読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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仏果を得ず 三浦しをん 著
三浦しおんさんという作家、ほんとにはずれが無い。 「神去なあなあ日常」にしろ「舟を編む」にしろ方や山村の林業、そこで行われる壮大な祭りの風景、方や辞書を編纂するというなんとも地味な世界、それをあれだけ読ませる話に仕上げてしまう。 しかし、今回だけは読み始めてどうなんろう、と思ってしまった。 文楽の世界。 全く興味をそそられる世界では無い。 そんなところにまで手を出しちゃったの?と さすがにこの世界だけは、途中で眠たくなるんだろう、とばかり思っていたが、そうでは無かった。 文楽の世界は、物語を語る太夫とその太夫とコンビを組む三味線、そして人形遣い。 この三者で成り立っているのだが、これまではほとんど人形遣いの世界だと思っていた。 この話の中で、人形遣いの出番は少なく、ほとんど太夫と相方の三味線弾きが主要な登場人物だ。 主人公は高校の修学旅行でたまたま文楽に連れて行かれ、眠るつもりが太夫のあまりのエネルギーの凄さに圧倒され、卒業と同時に文楽の世界に身を置く、キャリア10年の健という若者。彼の役割りは太夫。 師匠の命令でとっつきの悪い先輩で「特定の太夫とは組まない」を信条としている兎一郎と無理矢理コンビを組まされる。 何と言っても師匠の命令は絶対なのだ。 とにかくこの健という青年、稽古熱心で文楽のことしか頭に無い。 そこまでその人物になりきらなければならないのか。 というほどに、その文楽の登場人物の心の在りかを探そうとする。 焦る健に三味線の兎一郎は 「長生きすりゃ出来るようになる」 みたいな事を言う。 兎一郎が言う長生きとはあと六十年長生きしたところでたったのあと六十年。 三百年以上にわたって先人たちが蓄積した芸の道をたったの六十年で極まることが出来るのか? ということ。 仮名手本忠臣蔵の勘平と言えば、仇討ちの血判状に名を連ねながらも結局参加しなかった、出来なかった不忠者。 その勘平の心境を語ろうと悶々とする健が行きつくのが、 「死なぬ死なぬ」と叫ぶ勘平の叫び。 やっぱり、しおんさんははずさない人だなぁ。 今度、文楽というものを是が非でも観てみよう。 途中で眠ってしまわないかどうかは半信半疑ではありますが・・・。 03/Nov.2014 まほろ駅前狂騒曲 三浦しをん 著
最高に楽しめる一冊。 今回の多田便利軒物語は、これまでの登場人物が勢ぞろい。 四歳の女の子を預る約束をしてしまった多田と子供嫌いの行天。 駅前で無農薬野菜を!健康野菜を!と拡声器で訴える団体。 その団体をつぶそうとする星にどんどん巻き込まれる多田便利軒。 無農薬だ!健康野菜だ!と訴える連中はかなりいかがわしい連中だったのだが・・・・。 バスが運行通りに走っているかどうかの調査に異様な執念を燃やす岡という老人。 とうとうバスジャックに突っ走ってしまう。 老人のバスジャックと言えば宮部みゆきの「ペテロの葬列」を思い出すが、そんな真面目なもんじゃない。 最後はみんな入り乱れての本当の狂騒曲になって行く。 なんといってもいつも最高なのは行天というキャラクター。 今回は行天の過去があらわになったりもする。 それにカタブツの多々にとうとう色っぽい話も出て来たりして。 笑いどころ満載の一冊でした。 30/Jul.2014 まほろ駅前番外地 三浦しをん 著
まほろ駅前多田便利軒の続編。まほろ駅前多田便利軒について、簡単にふれておくと、 多田というクソ真面目な男が経営する便利屋。 そこに転がり込んで来た高校時代の同級生の行天。 普段は何もせず、多田一人に働かせて居候を決め込んでいるような格好の行天。 何もしていないようで、いきなり突飛で、意表をついたような行動を取ったかと思うとそれが功を奏して問題が解決する。 概ねそんなかたちの問題解決ストーリーが展開される、 今回の番外地は多田も行天もどちらかというと脇役。 前作で脇役だった人たちが今度は主人公と言ったところか。 星良一の優雅な日常はなかなかに興味深い。 覚醒剤を密売する不良高校生を徹底的に痛めつけるかと思えば自分のマンションに転がり込んで来た女子高生に対する純な愛情はもはや高校生未満なのだ。 このギャップなんともいい この章では、ほとんど多田も行天も登場しない。 思い出の銀幕は曽根田のばあちゃんの昔の恋愛物語。 行天をかつての恋人役にして語られる戦後のドタバタ時代のばあちゃんの恋愛話。 なんともほろ苦いは、ばあちゃんの名言がたくさんでて来る。 この本、既に映像化までされているのであまり深く記すこともないが、まほろ駅前多田便利軒を既読の方にはなかなか楽しめる番外編だろう。 24/Dec.2013 舟を編む 三浦しをん 著
