読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
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幕末史 半藤一利 著
幕末と言う時代を舞台にした本はもうどれだけ読んだだろう。 司馬遼太郎だけでも相当な数があるはずだ。 司馬遼太郎にしても浅田次郎にしても個々の人物にスポットがあたるが、これだけ体系だてて歴史としての幕末を振り返ってみるのはなかなかいい試みではないだろうか。 しかし改めて歴史として見てみると、よくもまぁこれだけの短期間の間にいろんなことが凝縮して起こったものだ、とつくづく思う。 そもそもは1853年のペリーの来航から始まる。 それから瞬く間に、日米和親条約調印、日米通商条約調印、安政の大獄、桜田門外の変、長州征伐・・・もろもろの事件があった後、江戸城の無血開城が1868年。 ペリーが来てからほんの15年しか経っていない。その15年で江戸幕府は瓦解してしまうのだ。 さらには明治になって西南戦争で西郷が死に、大久保利通がその翌年に死ぬ。それが1878年。 ペリーが来てからたったの25年。 その25年の間に鎖国が無くなり江戸幕府が無くなるばかりか、版籍奉還にて全国の藩すら無くなってしまう。 徴兵制により、武士が要らなくなってしまう。 激動の25年だ。 今の時代は移り変わりが激しくなったと言われるが、25年前の1988年からこっち何が変わっただろうか。 バブルがはじけた、昭和から平成に変わった、携帯電話の普及そしてスマートフォンが普及するようになった、とはいえ、国家として25年前と比べて何が変わったというわけではない。 この25年で中国が台頭して来たのが一番大きいかもしれない。 その25年の歴史を駆け足で、語り口調でわかり易く語っているのがこの本。 大久保さん、西郷さん、勝さん、などと歴史上の人物をお知り合いみたいに語るのも特徴的だ。 自らが長岡の出身だけに薩長閥に対してかなりの嫌悪があるように見受けられる。 昭和初期でも海軍や陸軍の中将や少将の数は圧倒的に薩摩と長州が多いので、その時代まで薩長閥は続いたのだろう。 司馬遼太郎ほどではないにしても、やはり半藤さんにも自身の思い入れというものは入ってしまうのだろう。 勝海舟には特に思い入れが強い。 世界が見えていたのはこの人だけだとか。 そして、薩長の為した明治維新をして暴力革命と切って捨てる。 それはその通りだと思うのだが、半藤さんはどんな形が最適と思っておられたのだろう。松平春嶽やら山内容堂やら徳川慶喜やらの合議制の内閣が良かったという意見なのかもしれないが、徳川慶喜の存在だけで全ては台無しになるのではないだろうか。 戊辰戦争では慶喜は味方を置いてさっさと大阪から江戸へ船で逃げ帰ってしまうのだが、慶喜側の言い分としては水戸の出身としては錦の御旗には絶対に歯向かわないという心情からなのだとか。 明治に入っての政府の混乱ぶりについてはかなり辛辣だ。 海図を持たない船出をした政府の無能ぶりを語っておられる。 とはいってもその言われるところのシロウト政府にしては版籍奉還や廃藩置県なんて海図無しにしては、かなりダイナミックなことまでもちゃくちゃくとやってのけたとも思えるのですが・・・。 26/Feb.2013 片想い 東野圭吾 著
アメフトが題材として用いられるのは、日本の小説ではかなり珍しいと思う。 「どしゃぶりが好き」須藤靖貴 著(光文社)という小説があるにはあるが、これなどはアメフト部を率いる監督が主人公でアメフトそのものを描いているので、物語の背景としてのアメフトの存在を据えるのとはまた異なる。 大学時代のアメフト仲間達の集い。卒業して10年を経過しても尚、再会して必ず出るのが最終戦の敗北ゲームの話題。 QB(クオーターバック)が完璧なフリーで走っている選手へパスを出せば、そのままタッチダウンで優勝だったはずが、そこへは投げずに敢えてマークされている選手ヘパスを出してしまい優勝を逃してしまうという、その話題。 大学時代のアメフト仲間達はアメフトを離れてそれぞれの道を歩んでいるが、近況はこうした集いで知れる。 だが、中には同窓会にも全く来ない、どうしているのかわからない者もいる。 二人いた女子メネージャーのうちの一人がそうだ。 もう一人の女子メネージャーは、QBの妻となっている。 そのかつての女子マネージャーとQB夫妻が再会する。 彼女はかつての女子ではなく男の容姿であった。 彼女は性同一性障害なのだという。 卒業してからそうなったのではなく、学生時代も、もっと前の幼少時代からずっとそうだったと。 かつての仲間が女でありながら男たりたいと思ったところでさほどの問題ではない。 問題は彼女が男性の容姿をしている時に起こした殺人だ。 男性の恰好でバーテンの仕事をしていた彼女は、ストーカーに付きまとわれているホステスの女の子を自宅まで送り、その際にしつこくつきまとっていたストーカーを殺害してしまったのだという。 QB夫婦は彼女に自首をすすめるのではなく、かくまう方を選択する。 