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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Jul.2017
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イノセント・ゲリラの祝祭 海堂尊

ある新興宗教団体で起きた突然死という変死からこの物語は始まる。
実際は団体によるリンチ殺人事件だったのに、危うく急性心不全で片付けられようとしていた。

日本の死者解剖率は2%。
不審な死だと思われて、警察指定医にて出される死因はほとんど「心不全」。
「心不全」とは心臓が停止した状態を述べたに過ぎず、死因を特定するものではない。
死因が「心不全」とはつまり「死因不明」と言っているのと同じことなのだそうだ。
日本の死の9割以上が死因不明のまま放置されている。
先進国の中では稀有なことなのだそうだ。

それもこれも予算の段取りがつかないことがそもそもでありながら、誰も望んでいないメタボ対策みたいなものだけには巨額の予算が継ぎ込まれる。

この本はそんな事柄を背景として、厚労省の官僚を切って切って切りまくる。

故城山三郎に「官僚たちの夏」という高度成長期の通産省を描いた作品がある。
丁度現在ドラマ化され、放映もされていたかと思う。

その中で描かれる官僚達はまさしく日本の牽引役で、寝る間も惜しんで国家のために働く。
官僚たちもまさに戦後経済を引っ張っているのは俺たちなんだという意識があっただろう。

それでも何か違和感が残ることは確かである。

大臣が方向性を示したって、局長会議の方向性の方が優先される。
大臣は目指す方向に進むためには、局長たちに根まわしをしなければならない。

保護貿易か、貿易自由化か、省内は揺れるが、各々法案を作成するのは官僚たちだ。
法律の立案は立法府、即ち国会の仕事が三権分立の基本のはずが、いつの間にか官僚が立法することがもはや当たり前になってしまっているのだ。

戦後の復興をなし遂げようとしたこの「官僚たちの夏」の時代であれば官僚も省益のためよりも国益のために汗を流したのかもしれないが、現在は果たしてどうなんだろう。


会議のための会議、そんな無駄な会議というものが世の中のは多々ある。
それは何も官僚が主催する会議だけではないだろう。
あらかじめ結論も台本も決まっていながら、さながら会議で決まったような形式だけを重んじる会議。
そんな会議はこの日本の中に至る所で存在する。
台本からはずれた意見を言おうものなら次からその会議にも召集されなくなり、会議に参加すべき立場からも引きずり下ろされる。

この本の面白いのは、全てそういう会議の場のやり取りだけをメインに物語を成立させているところだろう。

特技がリスク回避、座右の銘が「無味無臭、無為徒食」。
ミスター厚労省と呼ばれるエリート官僚を大学教授が評した言葉。

部外者のみならず同僚の官僚自らがミスター厚労省にこう述べる。

「市民が必要とすることはせず、自分たちがやりたいことを優先する。やりたくない仕事は遅延させ、やりたい仕事にはあらゆる手立てを使ってブースターをかける。口先で指導、責任が降りかからない安全地帯で体制づくりに専念する」
それに対してミスター厚労省は 「そんなに誉めるな」 の切り返し。
なんとも笑えない現実が見えてくるようだ。
もちろん、官自らがそんな言葉を吐くのは小説ならではなのだろうが、なにやら本音を吐露されているような気がしてしまうのは自分だけだろうか。

この物語の流れは法医学が中心の解剖実施比率を高めることよりもエ−アイ:AI(オートプシー・イメージング)という呼称の画像診断を死後画像に用いることで死因不明放置の対処に、という方向性なのだが、根底は官僚批判そのもの。
上に書いた以外にも官僚自身の口から冗談まじりに官僚批判を山ほどさせている。
それが、はたまた正鵠を得ているように思えてしまうところが悲しい。
具体的な省庁名を出してでは稀有な本かもしれない。

