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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
May.2009
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時空の旭日旗―我ら、未来より 安芸一穂

平成の平和日本の海洋調査船が戦前日本にいきなりタイムスリップする。
荒唐無稽な話だろう、などと思いつつもかなり内容に興味はあった。
本の装丁を見て、これはマンガチックな話なのかな?と思ってしまったがさにあらず。

なかなかどうして、これは一つの歴史ものじゃないですか。

タイムスリップした先は、1935年の日本。
まさにこれから戦争への道へまっしぐらと進む最中である。

それをこの海洋調査船の乗組員達は戦争回避への道を探ろうとする。
これはなかなか出来るものじゃないと思われる。が、やってしまう。

真珠湾攻撃直前あたりにタイムスリップしていたら、誰にどんなものを見せようと相手にもされず、即監獄行きだっただろう。

二・二六事変の前年というのもかなり際どいタイミングなのだろうが、最初に出会う人次第ではやはり、怪しい一味として監禁されかねない。

そこはさすがにうまくすり抜けている。
海洋調査船の中に20時間を超える12枚組の昭和史の記録をえんえんと綴ったDVDが有り、乗組員の中に元海上自衛隊員が居たり、戦争オタクが居たり、内視鏡手術などという先端技術を駆使する女外科医が居たり、と未来から来たことを証明するに値する人や物や技術が無ければ、そうそう人はそんな事を信じてはくれないだろう。

一般の平成人がタイムスリップしたところで、何をどう証明出来るのか、携帯電話を持っていたって、肝心の基地局が無ければその未来技術は発揮できない。GPS機能もしかり。ワンセグしかり。せいぜい写メで驚かせるぐらいのことだろうか。
パソコンでインターネットを駆使する人がそこへシフトしたところで、肝心のインターネット網が無い。
また、パソコンをいくら使いこなしたって、それを構成する機器がどの様な仕組みで出来ているのかを理解している人など滅多にいない。
仕組みを説明出来きてこそ、過去の科学者にとっては画期的なものである事を理解させられる。
また過去の歴史を知って居ればこそ、それを改めるべくの忠言も出来る。
日本とアメリカが昔戦争したってーえーウッソー!という平成ヤング達は論外としても、一般人レベルでは結局何も出来ない。

どうもこの海洋調査船にはかなりのエリート集団ばかりが集まっていたということになるのだろう。

1935年と聞いて即座に二・二六事変の前年だと思い当たり、その3年後のノモンハン事件に更に翌年の日独伊三国同盟なんて年表みたいに頭に入っている人達ってどんな人達なんだ。

いすれにしろ、彼らは日本の進むべき進路を変えて行く。
それも最も理想的と思われる進路に。

対中からも撤退し、軍縮を行い、満州と朝鮮半島を独立させる。
これもなかなかにして至難の業だろう。
政治家や軍のトップ連中を納得させる事が出来て彼らの進路を変更出来たとしても、若手将校や国粋主義者とそれを持ち上げるマスコミがおそらく黙っているはずがない。
「この腰抜け外交」と揶揄されるだろう。
中国からの撤退と言って暴走関東軍を押さえ込めるものなのだろうか。
それに中国から撤退する、即ちソ連が南下してくる、そんな時代だったのではないだろうか。

そのあたりも、最善の時期に最善の選択をした、という事で納得しちゃおう。
二・二六を押さえ込んだ事で世論を味方に付け、未来からの技術と史実より内需拡大を図り、油田を掘削し、アメリカがどう出て来ようと困らない社会整備を整えつつある政治に信頼が生まれた、ということで。

彼らのおかげで日本は真珠湾攻撃をしない選択を選ぶのだが、ここからが作者の歴史観だろう。日本がどれだけ譲歩しようと、アメリカは何があっても日本を叩きのめしたかった。結局アメリカからの宣戦布告という形で日米戦争が始まるのである。

