読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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手紙 東野圭吾 著
あなたは犯罪者の弟を許せるか? 何も弟は犯罪者ではないのですから、許せるも何も罪すらなーにも無いですよね。 ごくごく当たり前の話だと思います。 ですがこのテーマ、重たいですよ。 犯罪者の弟。 重松清の『疾走』とその部分は共通のテーマですかね。 そもそも犯罪者そのものをあなたは許せるか?と聞かれたなら、そりゃ「犯罪の質による」と答えるでしょう。 いくらなんでも女子高生をコンクリート詰めにして殺害したり、幼女を殺害してその写真を携帯で送信したり、小学校に乱入して無防備な子供をかたっぱしから殺害する様な犯罪者を許せる訳が無いでしょう。 つい直近ではバージニア工科大学での銃乱射事件なんかがありました。 あれ、ちょうど同時期に長崎市長の殺害のニュースがありましたから、そちらの扱いの方が大きくて少しかすんじゃいましたけど・・・。 選挙期間中の政治家に対する凶弾というのは民主主義を冒涜するものであって絶対に許されるべき事ではないでしょう。 政治を志している人に限らず、ビジネスマンだって他社との戦いをしているなら、どこかで恨みをかったり、とばっちりもあるでしょう。 ここでも前に取り上げられている城山三郎の『男子の本懐』の井上準之助も選挙中に凶弾に倒れたのでしたよね。 それに比べてバージニア工科大学で殺害された32人の学生達はどうなのでしょう。 正に学び舎のど真ん中。無傷だったのはたったの4人だったとか・・。 死者以外の重軽傷者の数までは見ませんでしたが、ほとんど教室内の全員殲滅を図ったとしか思えない。 銃にそれほどの殺傷能力があった事にも驚きですが、やはり驚くべきはそういう場所で、まさかそんな事なのではないでしょうか。 アメリカではここ数年毎年の様に大学構内での乱射事件があるといいます。 なんなんでしょうね。 戯言の匂宮や零崎じゃあるまいし。 あまりに主題から離れていますよね。 話を戻しましょう。 このお兄さん、『疾走』のお兄さんとは違って、壊れたわけじゃないんですよね。 弟の事だけを思い、弟を大学に行かせるためにどうしても学資を得なければ、ともうそれだけ。 ものすごく純粋な方なんですよね。 だから弟は恨みを抱いてもそれを兄には伝えられない。 でもです。でも単に空き巣に入っただけなら罪は軽いでしょうが、いくら見つかってしまったからといっても、いくら110番をかける電話を持っていたからと言っても、ほとんど無力に近い老女をしかも逃げ込んだ部屋へ押し入ってまでして殺害してしまうというのは、そこに至った理由はどうであれ、絶対に狂気の沙汰、いや凶悪犯罪者そのものだと思うのです。 仮に空き巣で済んだとしたって、弟はそんなお金で大学へ行きたいとは絶対に思わないでしょう。 この兄の発想の貧困さで弟はどれだけ苦しめられたか、兄は知る由も無い。 弟の直貴は兄の存在ゆえにバンドのメンバーと一緒にデビューする事を断念し、 結婚を断念し、ようやく掴んだまともな就職先でも同じ理由で倉庫番にとばされてしまう。 周囲の人間が取り立てて直貴の事を嫌っている訳では無いのです。 ただ、一旦事実を知ってしまうと周囲が返って気を使ってしまう事を経営側は気にした。殺人事件のニュースなどが流れたとしても、「ひどい話だよな」とこれまでなら平気でしゃべる事が出来たものが直貴の存在がある事でそんな話をする前に皆、口を噤んでしまうでしょう。 そういう事での周囲の職場の雰囲気が乱れる事を気にした。 この直貴が勤める先の社長は弟に言います。 「差別はね、当然なんだよ」 ・大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。 ・犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わりにはなりたくないものだ。 ・犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。 ・自己防衛本能なんだ。 と。 これが世に言う常識というものなのでしょう。 この社長は真正面でそれを言っているところが返って立派だと思います。 そういう真正面な言葉というものなかなか言えるものでは無いと思います。 何か禁句の様に、とにかく避けて通る。 それが一般の人なのだろうと思いますよ。 この本を読んだ人は大抵兄に同情してしまうのでないでしょうか。 兄を切り捨てようと思う直貴に失望してしまうのではないでしょうか。 兄は被害者の遺族にも何度も手紙でお詫びをしています。 本当にしてはいけない事をしたとの反省も並々ならぬものでしょう。 