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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Sep.2021
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蜜蜂と遠雷
壬生義士伝 浅田次郎
海松(みる) 稲場真弓
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 スティーグ・ラーソン
ミレニアム2 火と戯れる女 スティーグ・ラーソン
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士   スティーグ・ラーソン
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蜜蜂と遠雷 -

音楽を文章で表現する。
果たしてそんなことが可能だろうか。

日本のある地方都市で行われるピアノコンクール。
世界の一流への登竜門のようなコンクール。
この本、その一次審査から二次、三次、本選と、ほぼ、そのコンクールだけで成り立っている。

そこに3人の天才ピアニストが登場する。

一人は自宅にピアノを持たない少年で著名な音楽家の推薦状を引っ提げて来る。
彼の奏でる音楽は、まるで彼がそこで作曲し始めたかのような、自由さがある。
彼の弾くピアノに、他のコンテスタントは触発されて行く。
皆が感動するピアノを弾くのだが、それは必ずしも審査員受けするものではない。
だが、もう一度聞いてみたい、とは思わせるので、審査を勝ち抜いて行く。


一人はかつてジュニアコンクールで圧倒的な実力を発揮していた女子大生。
子供ながら先々の講演予定がびっしり入っていた彼女なのだが、マネージャーのような存在だった母を亡くしてしまい、その後の舞台をドタキャンし、以降、表舞台から消え去った人だ。
その彼女が幼い時に見出したもう一人の天才。
一流のピアニストに師事し、コンクールでの勝ち方を知りぬいた本命中の本命。

その三人がほぼ主役なのだが、その音楽に感動させれるのは「元消えた天才少女」が奏でるピアノ。

文章を読んでいるのに、その音楽に感動して涙腺が緩んでしまった。
こんなことは初めてだ。

この本、コンクールを舞台に数々の人間模様を描いているが、この世界の裏側を至る所で垣間見ることが出来る。

コンクールに出るにはもうとうが立ったとも言えるような社会人も出場する。
もともと若い頃はピアニストを目指していた人なのだが、今や結婚もし、子供もいる中、最後の挑戦との思いで、仕事をしながら寸暇を惜しんで練習し大会に臨む。
その練習をし、というのも簡単じゃない。
音大生ならいくらでも環境はあるだろうが、ピアノをまともに弾く場所がない。
楽譜を買うのも高くつく。
レッスンなど受けようものならレッスン料も・・。

