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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Nov.2017
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天の方舟 服部真澄

日本の政府開発援助(ODA)というものの、大半が日本企業が受注することがお約束の紐付きだろう、とは大抵の人が思っていることだろう。
その紐付きにするためになんらかの事前協議?それがいわゆる談合?的なこともあるのだろう、ぐらいのことは誰しも思うことだわな。

それでもそれをこれだけ赤裸々に賄賂だのそのさや抜きだのを書かれると、一般的な感想としてはどうなんだろう。
「まぁ、それぐらいのことはやっているわな。ふむふむ」という感想なのか、

「そこまではいくらなんでも・・・。もしそれがODAの実情ならそんなものはやめてしまえ!日本国民の税金なんだぞ」 という怒りの感想なのか。

それとも逆に
「えっ、そんなものだったの?もっとやってるでしょ」 という感想なのか。

ODAを拠出する⇒その金で他の国が開発を受注していたら、それこそ何やってんだ!みたいな声が上がるんじゃないか?

国内の企業が受注する⇒国内の企業及び傘下企業が潤う。⇒税金として返って来る。しかも相手国からも有り難がられる。
そんな図式を想定するのが一般的かな?

その日本企業が受注する際の受注合戦の中で、賄賂が飛び交う。
普段はあまり考えることがないが、賄賂が当たり前の国というのはまだいくらでもある。
「ODAを拠出する⇒拠出した国(賄賂を要求する国)側に発注先を決める権利がある」ということはあまり結びついて考えていなかったのかもしれない。
ならば、賄賂をもらうのが当たり前の国で大型インフラ開発を受注するのに金が付きまとうのはごく当たり前だったか。

そこまでは 「まぁそういうこともあるだろう」 なのだが、日本の企業戦士達は自社の受注のために相手国の元首や高級官僚に賄賂を用いても、その金を自らの懐に入れるということはしないだろう、そう思うのが日本人。
確かにそこまで行ってしまえば 「国民の税金で私服を肥やすとは何事だ!」 になってしまいますわなぁ。

この本で描かれるのは京大の農学部出身の女性。
数多くの登場人物がある中で主人公女史だけが学歴を明記されている。

学生時代は全く目立たない存在。
家賃・生活費を自前で稼がねばならない、どころか実家の親に月10万もの仕送りまでしなければならない。
まるで外国からの出稼ぎ労働者の如く、金に倹しい学生生活を送った彼女。
その彼女だからこそだろうか。開発コンサルという仕事のうまみを知るや、なんとかそのうまみを知る側に廻ろうとする。

政府開発援助にて国際貢献をしたい、という敢えて表面的な青臭い志望理由を掲げて開発コンサルに入社するや、青臭いふりをしながらなんとかそのうまみのある仕事に就こうとする。

それにしても冒頭のタンザニアの例はさずがにひどいなぁ。
名目上は 「貧困にあえぐ地域を外国へ輸出出来る米作りの出来る水田地帯に変えることで地元の人の暮らしを豊かにする」 はずだったものが、実は地元の人はもともと現状に満足していた。
トウモロコシを作って果物も豊富でドブロクを飲んで貧困でもなく不満のない生活を送っている中、いきなり水田耕作地プロジェクトが、何ヘクタールものトウモロコシ畑をブルドーザーで潰して行く。
しかも仮に水田が出来あがったところで、降水量の少ないその地域での収穫はあてにならず、しかも米が出来たところで、国際市場では既に相手にされないだろうことも事前に予測が出来ていた。
地元の人と一旦仲良くなった後だけに、地元の人から恨まれるわ、となんとも後味の悪いプロジェクト。そんな無駄を通り越して迷惑をかける、もっと言えば人の幸せを奪うだけのプロジェクトに三十数億の日本の税金が使われる。

