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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Feb.2019
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ターミナルタウン 三崎亜記
太陽のパスタ、豆のスープ 宮下奈都
立ち向かう者たち 東 直己
たゆたえども沈まず 原田 マハ
対岸の彼女  角田光代
奪還 麻生幾
獺祭 野口卓
ダークエルフ物語 R.A.サルバトーレ
ダークゾーン 貴志祐介
大脱走 荒木 源
DIVE!! 森 絵都
抱く女 桐野夏生
ダブリンで死んだ娘  ベンジャミン ブラック
騙し絵の牙 塩田武士
誰が第二次世界大戦を起こしたのか 渡辺惣樹
だれもが知ってる小さな国 有川浩
だれも知らない小さな国 佐藤 さとる
ダレン・シャン ダレン・シャン
男子の本懐 (故城山三郎氏を偲んで) 城山三郎
断層海流 梁石日
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ターミナルタウン 三崎亜記

三崎亜記さんがまたまた不思議な三崎ワールドを書きあげた。

隧道と呼ばれる植物のような通路やそれを作る隧道師。
植物のようなもので感情が伝わるものらしいので作るというより育てる、という言葉の方が合うかもしれない。

影の無い人たち。無いというより失ったという方が正確か。

鉄キチならぬ鉄道原理主義者たち。

現実界には無いものなのでじっくり読まないと理解しづらいものがある。

舞台は日本のどこにもない架空の町。

でありながら、逆に地方ならどこにでもあるような町に思えてしまう。

それは、地方の商店街が軒並みシャッター通りになっていき、このターミナルタウンも御多分にもれず、シャッター化しつつあるという背景。
かつてはじゃんじゃん人が住む予定で建てたニュータウンに閑古鳥が鳴いている様はまさにバブル景気とその後の日本の姿じゃないか。

その地方をなんとか活性化しようとする若者に対して、補助金さえあればいいじゃないか、ともはや諦め気分の大人たち。
この構図も今の地方商店街と似通っている。

なんとか地域活性化をしてくれるはずの計画が、地元に益を一切残さず本社のある首都にのみ益を出すチェーン店だらけの計画だったり・・・これもどこかで聞いたことのある話ばかりだ。

ターミナルタウン、大阪の北部で言えば十三や淡路のような駅だろうか。
いろんな線が交差して乗り換え客は多いが、案外改札を出る人は少ない。
その十三や淡路に特急はおろか急行も快速も通り過ぎるだけで乗り換えも不要になったとしたらどうだろう。
さぞや閑散とした駅になるんだろうな。

この物語に登場する静原というのもそういう駅だ。

アーケードがボロボロになっていよいよ取り壊されようという時に、よそ者の若者が提案したのが、鉄道でしか使われることの無かった隧道を使ってレトロな雰囲気の商店街を作ろう、というもの。

さて、果たしてこの架空の町、ターミナルタウンは地域再生を果たすことが出来るのだろうか。



ターミナルタウン 三崎亜記 著


21/Apr.2014
太陽のパスタ、豆のスープ 宮下奈都

本屋大賞を受賞した人の本って一通り読んでみたくなるので、古い順から読み始めてみたが、宮下奈都さんの傾向がだんだんとわかって来てしまった。

題材はそれぞれだが、なんかいつも主人公は自信喪失しているところから始まって、周囲に自信満々な人が居て、だんだんと自信を取り戻して行く、みたいな、割とそういう流れが多いように感じた。
まぁ、まだそれほどの冊数は読んでいないけれど。

