読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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オー! ファーザー 伊坂幸太郎 著
父と母と子供一人の家庭なのになぜか六人家族。 なんと四人の父を持つなんとも贅沢な高校生の物語。 四人の父親が同居している。 正確には母とその交際相手の四人が同居しているというべきなのかもしれないが、実際にこの母は四人の男と同時に結婚をし(籍は別だが)、四人はそれぞれで納得ずく。 この四人の仲が険悪なら(普通は険悪だろう)この子供は毎日がいたたまれないはずなのだが、性格も見た目もまるで違うこの四人の仲が良いのだ。 それに主人公である由紀夫という息子を皆が愛し、自分の息子だと思っている。 普通に考えてしまえば、ご近所から見れば同時に四人の愛人と同居する女性とその息子。ウワサになったり冷ややかな目で見られて育ってしまうのだろうが、ここではそうではない。 それはこの四人があまりに堂々としているからかもしれないが。 ・大学教授で物知り、常識人の父。 ・バスケットボールの名手で武道にも長けている人で熱血中学教師の父。 ・ギャンブルのことならまかせとけ、というギャンブラーで地元の裏社会を牛耳っている人にも繋がりのあるの父。 ・初めて出会った女性とあっと言う間に打ちとけてしまえる能力を持つ、女性にモテモテの父。 こんな四人のいいところばかりを引き継いだら、どんな息子が育つのか。 バスケットボール部では先輩よりうまく喧嘩も強く、勉強も出来て、勝負強くて、女の子にもモテる、とんでもないスーパー高校生の出来あがりだ。 悪いところばかりを引き継いだとしたら、 ネクラでありながら空気が読めない熱血漢で女たらしでギャンブル好きの高校生。 なーんてことになるのだろうか。 実はこの本にもサン=テグジュペリの人間の土地からの引用がある。 「自分とは関係がない出来事に、くよくよと思い悩むのが人間だ」 作者はよほどサン=テグジュペリに思い入れがあるのだろう。 この本、2006年から2007年まで地方紙に連載されたものなのだとか。 それが単行本になったのが2010年だからかなり間が空いている。 作者にはその頃「何かが足りなかったのではないか」という思いがあったからだという。 いやぁ、単行本化されて良かったでしょう。 こんな楽しい本。 それにこの四人の父親達は息子の窮地を救うために不可能を可能にする作戦をやってのけてしまう。 四人が協力して知恵を出し合えばどんな不可能なことでさえ「やれば出来る」になってしまう。 将来の心配ごとがあるとすれば、30年後か40年後だろうか。 それぞれが介護を必要とするような老人になった時、さぞかし由紀夫君は大変なのだろうなぁ。 それでもやっぱり「やれば出来る」!かな? 18/Jul.2011 ALWAYS 三丁目の夕日 西岸良平 著
読みものでは無く、少し前の映画です。コミック本の映画化やドラマ化、最近こういうパターンが多いみたいですねぇ。 三丁目の夕陽、ご存知の「貧しかったけれど、明日への夢が有った昭和の日本」が謳い文句のお話です。 昭和30年代の東京が再現されていて、見るものにほのぼのとした温かみを残す映画です。 自分も昭和の人間です。昭和30年代という時代、映画の宣伝が言う様に確かに携帯もパソコンもテレビさえも無かったかもしれない。 でもそんなものが何か「豊か」の象徴となるのでしょうか。 自分の昭和30年代と言ってもまだ幼少でしたので、昭和の三種の神器が目の前に現れてびっくりしたり、わくわくしたり、という体験はありません。この映画の中でのそういう体験はまさに自分の父親、母親が味わった事でしょう。 それでも今ではゴミゴミとした街になってしまいましたが、自分の記憶の中の大阪の昭和には、至る所に田んぼがあり、小川があり、池がありました。ふなが、おたまじくしが、カエルが、どじょうが、へびがいたのです。夏には蛍もいました。 自然のことだけではありません。 阪急梅田駅は今よりはるかに荘厳な雰囲気を持った北大阪の玄関口の駅でした。 阪急百貨店は今よりもはるかに高級な場所でした。 結局「豊か」だとか「貧しい」というのは心の問題なのでしょうね。 あのわくわくしていた時代。 わくわくできる気持ちを持てる時代こそ、真に豊かな時代なのではないかと思った様な次第です。 15/Aug.2006 オールドテロリスト 村上龍 著
