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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Feb.2008
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スナーク狩り ガース・ニクス

「スナーク狩り」このタイトル、一体全体何を狩ろうとしているんだろうと非常に興味をそそられた。

一旦、別れたとはいうもののその妻と娘を残虐な殺人犯に殺された男が登場する。

織口という名の年配の男である。職場からは皆から「オヤジ」でもなく「ジジイ」でもなく心優しい「お父さん」と慕われる男である。

この男の背負った過去はまりにも重く苦しい。
しかもそれは過去というだけでは済まされない。
今、生きている時にもそのおぞましさは重く重くのしかかる。

織口は私刑とか復讐など、元来考えるタイプの男では無い。
かつて教職員として少年を教育して来た頃の立場に戻って犯罪者がキチンと罪を償って更正する事、それだけを気持ちの支えとして裁判の公判にも何度も足を運んだのだろう。

著名な政治評論家に三宅久之という人がいる。
かつての長期政権の中曽根康元総理とも読売のドンである渡辺(通称ネベツネ)とも懇意の仲だと言われる人である。
その三宅氏がとある番組である地方の母子殺害事件についてこんな発言をしていた。

自分がその遺族の立場になっていたとしたら、自分は老人なのでその体力は無いが、「ゴルゴ13」みたいな殺し屋を雇ってでも必ず復讐するだろう、と。
その表情は激高していたと思う。

ゴルゴ13が三宅氏の前に現れるとも思えないし、三宅氏が殺し屋世界に顔が利くようには見受けられないのだが、そういう気持ちを持つ事そのものが家族に対する愛情であろうし、三宅氏にとっても本音ならば、家族を愛する人間は誰しもそんな事は思うだろう。

織口は復讐、報復などをハナから考えていたわけではあるまい。
ただ、公判を公聴に行くにつれ、殺された人間の事など全く度外視した、加害者の言い訳だけを何故、遺族は延々と聞かねばならないのか。
一体誰の為の法廷なのか、言い訳というものは減刑のためだけのものであって反省の気持ちやら更正の気持ちを表すものではもちろんない。
あまりに司法は加害者に対して甘過ぎるのではないか、加害者は反省の気持ちなどこれっぽっちも無く、放置すれば第二第三の犯罪を誘発するだろう。
それが織口の考えた結論である。

折しも、かつてのロス殺人事件疑惑の三浦元被告。限りなくクロにと言われながらも殺人容疑から控訴、控訴で結局証拠不十分で無罪。
事件が騒がれた当初から最期までマスコミの寵児であり続けたという、ものすごいキャラクターだった。
その三浦元被告がこの2008年2月後半というこの時期にサイパンでロス市警に殺人容疑で逮捕された。
事件(妻を保険金目的で殺害されたといわれる)から27年もの期間を経ている。
本人も日本の法廷で無罪を勝ち取って、とうの昔に終わっていたと思っていたであろうに。また仮に有罪であったとしても日本ではとうに時効を迎えている。

アメリカには殺人罪には時効が無いのだと言う。
もちろん日本の司法が無罪としたものに対して新たな証拠無しに「逮捕」という事に日本そのものの威信を傷つけられた、という思いを持った人も多いだろう。

三浦元被告そのものを今更どうのこの言うつもりは無い。
それでも全てひっくるめて、何やらできの悪い息子が好き放題してオロオロする両親を尻目に横から近所のオヤジが怒鳴りつけて来て来たような、なんともオロオロする側には情けないが、実は有り難い様な、妙な気分になった人もいるのではないだろうか。

三浦元被告の場合は有罪か無罪かの極論であり、有罪であればかなりの知能犯であって、母子殺害やら、一家惨殺事件のような狂気の人間の仕業とも異なる。
方や証拠不十分、方や責任能力の問題、だがいずれにしろ日本の司法よ、ちょっと甘すぎやしないか、と言う問いかけにはなったのではないだろうか。

この「スナーク」という言葉、言うまでも無くルイスキャロルの描いた伝説の生物であり、魔物とも怪物とも思える。

織口は魔物に支配されたわけではなく、まっとうに責任を果たそうとしたもの以外の何物でもないと一読者は思う。

この物語に登場する人々、織口を父の様に慕い、あろうことか犯罪を犯させまいと追いかける佐倉という正義感あふれる青年。

全く関係の無い生きずりの人達でありながら物語の展開に存在感と影響力を与えたサラリーマン一家。

この一家こそ、先々自らの有り方を取り戻すのではないだろうか、と思えるところが唯一救いではあるが、この話、何故そこまで皆をいじめるの?と聞きたくなるぐらいに正義感青年も皆、将来に心の傷を負う。