小さい頃から親が環境を与え、時間を作り・・、とそもそも、かなり恵まれた環境の人にしか挑戦権はない。それでも予選に辿り着く前に大抵は落とされる。

ごくごく限られた天才たちだけが予選まで到達できる。

フィギアスケートの選手たちを連想してしまった。


果たして、音楽を文章で表現するなんて可能なのだろうか?という疑問をこの作者は見事に払拭してくれた。
見事と言うしかない。


蜜蜂と遠雷 恩田 陸著
08/Feb.2018
壬生義士伝 浅田次郎
拙者、歴史の師匠は司馬遼太郎と決めておる。
学生時代の歴史の教師などからは何も教わった覚えも無い。ましてや受験勉強の歴史なぞ、屁の屁だと思うておる。
その時代背景、その時に生きていた人間の有り様、そんな事をおかまい無しにしてXXが起こったのは西暦何年であるか、誰々はどんな名前の著書を書いたのか、XXXX年に勃発したのは何の乱であるか、そんなどうでもいい事を頭に詰め込んで何になると言うのだ。
XXの乱などと言うネーミングにしたって後世の人間が勝手に付けたものであろうが。
直近の事でさえ、覚えているものはいるまい。
田中角栄が政権をとったのは西暦何年?ロッキード事件で失脚したのは西暦何年?
大平首相誕生は何年?
それどころか、現役の小泉首相が政権をとったのは?
ほれ、誰も答えられるまいに。
拙者、ついこの間の事でさえ覚えておらぬわ。
せいぜい、京都議定書が発効したのは2005年の2月16日じゃ。
日韓ワールドカップが開催されたのは2002年の6月、いや5月じゃったかな。
せいぜいそこまでよ。
いやはや前置きが長くなってしもうた。
「壬生義士伝」、このタイトルからして新撰組を扱ったものである事は明らかである。
新撰組と言えば、まずは司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読まずして何が語れよう。
もちろん、司馬遼よりも前にも海音寺潮五郎の「新撰組血風録」の様な作品もあったが・・。
「壬生義士伝」というからしてこの「新撰組血風録」の様なイメージを抱いて購入して読んだのだ。
浅田次郎のものといえば「鉄道屋」を思い出してしまうのだが、世間一般ではどうもそうでも無いらしい。
んな事よりもこの作品を書いた浅田次郎という男、只者では無い。
この男の才能は計り知れない。
南部藩大阪蔵屋敷へ鳥羽伏見の戦いの戦に負けてよれよれになった吉村貫一郎なる新撰組隊士が現れるところからこの物語は始まる。
藩への帰藩を願い出る吉村に南部藩を取り仕切る大野次郎右衛門が切腹を命じる。
なんでオラが腹切らねばねーんだか、と続いていくあたりで、期待に反しての女々しい男の話であったか、と失望させ、おそらく血風録同様に短編を集めているのだな、と思いきやさにあらず。章が変わる毎に登場人物が変わり、後々の大正時代に吉村寛一郎の事を新撰組の生き残りに取材して語らせて行く。その章が進めば進むうちに吉村寛一郎なる人物が一旦は守銭奴の如く生きたくだらん男に見せかけておいて、徐々にそのベールを剥いで行く。実は剣を取ってはおそらく沖田、斎藤でも吉村を切れないであろうし、文武両道にて藩にいた頃は藩校の助教を勤め、「南部武士は岩を割って花を咲かせ」と教え子達に教える先生でもあった。
吉村寛一郎の魅力はその剣の強さ故では無い。また頭脳明晰と言う訳でも無い。寧ろ愚直なのである。
そこで貫かれる武士道は一般的に知られる武士道とは別個のものである。
殿様に仕える武士道とはほど遠く、愛する女房、子供に捧げる武士道。自分の主は秋田小町の女房なのだ。
いや、ここでそんな事をつらつらとは書くまい。
浅田の天才的な才能によって、この愚直で守銭奴の様に見せかけた男は章をすすめる内に誰しもがこんな素晴らしい男はいない、と言うところまで持ち上げられてしまう。今度はその素晴らしい男に切腹を命じた大野次郎右衛門が今度は悪者なのであるが、そのベールも徐々に剥がされて行き、吉村が帰藩を願い出た時に、「おまんの命と藩の行く末を天秤にかける訳にはいかんのじゃ」と言わしめておきながら、薩長になびかず、官軍に南部藩が弓を引く。その真相が最後の最後に大野が吉村の子供を預ける先の豪農へ書いた手紙の中で明らかになる。
南部一藩の行く末を吉村寛一郎の貫いた武士道と引きかえたのだ。
いやはや、そんな顛末を書いて何になる。
恥ずかしながら拙者、書評なるものを書いた事は過去に一度も無いのじゃ。

浅田は新撰組の有名幹部連中の有り様、個性も見事に独自の世界で書き上げている。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」は誰しもが読んでいる事などまるでお見通しの様に、
司馬遼の世界からも徐々に自分の世界へと靡く様に仕上げられている。

土方に関しては、新撰組ものの読者には彼が戦略家で組織作りの天才で、という事はもちろん承知の上なので、そこを強調するよりも寧ろ薬売りをしていた頃の商才に目を付け、吉村に渡す金のやり取りにて商いをする人らしい一面を描き・・・沖田に関しては天才的な剣豪でありながら茶目っ気のある明るい男という事は誰でも知ってるでしょ、と言わんばかりである。寧ろ浅田から読む沖田は人を切る事を喜ぶ殺人鬼にすら思えてしまう。
司馬遼は近藤勇を現実主義の土方の対極で政治好きの愚物として描いた面があるが、
近藤勇に関しては迫力のある威風堂々とした大将である事を人の口伝てにしてちゃんと描いている。

斎藤一に対するスポットの当て方はもう最高である。
坂本龍馬を暗殺したのは実は斎藤一であった・・などは全く読ませてくれる。

この本が映画化されてしまった。
映画化されてまともに見れた試しはかつて無い。
配役を聞いて「うぅ!」とうなってしまった。
中井貴一?違うだろ。もっと背が高くなけりゃ。
しかしなかなかこの映画化、成功しているのである。原作に忠実にいろんな登場人物を配していたら失敗していたであろう。
回想させるのを、大野次郎右衛門の息子の大野千秋と斎藤一だけにしているのも成功している。
吉村寛一郎&斎藤一これを中心にしておくぐらいで丁度良い。
これ以上配してしまうと映画では焦点がぼけてしまうであろうから。
「一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばなり申さん」と言って両刀を抜いて駆け出すシーン。
中井貴一ではあったが、このシーンだけでも充分にこの映画は成功している。

