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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Sep.2021
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レッドシャイン 濱野京子
レジェンド マリー・ルー
レベル7 宮部みゆき著 宮部みゆき
檸檬 梶井基次郎
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レッドシャイン 濱野京子

俺はいったい何をやりたいんだろう。
何を目指すんだろう。

十代後半の若者ではっきりと「将来私はこういうことをしたいんです」と言える人の方が珍しいだろろう。

十代後半どころか二十代になったって三十代になったってそんな気持ちを持ち続けるのものじゃないだろうか。

特にこの不安定な時代ならば尚更か。
国を背負うべき官僚はいつもメディアから叩かれ、政治家はトップになる毎に毎回叩かれ、大企業のトップも然り。
片やベンチャー企業の起業家として一時メディアの寵児となった人も、もてはやされたと思えば、それは束の間で、拘置所に入り世間から罵られる。

そんなニュースばかりを嫌というほど見せられた若者に大人は何を目指せとなどと言えるだろうのだろうか。

それこそ生きたいように、後悔しないように生きなよ、ぐらいしか言えないのではないのだろうか。

サッカー日本代表の中村俊介選手のような高校時代から、中期目標、長期目標をと立てて、まずJリーグの一軍で活躍。次は日本代表。次は海外のメジャーで活躍出来る選手に・・などというときっちりした目標を持つ若者など一部の優秀なスポーツ選手以外にはそうそういないだろう。

この物語の主人公は「俺はいったい何をやりたいんだろう、どっちを向いて歩いていけばいいんだ、やりたいことが見つからない」という多くの若者なら当たり前に持っている感情を、自分だけがそうなんだ、と悩み、周囲もそういう目で見ている。

やれば器用でなんでもこなせてしまう。でも何が本当にやりたいことなのか。

本当にやりたいことなんて見つけている若者の方がかなり少数派だと思うのだが、そんな十代の悶々とした気分がまるで読んでいる側が十代に遡って気分になってしまうほどにうまく描かれているのだが、反面、やりたいことが見つからない彼が異質のように周囲からも見られ、本人もそう思っているという設定を考えると作者は案外、十代からやりたいことをはっきりと持っていた珍しいタイプに属する人なのかもしれない。

「レッドシャイン」というのは彼(主人公)が所属する高専のエネルギー研究会という同好会、どうやら正式な部活動としては認められていないらしい、の作成したソーラーカーの名前である。

高専というのは、特定の技術者を目指す人のための高等教育機関で、先生は教授、準教授と大学の如くの呼ばれ方をする。
技術者養成のための専門学校なので就職率も良く、5年卒業でそこから大学への編入も可能。その大学はほとんどが国立なのだそうだ。
この本を読むまでほとんどその存在を知らなかった。
今年のこのご時世でも果たして就職率が良いのかどうかは知らないが・・・。


で、その専門知識を発揮したクラブでのソーラーカー。
まさにエコ、エコと叫ばれる時代、今年の4月に出版されたばかりの本なので話題性もピッタリの狙いかと思いきや、「温暖化、ホントか?」などと主人公の先輩にまるで中部大学のナントカという(名前を失念してしまった)教授の温暖化疑念論者のような発言をさせたりしている。

いや、この物語はエコが良い悪いを議論する話ではない。
秋田の大潟村というところで行われるソーラーカーのロードレースに向けて情熱を傾ける若者達の青春物語、と言うのがおそらく自然なのだろう。
しかしながらどうも「青春とは情熱だ」的な某千葉県知事を連想してしまう言葉でこの感想を結びたくない。

青春いう言葉、情熱などと言う安直な表現よりもかつて吉田拓郎が歌っていたような、青春とは生きているあと味悪さを覚えながら、青春とは燃える陽炎か、とつぶやくような雰囲気の方がしっくりくるのだ。

ソーラーカーと聞けば、アラフォーのジャニーズが日本一週だと言って終わるに終われないのか、一周を目の前にして島巡りをして時間潰しをするあのソーラーカーを思い浮かべてしまうが、この物語はソーラーカーの物語のようで実はそうではない。
ソーラーカーは単なる小道具にしか過ぎない。

何をやりたいんだろう、何をすればいいんだ、どっちを向いて歩けばいいんだ、俺のやりたいことってなんだ、と叫ぶ若者がソーラーカーに関わる、いや寧ろそのチームに関わることで、やりたいことを発見するかもしれない、そんな燃焼しきれない陽炎が燃焼しようとする姿を描こうとしているのではないだろうか。

レッドシャイン 濱野京子 著 (講談社)


06/Jul.2009
レジェンド マリー・ルー

自由の国アメリカの近未来がまるで中国のような情報統制独裁国家に!