「のぼる」と「あがる」はどう違うのか? 「最近のガキはませてるよな」と言われれば、「おませ」と「おしゃま」の違いを調べ出す。 すべからくこんな調子では会話がほとんど成り立たない。 この本、辞書を作るという大作業を貫徹させる人たちの物語。 それにしても今さら、「男」を文章で説明するとか、方向でいうところの「右」を文章で説明するなんてこと考えたことも無かったな。 辞書を作る人というのは相当な変人で無ければ出来ない仕事のようだ。 監修の先生が言う。 「辞書は言葉の海を渡る舟だ」と。 「もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」と。 「海を渡るにふさわしい舟を編む」のだ、と。 それにしてもプロジェクトが開始して、15年。 それだけの年数を経て、ありとあらゆる言葉を用例カードに書いては載せるべき言葉をふるいにかけて行く。 まさに壮大な仕事なのだ。 入稿してもまだまだ続く。 校正刷りのやり取りは初校から最低五校までは繰り返される。 紙を選ぶにしてもなるべく軽くするためにとことん薄い紙を。 ぬくもりのある色合いを。 と開発された紙を前に「ぬめりが無い」という。 この本2012年の本屋大賞の受賞作。 そりゃ、本屋さんは喜ぶ話だろう。 今や、というよりだいぶ前から学生の必携品は電子辞書であって、ぬめりのある分厚い辞書ではないだろう。 辞書を買う人を電気屋さんから、本屋さんへ、と導くにはもって来いの本なのだが、それでも大河の流れを蟻一匹で支えるようなもので、もはや流れは変えられない。 ネット接続可の教室なら電子辞書でさえ、もはや陳腐化して用済みだろう。 だからと言って、ありとあらゆる言葉を文章にして説明する人の仕事は無くなりはしないし、本質的には同じだろう。 それでも校正に次ぐ校正だとか、言葉を足すことで1ページのバランスが悪くなることの心配や、紙の薄さやぬめりを気にする必要はない。 そんなに紙離れをしていても尚、本屋では辞書が売られ、改訂もされている。 やはり、これだけの大事業を赤字覚悟で続けてくれているのだろうか。 たまには、あの分厚い辞書を使ってみようか。 そんな気にさせてくれる本である。 05/Jul.2012 天国旅行 三浦しをん 著
自殺願望、遺言、幽霊、心中、そんな死にまつわる短編が7編。 『遺言』という小編。 永年連れ添った妻への夫からの愛情を込めた手紙。 これほどまでに夫に愛される妻はなんて幸せだろう。 と余韻に浸りたいところだが何か引っかかるところがあって再読してみる。 なんて、通り一遍に読んでしまったのだろう。 夫から妻へのようで、この夫というのは女性だよね。 それを前提に読みなおすと各所、各所のほんの小さな違和感の部分が全てあぁそれでか、と解消されていく。 三浦しをんさんという作家、こういうひっかけみたいな書き物はされない人だと思っていただけに、少々意外。 『君は夜』 小さい頃から眠ると夢を見、その中では自分は江戸時代の若妻。 男女の営みも性教育の授業がはじまるよりはるか前より夢の中で体験済み。 もはや、夢の中の自分が本当の自分なのか、昼間の自分が本当の自分なのか、わからなくなってしまう。 「インスペクション」という夢を扱う映画を見たあとだけに「夢」というキーワードに飛びついたが、趣きは全く異なる。 ここでは、寝ている時に見る夢は潜在意識の表れという認識とは全く正反対だ。 『初盆の客』 これが一番が温かくていい話しだったかな。 祖母の初盆に現れた一人の青年。 祖母が祖父と知り合う前に産んだ子が居て、自分はそのさらに子供。 従って自分はあなたの従兄弟なのだ、という。 その先の話は異なるが、少々前に自分の身近な所でこれと同じ状況になったことがあるので、つい引き込まれてしまった。 ストーリーの肝心な部分はそれから先の展開のでしたね。 他に 『森の奥』 『炎』 『星くずドライブ』 『SINK』 一味違う三浦しをんさん作品集でした。 16/Jan.2012
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