かつて一世を風靡したアイドルもピークを過ぎれば、現アイドルのカバン持ちみたいなことまでさせられ、なんとかスポットを浴びたい一心でマラソンにチャレンジする。 春や秋の番組改編期に恒例の芸能タレントが会場を埋め尽くした中で行われるクイズ番組。 その中の目玉がマラソン大会。 一位からの順位がクイズとなり、マラソンの最中はトップランナーは、ずっとカメラに映され続ける。 そのトップランナーとなり、必死で笑顔を維持しながら、「仕事を下さい」だの「なんでもします」だのというメッセージを書いたゼッケンを入れ替えて視聴者の目を引こうとする。 この五篇の中でも最も必死さが伝わって、思わずほんの少しだが、感動してしまった。 もちろん、ガールズファイトには程遠いのではあるが・・・。 25/Sep.2013 ふがいない僕は空を見た 窪 美澄 著
なんだこの出だしは!エロ小説なのか? 「女による女のためのR-18文学賞」という賞の大賞受賞作だという。 この本は、年上のコスプレ好きの主婦のところへ通って、教えられたセリフ通りに話すことを条件にその主婦との情事を行う話が序章の「ミクマリ」。 次がそのコスプレ好きの主婦が何故その様な行動を取るようになったのか、その主婦の視点から描かれる「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」。 そう、主人公というか語り部が章毎に変わって行くパターン。 そしてその男子校高校生が好きでたまらない女子高校生の視点からの「2035年のオーガズム」。 その男子校高校生の友人の立場からの「セイタカアワダチソウの空」。 この本を通して見ると「ミクマリ」の部分は、後の構成には無くてはならない入り口で、次の「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」では、マザコンでストーカー体質の男、子離れ出来ない母親。 ちょっとどん臭くて高校時代からイジメに合っていた女性の成長してからの姿。 卵管の狭い女性と精子の少ない男性。 不妊治療と人工授精に体外受精。 家の中に監視カメラをしかけて妻を監視する夫。 まぁこれだけでも充分に豊富な題材ながら、それだけでは留まらない。 次の章では、幼少の頃から秀才ぶりを発揮し、T大理三へ現役で合格するお兄ちゃんと可愛いだけでいいと親から言われる妹。 カルトっぽい宗教団体や2035年というはるか先の終末論。 川の氾濫、家への浸水。 次の章では幼い頃に首をつった父と出て行ってしまった母。 朝は新聞配達、夜はコンビニのバイト、そして認知症の祖母との二人暮らしの高校生の苦難。 万引き少年の多い団地の子供たち。 変態扱いを受けた元エリート塾講師。 今の時代の話題性のある題材が山ほど並べられて展開して行くのだが、それらはやはり脇を飾る役割のものでしかない。 冒頭の男子校高校生が出会う苦難が悲惨そのもの。 そして、助産婦という仕事をするその高校生の母親の仕事柄がきれいに物語を結んで行く。 新たに生まれ行く命、これが全てを結んでいる。 それにしても章が移る毎にだんだんと話の展開が面白くなって行く小説なのに、大賞を受賞したのはその序章の「ミクマリ」なのだと言う。 「ふがいない僕は空を見た」通しで成り立っている本なのではないのか? その賞っていったいどんな賞なんだ。 その部分だけで本当に大賞なのか? それだけじゃ、ほとんどエロティックな本、という表現で片づけられてしまいそうな気もするが、この出版不況のご時世だ。いろんなジャンルに賞を与えて出版という文化を幅広く残して行こうという出版社の意図でもあったのか、それがまず第一感のイメージだった。 なんだか納得が行かない気がして、再度、序章だとばかり思っていた「ミクマリ」だけを再読してみてわかったような気がする。 そうなのだった。実はその一編だけでも、生まれ行く命というテーマでちゃんと締めくくられていたのである。 05/Feb.2011 出口のない夢―アフリカ難民のオデュッセイア クラウス ブリンクボイマー 著
