読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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聖痕 筒井康隆 著
これがあの筒井康隆の文章なのか? とあまりに古い文体に少々驚いてしまう。 生まれた時からの美貌の持ち主が主人公。 幼稚園に入る頃には近所でもその美貌は評判で、どこへ行っても「まるで天使みたい」と言われる彼。 その美貌ゆえに女性ばかりか、男性も惹きつけてしまう。 幼稚園に入るか入らないか、ぐらいの年頃の時に、その美貌をなんとかものにしたいと思う大人の男に押さえつけられ、おちんちんを切り取られてしまう。 出血多量で生命さえ危ぶまれたが、なんとか縫合して命は助かる。 その縫合のあとがタイトルの「聖痕」だ。 それ以降彼の男性としての機能が無くなり、二度と男性ホルモンは分泌されない。 会社を築き上げた祖父は、後継者として成り立たないのではないか、という危惧と同時に近隣にその事実が悟られないようにすることを第一義に考え、結局、早々に引っ越しをして新たな幼稚園に入園させる。 やがて彼は成長し、勉強も音楽も運動も出来、皆が振り向くほどの美貌を持つ。 なんでも持っているのだが、唯一男性機能だけは持っていない。 それがばれないように、修学旅行やクラブの合宿やというものには一切参加出来ないのだ。 満員電車に乗れば男性の痴漢が寄って来る、女性客が助けてくれて守ってくれたりする。 性欲やら喧嘩などの腕力には縁遠い彼だが、食欲だけは人並み以上。 幼い頃から祖父や祖母に超一級の店へ何度も連れて行ってもらったためか、味覚は一級品で、自身でも学生時代から料理を作らせれば、一級品の腕前。 ちょうど、時代は現代をなぞり、バブル期もバブル崩壊も経て、最後にはあの東日本大震災の時を経るまで続く。 そういう意味では新しい本なのだが、文体がまるで明治時代。 会話の括弧でくくることなく、その古い文体の中に溶け込んで書かれるという変わった手法で書かれている。 この本だけは、文章というもので書かれた本という媒体でしか味わうことが出来ないだろう。 こんな美貌の男性など現実界では想像出来ない。 どんな役者にやらせても、そりゃないでしょう、と言われるのがオチだ。 25/Nov.2013 回廊の陰翳 広川 純 著
琵琶湖疏水に男性の死体が浮かぶ。 亡くなったのは京都に総本山を持つ宗派の僧侶。 昔、水泳でインターハイまで進んだ友人が溺れて死んだという事故死扱いに大学時代の親友達は納得行かない。 時を同じくしてその総本山にある寺院から国宝級の仏像がある会社の社長に売却されたという告発文が警察に届き、警察は内偵を始める。 僧侶の親友達もまた警察とは別に友人の死の原因を調査しはじめる。 著者は元々は保険会社の調査員の仕事を元々を行っていたのだというだけあって、尾行、張り込み、聞き取りの最中にやったことのある人でなければ出てこないような気づきがかきまみえる。 京都では「白足袋族に逆らうな!」という暗黙の掟が古来よりあるのだという。 その白足袋族の筆頭が僧侶。 その僧侶の総本山のトップ。 管長や総長は議員による選挙で決まるのだとか。 公職選挙法の対象外なので、どれだけ札束が飛び交おうが選挙違反で捕まることはない。 そんな札束選挙で選ばれた総長や管長が祇園で派手に遊び、妾を別宅に持ち、全国の傘下の寺院から集まったお金を私物化する。 この本、京都の本屋大賞にあたる京都本大賞のBEST3の一冊。 確かに京都の知っている地名がいくつも出て来る。 京都人にというより、京都に観光で良く来る人などが喜びそうな本だ。 広川純という作家は、なんでも前作のデビュー作で、松本清張賞を受賞したのだとか。確かにちょっと松本清張っぽい作品だな。 19/Nov.2013 エリートの転身 高杉良 著
「高杉良」と期待して読んだ人にはなんともまぁ残念すぎる作品。 エリートの転身、エリートの脱藩、民僚の転落、エリートの反乱という四作からなる本。 「エリートの転身」 一流の証券会社に入社し、同期の中でも出世頭。 将来の社長の器とまで言われながらも支店長を辞して、一からチョコレート職人に、という話。 支店長を辞める時の辞め方がナントモ。 会社をやめようと思っていた矢先に部下が不祥事を起こしたので、これ幸いとばかりに支店長として責任をとって辞任します、って退職する。 なんだろう。その辞め方って。 同僚や取引先や上司からも、なんて責任感の強いやつ。なんと潔いやつ、と惜しまれながらも実はうまく辞められたとほくそ笑んでいるような男に誰が共感するんだ。 カブ屋が嫌いになりました。とか、チョコレートを作りたいから、と言った方がまだ共感出来るし格好がいい。 チョコレート職人として一からスタートする努力は見上げたものだろうが、転身までの道筋がなんとも頂けなくて、到底本にするような話じゃないだろう。 「エリートの脱藩」 石油化学業界のトップ企業だが、オイルショック後の脱石油で業績低迷、一流企業をやめて中小企業へ転職する男。 低迷する業界だけになんとか起死回生のために粉骨砕身する話ならまだしも、会社のトップから慰留を受けながらも、ダメ業界から去って行きましたって話のどこに共感が得られるのか。 「民僚の転落」 大手繊維会社でエリートコースを歩いた男が、上司との付き合いゴルフでのしぐさが気に入らないから、と京都へ左遷されるという話。 京都支店での仕事は一からで呉服をたたんだり、正座で接客したりということを基本として教えられるのだが、そういう仕事がこの男、よほど気に入らなかったらしい。 