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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Dec.2017
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氷点 三浦綾子
ヒア・カムズ・ザ・サン 有川浩
東のエデン 神山健治
悲惨伝 西尾 維新
密やかな結晶 小川洋子
ひそやかな花園 角田光代
7月24日通り 吉田 修一
悲痛伝 西尾 維新
羊と鋼の森 宮下奈都
光秀曜変 岩井三四二
人質の朗読会 小川洋子
ひとり日和 青山七恵
火花 又吉直樹
悲報伝 西尾 維新
肥満と飢餓 ラジ・パテル
日御子 帚木蓬生(ははきぎほうせい)
秘密 東野圭吾
悲鳴伝 西尾 維新
姫椿 浅田次郎
ひりつく夜の音 小野寺史宜
昼が夜に負うもの ヤスミナ・カドラ
貧者を喰らう国  中国格差社会からの警告 阿古智子
美少年探偵団 西尾 維新
ビタミンF 重松清
ビヨンド・エジソン 最相葉月
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氷点 三浦綾子

私の枕もとにはいつも何冊かの未読本が積まれている。
とっとと片付けてしまおうと思うのだが、新しい本を購入するペースの方が早く、以前からずっと積まれたままの本は相変わらず積まれて下に埋もれたまま新刊の方を先に読み始める。

三浦綾子という作家、以前からクリスチャンであるという事は知っていた。
この『氷点』を購入したのもだいぶ以前の事である。
ひょっとして大昔に読んだのではなかったか、と思いつつも何故か本屋の書棚から引っ張り出して購入してそのままだった。

昨年末にこの『氷点』のドラマ化をしたものが放映される、というので録画予約をして、本を読むより先に見てしまった。ドラマを観てやはり昔に読んだものではない事がはっきりした。

録画の時間を間違えたので全ては観られなかったが大筋は理解した。理解してそしてついバカ笑いをしてしまった。

幼い娘が殺害された病院長が、殺害した犯人の娘を養女として引き取り、その養女を育てさせる事で娘が殺害された時に男と逢引をしていた妻への復讐をしようとする。

いずれその事実を知った妻が今度はその養女を苛める。

学芸会の時に一人だけ衣装を揃えてやらなかったり、給食費を渡してやらなかったり。
卒業式の答辞を読むにあたってその答辞の原稿を抜き取ってしまったり・・
いったいどこまでいくんだ!あぁー!って、その滑稽さに笑いまくってしまったのだった。

だからなおさら、本への手は伸びなかったのだが、何かの拍子で本の山が崩れ、現れ出でたるのがこの『氷点』だった。まるで読んでちょうだい、とでも言う様に。

ドラマで大筋を知ってしまっているだけに読むスピードは速かった。

しかし読み始めてみるとどうだろう。ドラマを観た時に感じた滑稽さなどは微塵も無い。
なんともシリアスな話なのである。
このシリアスさを理解するには昭和20年代という時代背景を考慮に入れなければ成り立たないであろう。

近年はもっぱらレトロブーム。昭和の時代は良かった。あの頃は夢があった・・と。
現代日本人が失った何かを持っていた時代。
そしてその何かの中には「恥」という概念も含まれているのだろう。
そしてその何かの中には「寡黙」というものも含まれているのかもしれない。

妻が浮気をしているかもしれないというのにその事を妻に直接尋ねるも出来ないこの啓造という病院長。

この平成の時代にあっては妻が浮気をしようがしまいがどうでも良いと思う夫はざらにいるだろう。
逆に気になる人は夫婦喧嘩をしてでも問い詰めるか。
今を時代背景として考えると啓造というキャラクターは成り立たない。
だからこそ余計に現代人が演じるドラマなどで観てしまうとその行為は滑稽を通り越して異常としか言い様が無い。
いや昭和20年代であったとしても異常である事には違いは無いのだろうが、そういう事を問い詰める事そのものに対する卑しさの様な気分的なものを残していた時代なのかもしれない。
それにしても学生時代からの恩師の教えである「汝の敵を愛せよ」を実践する、という言葉と裏腹に自分の妻を許すどころか一番陰険な復讐方法を考え、それを実践してしまう感覚はどうだろう。

いずれにしろ「恥の美徳」や「寡黙の美」を日本人がまだ持っていた時代は同時に己の美徳からはずれる者に対して陰険で暗い粘着性の様なものも前時代から引き継いでいた時代なのかもしれない。

