読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
|
風神秘抄 荻原規子 著
『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』の勾玉三部作は日本の神話時代から最後は平安時代の初期までを舞台にしているが、この『風神秘抄』はそれに続ける様に平安時代末期、保元・平治の乱の時代を舞台としている。 作者は日本の歴史をどんどん下って行くりもりなのであろうか。 風神秘抄と聞くと梁塵秘抄を頭に思い浮かべる人は多いのではないだろうか。 まんざら関係ないわけではない。というよりも大いに関係がある。 梁塵秘抄は後白河法皇が編纂した今様の歌謡集。この風神秘抄の中でもこの後白河院の存在は大きいし、今様の舞いと唄と笛の音が物語の中枢に位置する。 この本は前勾玉三部作と直接の繋がりがある訳では無い。 だが、通常の人間には持てない特殊な能力を持つ人物が登場する、という意味では似ている。 また勾玉三部作も『風神秘抄』も全て、過去の歴史を舞台とし、日本史の中枢を舞台にしているという意味で舞台としては壮大であるが、全て恋愛小説でもあるファンタジーである。 それまでの三部作では必ず勝ち気な恋愛などには全く興味のない様な女の子が登場し、彼女が冒険し、最後には恋愛ものとして成立するのが、この本では前作よりかなりひたむきなのである。 今回は平治の乱で平氏に負けて敗走する源氏の一兵卒である草十郎が主人公。 草十郎は一人で人前では吹かないが、野山で笛を吹く。 すると鳥や獣たちが集って来るのだ。 最初は犬笛の様な犬には聞こえるが、人の耳には聞こえない非可聴周波数を利用した様なものを想像したが、荻原規子氏が書くものにそんなものが使われるわけがない。 草十郎も持つ笛が特殊なのでは無く、草十郎そのものが特殊なのである。 草十郎が笛を吹く事で特殊な力を発揮し、白拍子の糸世は舞う事で特殊な力を発揮する。ひたむきなのは、この話の中盤以降全て、異世界(この異世界というのがどう考えても現代であるところが面白い)へ行った糸世を連れ戻すための努力に注ぎ込まれるからである。 保元の乱は崇徳上皇対後白河天皇の争い。上皇方に源為義(義朝の父)、頼賢(義朝の弟)為朝(義朝の弟)・・・。天皇方には、源義朝、平清盛が付き、源氏にとっては親子、兄弟の戦さ。 保元の乱で力を弱められた源氏は平治の乱で平氏に敗北する。 源氏の棟梁である義朝は尾張まで落ち延びるが、家来であったはずの男に首を取られてしまう。 草十郎の慕う悪源太義平は義朝の悲報を聞くや、わずかの手勢で京へ撃って出て敗北。 六条河原の獄門に首をさらされる。 これより以後「平家にあらずんば人にあらず」という時代へと突入するわけだが、その 中心の平清盛をも操っていたと言われるのが後白河院である。 後白河院は保元の乱、平治の乱でも中心的存在だったが、その後頼朝が挙兵した後も、また義経を頼朝から切り離す事を画策したのも後白河院ではないか、と言われるほど、長期に渡って陰謀をめぐらせた人物である。 糸世の舞いと草十郎の笛が頼朝を打ち首から救っただけでも「奢る平家は久しからず」という言葉を無くしてしまうほどに歴史を大きく変えてしまった事になるのだが、後白河院の寿命を延命させてしまったとなると二人は更に大きく変えてしまったわけだ。 薄紅天女で活躍する藤太や阿高は武蔵国の足立郡郡司の長の息子達だった。 草十郎も武蔵の国の武者で正式な名前は「足立十郎遠光」。 という事は草十郎は藤太や阿高達の子孫だった? 何気なく藤原仲成以後25代に亘って死罪は無かったという記述の藤原仲成もまた、薄紅天女で薬子が男装した時に使った呼称(実史では薬子の兄であるが)。 空色勾玉の鳥彦の子孫にあたるの鳥彦王という鳥の王の存在はこの物語にとっては大きい。 『風神秘抄』はこれまでの作品との直接の繋がりは何も無いけれど、作者はそうやって何気なくこれまでの読者へのファンサービスを行っている。 08/Oct.2007 薄紅天女 荻原規子 著