今や官僚批判が世論の趨勢になりつつある。
この選挙期間中も各党ともそれを謳い文句にはしながらも、はてさてどうなんだろう。
小さい政府、大いに結構。
しかしながら、各党の政策実現には小さな政府どころか寧ろ大きな政府が必要となるのでは?と思えてしまう。
官僚からの脱皮を!と訴えながらも果たして可能なのか。
この本から汲み取れるような数々の無駄や欺瞞が廃せるなら大いに廃して欲しいものである。
でも逆に「官僚たちの夏」にあるように、事実上この国を動かしているのが官僚ならば、あまりの官僚批判の中で彼らのモチベーションがどうなってしまうのか、も大いに気になってしまう。

9月以降、この国はいったいどこへ向かっているのだろう。


イノセント・ゲリラの祝祭 海堂 尊 著 (宝島社)


11/Aug.2009
甲子園への遺言 門田隆将

「覚悟に勝る決断無し」
プロ野球の世界で首位打者をはじめとするタイトルホルダーを30人以上も育てた伝説の打撃コーチ、高畠導宏氏が残した言葉である。

打撃コーチとして30年。
プロの世界で一軍の打撃コーチで30年の永さ、それだけでももの凄い事に思えるのだが、いったいどんな野球人生だったのだろうか。

社会人野球では日本代表の四番バッター。
社会人NO.1のスラッガーと言われた人。
かつて社会人に入る前には王・長嶋全盛期、V9時代の巨人軍から王・長嶋が3番、4番、その後の5番を打てるバッターとして、また王・長嶋後の巨人の中心バッターとして巨人軍入りを嘱望されていたほどの打者。当時の社会人監督の選手囲い込みで実現はしなかったが。


プロでの現役生活は新人1年目の春季キャンプで、いきなり不幸が訪れ、強肩だった肩を不慮の事故にて壊してしまい、守備では投げられない。

DH制のない時代なのでここ一番での代打バッターとして一軍入りするが、肩の故障はバッターとしての迫力にも影響を与えるのか、社会人時代の豪快なスイングを知るピッチャーはかつての打者としての力の無くなった姿を嘆く。

結局5年で現役生活を退き、28歳という若さで打撃コーチに就任する。

以降30年、1年契約のバッティングコーチという明日の保障の無い世界に身を置くことになる。そんな人の言葉だからこそ重たい。
「覚悟に勝る決断無し」
氏にしてみれば、毎年、いや日々が覚悟の連続だったのではないだろうか。

以来、タイトルホルダーを次々と育て上げて行くのだが、その育成の仕方は他のバッティングコーチとはちょっと毛色が違う。

他のバッティングコーチは欠点を直そう直そうと画一的な指導をするのに対して、高畠氏の指導は個人個人で異なる。
欠点を無理に直そうとするのではなく、良いところを見つけてそれをとことん伸ばすための特訓をとことんやる。
とことん持ち味を伸ばすうちに知らないうちに欠点も直ってしまう、というやり方。
練習方法も小道具を用いたり、アイデアにとんでいる。

ひたすらバットを投げる練習をさせてみたり、ひたすらファールを打つ練習をさせてみたり、小道具で言えば、すりこぎバット、スポンジボールを使ってのティーバッティング・・・などなど。

氏の力量は選手を育てることにとどまらない。
相手のピッチャーのクセを見抜く天才なのだった。

氏は相手のチームに新たなピッチャーが補強されたと聞くとその練習を視察して来る。その視察から帰った時にはもうすでに相手のピッチャーはまる裸にされている。
直接、指導を受けなくてもバッターボックスから球種を氏から教えてもらって、打率を上げた選手などはいくらもいるだろう。

今、WBC真っ盛り。ついつい選手に目が行ってしまいがちになるが、これを読むと、選手の力よりも寧ろ、相手を丸裸にしてしまうほどの裏方の力量同士の勝負ではないか、と思えて来る。

