読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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イノセント・ゲリラの祝祭 海堂尊 著
ある新興宗教団体で起きた突然死という変死からこの物語は始まる。 実際は団体によるリンチ殺人事件だったのに、危うく急性心不全で片付けられようとしていた。 日本の死者解剖率は2%。 不審な死だと思われて、警察指定医にて出される死因はほとんど「心不全」。 「心不全」とは心臓が停止した状態を述べたに過ぎず、死因を特定するものではない。 死因が「心不全」とはつまり「死因不明」と言っているのと同じことなのだそうだ。 日本の死の9割以上が死因不明のまま放置されている。 先進国の中では稀有なことなのだそうだ。 それもこれも予算の段取りがつかないことがそもそもでありながら、誰も望んでいないメタボ対策みたいなものだけには巨額の予算が継ぎ込まれる。 この本はそんな事柄を背景として、厚労省の官僚を切って切って切りまくる。 故城山三郎に「官僚たちの夏」という高度成長期の通産省を描いた作品がある。 丁度現在ドラマ化され、放映もされていたかと思う。 その中で描かれる官僚達はまさしく日本の牽引役で、寝る間も惜しんで国家のために働く。 官僚たちもまさに戦後経済を引っ張っているのは俺たちなんだという意識があっただろう。 それでも何か違和感が残ることは確かである。 大臣が方向性を示したって、局長会議の方向性の方が優先される。 大臣は目指す方向に進むためには、局長たちに根まわしをしなければならない。 保護貿易か、貿易自由化か、省内は揺れるが、各々法案を作成するのは官僚たちだ。 法律の立案は立法府、即ち国会の仕事が三権分立の基本のはずが、いつの間にか官僚が立法することがもはや当たり前になってしまっているのだ。 戦後の復興をなし遂げようとしたこの「官僚たちの夏」の時代であれば官僚も省益のためよりも国益のために汗を流したのかもしれないが、現在は果たしてどうなんだろう。 会議のための会議、そんな無駄な会議というものが世の中のは多々ある。 それは何も官僚が主催する会議だけではないだろう。 あらかじめ結論も台本も決まっていながら、さながら会議で決まったような形式だけを重んじる会議。 そんな会議はこの日本の中に至る所で存在する。 台本からはずれた意見を言おうものなら次からその会議にも召集されなくなり、会議に参加すべき立場からも引きずり下ろされる。 この本の面白いのは、全てそういう会議の場のやり取りだけをメインに物語を成立させているところだろう。 特技がリスク回避、座右の銘が「無味無臭、無為徒食」。 ミスター厚労省と呼ばれるエリート官僚を大学教授が評した言葉。 部外者のみならず同僚の官僚自らがミスター厚労省にこう述べる。 「市民が必要とすることはせず、自分たちがやりたいことを優先する。やりたくない仕事は遅延させ、やりたい仕事にはあらゆる手立てを使ってブースターをかける。口先で指導、責任が降りかからない安全地帯で体制づくりに専念する」 それに対してミスター厚労省は 「そんなに誉めるな」 の切り返し。 なんとも笑えない現実が見えてくるようだ。 もちろん、官自らがそんな言葉を吐くのは小説ならではなのだろうが、なにやら本音を吐露されているような気がしてしまうのは自分だけだろうか。 この物語の流れは法医学が中心の解剖実施比率を高めることよりもエ−アイ:AI(オートプシー・イメージング)という呼称の画像診断を死後画像に用いることで死因不明放置の対処に、という方向性なのだが、根底は官僚批判そのもの。 上に書いた以外にも官僚自身の口から冗談まじりに官僚批判を山ほどさせている。 それが、はたまた正鵠を得ているように思えてしまうところが悲しい。 具体的な省庁名を出してでは稀有な本かもしれない。 今や官僚批判が世論の趨勢になりつつある。 この選挙期間中も各党ともそれを謳い文句にはしながらも、はてさてどうなんだろう。 小さい政府、大いに結構。 しかしながら、各党の政策実現には小さな政府どころか寧ろ大きな政府が必要となるのでは?と思えてしまう。 官僚からの脱皮を!と訴えながらも果たして可能なのか。 この本から汲み取れるような数々の無駄や欺瞞が廃せるなら大いに廃して欲しいものである。 でも逆に「官僚たちの夏」にあるように、事実上この国を動かしているのが官僚ならば、あまりの官僚批判の中で彼らのモチベーションがどうなってしまうのか、も大いに気になってしまう。 9月以降、この国はいったいどこへ向かっているのだろう。 11/Aug.2009 疫病2020 門田隆将 著
