読み物あれこれ(読み物エッセイです)
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赤猫異聞 浅田次郎 著
矜持というものを巧みにあやつり、人の心を鷲づかみにする。 これでもか、っとばかりにぐっとくるいい話を書かせたら、浅田次郎の右に出る人はそうそういないんじゃないだろうか。 江戸の町に大火事が発生した時、牢獄の中の人間を、一旦解き放ちを行う習慣があったのだという。 もちろん、牢の中で焼け死んでしまうようなことがないようにだ。 解き放った後、鎮火した日の夕刻には定められた場所へ戻ってくる事。戻らなかった者は死罪。戻った者には減罪とする。 その解き放ちのことを「赤猫」と人は呼んでいたのだとか。 習慣といったって滅多にあることではなく、牢奉行なる仕事をしている人達が一生に一度巡り合えるかどうか、というほどの頻度。 明治初年という、極めて特殊な時にそれは起こった。 前回が天保年間の20数年前。 その時に解き放った牢の中の人達はなんと全員ちゃんと戻って来たそうだ。 火事のどさくさに紛れて逃げてしまうのは容易だったろうに、それでも戻ってくるのは解き放ちを命じてくれた牢奉行への恩義に報いるためだ。 明治初年という江戸が最も混沌としている中、天保年間の時のように果たして皆は戻って来るのだろうか。 その話だけでも充分に値打ちがあるのだが、ここに特殊な事情を持った三人の囚われ人が登場する。 一人は、賭場を仕切らせれば天下一品の博徒。 親分の身代わりで捕縛されるが、その器量にて牢名主として牢内を仕切っている男。 理不尽な沙汰で打ち首になる寸前に赤猫騒ぎが起き、一命を取りとめた。 一人は、旗本直参男。 鳥羽伏見の戦い、上野のお山での戦で死に場所を見つけ切れず生き延びて、その後、夜な夜な偉ぶる官軍を切りまくっていた男。 辻斬りの罪として捕縛されているが、彼にすれば不本意だろう。辻斬りではなく戦の延長としてやっていたのだから。 しかして、薩長の小役人を切り廻る男を解き放っていいものか。 もう一人は夜鷹の元締めをする威勢のいい姉御で、江戸三大美人と言われた人。 罪科はもちろん死罪に値しないが、お役人の弱みを握っている。 解き放って良いものか。 揉めた末に、三人共解き放ちが決まる。 但し「三人共に戻れば無罪、一人でも逃げれば全員死罪」という条件付きで。 そこから、彼らの物語が始まる。 浅田氏が書いた幕末もの、大抵は薩長が敵。旧幕府側の人の立ち位置で書いたものが多い。 薩長のいなか侍が260年の江戸の文化・歴史も知らずに、何を戯けたことを!という江戸庶民の声が浅田氏には聞こえるのだろう。 やれ改革だ、解放だ、方や叫ぶが、実は江戸260年の積み重ねの仕組みはかなり良く出来上がっていたのだ。 火事にあたっての火消しと言い、牢屋の中のしきたりといい。 この物語、この三人の千両役者だけの物語全てだと思ったが、それだけでは無かった。 260年間、武士でありながら不浄と蔑まれた立場の牢屋同心。 彼らの矜持もまた、見事なのである。 07/May.2013 あやし うらめし あな かなし 浅田次郎 著
ホラー、怪談、怪奇談などと、ジャンルではひと括りにされてしまうかもしれないが、所謂ホラー小説などでは決してない。 霊的なものを取り扱った七話のお話。 最初の「赤い絆」と、最後の「お狐様の話」は作者の母方の実家で聞いた話を元にしているのだそうだ。 「赤い絆」は心中事件の顛末。「お狐様の話」は狐に取り憑かれた由緒正しき家のお嬢様を預った作者の母方の実家であった話が元で実際に伯母や母からその顛末を聞いたのだという。 「虫篝」 戦争末期、南方戦線で飢餓しかけになる男の前に現われたのは、まだそんな飢餓状態になる前の自分そのもの。 その現われた自分と魂を入れ替えて生き残る、という不思議なお話。 その話が現代を生きる主人公にどうつながるのか・・・。 「骨の来歴」 ある男の語り。 学生時代に好き合った女友達が居て、共に受験勉強をする。 男は貧乏の苦学生。方や女友達の実家は裕福な家庭。 無事に合格してから付き合えと女友達の親から言われ、男は無事に合格するが、携帯電話の無い時代、彼女が合格したのかどうかは家へ電話する以外にない。 