ここでも未来からの歴史から学んだ負の教訓より、軍のトップは悉く、戦術変換をしていくわけだが、これらについても緻密な戦史を知らない事には情報は情報にならない。

こういうシュミレーション、いろんな人がやってみればいい。
それぞれの歴史観が表れることだろうと思う。
但し、それは生半可なことではないことは言うまでもない。
作者は楽しみながら書いたとおっしゃるが、それこそとんでもない壮大なことに取り組んでいる。
一旦歩んで来た歴史を横道に逸らせるということは戦史や近代世界史に精通しているだけでは出来る事ではない。
新たな昭和史を描くほどの大事業になってしまう。
エンディングを書く事はご法度だろうが、この一冊ではまだそこまで行き着いてはいない。
読者としてはその先の日本の姿が気になるところである。

現実の日本は、村上兵衛言うところの「国家なき日本」からまだ脱却出来ていない。
占領軍に押し付けられた憲法を戦後60年たってもまだ後生大事にする国である。
一時、自民も民主もかつては改憲を謳いながらも近くある総選挙の争点にすらなっていない。
また逆にGHQの行った様々な改革の中で最も評価されるべきものは農地改革だろう。
世界に冠たる総中流の平等国家もGHQのおかげなのかもしれない。
戦前の日本の姿を引きずった戦後日本の姿とは、どんな姿だったのか。

続編を是非とも読んでみたいものである。


時空の旭日旗 我ら、未来より  安芸一穂 著 (学習研究社)


25/May.2009
物乞う仏陀 石井光太

若者が海外旅行をしなくなって来た、と聞く。
海外なんて言葉も通じないし面倒臭い、とか。
いや、寧ろ海外旅行へ行くだけの金銭的余裕が無くなってきたからなのではないか、とか。

今年のゴールデンウィーク、新型インフルエンザ騒ぎが丁度GWに合わせたかの如く表れたので、海外旅行へ行く人には水を差したような格好となった。
それに輪をかけて高速道路どこまで行っても1000円の措置で国内の観光地はさぞかしどこも賑わったことだろう。

このご時世だけに国内が潤うことは多いに結構なのだが、若者が海外へ出なくなったということはなんとも悲しいことである。

海外へ出る好奇心を失ってしまうということは、そこでしか見えないもの。そこでしか感じられないもの。そこでしか体験できないもの、を得ることを放棄してしまっていることになるのではないだろうか。

もちろん、平凡な観光ツアーでありきたりの観光地巡りと土産物屋巡りだけで、「行って来ました」という写真を撮り、「行って来ました」というお土産を買うだけの旅行などしても得るものはあまりないのかもしれないが。
それよりも国内であれ、海外であれ、自分の足でする旅というものの方がはるかに価値がある。

自分の足でする旅、それも特定の目的を持って。
「物乞う仏陀」という本はそんな目的を持って旅をして来た若者のルポルタージュである。
就活を経て入社した会社を辞め、数千ドルの預金を元手に貧しい国での障害者という人達に焦点を合わせて、取材を行う。

時には若者ならではの強引なインタビュー。なんとか答えを引き出そうとする余りに相手の気持ちを慮ることを忘れた時もあっただろう。
それでもこの若者の得たものは余りに大きく、そこから発信される情報のなんと貴重なことか。
何百、いや何千という障害者や物乞いをする人にインタビューを試み、彼らの生活を直接見て、生い立ちを聞いて・・。本来の若者が持つべき猪突猛進的な面もあるが、とにかくそのエネルギーが素晴らしい。

社会福祉の親善大使だとかの名目でアフリカのハンセン病患者の施設へ訪れた某有名人が白い手袋もはずさないまま、彼らに触るどころか近づきもしなかった、というようなことをかつて曽野綾子女史が書いておられたが、そんな偽善的行為のかけらも石井光太氏は持ち合わせていない。

カンボジアでの地雷による被害者。物乞いをする人達への取材。
ここではかつてポルポト政権時代のクメール・ルージュによって大量の人民が殺戮された。クメール・ルージュは知識層と僧侶を殺戮し、次にユートピア建設の足手まといになる障害者も殺戮した。
その時代を生き抜いた障害者にはどんな人に言えない過去を背負って生きて来たことか。