このWBCにも氏に育てられた選手が何人も入っている。

他にも大リーグで活躍している田口、40歳を過ぎても現役のホームランバッターだった門田、中日現監督の落合・・・、氏にとっては師匠にあたる野村現楽天監督なども球種では助けられた内の一人になるのだろう。

取材した選手達の口をついて出て来るのは、
「高さんが居なければ、今の自分は無かった」
「生涯最大の恩人」
「出会えて幸せだった」
というような言葉ばかり。
なんという人望の篤い人なのだろう。

この本にはイチローについて何故かその接点の記述がほとんどない。オリックス時代、田口を指導したのなら時期的にイチローが在籍していた期間とかぶるので、イチローとの接点が無かったはずはないのだが、著者は大リーグまで取材に行けなかったのか、イチローがその打撃の原点を著者に語ろうとしなかったのか、そのあたりは定かではない。

この本、昭和後期の野球史、いや、昭和いうと戦前も入ってしまうので戦後から今日までの60年の内の後半の日本プロ野球史の一面を描いているが、そういう一面を持ちながらも実際には野球に関することよりも一人の人間の生き様を描いている本なのである。

氏は、コーチという職業をとことん研究し、日本一の戦略コーチとして名を馳せながらもその探求欲は限りなく、心理学を追求し果てはそのメンタルな部分の基礎はプロになる前からが肝心ではないか、と高校の教員免許を取るために、コーチ職の残り5年間をその勉強にあてるのである。


この本にはいたるところに氏の遺した金言がある。
先の『覚悟に勝る決断無し』もそうだが、

『才能とは逃げ出さないこと』

『平凡の繰り返しが非凡になる』
 
などなど。


惜しむらくはこのタイトルである。
「甲子園への遺言」というタイトル、内容を知らなければ高校球児やかつての高校球児しか買ってまでして読まないのではないだろうか。
私も球児ではなかったので、もし人に薦められることが無ければ、この本を書棚から手に取ることは無かっただろう。

WBCこそ今、人気絶好調だが、野球のルールすら知らないという人達がかなり多くなった時代。
野球選手を目指さなくても、かつては小学生なら放課後は必ず野球をした。
そういう時代では最早ない。

この本は、というより高畠導宏という人のことはもっと多くの人に知られてしかるべきだと思うだけに、尚更である。

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 門田隆将 著(講談社)


23/Mar.2009
紙の月 角田光代

過去に女性のベテラン行員による巨額の横領事件は何度か起きている。

その内の一つがモデルだったのだろうか。

この手の事件が起こるたびに思い出すのが某食品大手メーカーの社長が男性社員の一人に1年間、会社の仕事はしなくていいし、いくら使ってもいいしどんな遊びに使ってもいい。1年間で一つだけ何か商品開発のアイデアを持って来てくれればそれでいい、と言われたサラリーマン氏の話。
彼は億どころか何百万の単位ですら使う事が出来なかった。


それに比べてどうだろう。
若い男への見栄なのかもしれないが、高級ホテルのスイートルームを常宿としてみたり、若い男が住めるようにマンションを借りてみたり、そのマンションの家具や食器類まで高級なもので揃えてみたり、若い男に車を買ってやったりと、散在してしまった金は1億円。

元はと言えば正義感の強い女性。
不真面目だとか自堕落なところは学生時代を通して一度も無い。
クソがつくほどに真面目な人なのだ。

夫が自分の方が稼ぎが多いことをあからさまに言われたところで、彼女の友人が勧めたように、おだてておけばいいものを、それが出来ない。
夫の言葉に違和感を遺したまま、過ぎて行く。

もしあの時、あの若い男性と会わなければ、もしあの時・・・とIFは続くが、
そもそも、自分から何かをやりたいと感じたり、何かをやろうとしたことがないひとなのだ。
違和感を持ってもそれを解消することなく、惰性ですごしているが、実は本当ははじけたかったわけだ。
そのいくつものIFはそのきっかけを与えたにすぎない。
多かれ少なかれ、形は違えど何か道を踏み外していたのではないだろうか。