今や寝ても覚めてもコロナコロナコロナ。人の話題もコロナ。天気の挨拶の代わりにコロナ。 テレビのニュースをつけてもコロナ。バラエティをつけてコロナの3文字を聞かない日はまず無い。 今これを書いている日のトップニュースは、東京一都3県にての緊急事態宣言の期間延長のニュースだった。 そもそも日本でこの新型コロナ(新型肺炎と言っていたか)についての初めて報道が為された1年3か月前に その半年後、1年後にまだそのコロナの事をえんえん報じている日を想像し得た人が居ただろうか。 2019年12月に武漢にて原因不明の肺炎患者の症例が相次ぐ。 不審に思った医師の一人が調べたところ、SARSと同じ感染症ウィルスを確認。 すぐに医療関係者達に伝えなければ、とウィルスの情報を共有しようとしたところ、当局からストップをかけられる。 その情報を引き継ぎ、後に英雄となる李文亮氏が発信した途端、今度は公安が来て「デマを流した」という理由で彼を拘束してしまう。 この12月の初動にての情報隠ぺいが無ければ、世界はこんなことになっていなかったのではないか。 もちろんタラレバの話である。仮にここで隠ぺいしなくともやはり蔓延したかもしれないし、日本政府はやはり入国を止めなかったのかもしれない。 中国による初期の情報隠しは致命的すぎるが、その後の日本政府の対応もひどすぎる。 1月に入って武漢が大変な事はわかっているにもかかわらず、厚労省はまだ人から人への感染は確認されていないと、入国制限を行わない。 中国政府が武漢封鎖を行った後になってようやく湖北省からの入国制限を行うも、中国全土の入国制限は行わない。 門田氏によると厚労省は当初入国制限など全く考えもしなかったというほどに危機管理意識が無い。 感染対策の優等生である台湾はというと1月早々に中国からの入国をSTOP。 次から次へと相次いで感染対策を打ち出している。 この違いはなんだ、門田氏の嘆きは続く。 習主席を国賓として招いてしまっていたことが中国の入国制限へのブレーキとなり、夏にオリンピック・パラリンピックを控えていたことが、欧米からの入国制限へのブレーキとなり、初手の感染防止対策の判断をゆがめてしまう。 門田氏は何も政府だけを批判しているのではない。 180度態度を変えた専門家と呼ばれる人たちや、感染対策を真っ先に討論すべき国会で野党が追及し続けたのは未だ「桜を見る会」。これにも呆れている。 初手を誤ると、感染経路は全く追えず、あとは何もかもを停止せざるを得ない最悪の状態に。 わずか1年間のこととはいえ、この本は充分に歴史書だ。 コロナ後も世界からはどんな厄介事が日本に降りかかるかわからない。 迅速な判断と実行が出来る台湾を羨んでばかりはいられない。 2020年から日本は何を学んだのだろう。 ![]() 05/Mar.2021 狼の牙を折れ 門田隆将 著
最近の大規模なテロと言えばパリだのロンドンだのニューヨークだのと、ほぼ日本から遠く離れた地で発生しているが、テロの発生件数にランキングがあるとしたら、1970年代後半の日本はかなり上位ランキングされていたのではないだろうか。 1974年東京丸の内のと言う日本のオフィス街の中心で起きた三菱重工ビル爆破事件。 そのビルだけでなく周囲のビルからも窓ガラスが降り注ぐ死者8人、重軽傷者376人の大惨事。 同年 三井物産爆破事件。17人が重軽傷。 同年 帝人中央研究所爆破事件。 同年 大成建設本社爆破事件。 同年 鹿島建設爆破事件。 翌1975年 間組爆破事件。 同年4月 オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件。 同年4月 間組爆破事件。 同年5月 間組爆破事件。 大企業ばかりを狙ったこの立て続けの爆破事件、東アジア反日武装戦線 「狼」を名乗る組織、「大地の牙」を名乗る組織「さそり」を名乗る組織が次から次へと起こし、犯行声明を出したもの。 この本は、その組織を追い続けた公安組織の捜査を徹底取材したドキュメンタリーである。 今なら、どこにでもある監視カメラである程度、足はつくのだろうが、当時はそんなものはない。 捜査員が足を棒にしてようやくその主犯格の男たちに辿り着くが、そこからがまだまだ大変。彼らへの行確(尾行や面会者をさぐる)は慎重に慎重に行われて行く。 日々、どうのような行動をとるのか。何時にどの道を通って何時にどのルートで帰宅するのか。 その日々の行動と違う時が別の仲間との接触の可能性が高い。 今のようにどこにでも監視カメラのある時代ではない。 一旦、追尾に失敗してしまえばまた一からやり直しになってしまう。 特ダネを狙う新聞記者たちとの攻防もなかなか熾烈だ。 全ての容疑者をほぼ同タイミングで一勢に確保しなければ、一人でもメディアにすっぱ抜かれてしまえば、もう普段通りの行動は行わなくなる。 