ところが電話に出て来た母親は、 「もうご縁が無くなったはず」 「今さらお行儀が悪いんじゃございませんこと」 などと言われてしまう。 そればかりか、父親も訪ねて来て「身を引け」と言う。 「念ずれば通ず」とは使い道が違うかもしれないが、彼の念力は通じてしまう。 「昔の男」 流行らない病院で居つかない看護婦。 総婦長の跡を継ぐのは現婦長、そしてそのあとを継ぐのは唯一居ついている主人公の看護婦。 そこへ現れるのが先先代の院長。 その院長は志願して軍医となり、南方へ送られた人であった。 この物語については浅田氏がかつて医大の卒業生名簿を見た時の感想を述べている。 その卒業生名簿のある年度のところをみると、戦死、戦死、戦死・・・・と軍医で出征して戦死している。 本来人の命を救う人が、人を傷つけ合い殺し合う戦場へ行って何をしたのか。 霊がどうの・・などという話ではない。 そんな悲劇をさりげなく盛り込みながら書いている。 他に「客人」、「遠別離」。 本のタイトルに「あやし」や「うらめし」などとあるが、うらめしい話などではない。 怪談めいてもいない。 敢えていうなら、浅田次郎の手による「民間伝承」っぽい、現代に作られた物語集といったところだろうか。 09/May.2012 一路 浅田次郎 著
世は幕末である。 もはや参勤交代でもあるまい、という時代なのだが、代々、お家の参勤交代の差配をする御供頭という家柄に生まれた主人公の一路。 参勤交代のお役目さながらに一路と名付けられたというが、まだ19歳にして一度もお供をしていない。 そこへ来て父の急死。 参勤交代の御供頭を命じられるが、何をして良いのやらさっぱりわからない。 ようやく見つけたのが、200数十年前の行軍録。 参勤交代の行列とはそもそもは、戦場へ駆け付ける行軍なのだ、とばかりに古式に則った行軍を差配する。 江戸時代も200数十年続けば、たるむところはたるみ切っている。 そこへ来て「ここは戦場ぞ!」とばかりに中山道の難所を駆け抜けて行く。 その行軍におまけがつく。 お殿様の命を狙うお家騒動の悪役達が同行しているのだ。 古式にのっとった行軍も面白いし、お殿様という立場も面白く描かれている。 決して家臣を誉めてもいけないしけなしてもいけない。 「良きにはからえ」と「大儀である」だけじゃ、名君なのかバカ殿なのか、わからない。 ここのお殿様は蒔坂家という別格の旗本で大名並みのお家柄らしい。 同じような家格を例にあげると赤穂浪士に打ち取られた吉良上野介の家柄などがぴったりとくるのだそうだ。 バカ殿かどうかは読む進むうちにわかってくる。 上下巻と結構な長編ではあるが、読みはじめればあっと言う間に読める本だろう。 ただ、惜しむらくは浅田次郎作品にしては珍しく、悪役が完璧に悪役そのものなのだ。 浅田次郎という人の書くものはたいてい、悪役を演じさせながらも最後にはその人の止むにやまれぬ事情などが明らかになって、ぐぐっと涙を誘ったりすることが多いのだが、この作品に限っては、悪役は最初から最後まで悪役のまま。 まぁ、浅田さんにもそういう気分の時もあるのでしょう。 08/Nov.2013 一刀斎夢録 浅田次郎 著
時は明治がまさに終わり、新しい時代である大正へと移らんとしている。 天然理心流を極めた剣士でもある近衛将校の主人公に明治天皇の御大喪として八日間もの休みが与えられる。 その休みの間、夜毎通い続け、酒を傾けながら明け方まで話を聞きに行った先がなんと、往年の新選組副長助勤、三番組組長斉藤一。 そう。この話、ほとんど斉藤一の一人語りなのだ。 ひょうきんで明るいと一般には言われる沖田と対比され、無口で薄気味が悪いとされる斉藤一が語る、語る。 数年前に壬生義士伝が映画化された時、斉藤一を佐藤浩市演じているのに、さほど違和感が無かったのだが、よくよく考えてみるに斉藤一は若いイメージのある沖田よりさらに若く、新撰組に在籍していたのは20〜25才ぐらい。今で言うとさしずめ大学生から社会人1〜2年生といった年齢だ。 佐藤浩市じゃ少々歳が行きすぎているはずなのだが、この斉藤というあまりに際立ったこの人をそんじょそこらの若手俳優が演じられるはずがない。 もっとも斉藤に言わせれば、沖田こそ人を斬るために生まれて来た男ということになるのだが・・。 