でも人の命を絶つという犯罪は、どんな謝罪もどんな贖罪も、どれだけ刑期を経ようともう拭い去れないもので、残りの生涯全てが償いのためにあるのではないかと思うのです。 過去にその例外があまりに多かったですよね。 決して許されない様な凶悪殺人をおかしておきながらも少年犯罪だったがために、遺族もその名前を知らない。もちろん被害者の遺族への償いももちろんない。 少年ではなくなり社会人となったその人は「もういい加減放っておいてください」という様な。 はたまた、かつてパリで若い女性の人肉を喰らった人などというとんでも無い事件を起した人も精神鑑定で無罪になってその後芸術家だか作家だかになったり・・と。本なども書いたらしいですが、私は読んだ事も読む気もありません。 この直貴の親が健在ならば、親は息子のしでかした犯罪を生涯かけて償わなければならないでしょう。 であれば弟はどうしたらいいのか。 凶悪犯罪者の家族だろうが、元凶悪犯罪者そのものを喜んで受け入れてくれる類の社会もあろうでしょう。そういう人達の受け皿として。 また、宗教という世界に救いを求める人もいるかもしれない。 またボーカルとしてデビューする時だって、立場の逆利用では無いですが「凶悪犯罪者の弟」として破滅的な歌詞を引っさげてデビューした方が下手に隠してデビューしようとするより良かったかもしれない。 それが決して素晴らしい事だとは思いませんが、隠してデビューしたところでいずれ週刊誌の餌食となって捨てられる日が来たでしょうから。 弟に罪はありません。 でもまっとうな社会人として生き、妻子にも差別の及ばない自分達の人生を守るのであれば、兄弟の縁を切って過去のしがらみの無い場所で生きる以外にどんな生き方があるのか。 直貴を薄情だと言う意見は山ほどあるでしょうが、直貴の最終的な判断は正しいでしょうし、もっともっと早くそうすべきだっただろうと思うのです。 01/May.2007 てのひらたけ 高田 郁 著
2010年の夏の猛暑、そしていきなり10月後半にやって来た急激な寒さ。北海道では30年ぶりの早雪だったそうだ。 2010年は秋が無くなって四季ではなく三季になったのだろうか。 ここ何年か、猛暑の夏と冷夏、雪の降らない冬があったかと思うと急にドカ雪の豪雪。 大雨の被害も多い。 世に言う温暖化の現象なのだなどと根拠も無く言うつもりは毛頭無い。 温暖化fではなく、日本の近隣の大陸が急発展したために自然の秩序が崩れたのだ、などと言う人も居れば、地軸に変動があったのでは・・などと言う人もいる。 被害に遭った方々には申し訳ないが、その様なことは、何十億年という地球の歴史の中では取るに足らないことなのかもしれない。 さて今年は猛暑のために野菜が不作になったかと思えば、松茸は豊作なのだとか。 キノコ類で言えば、毒キノコの被害が結構でたそうな。 気候の変動に強い品種が急激に増えてしまったということなのだろうか。 「てのひらたけ」という本には、高田侑という人が書いた中篇・小編が四篇ほど収められている。 中でも本のタイトルになっている「てのひらたけ」などはタモリがストーリーテラーを務める(別にストーリーテラーを務めているとは思わないが一応そういう前振りではじまる)世にも奇妙な物語の原作になりそうな作品である。 「ひらたけ」というきのこは食材として存在するのは知っているが「てのひらたけ」という名前のきのこが実在するのかどうかは知らない。 本の中では手のひらの形にそっくりで、まるで地中から子供の腕が生えているように見えるのだという。 おそらく作者の創り出した産物だろう。 ある特定のきのこが幻覚作用を引き起こすことはよく知られている。 マジックマッシュルームだったかな。幻覚症状で飛び降り自殺をしようとした人が出たのは。 テングタケを食べると嘔吐や下痢を起こすのも昔から良く言われている。 スーパーマリオのゲームに良く出て来て、スーパーマリオがビョーンビョーンと跳ねるあのきのこ、あれはおそらくベニテングタケ。 あれも嘔吐や下痢どころか幻覚まで起こすひどい毒キノコで、大人も子供も幻覚症状になるほど・・ではないにしろ、スーパーマリオにはまってしまうのは案外きのこのせいなのかもしれないなぁ、などというのは戯言でした。 この「てのひらたけ」というきのこもどうやら幻覚症状があるらしい。 主人公は友人から「てのひらたけ」のうわさを耳にする。 一目見るとそのまま生で食べてみたくなるきのこで、そして幻覚というのもこの世のものとは思えないような魅力的なものなのだという。 それを聞いた主人公は一人で深い山へと向かい、けもの道を分け入り、そして「てのひらたけ」の群生地帯を発見する。 さて、果たして主人公はどんな魅力的な幻覚を見たのでしょう。 それとも現実をみたのか。 ・・・・ ほんの簡単にふれておくと時代を超えた人と恋愛をしてしまう。 という素敵なお話。 