読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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永い言い訳 西川美和 著
妻に先立たれると、男は何がどこにあるのかさっぱりわからず、てんてこ舞いなどという話はざらにあるので、この本の一部分は身につまされる人も多いことだろうが、この主人公氏、ちょっと行きすぎていた。 売れない作家時代は、まさに髪結いの亭主。 ヒモのような存在として奥さんに食べさせてもらっていた。 ちょっと作品が売れて、テレビのコメンテーターなどにも頻繁に登場するような存在になると、男の方は変わるが、妻の方は何もなかったかのようにこれまで通り。 そんな妻がだんだんとしんどくなっていく男。 妻は妻で売れなかった頃のような愛情はもはや感じていない。 まま、ありがちなことなんだろうな。 妻が突然のバスの転落事故で亡くなってしまう。 遺族となって妻の遺留品を示された彼、どれが妻のものなのか、全く分からない。 それどころか、どんな服を持っていたのか、当日出かける際に顔を合わせたはずなのに、どんな服を着ていたのかさえ、頭の片隅にもない。 それどころか、妻を失った悲しみがこれっぽっちも無い。 かなり性格的にもねじまがった男であることに違いは無い。 そんな台所に立つことになる。 同じバスで転落死した妻の友人の夫から声をかけられ、その子供の面倒を見るようになる。 所詮、ごっこでしかないにだが、男の心はみるみる変わって行く。 その変わりようが面白い。 そして愛していないはずの妻の存在をあらためて見つめなおしていく。 この本、本屋大賞こそ受賞そていないが、本屋さんが薦める本の上位にランキング。 やっぱり本屋さんの薦める本にはずれは無いわなぁ。 ![]() 14/Oct.2016 長い長い殺人 宮部みゆき 著
語り部が財布なのですよ。財布。 刑事の財布が語り部。 強請屋の財布が語り部。 少年の財布が語り部。 探偵の財布が語り部。 目撃者の財布が語り部。 死者の財布が語り部。 旧友の財布が語り部。 証人の財布が語り部。 部下の財布が語り部。 犯人の財布が語り部。・・・。 最初の一話を読んだ時には、短編なのかと思いましたよ。 全部ちゃんと繋がっているのですね。 雑誌に掲載された頃は「十三の財布の物語」というタイトルだったそうです。 タイトルとしてはそちらの方があきらかにいいですね。 連載しているうちに10話で終わってしまったので、タイトルは「十の財布の物語」ではなく「長い長い殺人」になってしまった。 長い長い殺人なんてどんな殺人なんだ?と思ってしまいましたよ。 一話一話がそれぞれちゃんとまとまっているのは雑誌に一話ずつ載せていたからなのでしょうね。 それぞれの財布にも生い立ちがあったりしてやっぱり財布の物語なのですよ。 全体の展開は、保険金がからみ配偶者の殺人容疑といい、マスコミの騒ぎ方といい、あのロス疑惑事件を彷彿とさせてくれます。 ロス疑惑事件は、妻とロサンゼルス旅行中に暴漢に襲われ、妻を失った悲劇のヒーローとしてマスコミに登場するところから始まります。 その後、週刊誌の独自取材による報道で状況は一転します。 妻にかけていた莫大な保険金。それを目当てとした保険金殺人の疑惑。 以後この男の周辺にはいつもマスコミが殺到していたあの事件。 物語の展開はその正反対。 夫を保険金目当で殺害したのではないかと疑われる女性と妻を保険金目当で殺害したのではないかと疑われる男性。 しかも両者は愛人関係にある。 犯人で間違いないだろうと散々疑われながらも物証は無し。 だがマスコミは放ってはおかない。 犯人に間違いないだろうと、二人に押し寄せる。 ところが思わぬところから別の物証が出て二人の犯行では無かった事になるとこれまで散々犯人と決め付けていたマスコミは逆に彼らを悲劇のヒーローとして更にマスコミに登場させる。 ロス疑惑とは反対の展開ながら毎度ながらのマスコミの取る対応。