これは単なる一例にしか過ぎないのだろう。


貧困にあえぐ人達に愛の手を!という類の寄付金などですら、もはや単にお金を渡すだけでは本当の助けにはならない、と「援助」そのものが見直されつつある昨今だ。

ODAも変わりつつあるだろうし、変わっていくのが必然だろう。

それにしても主人公女史、タンザニアを経験した後も積極的に現地での仕切りの仕事を追い求め、とうとう仕切り役としてのおいしい仕事にありつくわけだが、途中の記述に抜いて貯めたお金が3000万・・などとある。
何千億プロジェクトをいくつも手掛け、地元の所長として金の差配までした上に自らおいしい仕事と言っておきながら3000万のわけないだろう。

ということで冒頭の感想選択は、最終的に
「えっ、そんなものだったの?もっとやってるでしょ」 に辿りつくのです。


天の方舟 服部真澄 著


05/Jan.2012
巡礼  橋本 治

このお話、ゴミ屋敷をめぐるお話なのです。
まさかそのゴミ屋敷をめぐる登場人物だけで一冊書いてしまっているとは思わなかった。

メディアでもたまにゴミ屋敷やその住人、またその周辺の人びとが取り上げられているのを見たことがある。
周囲(ご近所)からは、気味悪がられ、漂う臭気を迷惑がられ、再三の改善勧告にも全く耳を貸さない。

このゴミ屋敷の主もそんな近所の迷惑を顧みない老人である。

物を捨てられない人というのは案外いるものである。
マンションやアパートの様に狭い所に住んでいれば、自ずと許容量というものがあるので、捨てて行かないと寝る場所が無くなってしまうこともあってどんな人でもモノを捨てざるを得なくなってしまうものだが、広い一軒家に住んでいる人で庭に物置でもあろうものなら、捨てる前に一旦物置へ放り込んで、結局そのままゴミと化した後も残ってしまう・・というようなケースならざらにありそうである。

まして、この主人公はかつては荒物問屋に勤めており、実家も荒物屋。
時代の流れと共に現代では不要になったものも、かつては売り物だったわけだ。

今は不要なモノを、ゴミと見るのか、何かの時には役に立つモノとしてみるのか、このご老人の場合は元々荒物屋、何かの時にしか必要の無いものを商売ものとしていた以上、ゴミ屋敷の主人となる素地は元来からあったわけなのだが、自ら明らかなゴミを自宅まで運んで来る、生ゴミさえも捨てずに溜めておくところまで来てしまってはもはや何かが壊れた人、としか言いようがない。

この話、その老人がかつて軍国少年だった時代から戦後荒物問屋へ住込みの丁稚として奉公していた頃の話、結婚して今の家へ移り住んだ時代・・・と彼の過去の生き様を書いて行く。

その老人のかつて妻となったサラリーマンの娘、八千代と姑のやり取りは、不謹慎かもしれないが面白い。
新居に来て、鍋釜が無い、洗濯ばさみがない、何が無い・・。
荒物屋の奥さんに言わせれば「そんなもん、そこら探せばあるだろうに」ということなのだが、これは何も荒物屋とそれ以外の職業に限った話ではなく、物の置き場所というもの、片付けた人間がにすれば、そこにあるのがあたり前。
そうでない人間にしてみれば、片付けた人間に聞くのが一番手っ取り早いものなのだ。

「おーい、はさみはどこにある?」「おーい、ホッチキスはどこにある?」
「全く、この人は私が居なけりゃ何にも出来ないんだから」
なんて、どこの家庭からも聞こえてきそうなやり取りである。
片付けた人間は片付けたという行為だけで、自らの必要性を訴えてやしないか?などと思うことしばしば。

それが「おーい、○○はどこにある?」と聞ける立場ならまだいいのだが、相手が姑ともなれば遠慮が勝ってしまってなかなか聞くに聞けない。
まぁ、それだけの問題ではないのだが、結局、姑からすればドン臭い嫁ということになってしまう。