『空色勾玉』『白鳥異伝』とこの『薄紅天女』で勾玉三部作と言われる。 三部作と言ってもストーリーとしては各々が独立しているので、続けて読まなければ、という心配は無用である。 『薄紅天女』は前2作から時代をはるかに下り、平城京から長岡京へ遷都した後から平安京遷都までの時代が背景。 前2作が全く伝説の時代を舞台としていたのに比べると、さすがにこの時代ともなると中学・高校生の日本史の教科書に登場して来る様な人物も描かれている。 長岡京遷都、平安京遷都となれば、その時の皇(すめらぎ)とは桓武天皇であろう。 坂上田村麻呂は登場するは、藤原薬子が男装で登場するは、若き頃の無名の空海は登場するは、と登場人物は多彩である。 前2作は日本の神話時代を舞台にしているので、そこを物語化するとかなりその神話と関わりの深い神道をいじる様な何かタブーに触れる様な分野だったが、平城、長岡京まで時代がくだれば、そういう心配もないだろう。 長岡京遷都は薄命だった。 長岡京造営時に尽力した人物が(藤原薬子の父)が暗殺された為、桓武天皇の弟早良親王嫌疑が及び早良親王は配流の後、恨みを抱いたまま死去したとされる。 そのため長岡京は遷都直後から怨霊の噂の絶えない都となった。 菅原道真が大宰府へ左遷された後も都で病死、怪死が相次ぎこの時も怨霊騒ぎが起きる。当時の人は怨霊の実在に敏感だったのだろう。 『白鳥異伝』の次なだけにまた勾玉をめぐっての攻防かと思ったが勾玉にはさほどの役割りは与えられていない。全く別の物語と言っても差し支えない。 今度の物語は都に巣くう怨霊とその怨霊の退治を行う話で、武蔵の国の少年達の話から始まり、蝦夷へ、伊勢へ、都へと舞台を移して行くが、この物語の語る別の一面がある。 苑上内親王を通して見られる皇女の孤独である。 同じ兄弟でも親王で無いためにもはや存在しないも同然の立場。 だから自由勝手気ままが許されるかと言うと皇の一族としてあまりに尊貴な立場ゆえに恋愛も結婚相手さえも探すことままならない。 物語では苑上内親王は薬子に学んで男装し、隠密に姿を隠し鈴鹿丸と言う偽名を使って活発で勝気な性格の役どころとなるが、生まれてから最期まで宮中しか見たことがないままという皇女も多かったのではないだろうか。 著者はこの話の中では苑上内親王に幸せな将来を与えている。 他の登場人物で輝いていたのはなんと言っても坂上田村麻呂だ。 長岡京での怨霊退治のための明玉を探しにほぼ単独で蝦夷へ向かう坂上田村麻呂。 坂上田村麻呂という人物、ほぼ初代の征夷大将軍にして蝦夷征伐を行った人、という事以外のはほとんど知られていないのではないだろうか。(初代かどうかには異論があるのかもしれないので念のため「ほぼ初代」としておいた) その坂上田村麻呂が都人でありながら、都人らしくのない、実にくったくのない人柄の人として活き活きと描かれている。 そのほとんど知られていない、というところが作者の目の付けどころなのだろう。 最後に長岡京にも触れておかなければ・・・。 この地名はもちろん長岡京市として現存している。 京都の南西に位置する市街地域である。 昔、都があったと意識する人はそうそういないだろう。 この地を訪れる人の多くはそこに自動車免許の試験場があるからで、かつて一時とはいえ、都であった面影を残すものはその市街地には無い。 怨霊のために埋没した都の名残などなこれっぽっちも無い。 唯一名残と言えば長岡宮跡の公園があるらしいが私は知らないし、住んでいる人訪れる人のほとんども知らないだろう。 22/Sep.2007 空色勾玉 荻原規子 著