壬生義士伝 浅田次郎 著


20/May.2005
海松(みる) 稲場真弓

主人公は団塊の世代の少し下の世代なんだろう。
いつも団塊の世代の背中を見て育って来た世代といったところだろうか。
主人公は40歳になった頃に志摩半島の湾の近くの山の斜面という誰も見向きもしないような土地の家を買い東京よりそこへ移り住む。

主人公も田舎での生活ではいろんなことの発見の連続。
タイトルになっている「海松」もその一つ。
海松と書いて「みる」と読む。
海草の一種で、松の枝みたいな形をしているところからその名がついたのだと言う。
発見の連続と書くといかにもセカンドライフを満喫しているように見えるのだが果たしてそうなのだろうか。

数年前にご同業の団塊の世代の方から、会社を退職し、田舎へ移り住むと言う内容のお手紙を頂戴したことがある。
その後、その方からメールが来て農業を始めました、とメールが来てホームページのURLなどが記載されていた。
農業は結構順調らしく、「インゲンマメが出来ました」などとメールが来ることもある。
他にも何人かの団塊の世代の人を知っているが、なんだかんだと言いながらもこの世代の人たちはバイタリティがある。
まさにセカンドライフを満喫している。

この主人公の場合は、都会での生活に疲れ、都会に行き詰ったところから始まっている。セカンドライフありきではないのだ。
何かしら黄昏を感じてしまう。
今の時代というのは、一部の団塊の世代の人たちを除いて、日本全体がたそがれているように感じてしまうことが多いので余計にそう感じるのかもしれない。

主人公と書きましたが、この主人公って稲場さんご自身のことなんでしょう?

全然話は変りますが、大雨による土石流で家が流されるようなことが相次ぐ最近の気候状況です。

山の斜面になんて住んで、大丈夫なんででしょうね。
稲場さん。


海松(みる) 稲葉 真弓 著 新潮社 川端康成文学賞受賞作


05/Aug.2009
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 スティーグ・ラーソン

第一部の刊行から3年あまりで計290万部を売り上げたという。
人口900万人のスウェーデンで290万部というのは驚異的な数字である。
スウェーデンでは読んでいない、というと驚かれるというほどの作品である。(以上 訳者 ヘレンハルメ美穂氏のあとがきより)

読んでみれば大ヒットというのも確かにうなずける。

物語は、大物実業家をの暴露記事を発表したジャーナリストが名誉毀損で有罪になるところから始まる。

その暴露記事を書いたのが雑誌『ミレニアム』の発行責任者の一人であるミカエル。
そんなミカエルに舞い込んだのが歴史のあるコングロマリット企業の元会長からの依頼仕事。約40年前にその一族が保有する島から忽然と姿を消した当時16歳の少女の事件調査。

もはやこれまで37年間にありとあらゆる可能性を調査しつくした事件で、解決するとは到底思えないが、まだ何か見落としがあるのではないか、出来る限りのことをして欲しい、と頼まれる。

それ以上については、ここで書くのは控えるが、
章毎に記述されるこの各一行。

・スウェーデンでは女性は18%が男に脅迫された経験を持つ。

・スウェーデンでは女性の46%が男性に暴力をふるわれた経験を持つ。

・スウェーデンでは女性の13%が性的パートナー以外の人物から深刻な性的暴行を受けた経験を有する。

・スウェーデンでは性的暴行を受けた女性の内92%が警察に被害を出していない。

という類の記述。

日本の小説なら章毎の裏表紙の一行なんて見過ごしてしまうかもしれないが、この記述の類はスウェーデンだけになかなか見過ごせない。
その数字にどこまでの信憑性があるのかはわからないが、この作家もジャーナリスト出身であるだけにまんざら根拠のない数字ではないのだろう。

どこぞのフェミニストは、日本の男達はスウェーデンを見習え、見習えと事ある毎に、言うが、その数字を見てもまだ言うだろうか。

この小説。ジャーナリスト以外に、サブタイトルのドラゴン・タトゥーの女ことリスベットという天才リサーチャーがもう一人の主人公として登場する。

そこで出てくるのが後見人という制度。
社会的非適合者としてカテゴライズされた人間は社会生活を送るにあたって、後見人を必要とする。
後見人は被後見人の預金を管理することも出来、被後見人はいくら仕事をしても自分が稼いだお金でさえ自由に使うことが出来ない。
それどころか様々な行為(規定によると法律的行為と呼ばれるらしい)を後見人と呼ばれる人が代理で行えるのだという。
スウェーデンではその被後見人の人口は4000人に達するのだとも記述されている。
約2000人に一人の割り合いでそのような境遇の人が存在するのは低いパーセンテージと言えるのだろうか。

