読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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カウントダウンメルトダウン 船橋 洋一 著
下巻の巻末に取材を行った人が並べられているが、そのおびただしい数にまず驚く。 こういう取材を元に書く本は取材協力者寄りの偏った内容となることは多々あるが、これだけ多くの人に取材しているとどちらかに肩入れしてなどという書き方は出来ないのかもしれない。 福島の事故、あの時、実は日米同盟の最大の危機だった。 アメリカ軍によるトモダチ作戦。2万に及ぶ兵士が投入され、津波で大打撃の東北で真っ先に仙台空港という空路を復旧させたのは、さすが、と思わせられた。 だが、そのトモダチ作成のさなかにあって、日本政府に対しての不審を募らせる声が米国政府内で大きくなる。 アメリカ軍には原子力空母があるので放射能の測定は常に行われる。その原子力空母が異常な数値を検知するのだ。 ルース駐日大使は情報を得ようと時の内閣官房長官にアプローチするが拒否され、頭を抱える始末。 米政府内であがる200キロ圏内退避が実施されてしまえば、日米同盟は消滅していただろう。 アメリカが最も知りたかったのは、この状況をコンロールしているメインのブレーンはいったい誰なのか、ということ。 官邸で行われていることを知ったらたまげて物も言えなくなっただろう。 官邸には原子力安全委員会の斑目委員長が当初、読み違えをしたことで、完全に首相からは信用されない存在となってしまう。 保安院は文系の人間を送って来たからと歯牙にもかけない。 方や東電はというとどこまで情報を開示しているのか、さっぱりわからない。 となれば・・、と官邸自らが乗り出さずには入られなかったのかもしれないが、自分が工大の理工を出ている理系だからと言って、原発の危機にあたっての解決策を持ち合わせるほどに通じているわけでもあるまいに。 この首相、怒鳴りまくって、イライラしっ放しなので、周囲もだんだん腫れものに触るような扱いになっていく。 東電の本店が現場の吉田所長とを説得するのによく登場する言葉が、「官邸がやれってんだから仕方ないだろ」。「官邸が待てってんだから仕方無いだろ」みたいな言葉。 もはや、本来何が最優先されるべきなのかもが命令系統が滅茶苦茶なため、ほとんど忘れられつつある。 唯一現場はそんな本店の意向を無視して、やるべきことをやろうとする。 この本、この手の本にしてはかなり公平な公平な目線で書かれているように思える。 命投げうつ覚悟の吉田所長をたたえつつも、それでも第一原発はメルトダウンを起こしてしまったわけで、それを未然に防いだ第二原発の所長こそが英雄だ、と、吉田氏一辺倒でもないのだ。 麻生幾が「前へ!」という本で取り上げたのは、自衛隊、消防と言った最前線の人達。 その「前へ!」の中で現場の指揮官が恐怖を覚えるのは、この国の中枢の人たちは実は何もわからないままに指示しているのではないのか、という懸念。 そのまさに国の中枢の人たちを徹底的に取材して書かれたのがこの本。 「前へ!」の中で現場の指揮官が恐れていた通りのことが、国の中枢では行われていたのだ。 26/Sep.2013 GF ガールズファイト 久保寺 健彦 著
短い小編が5篇ほど。 「キャッチライト」 後述。 「銀盤がとけるほど」 小さい頃からフィギアスケートを習っていた女の子の話。 日本では、競技人口が少ないと言われるペアを選択。 フィギアスケートの経験者の父とペアで練習をするがその父が亡くなり、新たなパートナーとどうもしっくり行かない中、頑張る女子スケート選手の話。 「半地下の少女」 何故かいきなり時代が変わって昭和20年の敗戦直後の満州国大連。 それまで道路の真ん中を歩いていた日本人としてのそれまでの誇りはどこへやら。 道路の片隅でなるべく目立たないように目立たないように暮らす日本人達。 とあるきっかけから、口がきけなくなってしまった少女はひがな地下室に隠れるように住み、昼も夜も一歩も外へ出ることがない。 その少女が外へ・・・。 「ペガサスの翼」 バイク乗りの女の子の話。 同じバイク乗りでも引ったくりの常習犯を捕えようとする。 「足して七年生」。 小学1年生の男子児童に思いを寄せられた小学6年生の女子。 この本の表紙(装丁)やタイトルからは、闘う女子高生みたいなイメージを連想するだろうが、程遠い内容で少々ミスマッチ。唯一「頑張る女性」で集めてみました、みたいな集め方で、それ以外にあまり統一性の無い話が並ぶ。 