持ち上げるだけ持ち上げておいて、落とすところまで落とす。 犯人扱いで過熱しておいて一転ヒーロー扱いで持ち上げる。その構造は同じか。 「あるじよ。その金を受け取ってはいけない。その金で私をふくらませてはいけない」 財布に「あるじよ」と呼ばれるほど私は財布を長持ちさせた事があるだろうか。 少年と呼ばれた頃から数えて一体いくつ財布をなくした事だろう。 大抵はいつなくなったかさえわからないが、気がついたらなくなっているというケース。 サウナでなくした時の事だけははっきり覚えている。 一杯飲んだ後、サウナで一泊して翌朝仕事場へ直行。通勤ラッシュに遭遇せず、ゆっくり朝の時間を過ごせる結構効率的な手段だ。 そのサウナの仮眠室で一泊して翌朝清算をしようとしたらポケットにあるはずの財布が無い。 隣に居た先輩に聞くと、 「そう言うたら、あのオッサンそれが目当てやったんかいな」 とわけのわからない事を言う。 「いやな、おまえが寝ている最中に横へ擦り寄って来たオッサンが居ったんや。てっきりそっちの趣味なんかいなぁ、と思てわくわくしながら見てたんやけど、眠とうなって寝てもうたんや」 そう言えば、目が覚めた時にいつも必ず首に巻いていたはずのロッカーのキーが何故か首には無く、頭の隣に垂れてあった。 その時は、さほど気にとめなかったが、何か違和感があった。 「でも、ええオッサンやないか。財布取ったあと、わざわざお前のとこまでキーを返しに来てくれたんやなぁ」 と妙なところを感心するこの先輩。 やはり只者ではない。 結局、清算は先輩にお願いしてその場だけは事なきを得たものの、その月はチョー金欠状態だった。 今持っている財布などは私にとってはかなり長持ちしてくれている。 財布がそこまであるじの事を気にかけてくれていたとは・・。 この本を読んでから財布を取り替えづらくなってしまった。 09/Feb.2008 嘆きの言葉 2009.10 - 著
いったいこの国はどこへ向かって走ってしまうのだろう。 新政権発足後1ケ月。 いくらハネムーン期間だとは言え、国の景気というものをどう考えているのだろう。 何も前政権が良かったと言っているのではない。 時の閣内に居たくせに、郵政民営化は実は反対でした、などと抜け抜けという総理総裁はとっととお辞めになれば良いと思っていたし、解散前のドタバタはあまりにも見苦しかった。それに永年政権についればこその各種のしがらみも一度断ち切る意味でも政権交代はあってしかるべきだっただろうと思う。 政権交代はあってしかるべきであったとしても、マニュフェストに関しては大多数の人がまさか実行しないよな、と思っていたのではないだろうか。 今の緊急課題は雇用問題。 現状で失業率5%超。それより何より現時点で失業こそしていないものの実態は失業に近い雇用調整助成金受給者は255万人(10/14日本経済新聞朝刊の数字)。 新政権も雇用対策は何より大事と言うが、何よりの雇用対策は景気回復じゃないのか? ダム工事の凍結どころか、前政権が景気対策のためにと組んだ二次補正は悉く凍結。景気の牽引役と思われたエコカー減税も家電のエコポイントも凍結の方向性大。悉く凍結。 なんのための凍結かと言えばマニュフェストで謳ったお題目達成の為の財源作り。 そのお題目が子供手当てであり、高速道路無料化であったり、農家の個別補償手当であったり・・。 そもそも子供手当てって一体全体なんなんだ。 目的は景気対策なのか。少子化対策なのか。 景気対策なわけは無いし、少子化対策だったとしたらなんで中学生まで対象なのか。 その政策を聞いた独身の男性女性が即結婚して子供をつくろうって思うのか? 既婚者が子供手当て目的に子づくりに励むか? 今から子づくりして子供が中学に入るまでこんな政策が続くなんて思う人間が居るとでも思っているのか。 まだ前政権が打ち出して現政権で支給凍結となった子育て応援手当の方がマシだと思う人は山ほど居るだろう。 遊興費は惜しまなくとも給食費は払わない連中に一人当たり月々2万6千円だと? 我らの税金返してくれ!と誰しも叫びたくなるじゃないか。 