読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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兵士たちの肉体 パオロ・ジョルダーノ 著
アフガニスタンへ派兵されたイタリア軍の若い兵士達を描いたというあまり目にすることのない類の本。 兵士たちのこの戦いに対するモチベーションの低いこと。 なんでこんなところへ来たんだろ、任期をさっさと迎えてさっさと国へ帰ろ、ほとんどそういう空気しかないぐらいだ。 9.11テロ直後、アメリカ国内ではアフガン派兵を指示する人は圧倒的に多かったという。 その後のイラクもそうだが、果たしてアフガン派兵に大義はあっただろうか。 9.11テロはタリバンが起こしたわけではない。 ビン・ラディンをかくまっているかもしれない、という容疑だけ。 ましてアフガニスタンの民間人にはさらに何の罪もない。 そして、その敵とみなされるタリバンにしても一旦武器を下ろしてしまえば、民間人との区別がつかない。 アメリカがかつてベトナムで味わったような民間人か敵かわからない、いらいら感を各国の兵士は味わったことだろう。 イタリアの若い兵士たちはその見えない戦いで凄惨な犠牲者を出してしまう。 この本にはいろんなタイプのイタリア兵が登場する。 マザコンの童貞クン。 高額な衛生通信料を払ってネット上の仮想彼女と燃え上がる男。 皆のリーダーでありながらも女に身体を売る男娼だった小隊長。 そして、ほぼ主人公的な役割りなのが、うつの薬を服用する軍医。任期満了になっても帰国を断る人。 フィクションでありながらも「フォブ・アイス」という舞台で起こった惨劇は実際に起こったことをモデルにしているのいだという。 少々眠たいのを我慢する必要はあるかもしれないが、少々珍しいイタリア版戦争文学と言えるのだろう。 24/Aug.2014 変な国・日本の禁煙原理主義 山崎正和/養老孟司 著
変な国・日本の禁煙原理主義 山崎正和/養老孟司<文芸春秋10月号対談> 養老孟司先生と言えば以前良く読んでいたエッセイなを思い出す。 面識もないのに先生と呼ばわりは不遜かもしれない。 たとえ面識があっても学者というだけで先生などとは呼ばない主義である。 養老氏では無く、先生と呼びたくなるのには訳がある。 だいぶ前に読んだエッセイの中の一つに痔の治し方についての養老先生の独自にあみ出した方法が書いてあった。 当時、私の知人の中に何人か痔持ちがいて、痔というもの医者へ行って手術をして切っても切ってもまた数年後には再発して、医者へ行って切らなければならない、そんな病気なのだと言っていた。 それがなんと養老式の治し方を知人三人に紹介してみたところ、三人が三人共、医者へも行かず、手術もせずに完治したというのだ。 それを聞いて、私の中では養老氏は養老先生となり、尊敬の念すら抱く様になった。 何も痔の事だけではない。歯に衣を着せないそのエッセイでの語り口が好きなのだった。 この対談は煙草を推奨しようと言うものではない事はもちろんだが、「禁煙」というものへの世の中の行きすぎに警笛を鳴らしてだけの様にとらえられている向きもあるかもしれないが、私はそうは読まなかった。 本来個人の責務であり個人の自由であるべき「健康増進」というものにまで「健康増進法」などという法を作り、国が国民へ生き方についてまでの押し付けを行う。 また、それに対して誰も疑問を持たないこの国のあり様を憂いているのである。 健康増進法 第二条 (国民の責務) 「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」 余計なおせっかいを通り越して責務だとはまるでファシズムの様だと対談では冒頭から過激な言葉が飛び交う。 かつて、日本のオフィスで禁煙というところは少なかった。 それが会議室となるともっと顕著で煙草の煙がもうもうとする中で会議をする、というのが当たり前だった様に思う。 アメリカの会社へ出向していた人がいて、帰国後 「アメリカの企業では一人でも私は煙草の煙が嫌いだという人がいたら、その会議室では煙草が吸えなくなるんだ」 というのを聞いた時には、皆がなんとまぁ理不尽な話だなぁ、などと言っていたものだ。 