この本に登場する人たち、同じように際限なくカードローンで買い物をしてしまう人。
真逆に節約節約で子供に小遣いさえ与えず、貯め込む人。

離婚した後に夫と暮らす娘が会いたいと言ってくるのは金のかかる欲しい物がある時だけ、という人。

みんな金に振り回されている人ばかり。


なんとも夢の無い本を書いてくださったものだ。

「アンタ達、男には到底マネできないだろ!ガッハッハ!」とでも笑い飛ばして終わりにしてくれた方がよほど救いがある。



紙の月 角田光代 著


12/Jun.2014
くまちゃん 角田光代

短編集で、全ての物語で主人公が振られます。
そして振った相手が次の物語の主人公となり、別の人に振られます。
そんな変わったリレーでつながっていく一冊。

「くまちゃん」という表題作では、主人公の苑子が、偶然出会った、いつもくまのTシャツを着ている男の子に翻弄され、意味もわからず振られる話です。
思っていたような仕事ができず、つまらない毎日に不満を持つ苑子。
崇拝するアーティストに近づこうという夢があり、それを追い続けようとするくまちゃん。
くまちゃんは苑子に、「つまらないと思うことをしてはいけないよ。」と言います。
そんなくまちゃんを苑子はうらやましく思います。

実際は相手のようになりたいわけでも、相手を理解しているわけでもないけれど、自分と違う何かが、自分の生活を少し輝かせてくれるような気がするのかもしれません。

そして意味もわからぬまま振られてから数年後。
苑子は少しずつやりたい仕事ができるようになり、出張した先の海外の街で、懐かしのくまのTシャツに出会います。忘れかけていた「くまちゃん」という男の子を思い出し、側にいたときよりもくまちゃんの気持ちが理解できると感じます。

次の物語「アイドル」では、この意味不明のくまちゃんが主人公。
20代も後半になり、こんなんでいいのだろうかと思い始めたくまちゃんは、自分と同じような考え方で、でももっとしっかり生きている女性に恋をします。
初めてまともに人を好きになって、今まで適当に女の子と付き合ってきたことを振り返るくまちゃん。
苑子のことは、名前がもう思い出せないけど冷蔵庫の中身が充実していたという程度に振り返っています。

こんなに振った立場と振られた立場で、思いや見解が違うのかと思うと面白く、ちょっとせつないような気もしました。

そしてくまちゃんも思いがけぬ理由で振られてしまうのですが、前へしっかり進んでいく姿がすがすがしく、かつての意味不明のくまちゃんが、なかなかいい男になっているように感じました。

こんな風に、次々と振り振られの物語が続いていきます。
振られる人が主人公なので、振った人の気持ちについてはあまり触れられていないのですが、次の物語を読むとその気持ちがわかっていくというのが面白いところです。

角田光代さんのあとがきに、仕事と恋愛が複雑に絡み合っているときの恋愛を描きたかったとありました。そして「ふられ小説」を書きたかったと。

物語には、憧れの仕事をしている人を好きになったり、同じ夢を追う人を好きになったり、仕事が成功したことでうまく人を好きになれなかったり、様々な人が登場します。
そして共通していることは、それぞれがもしその仕事をしていなかったら、その恋愛は存在していないのだろうなということ。
仕事と恋愛が複雑に絡み合っていると意識したことがなかっただけに、目からウロコでした。

ふられ小説を書きたかったというのはなぜなのかと考えてみました。
物語を読んでいると、振られた方が先へ進みやすいというは伝わってきました。
振らてしまってはどうしようもないから、散々悲しんだら立ち直る以外することない。とてもシンプルで明白な状況だと思いました。
そして、立ち直れるとそれが自信になります。自分に対しての自信だったり、そんな状況でも続けてきた仕事に対してであったり。