そんなこんなの昔話に話の大半を割いている。
まぁ、そうでもなけりゃ、ゴミ屋敷の異常なジイさんとそのご近所だけでは一冊の本にはならないだろう。

不器用で生真面目だった人。戦後、時代はどんどんと流れていくが、住込みの丁稚で世の中のニュースも知らないまま育ち、その流れからなのか、その後も流されるだけの人生。
そんな人生を送った人も確かにいるのだろう。

それにしても「ゴミ屋敷」の迷惑さを騒ぐメディア。騒ぐだけで解決策は持たない。
騒がれることで「ゴミ屋敷」は有名になり、わざわざ車で来て粗大ゴミを捨てに来る人間も現れるぐらい。
おかげで隣近所は昼間であっても窓も開けられない。
そんな垂れ流すだけの無責任な報道という名の情報のなんと罪深いことか。


巡礼  橋本治 著 新潮社


12/May.2010
日本の女帝の物語 橋本 治

この本の副題は「あまりにも現代的な古代の六人の女帝達」とあります。
日本における女性天皇のイメージは、中継ぎ的なイメージがあるのですが、この本で描かれる古代の6人の女帝達の中には「あまりにも現代的」かどうかはさておき、圧倒的な権力を持って国を統治した女帝、後の代数代に渡るまで影響力を残した女帝などが紹介されています。

それにしても系図というものは、こんなに面白いものだったのでしょうか。
まさに目から鱗でした。

ただ、話の流れに沿って、系図1、系図2・・・と文章の合い間に出て来るのは著者の親切心からでしょいうが、いかんせん登場人物があまりにも多すぎるのです。
その都度、その登場人物が登場する系図を探し回らければならないのは少々不便な構成でした。
出来れば巻頭に集めておいて頂いた方が探しやすかったと思います。

さて肝心の女帝達です。
厩戸皇子=聖徳太子という立派な皇位継承の位置にある成人男子であっても譲位をしなかった推古天皇。

弟の孝徳天皇に一旦は譲位をした皇極天皇。
孝徳天皇の後に再度斉明天皇として返り咲き、自ら軍を率いて九州まで戦いにむかった。

壬申の乱にて大友皇子を破って天皇になった天武天皇の后である持統天皇。
息子である草壁皇子が居ながらにして自らが即位。
夫から妻への様でありながら天智天皇の位置から系図をみると弟から娘へ、となっているのです。
ということはこの夫婦関係は叔父と姪の間柄。
こんなのは系図を見ているとざらです。
如何にこの時代の天皇家が天皇家の血筋同士で濃いものだったことか。

また、系図を眺めていると、天皇家が一旦有力な豪族などとの間で濃い間柄になったとしても、それは一時的なことで、その先の系図ではまた、その豪族とは遠い血筋の天皇へと引き継がれる、という補正が効いている点に驚きます。
古くは大和葛城地方の豪族葛城氏しかり。
聖武天皇に至っては、母親が藤原不比等の娘でその后もまた藤原不比等の娘。
そしてなんということか。男子では無く、その娘を皇太子とし、孝謙天皇として即位させてしまいます。
藤原不比等の血がどれだけ濃いことか。
独身の時から次代の天皇を約されてしまった孝謙天皇は結局独身を貫いて、その先はまた天智天皇の孫にあたる光仁天皇に引き継がれて行く。
常に一旦他の血が濃くなっても、また元の濃い天皇家の血筋へと補正されて行くのが系図というものから見えて来ます。

系図だけ見ると不思議な譲位のされ方が出て来ます。
息子から母へ母から娘へ。
文武天皇に次はその母である元明天皇へ、元明天皇からはその娘である元正天皇へ。

何故、そんなことが起こったのか、それは本文の中で分かり易く説明されています。

はたまた、皇統が絶えそうになったこともあります。
武烈天皇の後、男系が絶えそうになりますが、その次をみると系図ははるか遠くにあった継体天皇へ。
継体天皇の曾祖父のさらに祖父が応神天皇と五代も遡らなければ天皇が出て来ないほど、一旦は本流からは遠いところにあった天皇なのですが、たちまちにして皇女を后にその二人の息子も皇女を后に、と濃い血筋に固められて行きます。