唯一面白い印象を持つのは 冒頭の「キャッチライト」 元アイドルの話。 とうていガールというにはとうが立ちすぎているが、かつて一世を風靡したアイドルもピークを過ぎれば、現アイドルのカバン持ちみたいなことまでさせられ、なんとかスポットを浴びたい一心でマラソンにチャレンジする。 春や秋の番組改編期に恒例の芸能タレントが会場を埋め尽くした中で行われるクイズ番組。 その中の目玉がマラソン大会。 一位からの順位がクイズとなり、マラソンの最中はトップランナーは、ずっとカメラに映され続ける。 そのトップランナーとなり、必死で笑顔を維持しながら、「仕事を下さい」だの「なんでもします」だのというメッセージを書いたゼッケンを入れ替えて視聴者の目を引こうとする。 この五篇の中でも最も必死さが伝わって、思わずほんの少しだが、感動してしまった。 もちろん、ガールズファイトには程遠いのではあるが・・・。 25/Sep.2013 真夏の方程式 東野圭吾 著
海が美しい町、玻璃ヶ浦。 その町に向かう電車の中で、小学五年生の少年、恭平は物理学准教授の湯川学に出会う。 そんな冒頭から始まる今作は、ガリレオシリーズの第6弾、シリーズの劇場版第2弾である。 仕事で瑠璃ヶ浜に来た湯川は恭平の親戚が運営する旅館に泊まるが、同じく旅館に泊まっていた塚原正次が夜中に姿が見えなくなり、翌朝変死体として発見される。 いつもは湯川の大学時代の同期であり、現在刑事をしている草薙俊平が湯川に事件を持ち込み、湯川は警察でなんとかしてくれとわりと淡白(ある意味当然の反応だが)に断る。その後妙なトリックに興味を示した湯川がそのトリックを物理学で解明し、事件の解決に繋げてしまう、というパターンが多い。 しかし今回、湯川は「ある人物の人生が捻じ曲げられる」ことを防ぐ為に事件解決に協力するという。 進んで事件に関わる姿勢、そして苦手としていたはずの少年、恭平とのやりとり。 今作では今までとは少し違う湯川学を見ることができるだろう。 さらについ最近劇場版も見たが、途中湯川と恭平が海を見る為にペットボトルロケットを飛ばすシーン。海の美しさと、夏の暑さも感じるようなあのシーンだけに入場料を払っていいほどのできばえだった。夏も終わりの今だからこそ、より思い入れができたのかもしれない。 原作も劇場版も、東野圭吾作品で特に私が好きな「自身の思惑を一切明かさぬまま、周囲を巻き込み、地位や名誉も全て投げ打って望みを叶える」ような身勝手な人の生き方をみることができた。 やはりそういう身近にいたら迷惑な人の話は、物語の中で読むに限る。 24/Sep.2013 憤死 綿矢りさ 著
いままでに綿矢りさの小説作品は何作も読んできた。 「インストール」や「蹴りたい背中」に始まり、「勝手にふるえてろ」や「かわいそうだね?」などなど、どの作品の主人公も女性だ。 女子特有のもやもやした感情を書いているのに、不思議と暗い物語にはならず、スムーズに読んでいけるものばかり。そんな読みやすさが気に入っていた。 しかし今回の「憤死」は、男の子の主人公の作品もあった。 いつもの癖で女の子だと思って読み始めたので、男の子だとわかってからも最初はほんの少し違和感があったが、読んでいるうちにすぐ慣れた。 全4作品の中でも印象に残った2つを紹介したいと思う。 ■トイレの懺悔室 少年たちが公園で遊んでいると、よく声を掛けてくるおじさんとの交流から始まる。 そのおじさんの自宅へ行った時、おじさんはキリスト教の考え方を子供たちに話し、牧師めいたことを語った。 そしてひとりひとり薄暗いトイレに来てもらい、子供たちの懺悔を聞こうというのだった。 主人公の男の子は残忍なやり方で虫を殺したことを告白。 そして万引きの経験を打ち明けた。最初はおじさんの牧師の真似事を馬鹿にしていた少年だったが、懺悔することでどこか心が晴れるのを感じた。 そして月日が流れ、少年たちが再会したとき、おじさんの話題になる。 おじさんの様子を見に行くこととなった主人公は、年老いて弱ったおじさんの姿を見ることとなる。 懺悔しに来た時のことを思い出し、暗い気持ちになったところで物語は終わる。 人が弱くなったところを見るのが怖くて、お見舞いには行きたくないという彼の考え方が妙に心に残った。 ■憤死 このタイトルで、憤死をいう言葉をはじめて知った。 文字通り、憤りすぎて死んでしまうことらしい。 愛する人と別れることとなり、自殺未遂をしたという昔の同級生、佳穂。 これだけ聞くとなんとも繊細な女の子を想像してしまう。 