読み物あれこれ(読み物エッセイです) 検索エンジン MMI−NAVI

読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Nov.2017
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
著者検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
作品検索
- ア行
-
アーサーとジョージ ジュリアン・バーンズ
アイアン・ハウス ジョン・ハート
愛妻納税墓参り 三宅 眞
哀愁的東京 重松清
愛と幻想のファシズム 村上龍
アイネクライネナハトムジーク 伊坂幸太郎
愛、ファンタジア アシア・ジェバール
アウト&アウト (OUT-AND-OUT) 木内一裕
赤いカンナではじまる はらだ みずき
赤毛のストレーガ アンドリュー・ヴァクス
赤猫異聞 浅田次郎
赤ヘル1975 重松清
アキハバラ@DEEP 石田衣良
悪党パーカーシリーズ リチャード・スターク
悪道 森村 誠一
アゲイン 浜口倫太郎
朝が来る 辻村深月
明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち 山田詠美
新しい人生 オルハン・パムク
アトミック・ボックス 池澤夏樹
アヒルと鴨のコインロッカー 伊坂幸太郎
あやし うらめし あな かなし 浅田次郎
暗幕のゲルニカ 原田 マハ
+
+
+
+
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
アーサーとジョージ ジュリアン・バーンズ

アーサーとジョージというありふれた名前の二人のそれぞれの生い立ちから始まる。
それぞれ違う境遇で生まれ、違う育ち方をした二人がどこかで接点を持ち、好敵手となるのか、義兄弟のようになるのか、どんな展開になるのだろう、などと思ったが全く違った。

「アーサーとジョージ」という対等な関係の二人というイメージの題名そのものが、実体と不釣り合いだった。

二人の世代からして違う。アーサーの方がはるかに年上だ。

アーサーというのはあのシャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルその人のことだった。

コナン・ドイルと言えば、シャーロック・ホームズを書いた人としか思い浮かばないが、シャーロック・ホームズなどは、アーサーにしてみれば、人生の中のほんの一幕にすぎなかったようだ。

若い頃は医者の免許を取り、眼科医も開業してみるが、あまりにヒマなので、物語を書き始める。そうして生まれたのが名探偵シャーロック・ホームズだ。

物を書きだけではなく、アウトドア派でスポーツ万能。
クリケットなどでは、国内代表選手を狙えるほどの腕前。
各地を飛び回り、社交界でも花形。

そんな多才のアーサーの興味を引いたのが一つの冤罪事件。
その冤罪事件の被害者がジョージだった。

父親がインド出身のジョージは自分はイギリス人だとして何一つ疑わず、司法の世界に入る。
ロンドンのような大都会ならまだしも、ジョージ住んでいるような地方の町では、ジョージの常識は、世間の常識ではない。

どうしたって肌の色は関係してくる。
自分よりも肌の色の黒い男が、さも頭が良さそうな仕事をし、警察官からの質問に対しても法律家として対処していることが返って生意気だと映ってしまう。

ジョージは近隣農家の牛を殺したという、何の証拠も根拠も動機も何もない事件の被疑者として取り調べられ、検挙されそして法廷へ。
正義はあると信じる彼だが、検察側弁護人の舌鋒は陪審員を信じさせるに十分だった。
そして7年の懲役刑を言い渡され、服役させられてしまう。

数年の服役を経て保釈された彼に救いの手を述べたのが、アーサー・コナン・ドイル。
無実である証拠を積み重ね行き、検察側の長官へ面会をするが、なんとも軽くあしらわれてしまう。
どなれば、執筆業という本業を生かすしかない。
各新聞にこの事件の真相を書きまくり、世間を大騒ぎさせるのだ。

最終的に、法務大臣の出した答えは有罪でも無いが無罪でも無い、というもの。

結局これを機に控訴制度が出来るわけなので、アーサーの果たした役割は大きい。

この本、いくらコナン・ドイルが登場するからとは言っても、作り物だろうと思っていたが、かなり史実に忠実に書かれているらしい。とはいえ、その時々の会話が記録にあるわけではないだろうから、ジュリアン・バーンズによる創作もかなりあるはずだ。
どこからがどこまでが作り話でどこからどこまでが史実なのだろう。
アーサーの「かあさま」に対する態度は今時ならマザコンと呼ばれてもおかしくはない。