この本、飛鳥から奈良時代の一端を知るにはとても良い本だと思います。

長屋王の変にしたって、橘奈良麻呂の乱にしたって、恵美押勝の乱にしたって高校の歴史の教科書では触れられるのはほんの一行か二行でしょう。

この本ではそれらも丁寧に解説してくれています。
それらの騒乱の大元に女性天皇の存在がどれだけ影響を及ぼしたのかも良くわかります。

さて、あらためて現代。
少し前にあった皇位継承問題の論議は悠仁親王の御生誕にて完璧に未来の世代へ先送りされています。

目の前に危機が来ない限り、須らく次世代へ先延ばしをしようとするのはこの時代の政治家の性癖と言っても過言ではないのでしょうが、この先送りは禍根を残すことになりかねないのでは?と危惧します。
皇位継承問題の議論は今でしか出来ないものだと思うのですがいかがでしょうか。


日本の女帝の物語―あまりにも現代的な古代の六人の女帝達 (集英社新書 ) 推古天皇、皇極天皇=斉明天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇=称徳天皇


08/Nov.2011
中国崩壊前夜 長谷川慶太郎

北朝鮮の中国とのパイプ役だった張成沢(チャン・ソンテク)氏が公開処刑されて以来、北と中国の間は冷え切っていると言われている。

著者は大きな間違いだと言い切る。
張成沢氏を切ったのは瀋陽軍区とのパイプを切ったのであって、中国の中央の意思を尊重したもので、寧ろ中央とはもっと密接になったのだ、と。
だから北にはまだちゃんと中国からの石油がパイプラインで送られているのだと。


ソ連の崩壊を予想し、その前にソ連が東ドイツを見限る事を言い当てていた長谷川氏は、今の中国と北の関係をそれに似ていると見ている。

中央と北は近くなったが、もういつまでも北の面倒を中国は見続けていられないのだ、と。

中国中央が見限ったら、北はまもなく崩壊する。
金正恩はスイスあたりへ亡命するだろう、とまで言い切っている。

その長谷川氏の予想のせいではあるまいが、とんと金正恩氏は表舞台に出て来ていない。
それより何より、中国そのものの危機。
もうそんなに遠くない未来だという。

中国の中央の崩壊、その後は、一体どんな姿になるのだろう。

長谷川氏は七つの軍区がそれぞれに小競り合いをしながらの状態がしばらく続くのではないか、と見ている。

香港のデモ、かなり長期化しつつある。

このデモが何かのトリガーを引くことになるのかもしれない。



01/Nov.2014
狼と香辛料 支倉凍砂

特定の場所に店を構えず、商品を持ち歩いて売り買いをし、さやを稼ぐ。
ここで登場する主人公も北から南へ西から東へ塩を運び、麦を持ち帰る、というような行商人である。
麦を仕入れに行ったとある村で、麦の豊作を司る神の化身である狼を祭ったお祭りに出くわし、その帰りになんと「麦の豊作を司る神」の化身である狼のさらなる化身である少女が旅の道連れとなる。

この物語、冒頭より麦の先物買いだとか、先物だの為替だのという用語が出て来る。

為替取引の起源に近いようなやり取りまで出て来る。
ある町の商会で塩を買った時にそこでは金は払わない。何故なら別の町で同じ商会の支店に同額の麦を売っていたからだと言う。
これが為替取引なのだというくだりがあって、しばし考えてしまった。
しかも南の商業国で発明された画期的なシステムだという。