この本が出版と同時にベストセラーとなったという事実はそういう時代背景の引きずりがあったからではないか、などと思ってしまうのである。


それにしてもこの養女となった陽子の明るさ、強さ、性格の良さはいったいなんなんだ。
小学校に入った頃に隣に座っている子はどんな子?前の子は?後ろの子は?と聞かれる場面があるが、どの子に対してもいいところを見つけて褒める。
人を悪し様に言う事を決してしない。
真実を知った母親からどんな目に合おうと告げ口をしない。
常に明るく明るく振る舞い、逆境を逆境と思わない強さを持っている。
この子こそ、神の子なのでは無いのか。
子供というもの、わがままなのが当たり前な生き物である。
子供の心は清く正直だ、などと言う勘違いを耳にする事があるが、子供だって嫉妬心もあれば嘘もつく。正直だというのはその嘘のつき方が下手だというだけだろう。
陽子はわがままという一般的な子供が持っている特性を持たない。
この養父養母は「血」というものへのこだわりが強いが、子供の育つ後天的要素についてはどうなのだろう。

子は親の背を見て育つと言われるが、給食費をくれない母親に文句を言う代わりに牛乳配達を始めるという発想はまさか「血」ゆえではあるまい。この両親のどこからそんな要素が受け継がれたのか。

幼い頃より父の膝に座る事さえなかった子供がここまで明るく他人に対して優しい性格を持ち得るのか。

今のご時世、親は子供から無視をされるご時世。
子供にとって父親は外で金さえ稼いで来てくれればそれで良く、ウザくて近寄ればオヤジ臭さが移りそうで、近寄るのも話をするのも嫌。
また母親は賄い婦であり、掃除婦であり、買い物に走らされる雑用一切をすれば良い家政婦の様な存在。

少子化のこのご時世の中では子供はこわれものの宝物の様に育てられ、家の中で一番偉そうにしているのが子供。
そんな家も多いのではないだろうか。

有り得ない様なありがたい「神の子」の様な子を授かりながらそれに気が付かない憐れな養父母の姿。

作家が描こうとしたのはクリスチャンならではの「許し」であり、生きている事そのものの「原罪」なのかもしれないが、読む側にしてみればどうしても平成のこの時代の現実を重ねて読んでしまう。



やはり平成のこのご時世に置き換えて考えて見る事そのものが滑稽な行為なのだろう。
なんとも言えない異質な気分が残る。やはり違和感はぬぐえない。


氷点 三浦 綾子 (著)


26/Jan.2007
ヒア・カムズ・ザ・サン 有川浩

同じような設定で登場人物が若干変わり、同じ登場人物も少しキャラクターが変わっていたりする。

一作目では、編集者に勤める主人公は、幼い頃より感が強く、触れた物からその持ち主の思いが伝わったりでする。
編集者という立場で小説家と向き合うにはかなり有用な能力だろう。

同期入社のカオルの父親が20年ぶりにアメリカから帰国する。
ハリウッド映画の脚本を手掛けた人なのだという。

その人の手紙の書いた手紙に触れた瞬間、主人公氏は衝撃を受ける。


もう一作が、ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel。
パラレルワールドというわけではない。
設定そのものが異なる。

こちらの主人公も同じ名前の人物で同じ様に編集者。
こちらの主人公は、どうやら能動的にみようとしてはじめて触れたものからその物の過去の風景そのものを見ることが出来てしまう。
こちらもカオルという女性が登場するが、こちらは主人公氏の婚約者として登場。

同じようにカオルという女性の父親が同じく20年ぶりにアメリカから帰国するのだが、こちらの父親は一作目の父親と違って、大法螺吹きの男。


・主人公は30歳。編集者。
・物を触るとそれに残された人間の記憶が見える。
・同僚のカオルと共に成田空港へ行く。
・カオルの父が20年ぶりに帰国する。
・父はハリウッド映画の仕事をしている。


そんな設定(具材)を与えたなかで、作家が料理をするという趣向らしいのだが、無理に設定を与えるということは作家の自由な発想転換の機会を逸してしまい。
そんなものの書か方というのはいかがなものなのだろう。