南アフリカで開催されたサッカーワールドカップ。 前大会優勝国のイタリアは予選敗退。 準優勝のフランスも予選敗退。 当初、決勝トーナメントはいったいどれだけ盛り上がらないものになるのだろう。 ヨーロッパのサッカーは終焉を迎えたのか・・などの下馬評を余所にヨーロッパ勢がスペイン、オランダ、ドイツの強豪が1位、2位、3位を独占。 決勝トーナメントの盛り上がりも凄かった。 その開催国である南アフリカは次には五輪の開催に名乗りをあげるのだという。 その発展目覚ましい南アフリカでさえ、開催前は治安が問題視されていた。 発展目覚ましいとはいえ、その労働力の実体は高学歴者や高技術者はアメリカ、カナダ、オーストラリア・・などへ移民として流出し、モザンビーク、ジンバブエ、ボツアナ、ナミビアといった貧しい国からの大量の移民が低賃金の労働者として移民として流入してくる現実を普段はアフリカなどに興味もないメディアでさえ伝えていた。 この本は南アフリカが主題ではない。 西アフリカの話が大半であるが、西であれ、南の周辺国であれ、多少の事情は違えど悲惨であることには変わりはない。 ヨーロッパへの出稼ぎ、それも命の危険を冒してまでしてヨーロッパへ渡る彼ら。 それも国へ残して来た家族を養うためだ。 EUが出来てからヨーロッパ内部での壁は低くなった分、アフリカに対する壁は高くなってしまった。 一旦、ヨーロッパへ出稼ぎに出たものの、おいそれと帰れるものではない。 この本では4年がかりでヨーロッパへ渡り、14年間もの間、国へ帰れなかった男性のヨーロッパへ渡るまでの4年間の道のりを追いながら、その道のりで出会った取材結果が取り上げられている。 14年間、という年数はこの男性ばかりではないだろう。 0歳の子供なら14歳、4歳の子供なら18歳、それだけの期間を遠方からお金は送金したとはいえ、一回も顔を見ることすらない。 14年経って返って来たところで、子供からすれば、父親という身近な存在としては到底見ることは出来ないだろう。 どこかのおじさんが来たみたいな感触しか持ち得ない。 そんな話、こんな話の本であるが、著者が強調しているのはアフリカが今日の貧しさに至ったそもそもについてである。 ヨーロッパ人である著者が良くそこへ踏み込んだとは思うが、奴隷という名の人狩り無くしてアフリカは語れない。 ヨーロッパ人がアフリカの地を踏んだのは、日本の種子島へヨーロッパ人が訪れるほんの数十年前である。 支配人間(ヨーロッパ人)は金(GOLD)と下等人間(当時のアフリカ人民を指す)の輸出を始めた。 その後の四世紀の間に2900万人のアフリカ人民は殺害され、同じく2900万人のアフリカ人民が人狩りで狩られ、奴隷として輸出された。 その数字の根拠は示されていない。実際にはその数はもっと多かったのかもしれない。 アフリカは近年まで暗黒の大陸と呼ばれたがその元凶がヨーロッパ人であったことは明白である。 農業をするにもどんな産業をするにも若い豊富な人口無しでは成し得ない。 その若い豊富な人口を次から次へと輸出してしまっていたのだ。 世界が近代化の競争に走ろうと言う時にアフリカは若い働き盛りは狩られ、残った人々は大地に鎖で繋がれた。 暗黒にならざるを得ない状況を作られてしまっていた。 その四世紀の間の植民地支配、その後独立するも内戦。 労働力はと言うと若い働き盛りはヨーロッパへの出稼ぎ、移民を目指す。 ヨーロッパ人の去った後に、権力を握ったアフリカの人はヨーロッパ人の行った支配人間をそのまま模倣した。 中東の石油産出国の中には、自国の国民は一切働かなくても国が国民の生活費はおろか遊興費まで面倒をみてくれるような国がある中、現代でさえアフリカの中の産油国の中には国民一人当たりの年間所得が300ドルなどという、とんでもない搾取が行われている国もある。 近年に至るまで、ヨーロッパ人はアフリカの人民を人ではなく、人間と動物の中間と見ていたのではないか。 今回のワールドカップで日本と初戦を戦ったにはカメルーンである。 