中盤のアーサーの恋愛に関するくだりはやけにだらだらと長ったらしいのだが、あとがきによると、この箇所の彼女との手紙のやり取りは実際に残されていた実物を使ったということなので、端折るわけにはいかなかったのかもしれない。

途中に何度も出てくる「交霊」に関するくだりも「要らねーなー」と思わせるものだったが、エンディングでジョージに目に見えることだけが真実じゃないんだ、と思わせる伏線には必要だったのかもしれない。

先日、イギリスで、ユーロを離脱するかどうかの国民投票があったが、この本の中に登場する何人かは、あの選挙にて離脱を訴えていた何人かの人を想起させ、ああ、こんな人だったんだろうな、と思わせられた。

アーサーとジョージ  ジュリアン・バーンズ 著  真野 泰 (翻訳) 山崎 暁子 (翻訳)


13/Jul.2016
アイアン・ハウス ジョン・ハート

恋人の妊娠を機にギャング組織を抜けようとする凄腕の殺し屋マイケル。
親分はそれを許しているのだが、余命いくばくもない。
親分の意に反してその組織のNO.2、NO.3はマイケルが組織を抜けることを許さない。

連中は恋人の勤務先であるレストランを意図も容易く爆破させて中に居た者を一人残らず、消滅させてしまう。

マイケルはかつてアイアンハウスという施設で育ち、弟が居たのだが、弟は裕福な家庭の養子として迎えられて行き、マイケルはストリートでギャングの親分に拾われる。

この物語、ギャング組織の連中 VS マイケル という話と併行して、不気味な殺人事件が起きあがる。

かつてアイアンハウスで弟を苛めた連中が次々と死体となって発見される。

これはスリラーというジャンルに位置付けられているが、スリラーというよりはミステリーだろう。

弟はどうも多重人格としか思えない症状が現われている。

アイアンハウスで自分を最も苛めていた少年をナイフで刺してしまうのだが、その時点から弟には別人格が現われている。

大人になった今になって次から次へと現われる死体に弟はどう関わっていたのか・・・。
結構、以外な結末が待ちうけてはいますが、この本、結構なボリュームですよ。

読みだした以上、結論を知らずにはいられないが、なかなかにして長いのです。

読まれる方はそのあたりを覚悟して読まれるとよろしいでしょう。



アイアン・ハウス  ジョン・ハート著 東野さやか訳


11/Jul.2012
愛妻納税墓参り 三宅 眞

最近の新入社員はそろって空気が読める人間ばかりだと誰かが嘆いていた。

KYという言葉が一時流行ったっけ。

空気が読めないやつは嫌われるんじゃなかったのか?

怪訝な思いで聞いていると、廻りの空気ばかりを気にして自分の考えを持っていないんじゃないか。本音は何を考えているのか、さっぱりわからない、というのがその嘆きの主旨だった。

何を考えているのかわからないなら新人ばかりじゃあるまいに。

年配の連中だって本音のわかるやつなんて、そうそういないんじゃないのか。
まわりの空気ばかりを気にし過ぎて、上役のご機嫌伺いばかりしているやつなんで山ほどいるだろう。

三宅久之さんは周囲の意見に流されることなく、本当にぶれない人だった。

周囲全員が消費税増税反対!と言う中で、一人、老いも若きも金を使った連中から税を調達する、一番公平じゃないか!
年寄りだけがもらうばっかりじゃ、若い連中に不公平だ、と自論を曲げなかった。
三宅さんが一言発すると、廻りの反対連中もしーんとなる。

三宅さんは頑固一徹の空気が読めない人なんかではなく、空気さえも作ってしまう人だった。

「愛妻納税墓参り」この言葉、三宅さんの口から発せられるのを何度も聞いた覚えがある。

戦前、戦中、戦後の話などは生き字引のように語られる、三宅さんの言葉にはいつも説得力があった。

その三宅久之さんの回想録を三男の三宅眞さんがまとめているのがこの本だ。

一昨年の春ごろだったか、テレビ出演やら講演会やらの政治評論家活動の引退を宣言される。
それでも人生の幕を下ろす前にこれだけは、と思われたことが「安倍晋三をもう一度日本の総理大臣にすること」だった。
まだ本人すらその時期では無い、と思っていた時に本人を説得し、周囲にその空気を作り上げて行く。
三宅久之さん無くして今日の安倍内閣は誕生していない。