地方都市のちょっとした小金持ちの娘でお金に不自由無く自由奔放に生きて来た慶子という女性。

彼女の心の傷はかなり酷いものであろう。

彼女は初めて真剣に愛した男は彼女の不自由の無い金だけが目的で利用されるだけ利用されてまるでゴミ箱へポイっと投げられるかの如くに意図も簡単に捨てられる。

この男は上記の猟奇的な殺人者よりももっと悪質かもしれない。いや表現が違うな。タチが悪い、という表現が妥当だろうか。

人間の9割以上は出来損ないで俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ、などと平気で考えられる男。

この男、大して出来が言いわけでもないのに司法試験に通っただけで既に世の中の勝ち組の気分でいる。

こんな男が現実に存在するなら、それこそロス市警に逮捕どころか、中国古代の極刑にでも値しそうである。

しかしながらである。
一流大学をいとも簡単に合格し(この登場人物の話ではない)司法試験だろうが、一流の高級官僚への登竜門だろうが、いとも簡単に同格してしまう人達は存在する。

彼らは自分以下の人間に対して
「そんな事もわからないで生きてるの?」等とは平然とは言わぬにしても心のどこかには多少なりとも優越の意識はあるだろう。

その優越の意識を持っても他者に対する侮蔑の意識までは距離がある。
だが、その距離というものは実を言えば自分が意識している無意識なのかぐらいの差なのである。
それが意識的且つ極端すぎて返ってバカに見えてしまうのが上記の司法修習生に他ならない。

「人間の9割以上は出来損ない。俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ」

小泉内閣、阿部政権と比較的政治家主導の政権から福田内閣になってからというもの官僚政治に一時代戻った感がのある事は否めまい。

日本の中枢を動かし、支配し、政治家を操る超エリート官僚の意識の根底がそこだとしたら、全くお寒いというほかはない。

宮部さんにしてみれば古い作品の一つなのかもしれないが、また一つ何かを気づかせてくれた作品に他ならない。

ありがとう。宮部さん。

スナーク狩り 宮部みゆき


29/Feb.2008
運命の息子 ジェフリー・アーチャー

過去二度も死産してしまっているのでこれが最期のチャンスと言われる大富豪の夫人の出産。
同じ日に平凡な保険のセールスマンの夫人も同じ病院で出産。こちらは双子を無事に出産する。
出産したその晩に富豪の赤ちゃんは亡くなってしまう。これを見かねた家政婦がその亡がらと双子の赤子の一人と入れ替えてしまう。

こうして双子としてこの世に生を受けながら、各々の道を歩んで行く。
とは言え、運命の息子というタイトルからして、さほど遠くないうちに二人が遭遇するだろう事は大半の読者は想像するだろう。

物語はこの二人を交互に描いて行くのだが、その切り替えがあまりにも急ピッチなのに少しとまどう。

二人は敵になるのか、味方になるのか、凄まじく影響し合うであろう事は予想に難くないが、この長い長い話でなかなか出会ってくれないのだ。

じりじりとしながらもその時を待つ読者。
しらす作家。

「選挙」というキーワードと「裁判」というキーワード。
これらが絡んで来る事は物語を読み進めて行けば大概想像できるのだが・・。
その時はなかなかおとずれない。


この二つのキーワードはどちらもジェフリー・アーチャーには馴染みのあるものなのだろう。
ジェフリー・アーチャーは英国保守党の元国会議員。
偽証罪の罪で裁判で争うという過去を持つ。

この物語、舞台はアメリカだが、アメリカやイギリスでは学校の学級委員や自治会の会長になるために本物の選挙さながらの選挙戦などを行なうものなのだろうか。

運動員がいて、選挙参謀がいて、選挙戦術があって、とまるで本物の選挙さながらである。

日本の学校ではなかなか想像するのも難しい事である。

もし実際に行なわれているのなら、クリントン VS オバマ、そしてその勝者 VS マケインの様なことを学生時代から弁論やはたまたネガティブキャンペーンなども学生時代から体験して来ているという事なのだろうか。