全ての子供達は10才になると「審査」と呼ばれる試験を受けなければならない。
1500点満点のその審査で、1400点以上の高得点を取れば高級官僚でへの道が約束される。
合格ライン1000点を取らなければ、強制収容所送りになり、1000点から少し上だったとしても、それはかろうじて収容所送りにならなかっただけで世の下層階級で生き続けなければならない。

そんな試験で史上初の1500満点中1500点を獲ったのがジェーンという女の子。
飛び級で15才にして最高学府の勉学も終えてしまっている。

方や、その「審査」で落第した後、親からも死んだと思われるデイという少年。

賞金付きの指名手配中でありながら、軍事施設への攻撃やらの政府機関に対する強盗や襲撃を繰り返す。
行動は過激だが、決して死者は出さない。
計算されつくしている。あまりに華麗にやり遂げるため、逮捕は無理だろうと思われている。
エリート中のエリートのジェーンが、反乱分子のディを追う立場となって・・・。



「政府は国民の味方だ」と信じて来たエリートにとって、政府が群衆を取り囲んで銃撃する光景はどのように映ったことだろう。

作者のマリー・ルーは、天安門事件の時にはまだ若干5歳であったが、目の前で繰り広げられる惨劇ははっきりと目に焼き付いていると語っている。


民衆に銃を向ける国家とそれと闘う若者。


ありふれた設定かもしれないが、天安門事件を見て来た人が書いていると思うとそれなりの感慨がある。
ジューンとデイが交互に語り部となってテンポの良いこの本、なかなかに面白く一気に読みおおせること必至である。



レジェンド マリー・ルー著 三辺律子訳


11/Dec.2012
レベル7 宮部みゆき著 宮部みゆき

久しぶりに宮部みゆきさんの本を読みました。
宮部みゆきさんと言えばあまりに『模倣犯』が印象的で他の本がかすんでいました。
でもこんな本があったのですね。
レベル7。
ゲーム好きで知られる宮部さんの事ですから、ゲームの様にレベルがどんどん上がって行ってその行き着く先は・・・なーんて思っていましたが、そのじらす事と言ったら・・。
なかなかレベル7の実態を明らかにしてくれない。

ある日、起きてみると見知らぬ部屋で寝ている。隣りには見知らぬ女性が。
昨晩、酔っ払ったのだろうか。記憶は片鱗も無い。
よくよく考えて見ると自分の名前さえ思い出せない。

隣りの女性も同じ状況で全く記憶が無い。
思考回路だけはお互いしっかりしているのだが、名前も住所も何もわからない。
お互いに記憶の無いまま部屋を調べるともちろん心あたりの無い札束の入ったスーツケースが出て来たり、覚えの無い拳銃が出てきたり・・。
記憶、記憶と思いつく記憶を探ってみると
鉄砲伝来=1543年 そんな過去に歴史の受験用に覚えた記憶だけはしっかりと残っている。

一体、俺たちは何をやってしまったんだろう。
俺たちは何者なんだ???
冒頭から快調です。
読む人を引き付けてしまう。

そして彼ら二人の話と交互に登場するのが、電話での悩み相談室の様な所で働く女性。
悩み相談に電話をして来た女の子が行方不明になり、その捜査を行おうとする。

一体どこで繋がるんだ・・と読者をやきもきさせながらもなかなか繋げてくれない。

精神病院の院長であり、某地方の名士でもある村下猛三と言う人。
ホテルの経営にも手を出し過去に火災で多くの死傷者を出したという設定。
スプリンクラーの不備、火災報知器の不備、そして空洞施工。
何もかもあのホテルニュージャパンの横井英樹をとそっくりです。