日本はカメルーンに勝利したことで自信がつき、勢いがついたことは確かだろう。 そのカメルーンにエトーという名フォアードの選手がいた。 今大会前から調子は崩していたとのことだったが、かつてエトーを扱ったドキュメンタリーを見たことがある。 彼は、若い時にスペインに渡り、レアル・マドリードに所属。出場機会に恵まれず、バルセロナに移籍、その後インテル・ミラノへ。そのエトオのスピードと切れ味は、数多の得点をチームに与え、数々の記録を残して来ている。 その彼がバルセロナに所属していた時のアウェイでの対戦中に観客席からサルの鳴き声のブーイングを浴びた際に、試合途中でありながら、ゲームを放り出して、帰ろうとした瞬間があった。 チームメイトが引き止めるのはもちろんだが、敵のチームのアフリカ出身の選手やブラジル出身の選手からさえ引き止められ、なんとそのブラジル選手は、一点取って見返してやれ、とまではっぱをかけたのだという。 そして、続行した彼は見事に点をたたき出した。 そのブラジル選手を失念してしまったが、微かな記憶ではロナウジーニョだったような気がする。 いずれにせよ、アウェイで敵方の応援観客のブーイングなどは当たり前のことなのに何故、エトーは途中退場までしようとしてしまったのか。 原因はサルの鳴き声ブーイングだ。 俺を人間として見ない連中の前でサッカーなどやりたくない。 その考えの根幹は、我々には到底想像出来ないだろう。 アフリカ全土の希望の星だった彼だからこそ、ヨーロッパ人がアフリカ人を人と動物の中間とかつて見ていた、その名残りが今もある、という屈辱に耐えられなかったのではないだろうか。 アフリカはもはや暗黒の大陸ではないのかもしれない。 それでもまだなお、アフリカの人々のオデュッセイアは続くのだろう。 20/Jul.2010 やすらぎの郷 倉本 聰 著
永年、テレビ界に貢献して来た人たち、往年のスターたち、そんな人たちばかりを入居させる老人ホームがある。 入居にあたっての費用は一切無し。入居後も費用は無し。 必要なのはリーズナブルなバーでの飲み代ぐらい。 中には医者も居れば、スタッフも充実。共有スペースでは数々の娯楽が楽しめ、建物を出れば釣りを楽しめる場所まである。 それに何より、かつての有名人ばかりが揃っているのだ。 最近、見ないなぁ、もしかしてお亡くなりになってたりして・・・というような人ばかりが入居している。 そんな施設があるという噂はあるがまるで都市伝説の様でその実態は誰も知らない。 テレビ界に貢献して来た人と言っても局側の人間は対象外であくまで組織に守られていない立場の人たち。 売れなくなったら誰も見向きもしおないばかりか、生活にも困窮してしまうような立場の人たちへの恩返しのような施設なのだ。 そんな施設への入館案内がある脚本家の元へ届く。 数々のヒットドラマを書いて来た脚本家、それが主人公。 まさに倉本聰そのものかもしれない。 この「やすらぎの郷」、テレビのドラマで放映されていたらしいのだが、全く知らなかった。 だが、この本を読むと、まさにドラマを見ている様な気分になる。 本を開けば、脚本そのもの。 俳優が読む台本ってこんな感じで書かれているのかな、と思えるような内容。 主人公の脚本家の先生役を石坂浩二が演じ、その周辺にはそうそうたるメンバーが勢ぞろい。 まだまだ現役の人たちばかりだ。 マヤこと加賀まりことお嬢こと浅丘ルリ子のやり取りはいかにも言ってそうで笑える。 ミッキー・カーチスや山本圭などが主人公の脇を固める。 本を読んでいるのだが、まさに加賀まりこや浅丘ルリ子の姿がありありと浮かんでくる。 なんと言っても、姫と呼ばれる存在の八千草薫の存在は大きい。 心から人の好さが伝わって来る。 そんな八千草薫もお茶目ないたずらをしたりする。 この台本、俳優を決めてから書いただろう。そうとしか思えない。 読んでいて笑いが止まらない本なんて久しぶりだった。 ![]() 02/Mar.2018
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