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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Oct.2017
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乗取り (故城山三郎氏を偲んで) 城山三郎
野いばら 梶村 啓二
残り全部バケーション 伊坂幸太郎
のろのろ歩け 中島京子
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乗取り (故城山三郎氏を偲んで) 城山三郎

城山三郎氏の『乗取り』に登場する青井文麿も明石屋にも実在のモデルが存在する。
青井文麿なる人物が日本橋の百貨店明石屋の発行済株式総数の四分の一を買い占める。
百貨店側が株式を議決権行使停止の仮処分で青井の持ち株を塩漬けにし、長期化させる事で青井の資金の行き詰まりを画策する。
一時は同盟を組んだ人との持ち株を併せると過半数となり、経営権を握れるところまで行くが、同盟を組んだ人が株を売却してしまう。
初回の株主総会では議長(会社側は)提案審議を延期し流会させてしまう。
再開された総会は会社側で行っている総会と全く同じ時間に青井も開催し、会社側の提案を全て否決。新役員を選出する。
これを会社側は提訴し、法定闘争へと突入。
長期化する事で青井の資金枯れも限界に。
最終的には青井株は電鉄系の大物乗っ取り屋に渡り、明石屋は電鉄系の大物乗っ取り屋に乗っ取られる。
実在のモデルが誰で百貨店がどこなのかは既に明らかにされている。

事件の流れは横井秀樹氏の白木屋乗っ取り事件の史実そのままなのだそうだ。
だが、これはモデルがあったというだけでドキュメンタリーでは無い。
あくまで小説である。
青井の秘書は当初は青井のやり方に途惑うが、そのバイタリティーに感銘を受け、スタンダールの『赤と黒』に登場するジュリアン・ソレルと青井をかぶせてしまう。
既成社会が徒党を組んで立ち向かって来る中で最後までひとり敢然と戦っている、と。

城山三郎は青井という人を絶賛している訳では無い。
乗っ取りが出来るほどになるまでの青井の暗い過去をそれとなくにおわせている。
金も人脈も何も無いところから企業を買収出来るほどの資金を持てる様になるにはそれなりの悪どいやり方をせねばならなかったという事なのだろう。頭金だけ現金で支払ってその後はいつとも知れぬ長期の手形払い、そんなやり方で商売を拡張し、利用出来る人間には擦り寄り利用し尽くす。そして利用し尽くした後はお払い箱。
青井文太と言う名前でさえ「文麿」などと貴族や華族の様な名前にするあたりをみてもいかに青井がペテン的なやり方ののし上がって来たのかをにおわせている。
ただ、この青井という男の持つバイタリティー、そしてなりよりも粘り強さは驚嘆に値する。
この人に会う事、ましてや味方に付ける事など絶対に無理であろう、と他の人間が思っても毎日朝に晩にと日参を続ける。今のご時世ではオートロックのマンションなど当たり前なのでこういう日参するという粘りは不向きだろうがこの舞台となる時代では日本家屋が普通の時代なのだろうし、日参する仕方というものをこの青井は心得ていたのだろう。そして何か人を引きつける魅力を持っていたはずである。最終的には味方にしてしまうのだから。

城山三郎はもちろん乗っ取り屋を美化する目的で書いたのでは無いだろう。
城山三郎がテーマにあげるのは既成社会にあぐらをかいて座っている連中とそれに立ち向かう人の姿。

そして城山三郎が何より嫌うのは、この明石屋の役員達にみられるような茶坊主的な生き方なのではないだろうか。
そして、そういう人達はいつの時代にも存在する。

14/Apr.2007
野いばら 梶村 啓二

この本、第3回日経小説大賞受賞作なのだそうだ。
日経の選ぶ小説大賞ってビジネスものだとばっかり思っていたが、そういうものでもないらしい。

イングランドの田舎道を車で走っていて車が故障。偶然に出会ったご婦人に救われる。
そのご婦人の家に有った「日本人に読んでもらうように」と託されたとある手記。

その手記そのものがこの小説の本編である。
時は今から150年前。
生麦事件が起こった直後に日本に赴任する英国人士官がこの手記を書き、またこの話の主人公でもある。

主人公氏は香港の駐在から日本へと渡り、日本語を学ぼうとする。

生麦事件と言えば、島津の御老公の行列に乗馬のまま突っ込んだ英国人を薩摩武士が叩き切った事件で、英国側は野蛮な行為としてずいぶん非難をしたように思われがちだが、英国人にしても、実際には馬で乗り入れた方が礼儀知らずだと思っていたりする。

この本、英国人の視点から書かれているが、作者は日本人。
どこまで当時の英国人の気持ちが反映されているのかはわからないが、案外アーネスト・サトウあたりならこんな感じ方だったのかもしれない。

この物語、英国人と彼に日本語を教えることとなった美しい日本の女性とのロマンス物語のように読まれてしまうのだろうが、それはそれで本編の筋。作者が本当に書きたかったのは、この英国人主人公の感じる当時の日本という国なのではないのだろうか。

主人公氏は日本へ来て、これまでみてきたアジアの人たちの中で最も誇り高き、礼儀正しい民族に巡り合う。
自身も礼儀を重んじ、日本人と同様に深ぶかをお辞儀をする。

花屋が運んで来る花の中には英国人士官の彼でさえ、買うのに逡巡してしまうような豪華で高価な菊の花などもある。
花というもの、一時の命のものである。どれだけ美しかろうと、宝石のようにまた換金できるようなものでもない。
そういう花に、これだけの高価な値段が付き、それを勝って行く人がいる。
それは、今の言葉で言うところのGDPだとかそんなものではとても言い表せない、民度の高さ。真の豊かさを持っているということだ。