女性の格好にさえなれば、絶対みつからないだろうとQBの妻はいい、彼女はそれを嫌がる。 それにしても「性同一性障害」ってなんで「障害」なんだろうか。 女性の身体を持つ人が男性の心を持ったとして、それの何が障害なのだろうか。 女性の心を持って男性の身体を持つ人などは、テレビにいくらでも登場している。 この小説ではこのような女性の身体を持つ人が男性、男性の身体を持つ人が女性が複数登場するが、染色体の性にもふれている。 男女の染色体とは男が「XY」で女が「XX」だと一般的には言われている。 高校陸上で圧倒的な脚力を持つ女子選手。 彼女の染色体には「Y」が含まれているのだという。 それゆえ、有名な大会に出てしまってオリンピックの候補にあがってしまっては一大事。陸連そのものが方針を出せないでいる、ということで一流大会には出場しないまま、もくもくと練習を続けている。 彼女の場合は、心も女、身体も女。ただ染色体だけに「Y」が含まれている。 その話は余談ではあるが、この事件の結末は元QBの主人公次第。 それぞれ、登場するかつての仲間がランニングバックならランニングバックとしてのかつての役割りや個性を残していたり、ここでフェイクをしかけるだとか、アメフトのゲームをもじりながらの物語運びがなかなか面白い。 さて、主人公氏はかつての司令塔QBのように、この事件でも司令塔となり得るのだろうか。 18/Feb.2013 ルーズヴェルト・ゲーム 池井戸 潤 著
野球で一番おもしろいゲームは7−8のゲームなのだそうだ。 ルーズヴェルト大統領がそう言ったとのことで、7−8のゲームのことをルーズヴェルト・ゲームと呼ぶのだそうだ。 この物語は、家電メーカーの下請け部品工場の会社の野球部の野球部の物語。 大企業でもないこの会社の野球部が、かつては都市対抗野球の名門チームだった。 所属する選手はプロ野球には入れないが、野球をすることで会社と契約を結んだ、契約社員。プロにはなれないが、アマチュアでもない、職業野球人達。 納入する大手企業からは単価下げを要求され、運転資金を借り入れている銀行からは人員削減を要求される。 そこへ来てのリーマンショック。 取引先は大幅な生産調整に入る。 もはや、会社の存続上、明日が見えない状況の中、当然野球部の存在も安泰ではなく、その存続をめぐって、役員会でも常に俎上にのぼる。 野球部の物語と言いながら、実は中小・中堅企業の生き残りをかけた戦いの物語なのだ。 創業者からバトンタッチされたまだ若い社長は、銀行の要求通りにリストラをすすめて行くのだが、創業者はそれに反対はせずにただ一言。 「仕入れ単価を減らすのはいいが、人を切るには経営者としての『イズム』がいる」と。 キッチリとした経営哲学があってのことなのだろうな、とも取れる。 企業の業績などいい時もあれば悪い時もあるに決っている。 その業績のいい時には人を増やして、業績が悪くなりゃ、人を切ればいい、みたいな考え方が蔓延してやしないだろうか。 いったい何のためにその会社はあったのだろうか。 人を切ってまでして営業利益を出したところで、その存続し続ける意義とは何なのか。 株主のため、か? 非上場会社である。 残った社員のためか? それとも経営陣のためか?それなら本末転倒もいいところだ。 もはや、物語は野球部云々などの話ではなくなっている。 野球部の存在は、この会社が負け続けの中、7−8のルーズヴェルト・ゲームに持ち込めるのか、の小道具だと言ってもいいぐらいだ。 会社の存続する意義とは何か、が問われている。 そんなことを感じさせてくれる一冊なのだった。 14/Feb.2013 償いの椅子 沢木冬吾 著
もし、警察という巨大組織が組織ぐるみで犯罪を犯したとしたら・・。 もし、警察の中でも特別に秘密のベールに覆われた公安という組織が、組織ぐるみで犯罪を犯していたとしたら・・。 この本では、警察の外部団体の財団法人が隠れ蓑になり、公安職員というとんでもない情報を得て来られる連中を配下に置く男達が、組織を使って犯罪を行う。 決して組織ぐるみではない。 組織を利用した一部の人間達の犯罪だ。 公安という特殊性がそうさせるのだろうか。 一般の警察の捜査では行われないような異様な命令を部下達は、たんたんとこなして行く。 主人公はその公安側ではない。 その公安組織に目を付けられた車椅子の男。 5年前のある事件以降、すっかり姿を消していたその男が現われるところから物語は始まる。 5年前に誰かに嵌められて、自ら親と慕っていた人を亡くし、自らも銃弾を浴びて、その生存すら危ぶまれていた男が、車椅子の姿で舞い戻る。 自らとその親にあたる人を嵌めた連中への復讐が目的なのか。 真相はラストのシーンまでわからない。 まさにハードボイルド小説。 いささか、ハリウッドの映画じみた小説ではあるが、分厚い本でありながら、一気に読ませられる、面白い展開の一冊。 12/Feb.2013
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