とんでもない爺さんたちだ。 低迷する日本経済をして、戦後、焼野原から立ち直ったんだから、その気になりゃいつでも復活できますよ。などと言う連中が居るが、焼野原を体験したことの無い人間がその気になどなれるわけがないだろ。 ならばどうするか。もう一度、日本を焼野原にするしかない。 なんともダイナミックで斬新な爺さんたち。 地方再生なんていうチマチマした話じゃない。 全てリセットしようかって。 そんなことを頭の中で考えている分には、なかなか楽しいだろうが、事件は起きる。 まず、NHKの玄関で起きた爆破テロ。 全身が焼けただれるような死体が出るほどのひどいもの。 異臭のする液体を撒いて、それに火をつけた犯人はその場で焼死。 次が、自転車が通ってはいけない商店街を自転車で横切ろうとした人の首を草刈り機で切り落とすという凄惨なテロ。これも犯人はその場で自殺。 その次が歌舞伎町の映画館でのイペリットという毒ガスによるテロ。 これが最も規模も大きく、最も陰惨なもの。 でもこれはほんの序の口。 老人たちは旧満州から持ち帰った対戦車砲を浜岡原発近所にぶっ放し、日本国相手に戦争するとまで言い放つ。 この老人たちの大胆さ、豪胆さ、潔くもある姿に比べてなんと主人公のセキグチというジャーナリストのふがいないことか。次元が違いすぎて比べることそのものがおかしいと言えばおかしいが・・・。 当初の2件の事件以外は記事をスクープするどころか、書く行為すら行わない。 肝心なネタ取りの場所では震え上がり、嘔吐し、しょんべんを漏らし、その時もその後も安定剤と酒に浸って、ひたすら書くことから逃避する。 ジャーナリスト魂のかけらでもあれば、少なくとも書くだけは書くだろうに。 この話、ほんの数年後(2018年か?)の未来の話で、直近までの実際に起こった事件のことも書かれているので、10年後、20年後の読者はどこまでが事実なのか、少々混乱するのではないだろうか。 なんか読んでて龍さんそのものも年をとったのかなぁ、とも感じさせられる。 立派な戦士を前にいくらビビる主人公を描いたって、加齢だとかという言葉はこれまで使わなかっただろうし。 至るところに過去に村上龍が書いた小説のエキス満載。 学校を放棄した中学生たち独立国を作ろうとする「希望の国のエクソダス」の若者たちはダメダメ日本の例外として描かれ、この老人たちの武闘意識は「愛と幻想のファシズム」を想起させられ、日本が降伏せずに地上戦で戦っていたら、という老人たちの言葉は「五分後の世界」を想起させられる。 まさか、龍さん、これを集大成としようとして、こういう長編ものからの引退を考えているんじゃないでしょうね。 まだまだ早いですよ。龍さんにはこういう豪快なものをもっともっと書いて欲しいですから。 01/Mar.2016 王とサーカス 米澤穂信 著
先日、タイの国王が亡くなったばかりであるが、ネパールもほんの数年ほど前までは王制だった。タイの亡きプミポン国王が国民から圧倒的に信頼されていたのと同様に、ネパールの国王も国民から愛されていた。 その国王があろうことか、皇太子によって殺害されてしまう。 たまたまその時期にネパールを訪れていた、フリーになりたての女性記者が主人公。 初めてカトマンズを訪れた者の目から見た街並み。 国王が亡くなって嘆く国民の姿。 中盤まではそんな感じで進んで行くのだが、終盤に近づくにつれ、だんだんと探偵ものの推理の謎解きのような物語になって行く。 謎解きのような物語になって行くにつれてちょっとした違和感がいくつか。 いつもおだやかで親切にしてくれた僧侶。