無理やりストーリーをはめて行く中でどうしても無理が出て来てしまう。

一作目にしたって、無茶苦茶優秀、芸術的なほど激烈で・・とはいえ、脚本家という仕事だ。
脚本を書く人間が20年放ったらかしの娘の気持ちを読めないような有り様で優秀な脚本など書けるのか、などと思ってしまう。

寧ろ音楽家だったり、画家だったりという本来の芸術家の方が激烈な個性に当てはまるのではないか。

もう一つは語学の壁。
役者なら、まだ語学の指導も付けられるだろうが、脚本家に語学の指導など有り得ないだろう。
成長期をとうに過ぎて、結婚して、子供までいる年齢になってから、身につけた語学で脚本などという肝が書けるだろうか。
大人になってからのビジネス英語ならなんとかなっても、言葉のやり取りの機微など表現し切れるのだろうか。




この二つの話、文芸雑誌かの一章として書かれているのを、たまたま見つけたとしたら、あぁ、いい話を読ませてもらった、とすごく得した気分になるのだろう。

ところが、「有川浩の単行本」として読むと、もっともっと期待していたのに・・という感はが残ってしまう。
まぁ、いい話ではあるのだが・・・。


ヒア・カムズ・ザ・サン 有川 浩 著 (新潮社)


22/Jun.2012
東のエデン 神山健治

なんとも奇想天外なお話。

100億円を自由に使って、日本を正しい方向に導け、という役割を与えられた11人プラス1名。
選ばれた11名は、その100億円を使い切らなければならない。
不正に使って残高0円になるとサポーターと呼ばれるプラス1名に命を奪われる。

日本を正しい方向に導くことに真っ先に使い切った者だけが上がりで、残った者もまた、サポーターに命を奪われる。
そんなとんでもないルール。

そもそも100億円なんてどうやって使うんだ?

一昔前にこんな話があった。

ごくごく普通のサラリーマンに社長がこんな指示を出す。
明日から会社に一切、出て来なくていい。
その代り1億円を使わせてやる。(その代り、はおかしいか)
1年かけて1億円を使い切れ!
マンションを買ったり、預金したり、というような貯め込むのはダメ。
どんな遊びに使っても構わない。
そして1年後にどんなものでもいい。
なんでもいいから新商品のアイデアを一つ持って来い!と。

さぁ、サラリーマン氏、困り果てた。
1億なんてどうやって使ったらいいのか、さっぱりわからない。
全然、お金は減らず・・・とうとう困り果てたサラシーマン氏、出て来るなと言われた会社の方へ足を向けてしまう。
早朝、まだ夜が明けきらない時間帯に来て、皆が出社して来て仕事を始める時間まで、会社の至るところを掃除をして暮らしてしまうのだ。
たぶん、そんな話だったと思う。
食品系のそこそこ大きな会社(だったと思う)での本当にあった話だ。

その会社でそういう事をはじめてみた、という話が雑誌、新聞、テレビなどの話題コーナーみたいなところに散々取り上げられたので、その広告宣伝費で充分に1億円の元はとれていたのだという。

一昔前と言ったってデフレの世の中だ。
お金の価値は今とさほど変わらないのではないだろうか。

普通のサラリーマン氏が1億で困り果てたというものを、彼ら選ばれた人達はどうやってその100倍ものお金を使うのだろうか。

この物語の設定、サラリーマン氏とちょっと事情が違うのは、使い切らなければ命がなくなるという、命がかかっていること。
それに携帯電話一本で指示を出せばどんな指示でも叶えてくれる、というとんでもない設定だろう。

そんなことを考えている矢先に、某大手企業の創業家の御曹司が子会社から100億以上借り出して、カジノで使ったとかなんとか。

世の中にはいるもんだ。
100億を使ってしまえる人が。
まぁ、使い切ったかどうかはわからないが・・。
でもカジノでって、とんな賭け方をするんだろう。
金持ちはバクチで負けないという話があるが、どうやらそうでもないらしい。

それで驚いていたら、今度は別の大手企業で、海外の企業を買収する仲介にコンサル費用として600億もペーパーカンパニーへ支払っていたとか。
って600億ぽっぽないないしちゃったってことか?
上には上が居るもんだ。

特に命がかかってなくても、使える人は居るらしい。


さて、物語の方だ。
それにしてもまぁど派手な使い方をしちゃっていますねぇ。
東京にミサイル攻撃だ?
なんでそれが日本を正しい方向に導くのか。
戦後の焼け野原に戻すのが一番ってか?