それが、あっと言う間に分煙化が進み、それが今やどうだろう会議室はもちろん、オフィス全てが禁煙は当たり前。わずかに喫煙室という小部屋があったものまで今やだんだんと無くなるか、戸外へ追いやられるか、という変わり様だ。 日本では、いや日本だけではないかもしれないが一つの事にヒートアップしてそれが過熱現象となる傾向が多々ある。 特に健康がからむとそのヒートアップは進む様だ。 一旦アスベストが悪いとなると、アスベストにヒートアップする。 かつては耐熱性にも耐薬品性にも優れ、耐久性も有り、電気に対する絶縁性も有る。 しかも安価であるという事で「夢の素材」とまで言われて普及していたアスベストがである。 食品に対してもやり玉にあげられた企業は数多い。 もちろん、うそ偽りを言っていた企業に責任があるのだろうが、中には何もそこまで・・と思える様なケースもあったが具体名は書かない。 「健康と安全」というお題目はなんと言っても強いのだ。 警察の交通課の言葉に「3Sの撲滅」というものがだいぶん以前からあった。 3Sとは「信号無視」「酒気帯び」「スピード違反」の三つだったと思う。 私は父と兄を交通事故で亡くしている。 両事故共に3Sは関係無かった。 事故があったのを聞いて病院に駆け付ける際にその病院には駐車場が無かった ので、原動機付自転車(所謂原付)を使用した。 かなり安全運転に気を使ったつもりだったが、覆面パトに停められスピード違反の切符を切られた。 パトカーの警察官に私は言った。 「3Sと言いますがね、私の父親は信号無視も酒気帯びでも無いスピード違反もしていない、単なる運転の下手糞なオバさんに撥ねられたんですよ」 と言い、今からその病院に駆け付けるところだと述べてみたが、一応軽く同情はされたが切符はしっかりと切られた。 この3Sの中でもここ1〜2年で急激にエスカレートして悪者になって来ているのが、酒気帯びである。 そりゃかなり酒気を帯びてのひどい事故が続いたからやむを得ないかもしれないが、本当にそこまでやる?というところまで来てしまっている様な気がしないでもない。 私共が住んでいる場所や仕事をしている場所は何分か待てば電車も来るし、タクシーだってそこらじゅうを走っているので構わないが、田舎の方は本当に成り立っているのだろうか。 電車は数時間に一本しかない。タクシーも走らない。ましてや運転代行屋さんなどいるわけもない。 そんな田舎はいくらでもある。 唯一の交通手段は車である。 知人のお通夜に行って「亡くなった人への供養だと思って」などと言われて酒を注がれて本当に拒めるものなのだろうか。 お正月のご挨拶に伺って、まぁ一献と差し出されたものを拒絶出来るのだろうか。 「このご時世ですから」と逃げ出せる人もいれば、拒みきれない人もいるだろう。 それがその地方で生きて行く生き方だとしたら尚更である。 だが、酒気帯びに対する罰則は都会も田舎も同じはず。 このバッシングは当分止みそうにない。 それは元々酒気帯びそのものは違反である、という過去からの決まりがある以上誰しも納得せざるを得ない。 ところが煙草はどうなんだ。 煙草を吸う事が犯罪か? 煙を吐く事は違反なのか? 大抵の場合はヒートアップはするが、またその熱がさめるのもあっと言う間である。 山崎・養老両先生も、煙草に対する嫌悪熱はいずれさがるだろうと見ていたフシがあるが両先生の意に反して、嫌悪熱は下がるどころか、ますますエスカレートして行ったのである。 ほんの十年前の映画ですら、煙草もくもくなんて当たり前だったのに、今や煙草吸いはまるで犯罪者の一歩手前の様な扱いである。 私も分煙には賛成。 歩き煙草もしない方がいいだろうと思うし、煙草のポイ捨てももちろん反対。 要はマナーの問題じゃないのか、と思うのだが、もはやマナーがどうであれ煙草はいけない、健康を害する、他人の健康をも害する、お前達煙草吸いは煙でもうもうとなった換気の悪い小部屋で肩身を狭くして吸うがいい、と言わんばかりの世の中。 両先生の主張を裏付ける訳ではないが、私も一日に煙草二箱を必ず吸うという九十何歳かのジイさんがピンピンしているのを現実として知っている。 九十数歳まで長生きした搶ャ平だって単壺をに痰をペッペを吐きながら煙草を欠かさなかった事は有名だろう。 