この本での主人公、明日羽(あすわ)は、結婚式の案内まで出すところまで行っていた相手から唐突に婚約解消を申し入れられるところからスタートする。

全てに自信を無くしてしまった彼女に姉のような叔母から、今やりたいことをリストにして書き出してみろ、と言われる。それを「ドリフターズ・リスト」と呼ぶのだそうだ。

・髪を切る
・引っ越し
・鍋
・お神輿
・玉の輿

彼女のリストはその後何度も書き直したり、加筆されたりするのだが、
最初の三つは叔母や友人の協力もあって、早々に実現してしまう。

リストに「きれになる」と書いてはみたものの、「きれになる」とはどういうことなのかがわからない。

ある日、 彼女は偶然に行った青空マーケットの売り場で会社の同僚を偶然見つけてしまう。
あまりプライベートにまで立ち入って話をしたことが無いがお互いに「ちゃん」付けで呼ぶような間柄ではある。
職場では絶対に見られないような、明るいいきいきとした様子でいろんな豆について熱く語り、販売する彼女。

彼女は同僚がどうやって、「豆の販売」という生き甲斐に辿り着いたのか、気になって仕方がない。

それ以降、
彼女のリストには「豆」の一文字が付け加えられる。


さて、彼女はどんな豆を見つけるのだろうか。



太陽のパスタ、豆のスープ 宮下奈都著


06/Jun.2016
立ち向かう者たち 東 直己

ショート・ストーリーが八篇。

「立ち向かう者たち」
知能障害のある男の裁判の風景が舞台である。

容疑は女子高校生の背中から火の付いたタバコをポイっと入れた事。
被告はその前にもエスカレーターの前に居た女子高生の足をカッターで傷つけるという事件を起しており、今回の事件はその執行猶予中のこと。

被害者の父である主人公は裁判所に呼び出される前から、そんな大したことなのか、という思いがありながらも妻と娘の前では言い出せず、証言台でもそういう場面での台本どおり、
「娘のショックなどを目の当たりにすると・・・・
       ・・・・・厳正なるお裁きをお願いしたい」
などという言葉が自然に出てしまう。

そして、自分の語った言葉に「本当か?」「本当に自分はそんなことを考えていたのか」と自問する。

主人公はこの裁判を通して、容疑者と自分を重ねてしまう。
五十前まで生きて来て、ものわかりが良く、腰が低く、怒りがないわけではないが、怒る前に「怒ってもはじまらない」という諦めることが身に付いてしまっている自分を自覚している。

被告は永年勤めた家具工場は倒産し、障害者センターの掃除の仕事をわずか月給800円で行っている。時給でも日給でもなく、月給が800円。バングラディシュだってそこまで賃金が低いことはないだろう。

被告は何故そこに自分が居るのかさえ明確には理解していないのだろう。
全て人からこう言え、ああ言え、と言われたことを自分なりに理解したつもりで応えている。

このストーリーのタイトルが何故「立ち向かう者たち」なのか、読者はなかなか理解に苦しむところだろう。

その答えは「相手が若い女性でなく、男性だったらそれは悪いことだと思っていますか?」に対する被告の応えに表れる。

被告は、不公正な世の中で、存在を全て自分で引き受け、他人のせいにするでもなく、ただ淡々と自分なりのやり方で、過酷な世界に立ち向かっている・・・。とそう思える主人公は真摯な生き方をして来た人のように思えてならない。
またそれを著す作者も。

何より「生物兵器ってライオン?」と聞く弟を楽しいヤツと思えるこの被告の兄とその家族はつくづく包容力の大きさに人たちなのだろうなぁ。


他の七篇ふれてみようと思ったが、これ以上書くとあまりにも長文になってしまうのでこのあたりで筆をおきます。

立ち向かう者たち 東 直己 著


14/Sep.2009
たゆたえども沈まず 原田 マハ

今でこそ、モネ、マネ、ドガ、セザンヌ、ルノワールなどの作品は目ん玉が飛び出るような価格で取引されるニュースを見かけるが、彼らの作品が発表された頃は、子供のお絵描きか、と小馬鹿にされ、印象派というネーミングもその小馬鹿にした延長から作られた。
彼らより少し遅れて出てきたゴッホ。出て来たと言っても生きているうちには彼の作品はほとんど世に出ていない。