証拠隠滅の恐れもあるし、確保も困難になる そうして行確を続ける間にもまた別の企業爆破事件が起きる。 捜査員たちの執念でようやく三つのグループの犯人たちの確保に成功するのだが、あろうことか、この犯人たちをハイジャック犯の要求に応じて超法規的措置にて釈放させられてしまうのだ。 捜査員たちの苦労はどこへやら。さぞかし悔しかったことだろう。 こうして、日本は世界中にテロリストを放ってしまうのだ。 どうにもわからないのが彼らの心理だ。彼らは企業を爆破することが本当に世の為、人の為などと信じていたのだろうか。 特定宗教に嵌ったわけでも無ければ、金銭目的でも無い。 有名になりたかったわけでもなんでもない。 学生運動を行う学生でない。 外目には、日々勤め先との往復をする、ごく普通の勤め人たちばかり。 この事件、まだ終わったわけではない。 世界中に拡散したテロリストたちの何人かはまだ、世界のどこかで生きている。 ![]() 02/Feb.2018 甲子園への遺言 門田隆将 著
「覚悟に勝る決断無し」 プロ野球の世界で首位打者をはじめとするタイトルホルダーを30人以上も育てた伝説の打撃コーチ、高畠導宏氏が残した言葉である。 打撃コーチとして30年。 プロの世界で一軍の打撃コーチで30年の永さ、それだけでももの凄い事に思えるのだが、いったいどんな野球人生だったのだろうか。 社会人野球では日本代表の四番バッター。 社会人NO.1のスラッガーと言われた人。 かつて社会人に入る前には王・長嶋全盛期、V9時代の巨人軍から王・長嶋が3番、4番、その後の5番を打てるバッターとして、また王・長嶋後の巨人の中心バッターとして巨人軍入りを嘱望されていたほどの打者。当時の社会人監督の選手囲い込みで実現はしなかったが。 プロでの現役生活は新人1年目の春季キャンプで、いきなり不幸が訪れ、強肩だった肩を不慮の事故にて壊してしまい、守備では投げられない。 DH制のない時代なのでここ一番での代打バッターとして一軍入りするが、肩の故障はバッターとしての迫力にも影響を与えるのか、社会人時代の豪快なスイングを知るピッチャーはかつての打者としての力の無くなった姿を嘆く。 結局5年で現役生活を退き、28歳という若さで打撃コーチに就任する。 以降30年、1年契約のバッティングコーチという明日の保障の無い世界に身を置くことになる。そんな人の言葉だからこそ重たい。 「覚悟に勝る決断無し」 氏にしてみれば、毎年、いや日々が覚悟の連続だったのではないだろうか。 以来、タイトルホルダーを次々と育て上げて行くのだが、その育成の仕方は他のバッティングコーチとはちょっと毛色が違う。 他のバッティングコーチは欠点を直そう直そうと画一的な指導をするのに対して、高畠氏の指導は個人個人で異なる。 欠点を無理に直そうとするのではなく、良いところを見つけてそれをとことん伸ばすための特訓をとことんやる。 とことん持ち味を伸ばすうちに知らないうちに欠点も直ってしまう、というやり方。 練習方法も小道具を用いたり、アイデアにとんでいる。 ひたすらバットを投げる練習をさせてみたり、ひたすらファールを打つ練習をさせてみたり、小道具で言えば、すりこぎバット、スポンジボールを使ってのティーバッティング・・・などなど。 氏の力量は選手を育てることにとどまらない。 相手のピッチャーのクセを見抜く天才なのだった。 氏は相手のチームに新たなピッチャーが補強されたと聞くとその練習を視察して来る。その視察から帰った時にはもうすでに相手のピッチャーはまる裸にされている。 直接、指導を受けなくてもバッターボックスから球種を氏から教えてもらって、打率を上げた選手などはいくらもいるだろう。 今、WBC真っ盛り。ついつい選手に目が行ってしまいがちになるが、これを読むと、選手の力よりも寧ろ、相手を丸裸にしてしまうほどの裏方の力量同士の勝負ではないか、と思えて来る。 このWBCにも氏に育てられた選手が何人も入っている。 他にも大リーグで活躍している田口、40歳を過ぎても現役のホームランバッターだった門田、中日現監督の落合・・・、氏にとっては師匠にあたる野村現楽天監督なども球種では助けられた内の一人になるのだろう。 取材した選手達の口をついて出て来るのは、 「高さんが居なければ、今の自分は無かった」 「生涯最大の恩人」 「出会えて幸せだった」 というような言葉ばかり。 なんという人望の篤い人なのだろう。 この本にはイチローについて何故かその接点の記述がほとんどない。オリックス時代、田口を指導したのなら時期的にイチローが在籍していた期間とかぶるので、イチローとの接点が無かったはずはないのだが、著者は大リーグまで取材に行けなかったのか、イチローがその打撃の原点を著者に語ろうとしなかったのか、そのあたりは定かではない。 