読み物あれこれ(読み物エッセイです) 検索エンジン MMI−NAVI

読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
May.2017
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
著者検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
- タ行
+
+
-
塚本ヨ史
月村了衛
辻原 登
辻村深月
筒井康隆
津村記久子
+
+
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
作品検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
春申君 塚本ヨ史

晋と楚の二大国とその狭間にある小国の数々、晋の有力者の韓氏、魏氏、趙氏がそれぞれ独立して韓、魏、趙の三国に分割となり、小国乱立の中、相変わらず強国だった楚、どんどん力をつけて来る秦。

その戦国時代も秦の始皇帝の登場で終焉するわけだが、その終焉する手前の何十年間を背景として据えている。

戦国四君の一人と言われる春申君。

戦国四君とは斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、そして楚の春申君なのだそうだが、何故この四人が戦国四君なのだろうか。

孟嘗君なら理解できるが、以外は単に「君」を号しただけではないのか。

将軍としてなら、この本にも登場する白起などの方が、はるかに名将だろうし、宰相として有能な人というなら、やはりこの4人ではないだろう。
共通点は、食客を何百、何千と集めたところなのだろうから、この「君」の定義は食客の多い人、なのだろうか。


この著者の本、時代背景というか前提無しでいきなり始まるようで、宮城谷本を読破した方ならなんとも無かろうが、そうでも無ければなかなか物語に入って行けなかったのではないだろうか。

登場する人物についても、宮城谷本か何かを読んだ人でなければなかなか、ついていけないのではないか、という気がしてならない。

宮城谷の本はほとんどが楚を脅威とみなす楚の北の国の登場人物が多いので、楚の視点から描かれたこの「春申君」は宮城谷とは別の視点を追い求めた結果なのかもしれない。

さすがに孟嘗君を悪く書いているところはないが、宮城谷が『奇貨居くべし』という長編の主人公に据えた呂不韋などは、まるで武器の商人、悪徳商人のごとき扱いなので、やはり楚から見た眼というものもたまには必要なのかもしれないが、それにしてはどの人物も描き切れていない。

この本の中に白起が趙軍を撃破してその敵兵40万人を生き埋めにした、とある。
実際に何かの史書に書かれているのだろうが出典は書いていない。
中国の古代史、いや古代史どころか現代史でも有りがちであるが、こういう何十万人云々はよく出てくる。

だが、実際に考えてみてどうだろうか。

死んだ人間、40万人を土葬にするだけだって壮大なスケールの土木工事が必要になるだろうに、ましてや相手は生きた敵兵でそれを生き埋め、って一将軍が撃破だ、突破だ、という行為だけで為せる技ではないだろう。
それこそ、魔法使いでも無い限り。

こういう話が残っている、ということは、誰かがそのように喧伝して廻ったという事実があるのみで、40万どころか、100人の生き埋めがあったかどうかさえ疑わしい。

しからば、そのように喧伝して得をしたのは誰か。
秦の横暴を唱えたい側か、秦に逆らうと恐いぞ、脅しに使う秦の側か。

はたまた秦の後の漢の時代にでも白起の凄まじさを表現する誰かが書きあげてしまったのか。

こういうあたりを素通りしてしまうところが、この本の奥行きを無くしているように思える。

いずれにしてもまた一人、中国の古代史を描く人が現れたのは喜ばしいことには違いないが、どうにもまだまだ、時代の風景が見えるところまで行っていないのが少々残念である。



05/Apr.2011
土漠の花 月村了衛

日本の自衛隊。
一度も戦闘をしたことの無い軍隊。

そんな彼らが、ひとたび武装集団に襲われたらどうなるのか。

ソマリア沖の海賊退治の支援にてジプチに拠点を置く自衛隊。
彼らに与えられた任務は消息を絶ったヘリコプターの捜索活動。

12人の部隊がその捜索活動のためにソリマア国境(実際にはソマリランド国境)へ向かう。
そこへ現れたのが救助を求める3人の女性。

ソマリアの氏族間闘争にて、集落をほぼ根絶やしにされたという。
彼女たちそのものが自爆テロ犯で無いことを確認し、部隊長は彼女らの保護を約束する。
それも束の間、3名の女性の内2名が撃たれ、自衛官もまたたく間に2名撃たれる。
女性たちを追って来た氏族の武装集団が自衛官たちをあっと言う間に包囲する。

「我々は日本の自衛官で」と自らの立場を冷静に相手に話そうとする部隊長は、五・一五事件の犬養毅の「話せばわかる」を彷彿とさせられる。武装集団は相手は有無を言わさず射殺する。