『白鳥異伝』と前後してしまったが、ストーリーとしては別物なので前後しても全く問題は無い。 勾玉がタイトルにあるぐらいなのでここでも勾玉は出て来るが、『白鳥異伝』での勾玉の役割りほどの役割りは持たない。 どちらも日本の神話時代のお話であるが、『空色勾玉』は『白鳥異伝』よりさらに前の時代。 『白鳥異伝』は勾玉を守る一族の遠子と大蛇の剣を持つ小倶那(オグナ)の物語だとすると、『空色勾玉』は闇(くら)の一族の若き巫女の狭也(さや)と稚羽矢(ちはや)の物語。 こちらでは狭也が勾玉の持ち主で、稚羽矢が大蛇の剣の持ち主。 設定は似ている。 少々無鉄砲なところのある狭也と遠子。 似ている様だが、どちらかと言うと遠子の方が気が強く、狭也の方が流されやすい感じがする。 稚羽矢(ちはや)の名前の由来はもしや千早赤阪の千早か、とも思ったが、百人一首にもある「ちはやぶる神代もきかず龍田川・・・・・」のちはやぶる(あらあらしい、たけだけしい)のちはやではないだろうか。 それにしても男神である輝(かぐ)の神が女神である闇(くら)の神を追いかけて黄泉の国に行き、その姿を見て逃げ帰ってしまう。 その子供が「大蛇の剣」を持つとなれば、これぞまさしく。 男神イザナギが女神イザナミを追いかけた、という神話そのものか。 イザナギとイザナミは日本そのものの始祖である。 男神の三人の子供で大蛇の剣の持ち主の御子と言えば、ヤマタノオロチ退治のスサノウノミコト。 稚羽矢とはスサノウノミコトなのか。 輝(かぐ)の御子である三人、照日王と月代王と稚羽矢は不老不死。 中でも稚羽矢はちょっと変わり者なので、大蛇の剣と共に幽閉されている。 照日王と月代王には不死ゆえからなのか、人の命を絶つ事など何とも思わないという、酷薄な性格。 同じ不死でも稚羽矢だけは違って、情がある。 それにしても不思議な物語である。 著者の荻原規子氏は小学時代から古事記を読んでいた、と自ら書いている。 そんな頃からとことん通読した人が現代向けに書くからこそ、この様な神話時代の話が何の違和感も無く読めるのだろうか。 各々の個性も強烈だ。 この世の太陽とも言われる「照日王」。 闇(くら)の一族を滅ぼすためならどんな手段も厭わない。 この世の月とも言われる「月代王」。 照日王とはすぐに仲たがいをしてしまうが目的は同じ。 何歳なのかは知らないが二人とも外見は若く美しい。 不老不死なので食事すら摂らない。 話の途中からカラスの身となり、空からの偵察役をやらされたりする「鳥彦」の存在も面白い。 狭也の良き理解者であり、窮地を救う事も・・・。 まるで子供のまま大きくなった稚羽矢には普通の会話は成り立たない。 自然を愛し、人の死に哀れみを持つところは姉や兄とは全く異なる。 動物に成り代わってしまう、という特異体質の持ち主である。 もちろん、神話の時代の話なので特異体質という言葉は当て嵌まらないか。 不老不死はいつの時代も権力者の最大の夢だったのではないだろうか。 手に入れられる限りの全ての権力を手に入れても、必ずや訪れる老いと死。 古今東西の権力者が不老不死を手に入れるための空しい努力を書いた物語は山ほどあるだろう。 この物語そんな不老不死へのあこがれを断ち切るかの様に、人は死ぬからこそ、恐れを知り、悲しみを知り、優しさを知る、という事を繰り返し人々の口を借りて書いているのではないだろうか。 いずれにしても日本の創世記そのものをファンタジーにしてしまう、という途方もない事をこの作者はやってくれている。 28/Aug.2007 白鳥異伝 荻原規子 著