これもストーリーの展開にふれてしまうのでこれ以上は書くことは控えよう。

もう一つ見逃せないのが、スウェーデンとナチズムの関わりだろう。
主人公達は彼らを頭のおかしい連中と片付けるが、コングロマリット企業の一族内に、戦時中ナチズムに傾倒した人が何人か居て、内一人は91歳でもまだその思想から離れられるどころかその思想そのものの人が存命したりしている。
「この売女」と女性を罵る背景にナチズムが存在したり、主人公達が敢えて頭のおかしい連中と位置づけることは逆に言えば、未だまだそういう思想層の人々が一部には存在し続けているのかもしれない。


この物語の根幹を為す柱の一つは、経済ジャーナリストとしてのはもちろん、ジャーナリストとしての有るべき姿、姿勢を見せるのが主人公のミカエルの生き様。

そしてもう一つは、社会的弱者として虐げられ、暴力を振るわれ、時には残虐な振舞いをされ、泣き寝入りするしかない女性の存在と彼らを代表するかの如くの復讐劇を演じて見せるのもう一人の主人公であるリスベットの生き様。

そんな大きな大きな二本柱によって成り立っていると思う。


ミステリーとしても経済小説としても社会派小説としても第一級の作品だろう。

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女  スティーグ・ラーソン 著  ヘレンハルメ美穂 翻訳 岩澤雅利 翻訳


05/Oct.2009
ミレニアム2 火と戯れる女 スティーグ・ラーソン

スウェーデンのベストセラー ミレニアムの第二弾。
第一弾も第二弾も虐げられ、迫害される女性達に対する社会的な偏見、特に偏見思考の強い男を糾弾しようとする方向は同じであるが、第一弾はジャーナリストとしての有り方に比重が置かれていたが、第二弾はまさに探偵者である。

第一弾でヒーローとなったリスベット・サランデルに連続殺人犯の容疑がかけられ、彼女が何より秘密にしていた自身のプライバシーが連日、マスコミに書きたてられる。

その間なかなか姿を表さないリスベット。

でもやはりリスベットはヒーローそのものである。
第一弾でも明らかになったその明晰な頭脳。
リサーチャーとしての優秀さはこの第二弾でも如何なく発揮される。
天才数学者達が年十年という歳月をかけてその証明に取り組んだという「フェルマーの最終定理」をわずかな期間で解明してしまうあたりは、もはや頭脳明晰などという範疇をはるかに超越してしまっている。

コンピュータのハッキングなどという許しがたい行為であったとしてもリスベットが行うなら読者は許してしまえる。
そんな存在である。
彼女にかかったらネットワークにさえ繋がっているのであればどれだけファイヤーフォールをかましたところで必ず侵入されてしまうのではないだろうか。

少々違和感を感じたのは冒頭のグレナダでの滞在期間の結構長い記述。
後半のストーリー展開にも特に関係してくるわけではない。
作者がたまたまグレナダを旅行したので、ストーリーに関係しない冒頭の出だしに思いつきで入れたとしか思えない。


それにしても男女間格差が最も少ない、として日本のフェミニスト達がよく紹介する北欧の国で「この売女」と女性が罵られるシーンのなんと多いことか。
日本において、必ずしも全てにおいて男女は平等だとは言わないが、女性に対する敬意という様なものはもっとあるのではないだろうか。

作者はこの本が世に出る直前に亡くなってしまうのだが、自身でこの一連の本は自らの取材活動の中での体験を取り入れている、と生前に語っていたというのだから、ネオナチの人間が居たり、人身売買が行われていたり、というのも満更、創作というわけではないのだろう。
他の国に先駆けての男女雇用均等法なども逆を言えばそれだけ、放置すれば劣悪な状況だったということの裏返しなのかもしれない。

この上下巻、文句無しに面白いが、完璧に完結しきっていない。
やはり第三弾も読め、ということなのだろう。



ミレニアム2 上 火と戯れる女  スティーグ・ラーソン 著 ヘレンハルメ美穂 (翻訳), 山田美明 (翻訳)


17/Dec.2009
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