まぁいろんな考えの人が居るということにしておきましょう


東のエデン 神山健治 著 ダ・ヴィンチブックス


04/Nov.2011
悲惨伝 西尾 維新

四国第二弾。
徳島へ舞台が移る。

西尾維新の四国巡り。
悲痛伝の香川県では、讃岐うどんを堪能するし。
なんだかたっぷり四国の観光巡りをしてそうな書きっぷりではないか。

四国八十八箇所の札所の中でも最も難所と言われる山にも行ったんだろう。

吉野川上流の秘境と呼ばれる渓谷へも行って来たのだろう。
そうでなけりゃ、書けないわなぁ。

これで、四国一周ツアーが決定だ。
次作は高知で次々作が愛媛か。
はりまや橋やら、桂浜やら、暑さ日本一を更新した四万十あたりも観光取材して来てるんじゃないの。


なかなか四国編だけでも長丁場となりそうだ。

地球との闘いがどんどん霞んで行く。

今回は魔法少女でも魔法の桁が一回りも二回りも違うレベルが登場する。
大気を司る力を持つ少女。
水を司る力を持つ少女。
もはや神か?

そのさらに上をいきそうな魔女なる存在も登場してきた。
不明室が開発して一週間を期限に四国に投下されるはずの新兵器が核爆弾でもなければ四国全土を海に沈めてしまう爆弾でもないこともわかってきた。
その新兵器も登場してきそうだ。

はてさて、どんな四国紀行が出来あがって来るのやら。



悲惨伝  西尾維新著


16/Aug.2013
密やかな結晶 小川洋子

ものすごく怖いお話なのに、小川洋子さんはたんたんと書き進めて行き「怖い」という雰囲気を払拭してしまう。

舞台となる島では、これまで日常普通にあった物が「消滅」してしまう。
消滅が有った朝、川にはその「物」が投げ捨てられ、「物」そのものが無くなるだけで無く、人の記憶からも消滅してしまう。
そしてそれら消滅させた物隠し持っている人間を秘密警察は捕まえ、物を持っているだけでなく、記憶を持っている人たちまでも秘密警察は捕えようとする。

「消滅」はこの島の統治者側の決定事項らしいのだが、最初のうちは生活に身近なもの、特に何ら目立つようなものでもない生活品がその対象となる。リボンが消滅し、鈴が消滅し、エメラスドが、切手が、香水が消滅する。
そうした人間が作った物ばかりか、ある朝は鳥が消滅し、バラの花が消滅する。
その消滅する物で商売してした人なども当然いるわけなのに、そうした人たちは当たり前のように違う仕事にありついて、それを当り前のように過ごしている。

統治者側がそれらを消滅させることでどんなメリットがあるのかさっぱりわからないのだが、消滅指示は次から次へと続いて行く。

消滅があってもその記憶が鮮明に残っている人と消滅を受け入れてその物があったことすら思い出せなくなる大半の人。

ある朝は写真が消滅の対象にされてしまう。
写真には数々の思い出が詰まっているだろうに、消滅を受け入れてしまう人にはもはやその写真の思い出などにも何の感慨も覚えなくなってしまう。

主人公の女性は小説家なのに、ある日小説も消滅してしまう。
島の至る所で本が焼かれ、島の至るところで焚き火のあかりは夜を通り越して朝まで続く。

この消滅という事柄はどう受け止めればいいのだろう。
人には自分にとって都合の悪いことは無かったことにして記憶からも消し去ることが出来たりする。
その極限の世界なのだろうか。

文庫の解説は井坂洋子さんが書いておられた。
本が焼かれる焚書、秘密警察から逃れようと隠れ家に住む人たちを捜し連行する姿をナチのユダヤ人狩りになぞらえ、隠れ家に住む人たちをアンネフランクのような人たちになぞらえる。

なるほど、そういう読み方もあったのか。

自分はこの不思議な、そして非現実と思われる世界は実は実世界のある局面の誇張なのではないだろうか、などと思いつつ読み進めていた。

そして自分の失った物と失った記憶とはなんだろう、と思いを馳せたのだった。



密やかな結晶 小川 洋子 著   講談社文庫


11/Jul.2011
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