この本、昭和後期の野球史、いや、昭和いうと戦前も入ってしまうので戦後から今日までの60年の内の後半の日本プロ野球史の一面を描いているが、そういう一面を持ちながらも実際には野球に関することよりも一人の人間の生き様を描いている本なのである。 氏は、コーチという職業をとことん研究し、日本一の戦略コーチとして名を馳せながらもその探求欲は限りなく、心理学を追求し果てはそのメンタルな部分の基礎はプロになる前からが肝心ではないか、と高校の教員免許を取るために、コーチ職の残り5年間をその勉強にあてるのである。 この本にはいたるところに氏の遺した金言がある。 先の『覚悟に勝る決断無し』もそうだが、 『才能とは逃げ出さないこと』 『平凡の繰り返しが非凡になる』 などなど。 惜しむらくはこのタイトルである。 「甲子園への遺言」というタイトル、内容を知らなければ高校球児やかつての高校球児しか買ってまでして読まないのではないだろうか。 私も球児ではなかったので、もし人に薦められることが無ければ、この本を書棚から手に取ることは無かっただろう。 WBCこそ今、人気絶好調だが、野球のルールすら知らないという人達がかなり多くなった時代。 野球選手を目指さなくても、かつては小学生なら放課後は必ず野球をした。 そういう時代では最早ない。 この本は、というより高畠導宏という人のことはもっと多くの人に知られてしかるべきだと思うだけに、尚更である。 23/Mar.2009 この命、義に捧ぐ 門田隆将 著
台湾といえば、一時、尖閣の問題では領有権をめぐり、意見の対立はあったものの、漁業協定の調印を経て沈静化。 東日本大震災の時などは200億をも超える義援金を送ってくれた台湾。 その額たるや世界一なのだ。 日中国交回復後、国レベルでは日本はずっと台湾に冷たくしてきたというのに常に親日的な台湾。 まさかその背景にこの根本博中将がいたからだとは思わない。(なんせ彼の存在は台湾でもほとんど知られていないのだから)戦後、日中の国交がどうであろうが、民のレベルではずっと日本人の心が親中よりも親台で有り続けたからなのかもしれない。 この本の主役、根本という将軍、戦時中は中国大陸。駐蒙軍司令官。 8月15日の玉音放送にて日本軍は全て銃を置くわけだが、根本司令官だけはソ連の本質を見抜いていた。 日本人全員の安全が担保されるまで絶対に武装解除は行わない。 関東軍などはとっとと武装解除を行ったがために、ソ連に蹂躙され、婦女子は強姦の後、殺害され、男は奴隷扱いの労働力としてシベリア抑留。 子供たちは、中国人によって奴隷扱いで売られ、そのまま残留孤児となった。 それに比べて、駐蒙なので内蒙古だろう。ソ連からの猛攻を諸に被るだろう地域の部隊が武装解除しない。 完璧な命令違反なのだ、全責任は私が取る。邦人を守れ!と。 約一年かけて根本将軍は最高責任者として、在留日本人の内地帰還と北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、日本軍の降伏調印式に調印し、最後の船で帰国した。 この一事を持ってしても日本にとっての英雄であることは間違いないのだが、なかなかそうはならないのが、戦後の日本。 元軍閥と罵られ、これだけの人でありながら、食うのにも困るような有り様。 この話、これで終わりではない。 蒋介石率いる国民党軍が毛沢東率いる共産党軍に敗北に次ぐ敗北でとうとう台湾に退避した状態。そこも守り切れるか。と言う時に根本の元に密使が来る。 中国からの引き上げ時に恩義を感じた蒋介石からの頼みとあらば・・と命を捨てる覚悟を持って小さい漁船で密航。何度も座礁しながら台湾まで辿り着き、顧問閣下として厦門の防御部隊に加わるのだが、根本は厦門は守りきれないと判断し、金門島で戦うことを進言し、その戦略を立てる。 勢いを得てまさか負けるとは思っていない共産軍を金門島での根本の作戦で完膚なきまで撃滅し、結果的に台湾を守った。 門田氏がこの本にするまで、ほとんどその存在を知られていなかった根本と言う人。 この本ノンフィクションのジャンルなのでほぼ事実に基づいて書かれたものだろう。 こういう人の存在があったからこそ、今の台湾があるのだとしたら、知られてはいなくても何か互いに根っこのところで互いに親密な気持ちが心根のどこかに埋まっているのかもしれない。 大震災の時に支援を下さった台湾の人達にもちろん感謝だが、それだけではなく、ワールドベースボールの大会で戦った相手の台湾チームに数多くの「感謝TAIWAN」の横断幕を掲げ、感謝の気持ちを表した日本の人達にも誇りを持てた。 そんなことを感じさせてくれる一冊だった。 ![]() 27/Dec.2017
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