全員が並ばせられたところでもはや万事休すだ。
もはや真実を誰にも知られることなく土漠の土となって消え行くのみだ。
と思った時にたまたま小便に出ていた一人の自衛官が帰って来、その光景を目の当たりにして、敵を掃射した瞬間に皆、岩陰へと避難する。

「命令も無しに撃ってしまいました」
って、さんざん味方が撃たれているのに・・。

これが戦闘をしたことの無い自衛隊という軍隊なのだろう。

自衛隊の拠点まで70キロ。
追手に待ち伏せされやすい幹線道路を迂回しながら、大雨の後の濁流や砂嵐に襲われながら、時にはそれを逆に味方に付ける知恵を発揮しつつ追手と闘う集団になって行く。

途中、親切にしてもらった集落の子供たちを助けるために舞い戻り敵と戦う。
そうして一人、一人と味方を助けるため、はたまたは子供たちを助けるために闘い、命を落として行く。

逃げ込んだ廃墟の街では、砂嵐に巻き込まれ、そこでその追手の氏族とアフリカ最強の武装集団が一緒になり、そこへ攻めてくることを知る。

この時点で生き残りは自衛官5名と助けた女性1名。
圧倒的な人数の差。兵力の差。銃火器・武器弾薬の差。

逃げようという部下を前に指揮をとる曹長は、戦略をたててゲリラ戦を挑む決断をする。
もはや、戦わない軍隊の姿は微塵もない。

この話に登場する二人の曹長も一曹も士長も皆、英雄だ。

これはフィクションなので、実際にこんな英雄が居たわけではないだろうが、もし、これがノンフィクションだったとしてもやはりフィクションとしてしか紹介されないだろう。

自衛隊が戦った。
そんな事実が公にされれば、野党やメディアからどんな批判が集中するか。
国内は蜂の巣をつついたようになってしまい、PKOにしろなんにしろ自衛隊の海外派遣など二度と認められないだろう。

闘って命を落とした自衛官も不注意による事故死扱いに甘んじざるを得ない。
英雄が愚鈍な隊員として歴史に名を刻む。
やはり、これが日本の自衛隊なのか。

秋元康をして「この小説は危険です。やらなくてはいけないことを片づけてからお読みください」と言わしめているが、本当だった。読み出したら絶対にやめられない本だ。


土漠の花 月村了衛 著


06/Apr.2016
寂しい丘で狩りをする 辻原 登

婦女暴行の被害者となった女性と彼女を逆恨みして殺そうと考える男。
その彼女を守ろうとする女性探偵とその彼女につきまとうストーカー男。
二つの同時並行するストーカー事件の顛末。

たまたま、タクシーの相乗り依頼を許してしまったがために、つまりは親切心を起こしてしまったがために、タクシーを下車した後に男につけられ、襲われて強姦されてバッグまで奪われてしまう女性。

勇気を出して警察へ届けたために男は捕まるが、刑期はたったの7年。
強盗強姦は7年以上〜無期懲役の罪なのだとか。
殺人の前歴もあるこの男が何故最も軽い刑となったのかはよくわからない。

先に出所して来た人から「警察には言わない約束だったのに・・・あの女、出所したら、絶対に殺してやる」とその男が言い続けていたという事を知った被害女性は、探偵事務所へ赴き、出所するところを見届けて自分を探そうとするかどうかを調べて欲しいと、依頼する。


男が探偵ばりの捜査方法で被害者女性の居どころにどんどん近付いてくるのはかなり薄気味が悪いし、怖い。

近所をうろうろするストーカーではなく、この男、殺意を持って追いかけているので、一般的なストーカーとは言えないだろう。

それでも警察としてはやはり、何か事件が起きてからで無ければ動いてくれない、というより動けない。

警察も少々のことで引っ張って、注意を与えたところでこんな男には効き目はない。
再度服役したって、また出てくるのだから、狙われた女性の恐怖は永遠に続く。

逃げ回らないための方策がかつての原告と被告が入れ替わることでしかないとすれば、やはりこの国の法制度はなにかおかしい。殺人犯に甘すぎる。

この本、合い間、合い間に古い映画の話が出て来る。

日本の古い映画などに興味のある人もそうそういないだろうが、そういう人には別の楽しみがあるかもしれない。



寂しい丘で狩りをする 辻原 登 著


06/Sep.2014
朝が来る 辻村深月

子供が出来ない時ってこんな感じになるのか。
妻が母親に言われて不承不承、不妊検査へ行くと、亭主もつれて来なさい、と言われる。
それを亭主にちょっと言ってみた時の亭主の機嫌の悪いのなんの。
妻の不妊治療ののはずが夫の不妊治療に変わって行く。