いわゆる物々交換としての為替取引、物々交換としての取引は貨幣というものが生まれる前のものではなかったのか。
しかしながらこの物語の時代には既に貨幣は存在している。
ある町と別の町での流通貨幣が異なるため、その為替損益をリスクヘッジするための実物取引なのだろうか。
もしそうでないとしたら、その取引の目的は何なのだろうか。
別の町で同じ商会の支店に同額の麦を売ったのなら現金決済をしてもらった方が行商人という明日をも知れぬ立場なら有り難かったのではないのだろうか。
麦を売った際に当然、証書的なものを受け取るだろう。それが99%信用出来るものだとしても、別の支店でちゃんと塩が用意されているかどうかのリスクを負う。
塩ならまだ天候に左右される要素は少ないが、それが逆ならどうなのか。
塩を売った金を受け取らず、麦を受け取る権利を得る。別の町で麦は天候不順で不作かもしれない。
それでも受け取る権利がある以上、不作なら高値の麦を受け取れるという仕組みなのだろうか。
不作なら安値の麦を受け取らざるを得ない。
何やら行商人という立場の方が商会側よりはるかにリスクも高いように思えてしまうのだが・・。
リスクが高い分、現金決済よりも取引を優遇してもらえる仕組みなのだろうか。

日本でも貨幣経済が確立した後であっても武士がもらえるはずの何百石=つまり米なのだが、その米を実際に受け取らなくても受け取るはずの証書=つまりその当時でいう為替を持って他の商品購入にあてるという形式はあったはずだが、これなどは証書=紙幣と同じことなので同じ理屈は当て嵌まらない。

では、なんだろう。
現金決済をしないことのメリットはせいぜい多額の現金を持って夜盗などに襲われて奪われるリスクをヘッジしたもの、ぐらいしか行商人の立場からは思いつかない。

おそらく読み手のこちらがちゃんとシステムを理解していないからなのだろう。

話の中ではなんで?という疑問への解答は書いていないが、作者にしてみればそんなことは書くまでもない常識だろ、ということなのか。
いや、ストーリーの本筋とは違うから、深く突っ込んでくれていないということなのだろう。
本筋のストーリーが気に入らないわけではないのだが、そういうところがクリアにならないとなかなか、ストーリーにすら入っていけない読者というものも困ったもんだ。

この物語、ライトノベルというジャンルでありながら、いや、そんなジャンル分けに意味があるとは思えないのだが、商談にあたっての真偽について、真であれば儲ければ良く、偽であれば、注意深くその裏をかけば大抵は儲け話になる・・などというやり取りなど、この作家、商社にでもいたのではないか、などと思えてしまう。

商会との商談での駆け引きなどはなかなか読みごたえがある。

はたまた、このストーリーには貨幣の投機というものが根底にある。

貨幣の信用度という言葉も度々登場する。

国の貨幣の流通は即ち国と国との戦争に匹敵する。その国の貨幣に席巻されること、即ち経済的には属国となるに等しいとまで触れている。
ドルの信用が落ち、ドル決済が減る。これまでは元などで決済することは考えられなかったものが、中国元での決済が今や急激に伸びているという。
この移り変わりをまさか触れているわけではないだろうが、なかなかにして正鵠を得ている類の会話が散見されるのである。

ストーリーの本筋にはふれずにおくが、この物語、本何やら電撃大賞とかいうライトノベルの小説の銀賞を受賞した作品なのだとか。

ジャンル分けには興味が無いと書きながらも思うのである。
ライトノベルと言われるジャンルものは何故か無くてもいいイラストがついており、だからライトノベルなんだよ、と言われるかもしれないが、何故かちゃんと一巻で綺麗に完結出来てしまえるものを続き物にする傾向がある様に思える。

この物語も綺麗に完結出来たであろうに、どうも続き物になっているらしい。

だからライトノベルなんだよ、とまたまた言われてしまいそうだが、そういうところがなんだかなぁ。


02/Nov.2009
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