お子様にハイお年玉、と言って親が5千円包んだって、少し大きな子供は言うだろう。5千円、フンッふざけんじゃねーよ!俺のおかげで月々2万6千円もらってるんだろうがって。 日本人のモラル低下どころか現在の家庭崩壊をさらに助長させてしまうのではないかとすら危ぶまれる。 モラトリアムだと? 軌道修正されはしたものの、最終的には国が債務保証するわけだ。 モラトリアムなどと言われれば貸し手はイヤに決まっている。だからって債務保証なんぞした日にゃ、明日にも潰れそうな乱脈経営の会社に喜んでホイホイ貸し倒れてしまうんじゃないのか。 そもそも経営者たるもの借金すれば、そのリスクを被る覚悟をするのは当たり前の話で、だからこそ経営者は血のしょんべんを流すと言われる。 中小企業で資金繰りは楽々です、などと言う会社はそもそも稀なのであって、今返せないから危機だというところはリーマンショックがあろうが無かろうがいずれにしても近い内に厳しい状態になっていただろうから、借金の猶予にせよ、助成金にせよ、ほんのつかの間の延命措置にしか過ぎないケースが大半だろう。 助成金に至っては、これは現政権がもたらしたものではないが、もはやもらわにゃ損々とばかりに支給してもらい、中には新規受注をもらって下手に失敗をして赤を出すぐらいなら、助成金を受けていた方が安全などと考える会社まで出て来る始末で、これはもはや企業活動とは言えない。 我々はこういうもはやモラルがないなどと言うレベルを通り越したものに支払われるために税金を支払っているのだ。 税金返せ! 何度でも叫びたくなるではないか。 高速道路の無償化にせよ、CO2削減90年比25%減にせよ、互いに矛盾しながらの政策も結局最後は国民につけが廻る。 いったい全体この国はどこへ向かって迷走をし続けていくのだろう。 17/Oct.2009 なずな 堀江敏幸 著
「子供は3歳までに一生分の親孝行をする」などとよく言われる。 赤ちゃんから3歳までのあの可愛らしさ。 その可愛い笑顔をみてどれだけの元気をもらえることか。 その笑顔をみただけで親はどれだけ幸せになることか。 だから、そんな幸せな期間を味あわせてもらった親は一生分の孝行をもらったようなものなのだ、ということなのだが、その3年間の中でも幸せでありながらも最も辛い時期というものもある。 産まれてから3カ月までの間というのは、まだ笑顔という表情を作ることも出来ないし、昼間も夜中も、やれおっぱいだ、やれおしっこだ、やれうんちだ、とに何度も何度も起こされ、初めての親には一番しんどい時期である。 この本の主人公、そんな最も大変な時期だけを任されたという感がある。 弟夫婦のところに産まれた赤ちゃん。 産まれた後すぐ、旅行代理店にて海外を飛び回っている弟が海外で交通事故に遭い、重傷でしばらくの間帰国出来ない。 時を同じくして弟の妻は感染性の病に罹ってしまい、こちらも入院。 こちらの入院は弟に比べればさほど遠くの場所でもないのだが、赤ちゃんに感染させるわけにはいかないので、会うこともままならない。 そうして、子育てはおろか、結婚をしたこともない四十男が赤ん坊を預かることになる。 通常の会社勤めならまず不可能なところ、彼の仕事は小さな地方新聞の記者。 タブロイド版の新聞で発行は二日に一回。ともなれば果たしてそれは新聞社と呼べるものなのか、新聞記者と呼べるものなのか、とも思ってしまうがそれはさておき、この本では記者と呼ばれている。 その記者の仕事を在宅勤務でさせてもらうことでなんとか預かってはいるが、夫婦二人でも大変な乳飲み子の時期を男手ひとつでというのはなかなか出来るものではない。 正確な生後何カ月〜何カ月までという記述があったわけではないが、生後2ヶ月と話すところとその後生後3ヶ月と話すところが有ったので、おそらく生後2ヶ月前から3ヶ月すぎの一か月以上の期間は間違いなく手元に居たのだろう。 そこまで入れ込んでしまうとあとあと手放す時が辛いだろうに、と読者が心配してしまうほどに、主人公氏はこの赤ん坊「なずな」の面倒をみ、愛おしく可愛がる。 