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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Nov.2017
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ヘンリー サンダースン・ マイケル フォーサイス
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チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行 ヘンリー サンダースン・ マイケル フォーサイス

かつて、といってもほんの10数年前までは農村地帯でしかなかったようなところに、日本の地方の政令指定都市をはるかに上回る人口規模の都市がどんどん出来あがる。
海外の人間はもちろん名前を聞いたこともない。中国の国内ですら、ほとんど名前を知られていないような100万人都市が雨後のタケノコのように乱立して来た。

かつて農村だった時には、さほどお金が手に入らなくても、自給自足でメシは食えたので、貧しい貧しい、と言いながらもなんとか生活はしていけた。
その農村を安い土地代で半強制的に立ち退かされ、都会生活者となったとたん、生活レベルがこれまでの10倍、100倍となる。
それだけ稼がなきゃ逆に食っていけない。
それが(生活レベルが10倍100倍だから)それまでの暮しより10倍、100倍豊かになったと言い立てるが果たしてそう言い切れるだろうか。

そういうシステムを作り上げたのが、ほとんど世に知られていない中国開銀なのだという。
地方政府は安い価格で土地を手に入れ、その土地を担保に中国開銀は大量の資金を地方政府に貸し付け、地方政府はインフラ、高層ビル、使う人がいようがいまいが巨大なスタジアムを建設する。スタジアムがあれば、その周囲の土地の値段が跳ね上がるからだそうだ。そうやってバンバン大枚をはたく。
その結果出来たのが、100万人都市の雨後のタケノコ。

同じことを開銀はエチオピア、ガーナをはじめとするアフリカ諸国、ベネズエラ、エクアドルをはじめとする南米諸国に対して展開している。
日本でも紐付きODAなどが問題となったことがあるが、この開銀の場合は紐付きとどころじゃない。
契約書にどうどうと謳われているのだ。
で、相手国政府が中国企業に発注するのではなく、中国開銀からの融資額の一部が直接中国企業に支払われる。絶対に取っぱぐれしない、ということだ。

国内の総都市化の後にアフリカ、中南米のインフラにも触手をのばし、そして国内企業=国有企業の海外展開への育成というよりシェアの独占化に力を貸す。

次世代エネルギー、通信、陸運・・・・・各種のインフラ関連企業の国際競争のにおいて、購入側の資金調達をスムーズにしてやることが出来れば、話は早い。
中国開銀ならそれが出来るのだ。
低金利でしかも支払い猶予にかなりの余裕を持たせる。もちろん、中国国営企業への受注手助けだ。開銀の有利な融資の後押しをバックにつけた中国企業たちは軒並み世界のTOPシェアにどんど食いこんで行く。

これぞまさに共産党が、国家そのものが行う資本主義。
国家資本主義とでもいうのだろうか。

各国のそれぞれの独立民間企業など太刀打ちが出来るわけがない。


アメリカの通信事業の受注を中国の通信企業が行って国家機密が保てるのか、の議論がアメリカであったのは記憶に新しい。

この本の日本での邦訳出版は2014年4月3日。それからまるまる一年。

総貸出残高108兆円(2012時点)で世界一の貸出規模を誇る銀行でありながら、その実体がほとんど知られていない、というこのアンバランスさ。

この一年の間にどういう動きがあったのはは定かではないが、ここに来て急ピッチで中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の発足に向けた動きが活発化して来た。
日本アメリカは不参加だが、アジア各国のみならず、ヨーロッパ各国も加盟の方向だ。

日米除きの各国を巻き込んでのチャイナズ・スーパーバンクがまさに生まれようとしている。

チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行 ヘンリー サンダースン・マイケル フォーサイス 著


03/Apr.2015
ダブリンで死んだ娘  ベンジャミン ブラック

アイルランドの小説など過去一度も読んだことが無かったが、昨年に見たドキュメンタリーの影響か。
ダブリンという響きが本を手に取るきっかけだった。
ドキュメンタリーというのは他でもない。経済問題である。
あのリーマン・ショック以来の世界同時不況の中、アイルランドの景気後退は他のどのユーロ圏諸国よりも深刻な状態をあらわしていた。

今や欧州ではギリシア危機が最も深刻に語られているが、アイルランドも相当なものだ。

何より、日本が「失われた10年」を過ごして来た中、年率平均6%〜7%のペースで急成長してきた国である。
賃金カットと増税、たったの一年の間に失業率は5%から10%に・・・というような。


とは言え、日本の現状もひどいものなのでアイルランドばかりを心配してはいられない。
そんなことはさておき、「ダブリンで死んだ娘」の邦訳は昨年(2009年)の出版であるが、舞台となっているのは1950年代で、上の記述は本の紹介上何の意味も為していない。

一人の病理医が、搬入された若い女性の遺体に目をつけたのが始まり。

彼は大病院の病理科医長でもあり、検死官でもある。
死因に不審を持ち、再度遺体を見ようとするのだが、遺体はすでに運びだされてしまっていた。
そこからこの病理医が執拗にこの女性の過去やその周囲を追いかけ始める。

ミステリものなので詳細を書く事はNGであろう。

敬虔なクリスチャンでありながらクリスチャンを超越してしまった人びと。

貧しい家の子供達を幸せに出来るのは自分達でしかない、と思い込む高貴な地位の人たち。
とんでもないお仕着せがましさ。
なんと高慢で、傲慢で、想像力の欠如した人たちなのだろう。

翻訳者のせいなのか、多少冗長に感じるストーリー展開なのだが、英語圏内では反響を呼んだ小説なのだという。
アイルランドには、いやケルト民族にはそういう人たちが存在してもおかしくはない、と思わせる空気があるのだろうか。


ダブリンで死んだ娘 ベンジャミン ブラック著 松本剛史 翻訳 ランダムハウス講談社文庫


12/Feb.2010
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