そういう素地の無い日本とはやはり文化が違うのだろうな、などという感想を持ってしまう。


運命の息子達はいずれ出会い、お互いに影響を及ぼす関係となるのだが、ちょっとそこまでの「じらし」は長すぎるのではないだろうか。

ジェフリー アーチャー (著), Jeffrey Archer (原著), 永井 淳 (訳)


18/Feb.2008
乳と卵 川上未映子

難しいもんやなぁ、読み物も。一旦文学ちゅうカテゴリに入れてもうたら、もうわけがわからんわ。
大阪出身者による大阪弁での芥川賞受賞作やっちゅうからムチャクチャ期待してもうたのになぁ。
この本、読み始めて数ページ繰ったところで目ぇが活字を追うてるだけで、なーにも頭の中に入ってけーへん。
そやからまたまた頭から読み直し、それを3回ぐらい繰り返した。
普通やったらそこまで頭に入ってけーへんちゅうことは本との相性が悪いんやろって読むのんをやめてまうところやけど再突入してみてようわかった。
頭に入ってけーへんいくつかの理由が。

まず使われてる大阪弁がめちゃくちゃ中途半端でどうにも頭の中に入ってけーへん。
東京の芸能人が大阪弁を真似する時のイントネーションの違いから来る違和感ともまた違う。
変な大阪弁の使い方。これが一番頭の中を活字が素通りして行く原因やった。
この作品を評して
「大阪弁に支えられて成立する」とか
「大阪弁を交えた口語調の文体が巧みで読む者の中によく響く」とか
選者評では大阪弁が受賞の大きな理由を占めてるみたいやったけどな、残念ながら響けへんねん。
その中途半端な大阪弁があるせいで、全く響かん。
村上龍はこれを「ときおり関西弁が挿入されるが、読者のために『緻密』に翻訳されている」と評してはったわ。
どのへんが「緻密」やねん!とツッコミを入れながらも選者の中で唯一、「翻訳されている」とほんまもんの大阪弁とちゃうことを見破ってはったのはさすがや。
会話は大阪弁。語り部は標準語ならまだメリハリちゅうもんがあるで。
それを語り部の語り口調が首尾一貫してへん。大阪弁使うてみたり標準語を使うてみたり。しかも一文が長すぎて長すぎて、そやからまず読むのに疲れてまう。
なんともしんどい文体や。
なんちゅうんやろな。大阪出身の営業マンが大阪の会社へ営業へ行ってここまでやったら大阪弁でくだけてもかまへんやろか、と躊躇しながら大阪弁を小出しにするようななんかびびりながらの大阪弁ちゅう感じやろか。
・・それが緻密な計算なんかいな。

登場人物は語り部の女性とその姉と姉の娘。
姉は豊胸手術を受けようと大阪から主人公の住む東京へ娘と一緒にやって来る。
姉の娘は親にも主人公にも一言もしゃべれへん。
娘からの会話は筆談や。

筆者は大阪出身。
北新地でも長いこと働いとった、ちゅうから男相手の会話には慣れっこやと思うのに、豊胸手術も娘の初潮も卵子の行く末も男の読み手には全く興味の無い素材を題材に選んではる。
これを読んでなんか響け!共感せぃ!ちゅうたって男の読者には無理な話やで。
共感してる男が居ったら、ちょっと危ないやつとちゃうんかいな。
頭に入ってけーへんかったもう一つの理由はこれなんや。

女性読者には何らかの共感めいたもんがわいて来るかもしらんけど、男性読者を全く対象外において書かれたもんとしか思えんねんな。
この作品は。


元気の無い大阪に活力を!と選者が考えたわけないけど、せっかく大阪弁で賞をとったんやし。
次作には期待してまっせ。
そやけど、大阪人もちゃんと騙して欲しいな。

大阪人にも男性にも馴染む題材でよろしく頼んまっせ!