しかし彼女、別れが悲しくて飛び降り自殺未遂をしたわけではない。 別れたことが悔しくて、腹立たしくて怒りに打ち震えていると、気が付いたらポンと飛び降りていたのだという。 主人公の女の子は、この話を聞いて学生時代の佳穂のことを思い出していた。 ウサギ当番をしない佳穂を、みんなが責めたことがあった。 彼女は主人公の女の子を連れて、おとなしくウサギ小屋に向かった。 そして餌の入ったバケツを持ち上げると、狂ったようにバケツをそ振り回し叩きつけ、激昂したのだ。 佳穂はケーキを食べるとき、最初にメインのいちごにフォークを突き立て、食べてしまう。 佳穂は自分の自慢話ばかりを並べ、主人公を今も昔も見下しきっている。 決して万人受けするとは思えない佳穂。 しかし怒りを全身で表現し、感情をぶつける佳穂の行動を読んでいると、なぜだろう、完全には憎めなくなってしまう。 死んでしまうほど激しい感情を持つ彼女の素直さに、魅力さえ感じた。 「憤死」に収録されている、「おとな」「トイレの懺悔室」「憤死」「人生ゲーム」は、どれも幼少時代の話が基盤にあり、大人になってから再会したり理解が深まったりして、話が進むという共通点がある。 子どもの時はなんとなく過ぎ去ってしまった体験も、大人になり振り返ってわかることもあるということだろうか。 作品の内容1つ1つだけではなく、本全体の構成からもテーマが読み取れる一冊だ。 09/Sep.2013 天佑なり 幸田真音 著
高橋是清と言う人、明治、大正、昭和初期の他の人が主人公の話にちょくちょく登場する。 中でも印象に残っているのが城山三郎氏の「男子の本懐」だろうか。 そこでは悪く書かれているわけではないが、結果としてあまりいいイメージではない。 浜口雄幸と井上準之助が命がけで進めた金解禁。 浜口が倒れた後、内閣総辞職で次に発足した犬養毅新首相と高橋是清新蔵相が、浜口と井上の成果をひっくり返し、真逆の金輸出再禁止に踏み切ってしまう、というもの。 財政を拡大し、景気を刺激するのが得策か、財政を縮小し国の借金を減らすのが最優先か? 結構、いつの時代に手も議論されて来ていることのようだ。 いつも登場はするが、いざ高橋是清と言う人そのものにスポットを当てた本というのを読んだのはこの本が初めてだ。 この人、「人間万事塞翁が馬」を地で行くような人生。 若い頃にアメリカに渡るが、訳も分からずにサインをしたものが、自分を見売りする契約書で、危うく奴隷としての生涯を送ったかもしれない。 帰国後いくつもの仕事に就くが当初は教師の仕事が多い。 その教え子には後にバルチック艦隊を破った帝国海軍の名参謀となる秋山真之だの、日本銀行本店ビルや東京駅やら両国国技館やら名だたる名建築物を残したこれまた天才辰野金吾なども居たりする。 後にそのお教え子辰野金吾の下で下働きをしたりもする。 それにしてもこの人の若い頃ってどれだけ簡単に仕事を捨ててしまっているのだろう。 今の就活に悩む若者が知ったらさぞかしうらやましい限りだろう。 若き新校長として赴任する時などは、一度も登校することもなくやめてしまっている。 それでも次の仕事が向こうからやって来る。 それだけその当時は英語に堪能な人が如何に重宝がられていたか、ということなのだろう。 現場主義で現場を見て無駄をとことん省くこつを心得ている。 とにかく発想が柔軟で、前例がないという反対は、軽くぶっつぶす。 前例がなければこれを行う事でそれを前例とせよ、と。 知的財産についても早くから目をつけ、日本で概念すらなかった商標や特許を守ることが急務だと、米、英、独の実情を研究した上で日本で初となる特許庁の創設をやり遂げてしまう。 そうかと思えば相場で失敗し、またペルーでの鉱山採掘事業に失敗。(本来彼自らの失敗ではないかもしれないが)そんな失敗の一つ、一つを全て自分の糧に変えてしまう。 欧米にも広い人脈を築き、日露戦争の時など、日本に戦争を賄えるだけの外貨がほどんどなかった時に、この人の才覚で戦費の4割以上を外債発行で調達して来てしまう。 日本が負けると誰しも思う中でやり遂げてしまうのだから尋常の沙汰ではない。 途轍もない才覚だ。 冒頭の浜口雄幸、井上準之助VS高橋是清ならば、高橋是清を間近で読んだからだけではない。 明らかに高橋是清に軍配があがることはその後の歴史を見れば明らかである。 明治日本には、国家の危機と言う時に、本当に稀な天才が何人か現われ、国家を救うのだが、高橋是清もそんな天才の中の一人だろう。 04/Sep.2013
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