そんな辛くて長い長い不妊治療、その長い長いトンネルを超えた先が、養子縁組で、ようやく、朝が来るなんだ。


と思いきや、この話の本筋はここからだった。
養子縁組を取り持つNPO団体は、そもそも子供が出来てしまったが、育てるつもりのないような若い母親から赤ちゃんを預かり、子宝に恵まれない夫婦に養子縁組の世話をする。
このタワーマンションの夫婦にもらわれた赤ちゃんにも当然、母親が居り、その母親の話が本筋なのでした。

子供を授かってしまったのは彼女がまだ中学生2年生の時。
同級生の中でもちょっとカッコいい男子と付き合えて、ちょっとした優越感に浸り、避妊もせずにそういう仲に。

妊娠がわかると両親は養子縁組の世話をする団体をみつけて来て・・という展開なのだが、結構、養子に出して彼女が普通の女の子に戻ったわけではない。

世間体だけを気にする親に見切りをつけ、親を捨て、一人で生きる決心をする。
そんな彼女が苦労をしないわけがない。

養子縁組で子供をもらい受けた夫婦には、長い長い不妊治療の後の「朝が来る」なのだろうが、子供を渡さざるを得なかった彼女に果たして朝は来るのだろうか。

ラストのシーンがせめてもの救いだ。


朝が来る 辻村 深月著
20/Jan.2017
島はぼくらと 辻村深月

なんて読後感のいい本なんだろう。

瀬戸内海にある冴島という架空の話が舞台。

島にある学校は、小学校と中学校まで。
高校に進学するには本土へ渡らなければならない。
それでもまだ高校なら本土で一番近い学校ならフェリーでの通学も可能だが、それでもフェリーは決まった時間での往復しかしておらず、島へ渡る便は夕方の早い時間が最終。
やりたいクラブ活動があってもほんの出だしだけしか参加できない。

高校後の進路、進学するにしても就職するにしても、島には産業と言える産業がないので、自然と島を出ざるを得なくなる。

島では母親は15歳になれば離れ離れになることを覚悟の上で子育てをする。

主人公は島から本土へフェリーで通う朱里、衣花、新、源樹という女子二人、男子二人の高校生4人組。

彼らの友情もさることながら、島のおばさん達やおじいさん、おばあさんたちの絆も半端じゃない。

島では男は同じ島の住人の誰かと兄弟の契りを結ぶ。
その契りを結んだ相手がだれかと兄弟の契りを結べば、その人も兄弟になる。
一旦、兄弟の契りを結べば、もう親戚同様。冠婚葬祭のみならず普段から助け合う。

そんな兄弟の風習が描かれているが、兄弟の契りなどなくても皆助け合っていそうなのだ。
子供は皆で育てるもの。
都会どころか地方都市にすらなくなってしまった昔の村社会の良さがそのまま残っている。

もちろん、そんなにいい話ばかりじゃない。村には病院が無い。
急病になった時に霧でも発生してしまえば、本土へ行くフェリーさえ動かない。
本来なら助かる命も助からない。

この物語、そういう島での生活や高校生たちの友情を描くだけでも充分に読みごたえがあるのに、かなり盛りだくさんにいろんな話を詰め込んでいる。

島へのIターン者の女性の中の一人に元オリンピックの銀メダリストが登場する。

彼女はメダルを取った途端に変わってしまう周囲についていけなくなったのだ。

そんな彼女をこの冴島は温かく包み込んでしまう。

その元メダリストの話だけでも一冊の小説が書けてしまいそうな話が織り込まれているかと思えば、Iターン者の積極的な受け入れに関する前向きな取り組みと揉め事、地方活性のコミニティデザイナーとして島にやって来て、1年中島の誰かの家に泊まり込み、なんでそこまで出来るの、と皆に思われ、島の誰からも愛される女性の話。

話題もテーマも盛りだくさんなのだが、一つにだけ絞るならば、月並みなようだが「友情」じゃないだろうか。
祖母の世代の友、母の世代の友情、元メダリストとコミニティデザイナーの友情。
買いかけていたパンを子供連れが買ってしまうのだが、その時に朱里は言う。
「あー良かった。パン買わないで」
「だってあんなに喜んで買って行ったんだもん」

それを聞いた衣花がつぶやく。

「この子が親友で本当に良かった」と。

この一言に集約されている。



島はぼくらと 辻村 深月 著


21/Jan.2014
    12 >>