作品は彼の弟であり、最大の支援者である画商テオの元に送っていた。

弟のテオは兄の才能に気づきながらも、彼が務める画商の経営には従来の王道アカデミー絵画の巨匠が関わっていたこともあり、モネやマネと言った印象派の絵を置く事もはばかられる様な店だ。
ゴッホの絵画は知られること無くテオの元に溜まって行く。

この本には日本人の二人の画商が登場する。

林忠正と加納重吉、てっきりこの日本人画商のくだりは作者の創作だとばかり思っていたが、違った。少なくとも林忠正に関しては実在でこの本にある通り、パリ万国博覧会では日本事務局長を務め、パリに本拠を置く美術商として、イギリスや欧州各国を渡り歩き、日本美術品を売り捌き、日本文化、日本美術の紹介をしていた。

彼とゴッホのやり取りのくだりはさすがに創作だろうが、日本美術をこよなく愛したゴッホが彼の元を訪ねて来ていたとしてもおかしくはない。

当時の日本の浮世絵は日本国内ではさほどの価値を認められていない中、フランスで活動する画家たちに与えたインパクトは相当なものだったらしく、印象派と言われる人たちの作品にはことごとく影響を与えたと言われる。

それにしてもゴッホが日本に行きたいと言い、林がアルル地方へ行くことを勧め、ゴッホはアルル地方を仮の日本と見做して行って数々の名作を残す。

この本では林氏はゴッホの作品を一目見て、他の印象派とも圧倒的に違う、これまでに見た事のない、強烈な印象を持ったことになっている。

これだけ商才のたくましい人がそんな作品を目にしながら、ゴッホの作品を扱う、もしくは買い取ろうとさえしなかったのは不思議なことだ。

日本へ行くことを夢見ていたというゴッホが実際に日本に安住の地を得たとしたら、日本でどんな作品を残した事だろう。アルル地方とはまた全然違った作品が生まれていたことだろう。

その時もやはり時の人には評価されないままだっただろうか。


たゆたえども沈まず 原田 マハ著
03/Jan.2019
対岸の彼女  角田光代

第132回直木三十五賞受賞作


働く女性と子育てをする女性を対岸の存在として表現していることに、なんとなく抵抗を感じながら手にした一冊。
最近よく取り上げられるこのテーマに、他と同じような展開を想像してしまいましたが、角田さんの視点はすこし新しく感じられました。

ざっとあらすじ。
主人公はちいさな子供のいる専業主婦の小夜子。
独身時代はばりばり働いていたけれど人間関係に疲れて結婚と同時に退職。
再び世間とのつながりを求めて働き始めることを決意します。

そこで出会ったのが独身女社長の葵。
意気投合しますが山あり谷ありで決別。

間には学生時代の葵のエピソードがあったりします。


いろいろなエピソードから、小夜子と葵がまったく違う人生の経験を通して、まったく違う人間になったのではなくて、
意外と同じ感性や感覚を育てていったことが伝わってきます。


高校時代、いろんなことを言わなくても伝わるくらい近くに感じられたた友人と、卒業後、進路を別にして徐々に距離が離れていった経験があります。
壁を作っていたのは何だったのか、わかるようではっきりわかりません。
でも、きっと自分の中の勝手な決め付けが彼女を遠ざけてしまったのだと思います。
この本を読んでいると(もしかしたらこれは女子独特のものかもしれませんが)、誰にでもある苦い思い出がよみがえってくるような気がします。
そして、そのことを悔やむだけではなくて、またもう一度小さなきっかけを自分が作ることで、対岸の彼女をこちら岸に、もしくは自分をあちら岸に連れて行けるかもしれないと思わせてくれます。

すぐ近くに感じた人でも何かのきっかけで対岸の存在になりえること、
対岸の存在だと思い込んでいる人が、実は寄り添える存在であったこと、
もしかしたら対岸と感じさせているのは自分の人生を肯定したいという弱い思い込みだったりすること。
そんなことを考えさせられる一冊です。


対岸の彼女 角田光代著 第132回直木三十五賞受賞作


24/Jun.2010
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