かーっと怒ったじかと思うと、次の瞬間にはもう愛くるしい(などと言えばおこがましいが)笑顔でニコニコしていらっしゃるあの笑顔。

回想シーン以外であの笑顔を拝むことはもう無くなった。

残念でならない。


10/Oct.2014
哀愁的東京 重松清

取材対象となる人達は皆、もの哀しい。
新作の絵本を描けなくなってしまった絵本作家が、文章を切り売りするフリーライターとして取材をする、という事で話としては繋がってはいるが、個々の取材や話はいずれも短編として成立している。

その全てがもの哀しい話なのだ。
かつては人気を欲しいままにして来た人が下降線を辿り、もはや終ってしまっている事に自分でも気が付いている。
「注目を浴びているときって、こっちからは何も見えないんだ。・・・俺の方から見ると自分しか見えない。でも落ち目になると・・だんだん透けて見えるようになるんだ。・・みんなが俺にそっぽを向いているのがわかるんだ・・」

若くして億の年収を手にし、ネット起業家として独立して一時はカリスマ的な存在になったものの業績悪化で破滅寸前の起業家社長。
上の言葉は「学生時代に戻りたい」とつぶやく社長の言葉。

もうすぐ閉園する閑散とした遊園地のピエロ。

デビュー当時はミリオンヒットを連発させたが、もはや人気は下落し、あとは解散を待つのみのかつての人気アイドルグループ。

かつての人気週刊誌の編集長。その週刊誌も廃刊となり編集長も更迭される。

昭和の歌謡曲のヒットチャートを独占して来た往年のヒットメーカー。

テレビでのデビューでマジシャンとしての成功を夢見て東京へ出て来、挫折してカクテルバーで客相手にマジックを披露するマジシャン。

自信を喪失したエリートサラリーマン。

お呼びがかからなくなっても続けているかつての人気NO.1のSMの女王。

そう、どれもこれも皆、もの哀しい話ばかり。

自信を喪失したエリートサラリーマンは言う。
「俺が目の前のこいつでも、隣のあいつが俺でも、その隣のあいつが目の前のこいつでも何も変わらないだろ。誰も困らないだろ。・・・・俺のやっている仕事だって別の誰かがやれる・・・」
痴漢行為をする事で唯一生きている実感を持つとはもはや救いようが無い。

主人公も似たり寄ったりで、自分が消えたとしても他の誰かが書いているだけ、雑誌は何事も無かった様に店頭に並んでいるだろうと・・。
主人公の唯一の救いはいつかは書かれるかもしれない新作の絵本とそれをひたすら待ってくれている編集者のシマちゃんの存在か。
「今日」の哀しさから始まる「明日」の光を描く連作長編と謳い文句にあるが「明日」の光はいったいどこにあるんだろう。新作絵本の構想が明日の光?

「自分は居ても居なくてもいい存在」
「自分は何の役にも立たない存在」

古い映画だが「道」というイタリア映画があった。
大道芸人のお供として旅をする幼い子どものままの頭脳しか持たないジェルソミーナが、
「自分は何の役にも立たない存在」だと言った時に、
「この世で役に立たないものは何ひとつない。この石でさえ何かの役にたっている」
と返されるシーンを思い出した。

居ても居なくてもいい人間などいない。何の役に立っていない人間などいない。
代わりの聞く人間などいない。

少なくとも私の知っている限りにおいては。
私の代わりなど私の会社には居ない。
他の人間も皆そうだ。
きれいごとだろうか。
だが真実だから仕方が無い。
私の所属する会社には代わりのきく人間など一人も居ない。
それでは会社としての危機管理が・・という向きもあるかもしれない。
だから会社は存続はするだろう。
だが、誰かを失ってしまった後は、失った何かを引きずっての存続であって、消して元の状態にでの存続には戻れない。

もとより読者も作者もそんな事は百も承知だろう。
言わずもがなの事を書いている。

俺が目の前のこいつでも、隣のあいつが俺でも何も変わらない誰も困らない、そう言う不安を常に抱えているのが現代人であり、その象徴とも言えるのが哀愁のかたまりの東京なのか。

なんとももの哀しい話である。

哀愁的東京  重松 清 (著)