たかだか一ヶ月強のために愛車シビックを廃車にしてチャイルドシートの取りつけ可能なアコードに買い替えたり。 自分のお気に入りのベビーカーを購入したり。 この本、育児を体験した人には懐かしさを覚えるだろうが、ただ、これだけ長編にする必要があったのだろうか、と思えなくもない。 読んでいて、少々間延びし過ぎじゃないのか、と、少々退屈に思える読者もさぞかし居たのではないだろうか。 こちらも中盤まではそんな気にさせられたが、だんだんとその退屈さにも慣れてしまったのだろうか、中盤以降は面白く読めた。 この本、育児日記であると同時に、地方紙の記者ならではで、このとある地方都市のそのまた限られた一角の地域日記でもあったりする。 赤ちゃんが居ると、その周辺は赤ちゃんを中心に廻るようになる。 赤ちゃんを連れているだけで、これまででは想像もできないほどに人の輪が拡がる。 そりゃ四十男が一人暮らしをして居たってろくすっぽ近所付き合いもないだろうが、赤ちゃんがいると、何かと話しかけられやすくなるだろう。 そんなリアリティがいくつもあるこの話。 この著者はたぶん実体験したんだろうな、と思わずにはいられない。 26/Sep.2011 謎の独立国家ソマリランド 高野秀行 著
あの無政府国家ソマリアの北部に治安の安定した謎の独立国家があると聞き、そんな夢のような話があるのか?これぞラピュタの国だ!とばかりに現地へ向かう著者。 入国にはビザが要る。 そのビザはどこで発行しているのかもわからない。 まったくの手探り状態からの出発。 宿泊先のホテルの従業員が大統領の補佐官だっかた秘書官だったに気安く携帯で電話をする。 そこで即座に表れた大統領側近は彼らの滞在中のスケジュールを速攻で全て決めてくれ、通訳の手配、運転手の手配も怠りない。 ソマリ人は尽くにスピーディなのだった。 ちなみにソマリアという国名はイタリアの植民地だった頃のイタリア式の命名で、住んでいる人達はソマリ人。話す言葉はソマリ語。 ソアリアという国名にイタリア式のアが残ってしまっているだけで、本来はソマリなのだという。 そこで彼ら(著者の高野氏とカメラマンの宮澤氏)が見たのは、街中で銃を持つ人がいない風景。 夜になって女性が一人でも歩ける風景。 自国の通貨への両替を重装備の警備もない露天のような場所で平然と行われている風景。これが本当に対外的にはソマリア国の一部と言われている地域なのか。 もっと治安が良いとされる国よりもはるかに安全。 国連もどこも承認していないが、彼らは政府を持ち、警察を持ち、独自の通貨までも持つ。そして議会も持つ。両議院制だ。 選挙によって選ばれた衆議院とそれを監視する氏族の長らによるいわゆる貴族院のような制度。 純前たる民主主義国家なのだ。 すぐ東隣にはブントランドという海賊国家と言われる国(これも国際的には認知されていない)があり、そして南には無政府状態で未だに戦闘・紛争が耐えず発生し、著者が「リアル北斗の拳の国」と呼ぶ南部ソマリアがある。 その周辺地域で為し得なかったことが何故、このソマリランドでは為し得たのか。 国連が認めていない=国際社会から認められていない、だからこそ為し得たなどという目から鱗の様な意見も出て来る。 国際社会から認められれば、当然援助対象国として莫大なお金がもたらされる。 そうしたことは、利権や賄賂の発生にもつながり政府は腐敗し、民衆はその政府を倒そうとする、そうしたことから、国は乱れていき暴力沙汰が起き、治安は悪くなる。 というのが、その意見の主旨。 そういう視点はもちろんあるのだろうが、ソマリランドが治安の良い民主国家になり得たのは、昔ながらの氏族の長が意見を出し合い、昔ながらの掟と代償によって物事の解決を図ってきたから。 日本でもいにしえの知恵に学ぶことは多々あるだろうが、ここソマリでのいにしえの知恵は素晴らしいほどに機能し、同じ民族同士で恨みと復讐の連鎖を立ち切り、争いが起ころうとしてもそれが長期化する事を回避させ、双方を納得させるという、見事に争いを制御できる機能を持っていたのだった。 