ベトナム戦争時代に大量に投下された爆弾の不発弾が未だにそこらじゅうにあるラオスの少数民族の集落。

タイのバンコクという大都会の中を生き抜く障害者。

ベトナムで仏の様な老産婆と出会い。

ミャンマーではハンセン病患者の集まる集落を何度も訪れ、ついには追放される。
外国人に自らの国の恥部を見せたくない、というのは良くあることだ。

スリランカで民間で自ら障害者施設を立ち上げた人を訪れ、ネパールでは麻薬に溺れるストリートチルドレンを嘆く。

なんと言っても圧巻はインドである。

元々悲惨さに大きい小さいもないのだろうが、それでも尚、悲惨さの桁が違うように思えてしまう。
東南アジアとインド以西というのは貧しいものに対する扱いが元来違うような気がする。
東南アジアとて貧しいものは辛い事も多々あれど、貧しさを楽しむだけの救いの様なものがあるが、インド以西にはその救いが見当たらない。

ここでは石井氏はかなり危険な挑戦をしている。
その上で得た取材結果である。

ムンバイでは路上生活者がマフィアの手先に襲われ、手や足を切断されて、物乞いのに持って来いの姿にされて働かされる。
その現実を目の当たりにし、さらにチェンナイという南西部の町ではレンタチャイルドを取材する。
そこでは子供をさらい、女物乞いに貸し出す、というビジネスが行われている。
そして、その子供達が5歳になったら手や足を切り落として、自ら物乞いとして稼がせる。

子供さらいの話はこういう地域では人づてに噂として聞くことは何度もあったが、その現場、まさに子供達を飼っておくコロニーを生で取材し、手足を切断する場所までも目の当たりににして来た取材者などかつていただろうか。

なんとも凄まじい。

かつて山際素男氏の「不可触民(アンタッチャブル)」という本に出会ったことがある。
カースト制度の最下層よりも下の層はどんな仕打ちを受けようが何をされようが訴えることも出来なければ、抵抗も何も出来ない。そんな層の人達を書いた本だった。

さらわれた子供達が不可触民だったのかどうなのかは知る由もないが、いずれも「救い」というものがない。
どこの貧しさよりも桁違いなどうしようもない世界がそこにはまだあるのだった。
彼らが日本で今騒いでいるインフルエンザの事を知ったらどう思うだろうか。
いや、そんな他人事などどうでもいいに決まっているか。
全くの異世界なのだから。

東南アジアまでの話で終わっていれば、安直な支援などよりも自立する道を・・などと感想も結べたのであろうが、このインドの話はもはやそんなレベルの話を超越してしまっている。

物乞う仏陀 石井光太 著(文芸春秋)


11/May.2009
さらば愛しき大久保町 田中 哲弥

またまた兵庫県の大久保町を舞台にしたとんでもない話。

だんだん大久保町のみならず、明石市全体にその舞台が拡がっているんじゃないの。
明石全体が巻き込まれて行く。

明石水族館なんて実在したとしたら、ちょっと問題になるんじゃないの。

今回の話はまた結構スケールが大きい?

外国の王女様がこともあろうに大久保町へやってくるんですよ。

しかも誘拐されてしまい、主人公の大久保町の若者、松岡という青年がそれを助けるという展開。

この田中哲弥という人、表紙裏の経歴を見ると、かつて吉本興業の台本作家をしていた人なのだとか。
吉本興業の台本作家と言えば、吉本新喜劇?

なーるほど。
このギャグ的な展開の読み物のルーツはそこにあったのか。

吉本新喜劇に欠かせない、ブサイクネタ。
「ぶっぶっぶっさいくやなー」
「顔が足の裏臭いでー」
「顔から崖から落ちたん?」
「お前、いきなり振り向くな!振り向くんやったらバケツ被っとけ」
こんなおなじみのやつ。

ちゃーんと出て来ます。
真紀ちゃんという恐怖のガールフレンドがまさにそれ。

王女様の軍隊の兵士ですら、その顔面には恐怖で脅える。


この松岡という若者、一旦一つのことにのめり込むと、それに集中してしまい他の事が一切見えなくなってしまうという特質を持つ。

物事を一切悪いほうには考えない極端なポジティブさも特質なら、怖れを持たない性格も特質。身の程をわきまえる、という常識が一切通用しないのも特質の一つ。

王女様の国の最新兵器を持つ軍隊が大久保町に展開するのだが、松岡青年、誘拐犯にも軍隊にも一切臆するところがない。

それに何より無茶苦茶戦闘能力があったりもする。


この話、奇想天外なのは今更言うまでもない。
思いっきり楽しめる、ということだけは確かでしょう。



さらば愛しき大久保町 田中哲弥 著(早川書房)