斉藤はことあるごとに人間みな単なる糞袋じゃねーか。と言う。 壬生義士伝の中でも坂本龍馬を暗殺したのは実は斉藤一だった、みたいなことがさらりと触れられていたが、この話の中ではもはや確信的だ。 浅田次郎は絶対にそう確信しているのだろう。 薩長連合の橋渡しをしたばかりか、大政奉還までも成し遂げ、国内での戦を回避させようとする龍馬は長州にとっても薩摩にとっても、もはや除外せざるを得ない存在だったのだろう。 西郷は血の雨を降らさなければ、新しい時代にはならないという考えで、鳥羽伏見はおろか、戊辰戦争を終えて後でさえ、まだ血の量は足りなかった。この浅田説によれば、西南戦争は西郷と大久保利通の図り事であったのだという。 士農工商はこれで終わりね、といきなり言われたってそう簡単に人間変われるもんじゃない。 御大将自らが壮絶に討ち死にすることで、世の不平士族を黙らせ、国軍を国軍たらしめる、そのために西郷と大久保は、壮大な画を描いた。 おそらく西郷蜂起の一報よりも派兵決定の日が先だったり、というのはこの話の中の作り話ではないだろう。 確かに不平士族を黙らせるための征韓論なんていうのもあまりにお粗末だ。 そんななぁと思いつつも、だんだんとなるほどそうだったのかも、と読者に思わせてしまう。 特に西南戦争の真っただ中で今度は官軍側の抜刀隊として斬って斬って斬りまくった斉藤一が、戦というものを熟知する男である斉藤一が語ったのであれば、尚更である。 そういうところが浅田次郎の新鮮さなのだ。 浅田次郎はこれまで人が散々書いて来た題材を扱う時、必ずや自分ならではの視点を持って来る。 大政を奉還したって日本最大の大大名であることに変わりはない徳川が何故いとも容易く、恭順の意を示してしまったのか。 勤皇の空気が漲る水戸出身の将軍が最後の将軍になったから。 そしてそれを実現させたのが、薩摩出身で大奥へ入り、大奥を牛耳る存在にまでなった天璋院。天璋院を動かすべく画策したのは西郷だという。 なるほど、なるほど。 読めば読むほどに目からうろこ。 まことに面白い。 上・下巻通しで結構の分厚さの本でありながら、一気に読まされてしまった。 斉藤一は言う。 始末に負えぬ将には三つの形がある、と。 己の功をあせる者、死に急ぐ者、思慮の足らぬ者。 その将の典型が203高地の乃木将軍だったと。 そしてその真逆が西郷隆盛であり、土方歳三だったのだろう。 斉藤からすれば乃木将軍でさえ年下なのだ。 殉死にあたって言い訳を書き残すやつがあるか。 後の始末をせねばならん妻までも道連れにしてどうする。 なかなかに手厳しい。 方や五稜郭を土方一人が御大将であったなら、永久に陥落しなかったであろうと、斉藤は言う。 その後の軍隊が乃木将軍を軍神と崇めてしまったところが昭和の軍人の不幸だろうか。 開戦から敗戦に至るまで、思慮も足らない、命を大切にしない将校が日本をあの無残な敗戦に追いやったのかもしれない。 そんな斉藤が百年後のこの日本を見たらどう言うのだろう。 たぶん、同じことを言うのだろう。 どいつもこいつも糞袋ばかりじゃわい、と。 07/Sep.2011 終わらざる夏 浅田次郎 著
おもさげながんす。 「壬生義士伝」で南部藩を脱藩した新撰組隊士、吉村貫一郎が何度も出てくる言葉だ。 おもさげながんす。 この本にもこの言葉が何度も出て来る。 終わらざる夏、昨年2010年夏に出版された時、すぐに本屋へは行かずにオンラインのブックオフで在庫があらわれるのをしばらく待ったのであるが、メドベージェフが国後島を訪問するに当たって矢も楯もたまらず本屋へ走った。 千島列島に占守島(シュムシュ島)というところがある。 興味のある方は地図で探してみると良かろう。 千島列島北東端の島。 北東のカムチャツカ半島のほん目の前。 佐渡島の半分ほどの広さなのだという。 その小さな島に史上最強と言われる関東軍の陸戦部隊が居た。 満州のソ連国境近くの防衛部隊を引っこ抜いて、一部隊は南方戦線へ、もう一部隊をアリューシャンから米軍が侵攻して来た時に備え、千島に配置されたのだという。 ところがミッドウェーで敗れ、ガダルカナルで敗れ、硫黄島を奪われ、沖縄を奪われ、制空権を奪われ、首都東京は爆撃され放題となってしまい、もはやアリューシャンからの侵攻などあり得ないのにも関わらず、その史上最強軍団を輸送する手だてすら無くなってしまい、千島の果ての島に手つかずの精鋭部隊が取り残されてしまった。 