あとがきには、角田さんにとって、仕事というものが確固たる何かになってしまったから、もうそのような恋愛はできないとも書いてありました。

恋愛と仕事が複雑に絡んでいるとも感じていなかった私には、到底たどりつかないであろう角田さんの境地。
世にいる社会人の恋愛というものはこんなものだったのか、と勉強になった一冊でした。



くまちゃん 角田光代著


29/Nov.2011
空の拳 角田光代

あの「八日目の蝉」とかを書いた角田光代さんがボクシングを題材に?
ハテナマークが付きすぎてしまう。

文芸部を希望して出版社に就職した主人公氏。
配属されたのは念願かなわず「ザ・拳」というボクシング専門の雑誌の編集部。

主人公氏にしてみれば、全く志望と異なる部署になるわけで、左遷されたような気分で出社するのだが、取材に行った先のジムで、「習いに来たら?」と誘いを受け、そして入会し、やがてボクシングのとりこになって行く。

そのシムから新人王決定戦への出場選手が登場する。
その名もタイガー立花。

リングに上がる前にゾンビの格好で出て来てみたり、相手の選手を睨みつけてみたり、勝ったあとのインタビューでは、悪態をついてみたり、舌を出して中指を突き立てみたり、KO予告をしてみたり、と嫌われそうなキャラクターを演出しながらも、ボクシングの試合そのものに花があるためか、人気がある。

その立花のとんでもない生い立ちをトレーナー氏が披露する。
幼くして父母を失い、親戚家へ預けられるが、邪魔者扱いされ、今度は祖父母の元へ。
そして不良仲間とつるんでいるうちに少年院へ。
少年院を出たり入ったりを繰り返した末に出会ったのが、ボクシングだった。

その生い立ちをトレーナーから聞いた主人公氏は、「ザ・拳」の雑誌で大きく取り上げる。
ところがその生い立ちはトレーナーが作ったキャラ作りの一環だった。
彼は両親健在、普通に高校へ行き普通にサッカーをやっていて、普通に大学へ行く犯罪歴もない健全な青年だった。

そんなトレーナーのオチャメなはずのキャラ作りも、一旦ウソだとわかると、一勢に経歴詐称だと大騒ぎになる。
最初は売れてない雑誌一誌が書き始めてから、週刊誌各誌、スポーツ新聞・・軒並み経歴詐称だと立花をこき下ろす。

ネットでも経歴詐称男として悪く書かれ、試合にのぞんではかつての人気はどこへやら。完璧アウェイ状態。

そんな状況を見たベテラン編集者は嘆くのだ。
いつからこんなみんなで正義を声高に叫ぶ世の中になったんだ、なんでこのくらいのこと笑ってすませられないんだ。
人のちょっとした過ちを見つけたらとことん糾弾する。
いやな時代になってしまった・・・と。

格好良くそして圧倒的に勝ち続けるつことでしか、その傷は払拭されないのだろうか。

作者はボクシングを題材にしたのはこれを書きたかったからなのか・・。

立花はこんな言葉を残している。
「強いやつが勝つんじゃない。勝ったやつが強いんだ」

なかなか、 ボクシングの試合の描写などはかなり微に入り細に入っているのだが、どうしても女性の視点だよな、と思えてしまう。
ボクシングしている姿を見ながら「痛い」とかって思うかな。
主人公氏がなよなよしているからかもしれないが、その設定そのものが作者が女性であることと無縁ではないだろう。
彼は見る側に徹してしまうが、同じジムで練習していたら、パンチも出したくなりゃ、試合も出たくなるだろうに。

作者はボクシングの試合をかなりの数観たのだろう。
ものすごく研究はしているが、それはあくまでも観察者としてのものだ。

実際にグローブをはめてボクシングにむかっていたら、「八日目の蝉」もびっくりのすごい作品になってたんじゃないだろうか。



空の拳 角田光代著 日本経済新聞出版社


21/Mar.2013
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