08/May.2009
心霊探偵八雲 神永学

Missingの次に心霊探偵と続くと、このコーザーもとうとう心霊読み物コーナーにでもなったのか、と思われる向きもあるかもしれない。

こちらはさほど重苦しい話ではありません。

八雲という名の大学生。生まれた出でた時から左目が赤く、生みの親でさえ気味悪がったという。その左目には死者の霊魂が見えてしまう。

美術部の学生が、片目の視力を失ってしまい、将来の画家への夢を断ち切られそうになった時に、その見えなくなったはずの片目に異界が見えるようになり、異界で見えるものを絵画にして行く、みたいな話がMissingにもあったが、あちらは重苦しい話だった。


この八雲という学生、その特異な体質を使って迷宮入り、もしくは事件にさえならず、事故で処理された事件の真相を次々に解決して行くという、どちらかと言うと楽しい読み物の範疇である。

死者の霊魂が見える。死者と会話が出来るということを書くだけでも十二分に重たいだろうに、軽快な会話、スピーディーな展開がその重苦しさを須らく打ち消している。

八雲という学生と同じ大学の晴香という学生との掛け合い、八雲と後藤という刑事との掛け合い。それだけでもじゅうぶんに楽しめる。

それにしても八雲君の浴びせる言葉は、少々きつ過ぎるんじゃないでしょうかね。
いくら相手が行為を持ってくれていたにしても、そこまで言われてまだ着いて来る春香という女性に寧ろ関心してしまいます。


心霊探偵八雲〈1〉赤い瞳は知っている 神永学 著(角川書店)


07/May.2009
Missing 甲田学人

地方のとある高校。
生徒の大半は寮で暮らす。
学校という閉ざされた空間の中で起こる様々な怪異現象。

第一巻は「神隠しの物語」。一巻、一巻での読み切りものだとばかり思っていたら、そうではなかった。
全13巻、全てストーリーとして繋がっている。
結構な大長編だったのだ。

同じ高校生でありながら「魔王陛下」などというとんでもない呼称でと呼ばれる少年が登場したり、方や魔女という怪しげな高校生、はたまた、異界の話の感染を防ぐ為の黒服の政府機関の連中まで登場するにあたって、さすがにこれは、マンガチックな筋立てなんだろうな、と思っていたが、単にそれだけではなかった。
呪いだとか生贄だとかかなりオカルトの物語と言っても差し支えないのではないかと思うが、単なる恐怖心を煽るだけのオカルトものでもなかった。

この作者かなり民族神話、民族伝承に詳しい。
柳田国男の影響をかなり受けているのではないだろうか。

結構、いろいろな文献も漁ったのではないかと思うのだが、参考文献なるものは一切記載されていない。

その博識ぶりは魔王陛下と呼ばれる空目という高校生の口から仲間達に説明される言葉として開示されて行く。ある時は民間伝承の内容を引いて、ある時は海外の童話の内容を引いて、ある時は都市伝説といわれるような民間での口承で伝わったような類の話を引いて。まぁ、こういうのを博識というのかどうかはよくわからないが・・。

6巻の鏡の話の中だけでも鏡にまつわる昔からの言い伝えなどどれだけ登場することか。

魔女というこの高校生だけは全く得体が知れない。
幼い頃から人には見えないもにのが見え、それらと会話をする能力を持ち、親からも不気味がられる。それがどんな経緯で本当に魔術を操れる本当の魔女になったのか、その経緯は不明である。
経緯は不明でもその目的とするところは終盤になってだんだん明かされて行く。

この作者、かなり物知りであることはよくわかった。
しかしながらこの話、エンターテインメントとしての要素としてはどうなのだろう。

話が重すぎて、なかなかページが進まない。
楽しむ要素がどうも少なすぎるような気がする。
寧ろ人を楽しませるために書かれたものではないのかもしれない。

いずれにしろ、仮に映像化するとしたら、かなりえぐいシーンの連発になってしまうのではないだろうか。
ということは、それだけでも充分にオカルトということか。


Missing 神隠しの物語 甲田学人 著(電撃文庫)


06/May.2009
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