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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Mar.2009
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甲子園への遺言 門田隆将

「覚悟に勝る決断無し」
プロ野球の世界で首位打者をはじめとするタイトルホルダーを30人以上も育てた伝説の打撃コーチ、高畠導宏氏が残した言葉である。

打撃コーチとして30年。
プロの世界で一軍の打撃コーチで30年の永さ、それだけでももの凄い事に思えるのだが、いったいどんな野球人生だったのだろうか。

社会人野球では日本代表の四番バッター。
社会人NO.1のスラッガーと言われた人。
かつて社会人に入る前には王・長嶋全盛期、V9時代の巨人軍から王・長嶋が3番、4番、その後の5番を打てるバッターとして、また王・長嶋後の巨人の中心バッターとして巨人軍入りを嘱望されていたほどの打者。当時の社会人監督の選手囲い込みで実現はしなかったが。


プロでの現役生活は新人1年目の春季キャンプで、いきなり不幸が訪れ、強肩だった肩を不慮の事故にて壊してしまい、守備では投げられない。

DH制のない時代なのでここ一番での代打バッターとして一軍入りするが、肩の故障はバッターとしての迫力にも影響を与えるのか、社会人時代の豪快なスイングを知るピッチャーはかつての打者としての力の無くなった姿を嘆く。

結局5年で現役生活を退き、28歳という若さで打撃コーチに就任する。

以降30年、1年契約のバッティングコーチという明日の保障の無い世界に身を置くことになる。そんな人の言葉だからこそ重たい。
「覚悟に勝る決断無し」
氏にしてみれば、毎年、いや日々が覚悟の連続だったのではないだろうか。

以来、タイトルホルダーを次々と育て上げて行くのだが、その育成の仕方は他のバッティングコーチとはちょっと毛色が違う。

他のバッティングコーチは欠点を直そう直そうと画一的な指導をするのに対して、高畠氏の指導は個人個人で異なる。
欠点を無理に直そうとするのではなく、良いところを見つけてそれをとことん伸ばすための特訓をとことんやる。
とことん持ち味を伸ばすうちに知らないうちに欠点も直ってしまう、というやり方。
練習方法も小道具を用いたり、アイデアにとんでいる。

ひたすらバットを投げる練習をさせてみたり、ひたすらファールを打つ練習をさせてみたり、小道具で言えば、すりこぎバット、スポンジボールを使ってのティーバッティング・・・などなど。

氏の力量は選手を育てることにとどまらない。
相手のピッチャーのクセを見抜く天才なのだった。

氏は相手のチームに新たなピッチャーが補強されたと聞くとその練習を視察して来る。その視察から帰った時にはもうすでに相手のピッチャーはまる裸にされている。
直接、指導を受けなくてもバッターボックスから球種を氏から教えてもらって、打率を上げた選手などはいくらもいるだろう。

今、WBC真っ盛り。ついつい選手に目が行ってしまいがちになるが、これを読むと、選手の力よりも寧ろ、相手を丸裸にしてしまうほどの裏方の力量同士の勝負ではないか、と思えて来る。

このWBCにも氏に育てられた選手が何人も入っている。

他にも大リーグで活躍している田口、40歳を過ぎても現役のホームランバッターだった門田、中日現監督の落合・・・、氏にとっては師匠にあたる野村現楽天監督なども球種では助けられた内の一人になるのだろう。

取材した選手達の口をついて出て来るのは、
「高さんが居なければ、今の自分は無かった」
「生涯最大の恩人」
「出会えて幸せだった」
というような言葉ばかり。
なんという人望の篤い人なのだろう。

この本にはイチローについて何故かその接点の記述がほとんどない。オリックス時代、田口を指導したのなら時期的にイチローが在籍していた期間とかぶるので、イチローとの接点が無かったはずはないのだが、著者は大リーグまで取材に行けなかったのか、イチローがその打撃の原点を著者に語ろうとしなかったのか、そのあたりは定かではない。

この本、昭和後期の野球史、いや、昭和いうと戦前も入ってしまうので戦後から今日までの60年の内の後半の日本プロ野球史の一面を描いているが、そういう一面を持ちながらも実際には野球に関することよりも一人の人間の生き様を描いている本なのである。

氏は、コーチという職業をとことん研究し、日本一の戦略コーチとして名を馳せながらもその探求欲は限りなく、心理学を追求し果てはそのメンタルな部分の基礎はプロになる前からが肝心ではないか、と高校の教員免許を取るために、コーチ職の残り5年間をその勉強にあてるのである。


この本にはいたるところに氏の遺した金言がある。
先の『覚悟に勝る決断無し』もそうだが、

『才能とは逃げ出さないこと』

『平凡の繰り返しが非凡になる』
 
などなど。


惜しむらくはこのタイトルである。
「甲子園への遺言」というタイトル、内容を知らなければ高校球児やかつての高校球児しか買ってまでして読まないのではないだろうか。
私も球児ではなかったので、もし人に薦められることが無ければ、この本を書棚から手に取ることは無かっただろう。