18/Feb.2008
化物語 西尾 維新

それにしても軽快なテンポだなぁ。

西尾維新の作品ってどんどんのりつっ込みのテンポが良くなっている様な気がしますよ。
西尾維新の本を読もうと一番最初に本屋へ買いに行った頃、例えば戯言シリーズなどを・・・そこそこの規模の本屋さんなのに「西尾維新の・・・はどのあたりに?」と店員さんに聞いたら、なんか不審人物を見る様な目で見られてしまった。
連れていかれた先の本棚の周辺には何故か牛乳瓶の蓋の様な眼鏡をかけた学生と思われる女の子がチラホラと居る。
見れば、どうもホラーもののコミック本のコーナーの様に見えた。
な、な、なんでこんな売り場なんだー。
しかも本棚に並んでいるのでは無く、本棚の下の引き出しから取り出してくれた。
本棚にも並べてもらえない様な本なのか?ってその当時は思ったもんだ。
そのコーナーに少しでも居る事はなんとも絶えがたく、出してもらった戯言シリーズを鷲づかみにしてレジへと向かったのを覚えています。
以後、西尾維新本はオンラインでしか購入したことがないので今はどんなコーナーに並べられているのかは確かめていませんが・・。


さて「化物語」はその名の通り、お化け (怪異と言った方がいいのかな) のお話。

「おもし蟹」 「迷い牛」 「猿の手」 「蛇切縄」 「障り猫」 ・・なーんていう怪異が登場します。
これらは民間伝承か何かがちゃんとあるのでしょうね。
こういう「怪異」に出くわす話はいろいろあるでしょうが、ここでの怪異達は「蛇切縄」以外は全て自分の心(願い?)が生み出した産物。

神原駿河の「猿の手」なんて使い方次第では結構役に立つかも。
主人公の「吸血鬼」、これ使い勝手良すぎる。
怪我の治癒とかで便利すぎるものだから主人公もかなり濫用気味。

怪異のことはさておいても、まいどのことながら主人公のまわりにはやたらと女の子が多いのですよね。

この主人公もその例にもれず女の子に囲まれていてしかもモテモテ。

戦場ヶ原ひたぎ、なんという凄まじい名前。凄まじい毒舌でありながら愛情は豊かでその毒舌さえ可愛らしくもある。
またまた主人公がそれをのり突っ込みの勢いと感じるだけの男としての度量が無ければ、その毒舌の結果は悲惨なものにしかならないでしょうが・・。

戦場ヶ原の後輩の神原駿河、学校のスターだったはずが以外な一面を発揮。
明るいエロっこの神原駿河。エロっぽい言葉をはきながらいやらしさは微塵も感じない。
これも戦場ヶ原同様にいやらしく感じない度量がなければこの人間関係は成り立たない。
他にも羽川翼、千石撫子、何故かなでしこではなくなでこ、八九寺(ハチクジ)真宵・・・と女の子ばっかり。

うらやましい。んん?本当にうらやましいか?
それは主人公君に聞いてみるしかないでしょうね。

戯言以来出版されている西尾氏の本にはマンガチックなイラストがつきもの。
後々、映像化された時に足枷になるのか、はたまたその逆なのかはわからないですが・・・。
読書と言うものやはりコミックではないのですから、自分の想像力にてそのキャラクターをイメージして読むものと心得ているのでこういうイラストって本当に必要なの?などと思ってしまいます。
直近では「刀語」なんか本の中までイラストがいっぱいだったり。
でもがご本人のあとがきにてはいつもそのイラストに感謝されておられるようなので執筆者のモチベーション維持になんらかの要素を与えているのかもしれませんね。

まぁ、あそこまでマンガチックなイラストだと返ってご愛嬌と受け取ってイラストなしの本と同様に自分のイメージで勝手に読んで適当に楽しんでますから決してじゃまになっているというほどのものではありませんし。

じゃまになっているという意味では、電車の中で読むにはカバーが欲しくなる、というぐらいのことでしょうか。
なかなか西尾氏執筆の主人公の域には達せられませんので。

それに映像化なんていったって、西尾維新の本は絶対に活字の中でこそ活きるのではないかと思っています。

あのムチャクチャ面白いのり突っ込みにしても活字だからこそだろうと思ったりしているのです。

誤植を使ってののり突っ込みなどはその最たるもの。
人を叩いた後で、「命という漢字の中には叩くという漢字が含まれている・・」などというセリフ。
見蕩れるの蕩れるって草冠に湯って書くのだ云々・・・
「蕩れる」は次世代を担うセンシティブな言葉・・・このあたりは西尾氏ならではの感性でしょう。素晴らしい。
こういった表現はやはり活字ならではの世界じゃないでしょうか。

もちろん、この恐るべき才能、西尾維新がどこを目指しているのかなど知る由もありませんが・・。

とにかく楽しく読ませてもらいました。

化物語(上) (下)  西尾 維新(著) VOFAN(イラスト)