横井英樹という人は火災そのものよりも寧ろ人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとして世間の非難を浴び、業務上過失致死にも問われましたっけ。
白木屋乗っ取りを始め数々の企業の乗っ取りで「乗っ取り屋」の名前を欲しいままにした人で、つい先日亡くなられた城山三郎氏の名作『乗取り』のモデルと言われています。
あのホテル火災はかなりひどい話だったでしょうが、ここに出て来る村下猛三という人、横井英樹よりもかなり小物に過ぎないですが、やっている事は横井英樹の比では無いでしょう。
精神科医という立場を利用して、人の精神まで貪るというのはもはや人間では無いですね。
悪魔の所業でしょう。

という事でゲームの設定なのだろうか、と思わせる「レベル7」とはいったいなんなのか。
それは読んでのお楽しみです。

レベル7(セブン)  宮部 みゆき (著)


27/Mar.2007
檸檬 梶井基次郎

高校の教科書で初めて読んだ『檸檬』。
鳥肌が立つほど感動して興奮しました。
しばらく図書室の画集を積んで檸檬を置こうかと思ったくらいその世界に酔いました。
初めて読んだときから10年以上が経って、学生の時のようには感動できないかと思ったら、今のほうがその世界にどっぷりはまってしまいました。

ざっとあらすじ。
体を病んだ主人公が、不安定な心と感性で世界を眺めます。
今まで好きだったものに興味がわかなくなり、はかなく色彩豊かなものたちに心を惹かれます。
『えたいの知れない不吉な塊』に圧えつけられる日々。
ある日、何かに追われるように主人公は街を彷徨います。
そんな道すがら、気に入りの果物屋で檸檬を手にします。その途端、心が少し軽くなったような幸せを感じて、うそのように軽い足取りで街を闊歩する主人公。
かつては好きだったけれど今は入ることが憚れる丸善へ今なら入れるのではないかと足を踏み入れますが…。

ひまわり、カンナ、花火やびいどろ。
物語の始まりから美しいものの名前が次々に並べられて、頭の中にたくさんの色が飛び交います。
それらは主人公の性格や病に重なって、ひどくはかないものたちに感じられます。
でも透明で消えてしまいそうなものたちの中に突然はっきりとした輪郭を持つ檸檬が登場すると、急に物語の中の世界がはっきり見えるような気がするのが不思議です。

檸檬の力で踏み込めた丸善。
檸檬のおかげで明るくなりかけた心にどんどん雲が広がっていくように、手に取りめくっては閉じてを繰り返され積み重ねられていく画集。
画家によって全く異なる画集の厚みや色。重なっていったらどんなにたくさん色がアンバランスに重なり合っているのだろうかと想像します。
でもその上にのせてみた檸檬が、主人公のアンバランスな心に一瞬の安定をもたらしたように画集に絶妙な安定を与えます。
『見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。』が一番好きな一文。
キーンでもなくカーンでしかないと思うのです。
でもその安定は主人公の心と同じ、長く続く平穏ではなくて爆発前の一瞬の静けさ。
檸檬をそのままに丸善を後にする主人公は、檸檬が爆発して美術棚を吹き飛ばしたらという想像をします。
檸檬で爆発する色たち。
冒頭から連ねられてきた美しいものたちが爆発して飛び散って、いっそう儚くそして美しく感じられるのです。

この物語を読んでいると、とにかくその世界に酔ってしまうのです。
あまりに物語が完璧に完成しているように感じられます。
読み終えたあとは、美しいショーを見てその余韻に浸っているような気分になります。

うまく説明できませんが、心が弱ったとき、元気なときなら気づかなかった色や物事に目がいって、感動したり傷ついたりします。でも元気になるとまた気づかなくなってしまって、いつのまにか感動したり傷ついたりしたことまで忘れてしまうことがあります。『檸檬』の物語には、心の中にいつかあったのだけど消えてしまったような、ものすごく繊細で傷つきやすい何かが形になってて、それが檸檬を通じて自分と繋がるようなそんな気分になるのです。

感傷的になってしまいますが、世界にはまりすぎた自分にも酔える一冊です。


檸檬 梶井基次郎 著


01/Sep.2011
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