「あの坂道をのぼれば」 学生のアルバイトが「世界のケツの穴みたいな場所」と罵るような職場で働く男。 行きつけのスナックの若い女性におぼれ、妻も子も住む場所も仕事も全て捨てて人生の再出発を図ろうとする。 家を出る朝、父の日のプレゼントを持ってきた二人の幼い子供を駅のホームに置き去りにするシーンが忘れられない。 「タンポポの花のように」 こちらは逆に父に遊園地で置き去りにされた少女が初老の女性となって行く様を描いた話。 50代半ばの女性が初老と呼ばれるのには少し違和感がないでもないが、その生き樣はまさに初老なのかもしれない。 この女性、最後まで父が大好きだった。 「走馬灯」 これも世にも奇妙な物語に出てきそうな話である。 とうに葬式を終えて死んでしまった父は実は時間を超えた世界に生きていたのかもしれない、という奇妙でありながら実は暖かい話。 この作者、こういう不思議な世界やを描く作家を生業としている人だとばっかり思っていたが、巻末の紹介欄に「現在は町工場に勤務」と書いてある。 2009年5月が初版なのでおそらくまだ町工場に勤めている人なのだろう。 なんだか、この作者が一番世にも奇妙に思えて来てしまった。 04/Nov.2010 てのひらの父 大沼 紀子 著
女性三人が暮らす下宿屋に突然、管理人の不在交代でやって来たのが男の管理人。 「ニシオトモミ」という名前だけ聞いていた主人公(下宿人の一人)は、その怖い目つきのそのスジの人を思わせる紳士が臨時管理人だと知ってびっくりする。 その怖い目つきの管理人と女ばかり三人の下宿というミスマッチ。アンバランスこそ、稀に見る、いや稀にも見ない、理想の管理人さんなのでした。 下宿人の女性はそれぞれに結構深刻な悩みや問題を抱えていたりする。 年上の男が好きで、バリバリのキャリアウーマンの下宿人は年下の男に惚れられ、あろうことか酔った勢いの間違いで妊娠。 また、もう一人の下宿人は司法試験に向けて猛勉強の日々。 お父さんの容態が悪いので・・という家族からの電話にも一切出ようとしない。 主人公は、というとこれが結構深刻な就職活動中。 30半ばにして、大した資格もスキルも無いからと言っても、ここまで深刻な状況にはならないだろう。 彼女の場合は、書類審査OK、面談結果良好、でその次に就職担当者が「念のために前職への問い合わせをしてみます」と言ったが最後、その話は消えて無くなる。 もはや履歴書も書き慣れてしまい、履歴書を送るという行為も単純労働化しつつある。 そんなそれぞれに問題を抱える女性たちの住む下宿で、こわもての管理人はどんどんその存在感を発揮する。 ここに住まうのは空かの他人同士で家族ではない。 「家族は万能ではない。家族だからこそ救えないことはいくらでもある」 ここらあたりが、この本のテーマなのかもしれないが、何より、このコワモテのオジサンが、朝飯、晩飯付きの下宿で食事の支度をする。 律儀さ満点。 「私が仕事だと思ったら、それはもう仕事なのです!」 とおせっかいも満点。 何よりこのキャラクターの魅力が満点の作品でした。 12/Oct.2012 てのひらの迷路 石田衣良 著
24のショートショート集。 ショートショートと言えば星新一があまりにも有名だが、この石田衣良氏のショート・ショートはSFでも未来ものでも宇宙ものでもホラーでもない。 石田衣良氏の実体験を元に書かれたものが大半である。 何気ないタクシーの運転手との会話。ただそれだけのショートショート。(タクシー) 目を閉じて正確に3分間を言い当てる。完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性。(完璧な砂時計) 引きこもりを題材にした話。(銀紙の星) 実になんでもない話のようなのだが、何故か次は、次は、と次の短編を読みたくなってしまう、という不思議な本だ。 家の近くを散歩する。同じ様に散歩をしている、よくみかけるおばあさん。 おばあさんの話相手になりながら、散歩をする作者。 この何気ない短編からは作者の優しさ、心遣いというものが伝わって来る。(終わりのない散歩) 本に関する短編もいくつか載っている。 世界に一冊だけ自分のためだけにある本があるに違いない、と書棚一杯の蔵書を読んでは捨てて、という選別をしている老人。(書棚と旅する男) 希望を失いかけた人の前に表れる一冊の本。 その本にはまさに自分と同じ境遇の主人公が登場し、奮戦の上、その境遇を乗り切る。 希望を失いかけた人はその本を読んで希望を取り戻し、また別の人のためにその本を置いて行く。 これなどは、まさに世界に一冊だけ自分のためだけにある本をもじったファンタジーである。(旅する本) 石田衣良氏は就職活動などはしなかったらしい。 