生麦事件を受けての英国本国よりの命令はなかなか届かないが、主人公氏はその命令が戦であろうと賠償要求であろうと、日本がどう出てくるのか、その情報収集をするのが彼の役割。

もとより、海上から大砲をぶっ放す程度の脅しをかけるぐらいしか手段がないことは、彼はかなり早い段階で気が付いている。
本気でこの国と陸戦など交えようものなら、いくら火器をそろえたとしても、責める側には多大な犠牲者が出るだけ。この国は決して屈服などしない。

開国を求め、もはや国を閉じている場合でもないと江戸政府は思ったかもしれないが、この美しく、豊かで、文化レベルが最高峰の国に欧米の文化などが果たして必要なのだろうか。
そんなことを考えながら、本編はすすんで行く。

こういう当時の英国人が感じた日本というのが、この本の本当のテーマなのではないかと思っている。

当時の誇りは今いずこ。世界で最も誇り薄き国と今や思われつつある平成の今。
我々はため息をつきながら、せいぜい野いばらをめでることで当時の人たちと意識を共有するぐらいのことしかないのだろう。

野いばら 梶村啓二著 第3回日経小説大賞受賞(日本経済新聞出版社)


06/Sep.2012
残り全部バケーション 伊坂幸太郎

伊坂という人、憎めない悪人書かせたら天下一品だな。
悪人というカテゴリに押し込めてしまっていいのだろうかとさえ思えて来る。
要は合法的でないことを「なりわい」とする人たちか。
裏家業の派遣屋さんみたいな表現を登場人物が言ってたっけ。

ベテランの溝口と若手の岡田という二人の裏家業コンビが主役の小編がいくつか。
岡田君は憎めないどころか。心優しい男。

「残り全部バケーション」
夫の浮気が原因で夫婦離婚。娘も一人住まいを始めようという一家最後の団欒の最中に父親の携帯に入って来た「友達になりませんか」という無作為メール。
常識的には削除して終わりだろうが、「友達になってみようか」って父親、何考えてんだか。母親も「いいんじゃない」って何考えてんだか。

普段は人を脅していくらの世界で生きているくせに、父親から虐待を受けている子供を助けたくって仕方がない岡田。
誰が何言ったって、その場限りで終わりだ。大きくなるまで辛抱しろ、とすげない溝口。どこで考えたのが、ターミネータの映画さながらに未来からその虐待父親がやって来て本人の説教させる演出を編み出してしまう。
この「タキオン作戦」という一編は傑作だ。

自分の父親が外国で活躍するスパイだと思い込んでいる小学生。
その同級生が岡田。
岡田の小学生時代が書かれているのが「小さな兵隊」。
岡田は同級生から何を考えているのかわからないやつ。「問題児」扱いされているが、問題児ならその答えとなる答え児もあるんじゃないか?
すごい発想だが、岡田の問題行動には確かに答えがあった。
彼は問題児でもなんでもない。
勇気あるれる正義感の強い子だった。

最後に溝口もいい味だしてる。
「とんでもない」という時に使うらしい「飛んでも八分、歩いて十分」というはやり言葉。
「飛んでも八分かかるなら歩くのと二分しか違わねーじゃん」
とくさす男に、それでも飛ぶだろ!飛びたいじゃねーか!と言い返すあたりはオッサンなのに可愛らしい。

冒頭の一家が最後の一編のどこかで登場するのが伊坂風だろうと思ったがさすがにそれは無かった。

圧巻はラストのあたりだろうが、それは書かない。

早く言ってみたいものだ。

残りの人生、全部バケーション!


残り全部バケーション 伊坂幸太郎 著


23/Feb.2015
のろのろ歩け 中島京子

急激な発展を遂げる中国という国。

主人公は10年前に訪れたことがあり、今回は初の中国の女性ファッション誌を創刊のための助っ人として北京に招へいされる。

そこで彼女が見たものは、感じたものはあまりの10年前との違い。

日本の高度成長期や日本のバブル期と重ねるが、もはや成長度合いはそんなものではないだろう。

主人公氏の印象にあるような人民服はさすがに10年前でも無かったかもしれないが、もう少し前ならあっただろう。

一昔前の中国の映像と言えば人民服と自転車の洪水。

今やどうだ。

至る所の高層ビル群。

中国という国に対して、嫌悪感や薄気味悪さを感じる人が結構いるが、これは何も尖閣の問題ばかりが原因ではないだろう。
共産党一党独裁で民主主義の国ではない、これも原因とは言い難い。
他の王政の国にそれほどまでの嫌悪感を持つだろうか。

日本の戦後から高度成長、バブルという他の国が50年かかって為し得たような大成長をたったの五分の一ほどの短期間で成し遂げてしまう、そんな急成長ぶり、急拡大ぶりなんともが不気味でならない。ということなのではないだろうか。

あまりにそのスピードが凄まじいのだ。

当然、いびつなところが残るに決っている。
今年の正月明けのニュースでは、北京は晴れの日でも薄暗いほどに空気が汚れ、人々はなるべく外出を控えるようにしている、とか。


タイトルにある「のろのろ歩け」は「慢慢走」(マンマンゾウ)という言葉から来ている。
意味するところは「Take Care!」「さよなら」の代わりに「気を付けてね!」とか「お元気で!」という言葉を使うような意味合いで使われるらしいのだが、「慢慢走」ということば、「ゆっくり行けよ」と言う言葉が挨拶に使われるというところがおもしろい。

あまりの急ピッチで進んで行く社会に対して、人々の本音は「ゆっくり行けよ」と言っているかのごとくではないのだろうか。

他に上海を舞台とした話、一話。

台湾を舞台にした話、一話。



のろのろ歩け 中島京子著


21/Jan.2013
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