いきつけの日本料理店の天ぷら屋でも殺生を嫌って魚の天ぷらには手を出さない人が、人だけは平気で殺せてしまうのだろうか? 物売りの少年にしても、彼女に偽りの記事を書かせたいがためだけに行う行為は、彼が利口なだけにあまりにもその行為に伴うリスクに比べて、得るものの無さ加減はどうなんだろう。 その利発な少年おちょくられていた主人公女子が、突然、名探偵になってしまうことは何より違和感。 それより何より、この記者。なんといっても青臭い。 王宮を警護すべき軍人への取材の際に、 相手が 「お前は何を伝えようとしているのか」 「何のために伝えようとしているのか」 「人は自分に降りかかることのない惨劇は刺激的な娯楽だ」 とジャーナリストを批判するのはいいだろう。 だが、この記者さん、本気でそこを悩み始めてしまう。 「私は何を伝えようとしているだろう」 「私は何のために伝えようとしているのだろう」 そこを悩んでいる人が存在する業種には思えないが・・。 まぁ、ある意味新鮮か。 そのあたりが実はこの本のテーマでもあったりする。 この軍人の発した「私はこの国をサーカスにするつもりはない」という言葉からこの本のタイトル「王とサーカス」がついているのだろうし・・・。 って、書いていると、この本をけなしているみたいですが、ちょっと途中からミステリ系へのシフトに驚いただけで、 最初からミステリ系の本だと思って読めば、かなり面白い部類だと思いますよ。 ![]() 18/Oct.2016 桜風堂ものがたり 村山早紀 著
全国の書店員さんはほぼ全員応援するのではないだろうか。 老舗だが時代遅れの百貨店の中のテナントの書店。 その書店にはカリスマ書店員が何人もいる。 主人公の青年はその本屋で学生のアルバイトからはじめて、10年勤務。 書店というのはその売り場売り場を任された者のカラーが棚に反映されるものらしい。 取次店から毎日、山のように配信される本、それらは一定期間の間に売るか返本してしまわない限り、取次店に引き取ってもらえない。 毎日、毎日、本の入替作業、大変な仕事だ。 おのずから売り場の人間の個性が棚作りに反映されて行くのだろう。 来た本を棚のどこに配置するのか。 出版される前から、どの本に目をつけてどれを版元や取次店に依頼するのか。 売り場責任者の裁量次第だ。 主人公の青年は目立たない存在ながら、宝探しの名人と異名をもらうほどに隠れた名作を見出す能力を持っている。 ある時、万引きの少年を追いかけて、その少年が事故に遭ってしまったことから、「行き過ぎだ!」そ騒ぎはじめられ、その噂がネットを駆け巡り、店の迷惑、百貨店の迷惑になるからと青年は辞めてしまう。 そこで以前よりBLOGで知り合い、後にインターネットの世界だけで親しくしていた桜風堂という地方の本屋を訪ねるのだった。 現代の活字離れの大元の原因を作ったのがインターネットの普及と言われている。 本屋がどんどん潰れていく原因になったのは、活字離れだけではない。 電子書籍の登場も一因だろうが、amazonのような通販大手がどんどん本を販売する。 地方の品揃えの悪い書店が立ち向かえられる相手ではない。 それでも書店員は、自らPOPを作ったり、イベントを催して見たり、直にお客様と触れ合うことで、本の温かみを伝えたり・・。 などなど書店に来てもらってでしか出来ないことは何か、を模索し、日夜苦労しているわけなのだ。 それなのにそれなのに、この本の登場人物たちは、SNSを多用し、BLOGやメールなどインターネットをフルに活用する。 本来、書店にとって大元の元凶だったはずのインターネットと仲良くしているわけだ。 もはやインターネットが元凶だなどと、言っていられない時代なのだろう。 共存しなければね。 書店員さんたちがお薦めする本のTOPに来るのが本屋大賞。 全国の書店員さんたちはこの本に本屋大賞を受賞してもらいたかっただろうな。 でも、受賞すればあまりに身びいきなので、ちょっと遠慮したのだろうか。 ![]() 03/Oct.2017
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