アフリカや中東を語るに必ず出て来る「部族社会」ということば、大半が間違いなのだという。 ソマリも部族社会での部族間抗争などと言われるが、ソマリはソマリランド、ブントランド、南部ソマリア、エチオピア、ケニアの一部は部族としては同じ部族。 全てソマリ人で、抗争が繰りひろげられるのは氏族同士の闘いなのだという。 氏族同士の争いとは、日本で言えば源氏と平氏の争いのようなもの。 同じ氏族間のつながりは深く、冒頭のホテルの従業員が大統領の側近に気安く携帯で電話が出来るのは同じ氏族の身内同士だったからだ。 ではなぜ、南部ソマリアでは掟が機能せず、虐殺の応酬が繰り返されているのか。 国際社会の介入により、機能するはずの氏族長をはじめ、主だったところが全部殺戮されてしまったためなのだとか。 筆者は帰国し、このソマリランドで得たことを本にしようとするが、「平和な国家がありました。なんて本、誰が読むんだ」と相手にされない。 それからの彼の行動がすごい。 「ルポ資源大陸アフリカ」を読んだ時に白戸記者の記者魂というか、フットワークの軽さに驚いたが、この高野と言う人、とことん一箇所を掘り下げる人らしい。今度は単身でソマリランドのみならず、海賊国家ブントランド、そしてリアル北斗の拳と自ら呼ぶ南部ソマリアまで踏み込むべくでかけて行くのだ。 ブントランドでは案内人と護衛兵士を常に四名、ほぼ強制的に雇い入れさせられ、且つ一定時間帯以外は治安が悪いからとホテルの中に缶詰め状態となる。 資金も底をつくのが見えて来た著者はあろうことか、海賊のオーナーになってみたらどうか、などと真剣に見積りを取ったりする。 自らがソマリア海賊になってみようなどと考える日本人はおそらくこの人一人ではないだろうか。 もちろんカート(噛んで行くうちに躁状態となる葉っぱ)を噛み続けていたことの影響は大きいのだろうが・・。 この見積り行為が最も手早い取材活動になったようで、海賊の実態が明らかになって行く。 ちなみにこのブントランドも氏族から選出されたものに限ってだが、選挙が行われて国会議員が選出されるという、一応民主主義国家なのだ。 現在、エジプトではデモ隊と治安部隊の衝突で大変な事態になっているが、それでもレポーターがテレビカメラの前で平気で道路をバックにしゃべっている姿を見るにつけ、まだ治安の良さはエジプトの方が上だろう、と思わせるのが南部ソマリア。 ブントランドの次にはその南部ソマリアへと入国する。 南部ソマリアでは敏腕で勇敢な女性テレビ記者の助けを借りていくつもの危ない場所へも足を運ぶ。 南部ソマリアの産業は何か。トラブルがビジネスになっている、と書くと語弊があるだろうか。 紛争の度に国際社会が調停に乗り出し、調停の都度、莫大な金を落として行く。 著者は、その南部ソマリアについても誉めることも忘れない。 首都のモガディシュはどれだけ荒れても、人も街も都として洗練されている。 都会人としての高い民度を持っている、と。 この高野という人、物事を説明する比喩に独特の手法を持つ。 ソマリランドをラピュタに例えてみたり、ソマリの氏族社会をわかりやすく表現しようとしてか、地域の部族を日本の歴史の源氏・平氏・奥州藤原氏などに例えているのは、最初のうちはどうなんだ、とも思いつつも読み進むうちに、イサック奥州藤原氏、ハウィエ源氏、ダロッド平氏などと書かれていた方が確かに頭に入り易くなっていった。 この作者、本一冊書いたところで到底回収できないだろう金額をつぎ込んでこの取材にあたっている。 このたび、この「謎の独立国家ソマリランド」が今年の講談社ノンフィクション賞の受賞作に決まったという。 受賞によってちっとは回収できたことを祈りたい。 それより何より、高野という人、今では他の日本人の誰よりもソマリについて詳しくなったのではないだろうか。 何年後かにはイサック藤原氏の分家の分家のさらに分家のイサック高野氏などと名乗っているかもしれない。 19/Aug.2013
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