主人公の遠子は 三野の橘氏という勾玉を守り続ける巫女一族の娘。 (「三野」とは美濃の国の事か) 巫女一族だけあって男尊女卑ならぬ女尊的な雰囲気の出だしが面白い。 橘氏が「源平藤橘」の橘氏かどうかはわからない。 実のところ、四大貴族の橘氏と言われても源氏や平氏や藤原氏はいくらでも名前が出て来るが、橘氏と言われても乱を起こした橘奈良麻呂ぐらいしか思い浮かんで来ないのは何故だ! 単に歴史に疎いだけの事か。 この物語、遠子と小倶那(オグナ)の物語であり、また剣と勾玉の物語でもある。 この小倶那、大碓皇子の影の存在として小碓命(オウスノミコト)という名前をもらう。 オウスノミコトと言えばそのまま日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の事でしょう。 古事記では倭建命?でしたっけ。 古事記や日本書紀という日本の神話時代を舞台にしての壮大なファンタジーもの、というのは珍しい。 読む気がするかなぁ、と思いつつもぐいぐいと一気に最後まで引っ張られてしまった。 でもこの本を読む前に「空色勾玉」という本を読まなければならなかったのですねぇ。 先に「白鳥異伝」を読んでしまった。 「空色勾玉」、「白鳥異伝」、「薄紅天女」で三部作だと言うのだから。 上・中・下巻の「中」から読んでしまった様なものなのだろうか。 「まほろば」(ここでは都の呼び名となっている)や「豊葦原」(当時の日本の土地全体)や「日継ぎの皇子」(お世継ぎ)などと言う言葉が普通に出て来ても何の違和感も無いのは何故? この本の不思議さはそのあたりにあると言っていいのではないだろうか。 登場人物のそれぞれの個性が際立っており、神話時代だとか太古の昔だとかを忘れさせてくれるからなのか。 小倶那がまほろばの大王とその妹である百襲姫との間に出来た子供だったり、母親である百襲姫の小倶那に対する愛情が親子のものを飛び越えた激愛だったり。 子への愛のためなら命を投げ出す事も厭わない。命がけのマザコンママさん。 いや、マザコンという言葉は当て嵌まらないか。 マザーコンプレックスというのは息子側の問題だもんね。 押し付けの母親からの猛愛。 母の愛は強しだからどの時代にもいたのかな、そんな母親。 遠子は無鉄砲で勝気。男勝りで一直線な女の子。 その女の子が小倶那との再会でだんだん女性になって行く。 そういう意味ではファンタジーと書いたが、恋愛小説でもあるのかな。 菅流(スガル)という伊津母の国(これは出雲の事だろう)の人の存在も面白い。 やたらに女ったらしで、人なつっこく、どこへ行っても人に好かれ、言う事はちゃらんぽらんな割りに責任感が強く、肝心な時にはいつも頼りになる。 喧嘩は強いが子供には弱い、という非常に好ましい人物である。 小倶那が母親から授かったのが「大蛇の剣」。その力たるや人智を超え、一旦その剣を振るうと辺り一面が焼き尽くされる。 「大蛇の剣」という限りこれはまさか、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した剣なのか? それを封じる事が出来るだろうと遠子が探しまわるのが「玉の御統(みすまる)」。 勾玉を四つ集めると「玉の御統」となり、それを所有する人の力もまた人智を超える。 なんせ、小舟をモーターボートの用に疾走させる事が出来たり、ジャンプするとはるか上空のかなたから地上を眺める事が出来る。いいですね。この能力。 菅流などは本州の端から端までジャンプして飛んでしまう。うぅ。 人智を超えると言ってもそこまでとは・・・。 それだけの距離を一っ飛びという事は高度は1万メートルどころでは無い。 人間氷になってしまいかねない。 それも人智を超えた人間には関係ないか。 本当は勾玉を五つ集めるはずがこの物語の中では遠子や菅流が所有するのは四つで五つ目を知りたかったら「薄紅天女」を読め、という事らしい。 ほら、やっぱり続きものじゃないか。 先に「空色勾玉」を読むんだった! 15/Aug.2007
1
|
|