しかも戦車も武器もピカピカに磨きあげられ、戦士達の士気も旺盛。 敵がここへの上陸作戦を決行したとしても、島には至るところに壕が掘ってあり、防御は完ぺき。しかも濃霧が立ち込めるので敵は空からの援護射撃もままならない。 そんな部隊がこの最果ての島に。 ソ連になる前のロシアとの間で結ばれた樺太・千島交換条約で交わされている通り、千島列島は日本の領土であった。 3.11の巨大震災直後数日の間、テレビをつければどのチャンネルも等しく、画面の右下などに日本列島の地図を映し出し、津波情報を表示していた。 そのどのチャンネルにも映し出される地図には間違いなく択捉、国後が表示されていて、あの間真赤な津波警報の表示がなされていた。 少なくとも普段は意識しなくとも択捉、国後までは日本の国土であるという明確な意志表示を全チャンネルが発信していたわけだ。 広島、長崎へと原爆が落とされるにあたって、一億総玉砕から一転、ポツダム宣言受け入れへ。 玉音放送の中身まではこの島までは伝わらなかったが、ポツダムを受諾したことは兵士たちにもわかってしまう。 で、米軍が来たら潔く、武器を捨てようと覚悟したその矢先、米軍は上陸して来ずになんとソ連が侵攻して来る。 その上陸部隊を完膚無きまでに叩き潰してしまうのだが、その後がどうも腑に落ちない。なぜそれだけの戦える部隊でありながら、ソ連の侵攻を許したのか。何故その後も徹底抗戦をしなかったのだろう。 そもそもポツダム受諾で武器を捨てるつもりだったのが、卑怯なソ連から領土を守る為に武器を取ったのではなかったのか。 おそらく本国から武器を捨てよ、という命令が来たのだろうが、そのあたりについての記述はない。 生き残った部隊は武器を捨て、シベリヤへ送られるのだ。 この本はもっと戦えという類の本ではない。 戦争がいかに愚かなものか、といろんな語り部を通して語っているのだ。 語り部は場面、場面で入れ替わる。 東北出身で東京の翻訳出版社で編集長をしていた片岡という人、45歳で召集されてしまう。 この人が妻にあてた手紙で、人類はもう二度とこんな馬鹿げた戦争などしないでしょう。と語るのだが、どっこい終わらなかった。 朝鮮戦争あり、中東戦争あり、ベトナム戦争あり・・・と。 同じ東北出身の医者で軍医として召集された菊池軍医。 同じく同郷の傷痍退役軍人でありながら、召集された鬼熊軍曹。 この人のキャラクターが秀でている。 ピカレスクやプリズンホテルなどで、こわもてで学も無いが、そのやんちゃな語りの中に真実を言い当てる洞察力があったりする、いかにも浅田次郎が描きそうな人柄だ。 時には片岡の妻が語り部となり、侵攻してくる側のソ連の将校も語り部となり、千島の部隊の中でも最古参の老兵が語り部となり・・・。 と、登場する語り部の数はかなり多い。 この話は千島を舞台とはしているが、もうひとつの舞台は旧南部藩あたりと思われる東北地方。 召集令状を出すにあたって、一家の働き手を一人は必ず残すようにつとめて来た役場の人も、終戦直前の一億玉砕間際に至っては一人の働き手だろうが、なんだろうが考慮する余地がなくなってしまい、おもさげながんす、と思いながら赤紙を出して行く。 2011年。 3.11に東北沖合いを震源地とする千年に一度と言われる大震災の発生。 阪神大震災を引き合いに出すのもおもさげながんすが、阪神が地震の後の火災で多くの人命が失われたのに比し、今度のは火災ではなく大津波だった。 東北から関東にかけての太平洋側一帯をまるごと飲み込んでしまった。 町や村そのものが消滅してしまったところが何度も放映される。 もう一つの大惨事は原発事故だろう。 いつ爆発するかもしれない、どれだけ放射能を浴びるかわからない現場で対応されるかたがたは命をかけて、この国を守ろうとされておられる。 それを見ても何の手助けも出来ないもどかしさ。 東北の方々、原発周辺の方々、そして今も戦っておられる方々に、おもさげながんす、の気持ちで一杯である。 おもさげながんす。 21/Mar.2011
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