14/Feb.2008
長い長い殺人 宮部みゆき

語り部が財布なのですよ。財布。
刑事の財布が語り部。
強請屋の財布が語り部。
少年の財布が語り部。
探偵の財布が語り部。
目撃者の財布が語り部。
死者の財布が語り部。
旧友の財布が語り部。
証人の財布が語り部。
部下の財布が語り部。
犯人の財布が語り部。・・・。

最初の一話を読んだ時には、短編なのかと思いましたよ。
全部ちゃんと繋がっているのですね。
雑誌に掲載された頃は「十三の財布の物語」というタイトルだったそうです。
タイトルとしてはそちらの方があきらかにいいですね。
連載しているうちに10話で終わってしまったので、タイトルは「十の財布の物語」ではなく「長い長い殺人」になってしまった。
長い長い殺人なんてどんな殺人なんだ?と思ってしまいましたよ。

一話一話がそれぞれちゃんとまとまっているのは雑誌に一話ずつ載せていたからなのでしょうね。
それぞれの財布にも生い立ちがあったりしてやっぱり財布の物語なのですよ。

全体の展開は、保険金がからみ配偶者の殺人容疑といい、マスコミの騒ぎ方といい、あのロス疑惑事件を彷彿とさせてくれます。
ロス疑惑事件は、妻とロサンゼルス旅行中に暴漢に襲われ、妻を失った悲劇のヒーローとしてマスコミに登場するところから始まります。
その後、週刊誌の独自取材による報道で状況は一転します。
妻にかけていた莫大な保険金。それを目当てとした保険金殺人の疑惑。
以後この男の周辺にはいつもマスコミが殺到していたあの事件。

物語の展開はその正反対。
夫を保険金目当で殺害したのではないかと疑われる女性と妻を保険金目当で殺害したのではないかと疑われる男性。
しかも両者は愛人関係にある。
犯人で間違いないだろうと散々疑われながらも物証は無し。

だがマスコミは放ってはおかない。
犯人に間違いないだろうと、二人に押し寄せる。
ところが思わぬところから別の物証が出て二人の犯行では無かった事になるとこれまで散々犯人と決め付けていたマスコミは逆に彼らを悲劇のヒーローとして更にマスコミに登場させる。
ロス疑惑とは反対の展開ながら毎度ながらのマスコミの取る対応。持ち上げるだけ持ち上げておいて、落とすところまで落とす。
犯人扱いで過熱しておいて一転ヒーロー扱いで持ち上げる。その構造は同じか。

「あるじよ。その金を受け取ってはいけない。その金で私をふくらませてはいけない」

財布に「あるじよ」と呼ばれるほど私は財布を長持ちさせた事があるだろうか。
少年と呼ばれた頃から数えて一体いくつ財布をなくした事だろう。
大抵はいつなくなったかさえわからないが、気がついたらなくなっているというケース。
サウナでなくした時の事だけははっきり覚えている。
一杯飲んだ後、サウナで一泊して翌朝仕事場へ直行。通勤ラッシュに遭遇せず、ゆっくり朝の時間を過ごせる結構効率的な手段だ。
そのサウナの仮眠室で一泊して翌朝清算をしようとしたらポケットにあるはずの財布が無い。
隣に居た先輩に聞くと、
「そう言うたら、あのオッサンそれが目当てやったんかいな」
とわけのわからない事を言う。
「いやな、おまえが寝ている最中に横へ擦り寄って来たオッサンが居ったんや。てっきりそっちの趣味なんかいなぁ、と思てわくわくしながら見てたんやけど、眠とうなって寝てもうたんや」
そう言えば、目が覚めた時にいつも必ず首に巻いていたはずのロッカーのキーが何故か首には無く、頭の隣に垂れてあった。
その時は、さほど気にとめなかったが、何か違和感があった。
「でも、ええオッサンやないか。財布取ったあと、わざわざお前のとこまでキーを返しに来てくれたんやなぁ」
と妙なところを感心するこの先輩。
やはり只者ではない。
結局、清算は先輩にお願いしてその場だけは事なきを得たものの、その月はチョー金欠状態だった。

今持っている財布などは私にとってはかなり長持ちしてくれている。
財布がそこまであるじの事を気にかけてくれていたとは・・。

この本を読んでから財布を取り替えづらくなってしまった。

長い長い殺人 宮部みゆき著 カッパ・ノベルス


09/Feb.2008
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