WBCこそ今、人気絶好調だが、野球のルールすら知らないという人達がかなり多くなった時代。
野球選手を目指さなくても、かつては小学生なら放課後は必ず野球をした。
そういう時代では最早ない。

この本は、というより高畠導宏という人のことはもっと多くの人に知られてしかるべきだと思うだけに、尚更である。

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 門田隆将 著(講談社)


23/Mar.2009
傷物語 西尾 維新

キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、なんとも長ったらしい覚えにくい名前である。
主人公は「キスショット」と省略してしまうのだが。

500年を生きて来たという「鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼」。
史上最強の吸血鬼。

吸血鬼の現れるところには、吸血鬼ハンターが現れる。

吸血鬼ハンターに倒されかけて瀕死の状態になったキスショットに出会ってしまう。

それがそもそもの始まり。

阿良々木暦、羽川翼、忍野メメってどこかで見た覚えのある名前だとおもったら、「化物語」だった。

「化物語」というのは主人公の阿良々木暦の周辺に怪異が現れ、その度にこの廃墟の建物に寝泊まりしているいそうろうしている忍野という正体不明のオジサンに相談を仰ぐお話。

その「化物語」の中で「あの春休みの出来事」とだけふれられてその内容については最後まで明らかにされず仕舞いだったがその内容というのがまさにこの「傷物語」そのものなのだった。
「化物語」よりだいぶあとで出版されたはずのこの「傷物語」でありながら、なんとぴったりと嵌りすぎじゃないか。
化物語で怪異に遭遇するたびに、訪れる元塾の廃墟の建物。
何故かそこで阿良々木暦は幼い女の子に血を吸わせるのだった。

その不思議さには「化物語」の中ではとうとう触れず仕舞いだったが、この本で全てが明らかにされている。

「化物語」を書きながら、実はこの「傷物語」も書き上げていて、じっと眠らせていたのだろうか。


後付けで書いたにしてはあまりに嵌りすぎだ。

西尾維新は戯言シリーズの後で書いたであろう零崎シリーズなんかでも戯言シリーズの合い間をうまく埋めている。

自身の原作ものだけでなく、他人の原作ものにもそういう試みをいくつかしている。
そういう技が得意な人なのか。

まさに異能だ。

西尾維新こそが怪異そのものなのではないか、などと思ってしまう。


15/Mar.2009
ポトスライムの舟 津村記久子

平日の昼間は工場で働いて時給850円のパートから月給13万8000円の契約社員に昇格。
それだけでは足りず、友達が経営するカフェでアルバイト。
休みの日はパソコンのインストラクターで働く。
そんな29歳の女性が目にとめたのが世界一周の旅行ポスター。
その料金は163万円。
工場での1年間での年収にほぼ匹敵する金額。
その女性は何故か、その世界一周ツアーへ行くことを目標にする。
工場での賃金をまるまる貯金して、他のアルバイト分だけで生活すれば、1年で達成出来る。
彼女の生活はして豊かなものではないが、特に貧しいという暗さも無い。
だからどうした、というのか・・。

どうにもこれは感想文になっていない。
どうにも書けない。
ということで書き手をバトンタッチしてもらいます。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

今や内需拡大せなあかんご時世や。
そやのに世の中、あっちでもこっちでも節約術の大流行や。
そういう意味で言うたら、どんな節約術よりもこの女の人みたいに働きづめに働くんが、一番の節約やろな。


しかしまぁ、なんなんやろな。芥川賞って。
毎回毎回、ようわからんわ。
そらまぁ、将来有望な新人作家に与えられる賞なんやろうけど、将来有望ちゅうだけやったら、小学生の作文かて「おっ、こいつは将来有望やで!」なんちゅうことも有り得るわけやけど、そんなことは過去にあった試しないしな。
当然ながら、このまさに受賞した作品が賞に値するっちゅうことなんやろ。

最近の受賞作ってどないやねんな。
・青山七恵の「ひとり日和」、なんやっちゅうねん。
・諏訪ナントカの「アサッテの人」、これまだマシやった。
・川上未映子の「乳と卵」、これはひどかった。
・楊逸の「時が滲む朝」、タイトル負けやろ。

それに比べたらこの「ポトスライムの舟」は、まだマシなほうか。
「乳と卵」っちゅう大阪のキタ新地で働いてはる人が書いたんよりもはるかに大阪弁
の使い方がうまいし、まともや。

工場で働く契約社員の女の人が主人公や。
新聞もテレビも非正規社員の不遇たら雇用問題ばっかりのこのご時世や。
契約社員からっちゅうてなんも卑屈になることも不安だけで生きることもないわな。
世界一周を目標にするなんちゅうのんは、心がけとしてはなかなかええんちゃうやろか。
そやけど、団体ツアーみたいなもんに一人で参加してなんかおもろいんかいな。
まぁここは団体ツアーがどうったらっていうことよりもそういう仮の目標を唯一おいたちゅうだけで、ほんまつましい女性の日常、ほんまの夢も目標もなーんも持たんそういう日常。現実こういう人っちゅうのは結構多いんかもしれんけどな。