郷に入れば郷に従い、基本を一から教えてもらえるというのはとてもありがたく大切なことだろうに。 そんな仕事は自分の仕事ではないとばかりに、飛ばされた理由だのばかりを探し出そうとするこの男もやはり共感を得られない。 「エリートの反乱」 企業内の派閥争いの結果が飛び火して一人の課長が懲戒解雇になろうかどうか、という話。 役員の理不尽な扱いに対して、戦いを挑む様は他の三作よりはまだ読み応えがある。 だが、まだ懲戒解雇を言い出されたわけでもないのに地位保全の仮処分申請を社長あてに内容証明で送りつけるという行為に出たこの男。 そんなことをして残っているよりも、それだけ仕事の出来るエリートならさっさと見切りをつけて転職すりゃいいのに・・・という気持ちになってしまうのは何故だろう。 どれも実話が元だったのかもしれない。 最初の「転身」などは社名も実際にある名前だけにまさに実話なのだろうが、どれもこれも、人を感動させたり、共感させたり、といういつもの高杉良作品とは程遠い。 小編は小編なりにちょっと山椒がピリリと効いていても良さそうなのだが、この作家、大作でなければ扱う素材も雑になってしまうのだろうか。 やはり高杉良は長編・大作に限る。 18/Nov.2013 最終退行 池井戸 潤 著
大ブレイクした半沢直樹の原作者によるもの。 もちろん舞台は銀行。 羽田というあたり一帯がことごとく赤字の中小企業ばかり、という環境の支店が舞台。 赤字企業に囲まれていても、本部からは他の支店同様に一律の成績UPを求めてくる。 ここの副支店長が主人公。 この人同期でTOPと言われながらも、思った仕事への配置転換をさせてもらえず、支店の融資係からからまた別の支店の支店の融資係へと支店のドサ廻りばかり、唯一の救いが支店を変わる都度少しずつ役付きが上がっていることか。 「最終退行」というのは最後に支店を退出すること。 最後に一人だけ残って残業を片づけ、各部屋の戸締りをし、消灯を確認し、施錠をして退出する。 この副支店長氏、毎日毎日が最終退行なのだ。 融資課長と副支店長を兼任し、毎日、現場にも出ながら、下から上がって来た種類の決済も行わなければならないので、普通の時間に終われるはずもない。 支店長がまた仕事をしないし、仕事が出来ない。 支店長から押し付けられた仕事をグチ一つこぼさずにこなす副支店長氏。 丁度不良債権処理に追われている頃の話なので、本部の意向は貸し渋りどころか貸しはがしにまで加速して行く。 この地域での優良得意先。 主人公氏をはじめ現場の人たちが永年良好な関係を築いてきた有料顧客企業。 そんな企業に今期赤字決算を出したからといって、貸している金を返せなどとは、現場レベルの感覚では有り得ない。 いや現場レベルでなくても有り得ないだろう。 赤字を出したところで会社がつぶれるわけじゃない。 寧ろ、貸しはがしをしてしまった方が、よほど相手の資金繰りを圧迫する。 そんな企業からの貸しはがしをためらっていると、支店長が出張って、一時返してもらうだけ、とだまして返却させてしまい、仕舞いに相手企業は不渡りを出し、その社長一家は離散。そしてその先社長が自殺するに及んで、この副支店長氏はこの銀行に見切りをつける。 そこからが反撃の始まりだ。 倍返しの半沢と似てなくもないが、こちらの話の方がかなりリアリティがある。 また、第二次戦の終わり間際に旧日本軍が海底へ隠したとされるM資金探し、M資金詐欺の話が彩りを添える。 12/Nov.2013 一路 浅田次郎 著
世は幕末である。 もはや参勤交代でもあるまい、という時代なのだが、代々、お家の参勤交代の差配をする御供頭という家柄に生まれた主人公の一路。 参勤交代のお役目さながらに一路と名付けられたというが、まだ19歳にして一度もお供をしていない。 そこへ来て父の急死。 参勤交代の御供頭を命じられるが、何をして良いのやらさっぱりわからない。 ようやく見つけたのが、200数十年前の行軍録。 参勤交代の行列とはそもそもは、戦場へ駆け付ける行軍なのだ、とばかりに古式に則った行軍を差配する。 江戸時代も200数十年続けば、たるむところはたるみ切っている。 そこへ来て「ここは戦場ぞ!」とばかりに中山道の難所を駆け抜けて行く。 その行軍におまけがつく。 お殿様の命を狙うお家騒動の悪役達が同行しているのだ。 古式にのっとった行軍も面白いし、お殿様という立場も面白く描かれている。 決して家臣を誉めてもいけないしけなしてもいけない。 「良きにはからえ」と「大儀である」だけじゃ、名君なのかバカ殿なのか、わからない。 ここのお殿様は蒔坂家という別格の旗本で大名並みのお家柄らしい。 同じような家格を例にあげると赤穂浪士に打ち取られた吉良上野介の家柄などがぴったりとくるのだそうだ。 バカ殿かどうかは読む進むうちにわかってくる。 上下巻と結構な長編ではあるが、読みはじめればあっと言う間に読める本だろう。 ただ、惜しむらくは浅田次郎作品にしては珍しく、悪役が完璧に悪役そのものなのだ。 浅田次郎という人の書くものはたいてい、悪役を演じさせながらも最後にはその人の止むにやまれぬ事情などが明らかになって、ぐぐっと涙を誘ったりすることが多いのだが、この作品に限っては、悪役は最初から最後まで悪役のまま。 まぁ、浅田さんにもそういう気分の時もあるのでしょう。 08/Nov.2013
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