まぁ、そんなケースだけを取り出しても仕方がない事は承知している。 この対談を読んでいて思い出したのが喫煙者が世の中から迫害され、抹殺されて行く話を書いた筒井康孝の短編。 残念ながらタイトルは忘れた。 世の中そこまでは来ていないがかなりの部分でその短編の世界に近づきつつある。 この対談はかなり世間を賑わせたらしい事は最近知った。 禁煙の推進団体やら推進する学会などが、 「肺ガンの主な原因が喫煙ではないという根拠を示せ」 「受動喫煙には害がないという根拠をお示せ」 などと反論しているらしい事も聞いた。 なんか話が逆ではないのか。 両先生はその真逆の問いかけをしているのである。 ・煙草が肺ガンの主な原因となるその根拠を示せ、と。 ・受動喫煙に害がある事の根拠を示せ、と。 煙草についての検討会なるものでは、検討をする前に既に煙草が害悪である事が前提となっており禁煙推進者は喫煙擁護派には根拠資料すら開示しない事例もあげて憤慨されておられる。 両先生には笑止であろう。 養老先生は肺ガンの原因が煙草である事を医学的に証明出来たらノーベル賞ものだ、と以前から言っている。 根拠を示し、証明すべきはどちらなのかは自明の理である。 と、両先生を擁護する意見をここまで書いてしまったが良かったのだろうか。 ここは私個人の掲示板でもないのに。 まぁ、いいか。気にしない気にしない。 パイプを咥えていないシャーロックホームズなんて想像出来ないし、葉巻を咥えていないチャーチルも吉田茂も想像出来ない。 世の中良識ある言葉が往々にして葬られるものである。 この勢いだけはとまる気配が無い。 両先生の冗談でもあるまいが、いずれシャーロックホームズの挿絵のパイプだけがモザイクになって出版される日が来るかもしれない。 くわばら、くわばら。 27/Oct.2007 ベルリンは晴れているか 深緑 野分 著
第二次次大戦のドイツ降伏直後、日本がまだ受諾する前のポツダム会談が行われている頃のドイツ・ベルリンが舞台の話。 当時のベルリンへはソ連・イギリス・アメリカと三か国の軍隊が入って来ている。 あるドイツ人の男が毒殺されたことをきっかけに、その男にかつて匿われていたこともある主人公のアウグステという女性はソ連の将校から、その甥を探す様、指示される。 ソ連兵が相棒につけたのは、カフカという詐欺師で泥棒の元役者のユダヤ人と思われる男。 この本、結構な大作だ。 読み終えるまでかなり時間がかかってしまった。 同じ敗戦国の日本の立場と似通ったところはある、と思いながら読み進めるうちに日本とはまるで違う、とすぐに思い直すことになる。 ベルリンにはソ連・イギリス・アメリカと三か国の軍隊が入って来た。 何より、ソ連が介入して来ている事がドイツの何よりの不幸だろう。 この本の記述ではないが、当時ベルリンに居た女性の約一割弱がソ連軍により強姦などの性暴力の被害者となったという。その比率って・・老人子供を除けば、かなりの比率の女性がソ連兵の被害に遭っていることになる。 主人公のアウグステは、敵性語である英語を学ぶことが大好きだったことも有り、米軍施設で職を得ていたのだが、彼女の父親も元々共産党員だったこともあり、ポーランドからの難民の子供を引き取ってしまった事が発覚してナチに拘束され、亡くなってしまう。 後を追う様に母親も亡くなっている。 カフカという男も興味深い。 生粋のドイツ人でありながら、顔がユダヤ人に似ているという事で、学生時代からいじめの対象となっていたのだが、ある頃からしのユダヤ人に似ている要望を逆手にとって、敢えて性格の悪いユダヤ人を演ずることで、人気者になる。 やがてナチの宣伝映画にもその役柄で出演し、ユダヤ人を貶める事に一役を買って来たという男。 ユダヤ人に似ているという事でドイツ人からも軽蔑され、戦争が終わるや、ユダヤ人を貶めた張本人として、ユダヤ人からも憎まれる。 同じ国の人同士でいまだにヒットラーを崇める人がいるかと思えば、憎む人もいる、かと言って入って来たよその国の軍隊が好きかと言えばそれも違う。しかし力を持っているのは方やよその国の軍隊。明日がどうなるのか誰にもわからない。こんな混沌あるだろうか。 この本はミステリにジャンルされる本としてのストーリーだてであるが、この戦後の有り様に対する見事な描写はどうだろう。 まさに自ら体験してきたかの如くではないか。 ミストリ仕立てにではあるが一つの歴史本と言ってもいいかもしれない。 ![]() 30/Mar.2020 ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦 著