はっきり言うわ。
おもろないんやな。この話。
文章表現が巧みやとか、描写が正確やとか、そんなもん読む側にしてみたら二の次、三の次とちゃんかいな。
終始たんたんと、つましい生活を描いて、大した夢も希望もなーんもないだけの話がおもろいわけがないんとちゃうんかいな。

選考委員と一般の読者の評価基準はだいぶんと差があるような気がしてならん。

ポトスライムの舟 津村 記久子 (著) 第140回芥川賞受賞作


09/Mar.2009
赤毛のストレーガ アンドリュー・ヴァクス

今でこそ、幼児に対する猥褻な行為や幼児のポルノなどに興味を持つ人間がこの世にはいるものなんだ、ということが一般に知られるようになった。
こういう趣味の人がこの日本において最近になって表れ始めたのか、それとも元来そういう人達は存在していていたのが、主にインターネットという媒体によって徐々に表面化して来ただけなのかは不明である。

登場する主人公であるバークという男。
ファーストネームが無い。
ものごころついた時には両方の親が居らず、従って親の顔も知らない。
少年院に入っていたり、成人してからも犯罪という世界に身を置き、塀の中と外を行ったり来たりのアウトロー。

一瞬、リチャード・スタークの描くパーカーを思い浮かべたが、パーカーは簡単に刑務所に入るようなドジは踏まない。

そのバークがポン引きから子供を救い出したり、幼児猥褻写真を売り物にする輩に立ち向かって行く。

これが書かれたのはまだインターネットも普及していない時代。
かろうじてモデムを使ってのBBS通信などがマニアの間で行われていた時代である。

その時代にもアメリカにはその手の趣味を持つ人達がかなり居たのだろう。

話の中に登場するマニアの人物に「子供を愛して何が悪いのか、実は政府のかなりの上層にもそういうマニアは居るんだよ」と言わせている。

バークの周辺に表れる人というのがまた多様なのである。
武道をたしなむモンゴル系の男。耳は聞こえないが滅法強い。
中国系移民の行きつけの店のママ。
ゲイの秘書役。
ユダヤ系の男も居れば、もちろん黒人も居る。
はたまた、ナチの残党みたいな連中。
こっちの友達の友達はこっちの友達の最も忌み嫌う敵だったり・・。

民族も宗教も肌の色も価値観も何もかも多様そのもの。


オバマ新大統領はこの多様な人達で成り立つ国を一つにしようと言う。
自らも「我々の多様な出自は強みであって弱みではない」と言い切る。
「かつての憎しみはいずれ消えて我々を分け隔てた壁はいずれ消えるのだ」とも。

並大抵のことではない。

9.11テロ直後の高揚した時期でもないのに、あの多様な価値観の中でのあれだけの高支持率を得ている、という事は驚愕に値する。

自らの父親がケニア出身で尚且つ、かつてはイスラム教徒だったなどとなれば、多様化を強みだ逆に言えば言わざるを得ないか・・・、などととんでもない方向に話が飛んで行ってしまった。
ここらで締めくくっておこう。
アンドリュー・ヴァクス、もっと読みたくなりました。

赤毛のストレーガ アンドリュー・ヴァクス 著 佐々田雅子 訳(早川書房)


04/Mar.2009
ラグナロク-黒き獣 安井 健太郎

「ラグナロク」というのは剣の名前。
この剣が何故か話すことが出来て人格を持っている。

主人公は傭兵としての最高レベルまでのぼりつめながらも自ら昇進を辞退して官製の傭兵を飛び出していったリロイという青年。
正義感が強く、弱者を救済し、魔族を次から次へとバッタバッタと倒して行く。

小説としてはどうなんだろう。
小説というもの何某か作者が読み手に伝えたいことがあると思うのだが、伝えたいことが何なのか、最後までわからなかった。
格闘シーンというのを文章で描くのは難しいものなんだな、とつくづく思う作品なのです。

この本、格闘シーンに次ぐ格闘シーンの連続で最後にラスボスの様な強敵との格闘シーンが待っている。

「ラグナロク」というのは神話の世界のハルマゲドンのことらしいのだが、続き物の先にはそんなタイトルに相応しい展開になって行くのだろうか。

2巻目「白の兇器」もやはり同様に格闘シーンに次ぐ格闘シーンの連続であった。

これは、読み物として書かれて文章で読むものではなく、アニメやゲームにした方が向いているのではないか、などと思っていると、本当にDSのゲームに同じ名前のものを発見してしまった。

本書は格闘ゲームがお好きな方にはうれしい本なのだろう。
その「ラグナロク」というゲームを楽しんでおられる方々にはゲームのキャラクターをより堪能するためのありがたい本なのかもしれない。


ラグナロク-黒き獣  安井 健太郎 著(角川書店)


03/Mar.2009
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