最初に仕事をしたのはフリーターで、特に人生に野望はも大きな目標も持たないが、好きなだけ本が読めて、音楽が聴けて、生活をする上での金さえ稼げれば、それだけで充分じゃないか、そんな人生観を若い頃には持っておられた。 あぁ、この人にとっては、人生勝ち組だの負け組だとなどという色分けなどちゃんちゃらおかしいのだろうな。いや少なくとも若い頃はそうだったに違いない。 ニートだから、フリーターだから、非正規雇用社員だから、などという劣等感を持つ人間など、この人の若い頃の人生観からすれば不思議で仕方なかったに違いない。 広告代理店に勤めてからも有名なコピーを作ることなど眼中にはない。 偉くもなりたくはないし、人並み以上に金を得ることにも興味はない。 仕事には100%の本気は出さず、適当に手を抜きながらも一応与えられた作業は人並みにこなす。 それでも平日に自由に外を散歩したり、たっぷり本を読む時間は確保する。 そんな生活で満足していた人。 それがなんの因果か、小説を書き始めてしまってからというもの、途端に締め切りに追われる多忙な人となった。 そんな作者としての苦労話なども短編になっている。 この短編を練るまでの作業がそのまま短編にもなっていたりもする。 作家になってからの取材話の短編有り。 いずれにしろ、あの「アキハバラ@DEEP」などを書いた作者の作品とは別の一面を存分にのぞかせてくれる本であることは間違いない。 この短編、最初から24作で終ることになっていたらしく最後の一つ前の短編は作者が最も力を注いだものかもしれない。 そんな力作は力作としてもちろんOKなのだが、どんな仕事であれ、達人の域というものがあり、その道の天才といえる人がいるのだ、ということを描いている「ウエイトレスの天才」のような小編が私は好きである。 22/Jun.2008 てふてふ荘へようこそ 乾ルカ 著
短編と言えば短編だが、話は全部続いている。 一号室から六号室まで。 一編目に入る前にアパートの見取り図がまずある。 敷金・礼金:無し。家賃:月一万三千円。間取り:2K。管理費:なし。 この物件に大学卒業後、就職先が見つからず、親からも仕送りが途絶えた一号室へ入居する主人公は飛びつく。 家賃一万三千円にはさほど驚かない。 かつて家賃5千円のアパートに住んだこともある。 しかも舞台は地方都市だというではないか。 しかしながら、「敷金・礼金:無し」ということは現状復帰費が無いということで、前の入居者が壁に穴を開けていようが、扉の施業を壊していようが、直すつもりが無いということに他ならない。 もしくは大家がよほど借り手が無くて目先の金に困っているかどちらかだろう。 敷金・礼金無しどころか引っ越し代まで出してあげましょうなんて物件を見かけることもあるが、それこそ他所から移転させてでも空き部屋を減らそうとしか思えない。 しかも「管理費:なし」これは管理することすら放棄した、なんでもいいから月々1万いくらでも入るだけまし、という魂胆だろうと安アパートを引っ越し慣れをした人なら思うだろう。 あらためて見取り図を見ると一階に一号室から三号室があり、風呂、男子用トイレ、女子用トイレが有り、なぜか管理人室が玄関のすぐ右にある。 二階は四号室から六号室があり、男子用トイレ、女子用トイレと集会室があってそこにはビリヤード台がある。 管理人が居て管理費がゼロ。 しかも意外なことに玄関も廊下も階段も掃除が行き届いていて、風呂もトイレもピカピカに掃除されている。 そう。安いのには別の理由があった。 一号室から六号室の全ての部屋に地縛霊が居るのだった。 その霊達はそのアパートのその部屋で亡くなったというわけではないのに何故か、それぞれその部屋に地縛されている。 この一篇から六篇まで、それぞれの部屋の店子とその部屋のもう一人の住人である霊との暖かい関わりを描いている。 それぞれの店子達はそれぞれに何かコンプレックスを持っていたり、思い悩んだり、自信が無かったり、挫折しかかったりするところをその部屋の霊と同居することで、自信を取り戻したり、慰められたり、意欲が湧いて来たり、コンプレックスに打ち勝ったりして行く。 こんな霊となら一緒に住みたいわ、と思わせる霊と同居している。 例外の話もあるにはあるが。 丁度、そういう相性のいい霊を店子たちは入居の時に自ら部屋を見て選ぶのではなく、管理人が差し出した写真を選ぶという行為で部屋を選ばされたように選んでしまっている。 この霊たちもずっと一緒に同居してくれるわけではなく、同居人があまりに思い入れが強くなってしまって、霊としてではなく、特定の感情を持って霊に触れてしまうと、成仏してしまう。 一話一話が温かく、とても優しい話としてまとめられている。 乾ルカという人の本に出会ったのは初めてだが、いい本に出会えたなぁ、と思える本だった。 27/Jul.2011
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