09/Feb.2007
愛と幻想のファシズム 村上龍

以前にこの本を読んだのは何年前だっただろうか。
10年、いや15年前かもしれない。
どちらかと言うと村上龍が芥川賞を受賞したあたりから、だんだんと芥川賞の受賞作品というものも嫌いになりはじめ、そのあたりから芥川賞の受賞作家の書いたものから遠ざかっていたと思う。
三田誠広の「僕って何」などを読んだ時は思わず、むかついてきてしまい、読後には捨て去った覚えがある。
「限りなく透明に近いブルー」も当然の如く読んだ。
何故こんな退廃的で堕落的な作品が大騒ぎされるのか、当時流行りの若者の退廃的思考への迎合ではないのか、などと書くとよほど年寄りの様であるが、村上龍氏よりははるかに若年の私は当時そう思えてならなかったものである。
実は「限りなく透明に近いブルー」にはもっと違う意味での、例えば第三者的な視点で「私」そのものを描写するという意味においてこれまでに無い作品、という様な、画期的な側面があったらしいのだが、当時の私にはそんな事は気が付かなかった。
再読すれば、また違った見方が出来るかもしれない。

10数年前、そんな村上龍への評価を100%変えたのがこの「愛と幻想のファシズム」だった。当時読み始めた時の衝撃は未だに忘れられない。
鈴原冬二や「狩猟社」はどこまでやってくれるのか・・・
今回、たまたま本棚にこの「愛と幻想のファシズム」を見つけ、久しぶりに読み始めた。読み始めたのはいいが、上下巻の内の下巻が見つからない。
そういえば、10数年前に読んだ時に最後の終り方に何かしっくりしないものを感じていた事を思い出し、そのまま下巻を読まない方がいいのではないか、などと考えつつ読み出してみるともうたまらない。
即座に下巻を購入して読みつづけた。
何故今回、「愛と幻想のファシズム」だったのだろう。
先日の選挙にて小泉圧勝を目の当たりにし、小泉のある種のカリスマ性が連想させたのかもしれない。

「ファシズム=悪」というのがこれまでのある意味、常識的な考えだった。
いやそういう教育を受けて来たのではないだろうか。
「農耕民族は隷属を好む」
「人から指示されて生きるほうが楽だ」
こういう考えを100%否定出来るだろうか。

あらためて歴史というものを考えた時、この永い人類の歴史の中で現代の様な民主主義、(それはエセ民主主義と呼ぶ人もいるだろうが、それは話題が逸れるのでここではふれない)と呼ばれる体制に変わってからの時代というのはほんの一握りでしかない。

日本も中国も西洋も王侯貴族や殿様という絶対権力の元でそれぞれの文明・文化が築かれて来ており、民衆は常に圧制に苦しんでいたのだろうか。
飢きんや疫病、圧制に苦しんだ時代もあれば、善政をしく王を戴いて栄えた時代もあっただろう。
現代の制度の中でも指導者が無能であればそのとばっちりは民衆へ跳ね返る。

何も全体主義やファシズムを肯定している訳でも中世の絶対君主制度が正しいなどとも言っている訳では無い。

ただ、国家がなんらかの危機に直面した時ほど、民衆は強い指導者を求め、よりカリスマ性の高い人物を指導者に求める。
だからこそ、この「愛と幻想のファシズム」内の日本においては鈴原冬二に皆惹かれて行く。
この本にはあまり余分な感想文など不要であろう。
人の感想などに興味を示すよりも読めば、それで事足りる。

いずれにしても、ファシズム=悪 という短絡的を打破し、真っ向から既存常識を打ち破った村上氏に拍手、である。
もう一点拍手を送りたいのは、
「米国という強い男にいいように蹂躙(じゅうりん)されている弱々しい女。それが、戦後から現在までの日本の姿だ」
「そんな国で日本人はプライドを持って生きていけるのか」
というプライド無き日本、プライド無き日本人への作者へからの強いメッセージである。
まさに村上兵衛では無いが、「国家無き日本」に対する強いメッセージ。
これをあのまだまだ左派勢力がマスコミの大半を牛耳っていた当時に書いている事は驚嘆に値する。

最後に下巻の最後まで再読してみて、10数年前に感じたあの「尻切れトンボ」の様な感想は今回は抱かなかった。あの当時はもっと過激な最後を期待していたのかもしれない。
もう一点。文庫本のあとがきにて著者そのものがふれているが、
冬二とゼロとフルーツは「コインロッカーズベイビー」のキクとハシとアネモネに相当すると言うが、私にはそうは読めなかった。
やはり、もう少し読み込みが必要なのかもしれない。

愛と幻想のファシズム  村上龍 著


20/Oct.2005
    12345 >>