僕は大変頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。 だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。 という書きだしで始まる。 なんて嫌なガキなんだろう。 と誰しも思うかもしれないが、とんでも無い。 このボクは嫌なガキどころか尊敬に値するほどの努力家少年。 研究熱心な少年なのだ。 今年度が「ゆとり教育」世代の第一段が社会人になった年なのだそうだ。 その「ゆとり教育」というものが批判の対象になって久しい。 本来は教科書に載っていること以外の勉強を行う時間をとろう、と。自由に研究したり、個性を育むことを目的としたのだろうが、もう一つの目的が見え隠れして仕方がない。 学校の教員は春休み、夏休み、冬休み、と1年を通してたっぷり休みがあるのにも関わらず、世のサラリーマン並みに週休二日がで無ければ不公平じゃないか、と土曜日の休みを要求していたのではないのだろうか。 そして、彼らは春休み、夏休み、冬休みとたっぷり休んで、休んでもお給料はちゃんともらえ、尚且つ土曜日の休みも手に入れた。 夏休みだって子供の生活指導があるんだ、学校へも半分は出ているんだ、などという反論もあるのだろうが、少なくとも春と夏と冬には欠かさず、長期旅行へ出かけている教員を自分は知っている。 教員の週休二日はそのまま生徒のゲームを腕を上達させる時間にあてられるか、塾通いに宛てられた。 いや、教員批判がしたいわけじゃない。 この本の主人公の少年はその本来の目的だったはずのゆとり教育を自ら実践している。 ノートを肌身離さず持ち、気が付いた事は常に書きとめ、その内容を吟味する。 毎日何かを発見しその発見を記録する。 大人になるまで3888日。 一日、一日の探求の積み重ねを3888日重ねようという心意気は大したものだ。 大したものどころではないな。そんなことを心がけている社会人だって滅多にお目にかかれない。 少年の興味は幅広く、小学四年生にして「相対性理論」の本までも手を広げている。 同じクラスには宇宙に関心が有り、ブラックホールに興味を持つ友達が一人。 もう一人研究熱心な子が居て、この子も相対性理論の本を読んでいるというチェスの得意な女の子。 そしてこの話に欠かせないのが歯科医院のお姉さん。 少年はこのお姉さんが大好きで、もちろん服の上からであるが、おっぱいばかりを見つめている。 その行為にいやらしさは微塵もない。 この少年は正直なだけなのだ。 嘘も誤魔化しも何にもない。 あるのは探求心とそれから得られた知識の実践。 へんにくやしがったり、怒ったりもしない。 冷静なのだ。 ガキ大将グループから嫌がらせをされて、プールの中でパンツを脱がされてしまっても慌てない。 ・ぼくが困れば困るほど彼らはますます楽しくなるはずだ。 ・ぼくがちっとも困らなければ彼らは面白くない。 ・面白くなければ二度とこんなことはしないだろう。 の三段論法で、困ることをやめて、プールからスッポンポンで上がることにする。 まさに達観している。 こんな子にはイジメも通用しない。 彼らの住むこの小さな町に不思議な現象が起りはじめる。 ある日、大勢のペンギンが町に現れる。 そこから始まる少年たちの研究と不思議なお姉さんの物語だ。 少年はその不思議な現象の謎を解明しようと、いろんな実験を試み、データをノートに書き記し、それを分析しようと試みる。 ・問題を分けて小さくする。 ・問題を見る角度を変える。 ・似ている問題を探す。 少年が研究に行き詰った時に立ち戻る父から教わった三原則。 少年の父も母も少年の研究には理解が有り、父は時にはアドバイスを与える。 そんなこんなでわずかな期間で少年は見事に成長して行くわけだが、読後の哀愁感がなんとも言えない本なのである。 04/Sep.2010
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