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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Dec.2017
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流 東山彰良
流星の絆 東野圭吾
リアル鬼ごっこ 山田悠介
リストラなう! 綿貫 智人
理由 宮部みゆき
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流 東山彰良

中国の事を書いた本って結構な数を読んだ覚えがあるが、台湾の事を書いた本って思いだそうと思ってもあまり出て来ない。

抗日戦争の後に中国共産党と国民党が戦って、共産党が勝利し、国民党側の人たちが台湾へ逃げ込んだところまでは大抵の人は知っている。

その後の台湾がどんな歴史を歩んだのか、はあまり知られていないかもしれない。

昔から親日的で、人々は温和で、食べ物はおいしく、政治的には西側諸国の一国。
残念ながら中国の存在があるので、国連には加入出来てない。
多くの人のイメージは、そんなところではないだろうか。

台湾の中でも大陸からやって来た国民党にくっついてやって来た人たちと、元々台湾に住んでいた本省人とは相性は良くなく、良くなくというよりは大陸人(外省人)が本省人を蔑んでいる。
この話の主人公は祖父が共産軍と戦い、大陸を逃れて来たいわゆる外省人。
祖父は大陸では、何人もの人を切って来たという武勇伝には事欠かない人。
この当時の人の大半がそうだっただろうが、特に共産党がどうとか国民党がどうとか思想的なものは一切ない。
この祖父もご多分に漏れず、あいつとは兄弟分だからとか、そんな理由で国民党側についた一人だ。

そんな武勇伝満載の祖父がある時、何者かによって殺害されてしまう。

それからの主人公氏の願いは祖父を殺害した犯人をなんとかみつけることになっていく。
進学校に通ってエリートコースまっしぐらだった主人公氏だが、ある事件をきっかけに、台湾でも一二を争う不良学生のたまり場の高校へと移り、それからが喧嘩三昧。
その後、軍隊の生活を経て、また故郷に舞い戻る。

ここにはおそらく日本では誰も書かなかったその当時の台湾の世相が描かれている。
この誰も書かなかったというところが味噌である。

主人公の軍隊生活の中で、こっくりさんの儀式を行う場面がある。
ここがなかなか興味深かった。

本当に台湾でもこっくりさんを行う習慣があるのだろうか。
元々大陸で行われていたのが日本に伝わったのかもしれないし、日本から伝わったのか、作者が作ったものなのか。
作者は台湾生まれの日本育ち。台北は5歳まで過ごしたと書いてあったので、ここに登場する台湾の話も実体験より、その後の取材によるものが大半だろう。

ついつい戦後台湾を味わった気になってしまいがちだが、ストーリーはもちろんフィクションだろうが、その当時の世相や雰囲気などはどこまで実体なのだろう。

取材から膨らませたにしてはかなり生々しい。
自らのルーツを持つ者のみの独特の筆力で読む者を圧倒する、そんな表現が妥当だろうか。

流 東山彰良 著
29/Mar.2017
流星の絆 東野圭吾

洋食屋を営む父と母を殺害された子供達。

その時の子供達、有明功一、泰輔は小学生、静奈は小学生前でしょう。
その三兄弟が主人公。
でも本当の主人公はハヤシライスなのかもしれません。

三人は事件当時、8月の定番流星のペルセウス座流星群を観に家を抜け出していて留守でした。
だからこそ子供達は助かったのか、帰った時には両親は殺害されていて、次男の泰輔が家から逃げ去る犯人とおぼしき人物を目撃し、顔もはっきりと覚えている。

三人はその家を出る時に大人になったら絶対に犯人をこの手で捕まえて・・と復讐を誓います。

事件から経過すること15年。

その間に功一、泰輔、静奈の三兄弟は、静奈が資格商法詐欺に引っかかった事を機に見事な詐欺師としての道を歩き始めています。

殺人事件でも15年経過すれば時効。
あくまでも刑法上の話ですが・・・。

テレビドラマでは功一が刑事に向かって言います。
「俺達には時効なんてないっすから」
弟、妹にも言います。
「警察なんかに頼ってどうなる。犯人が捕まったって、俺達は法廷の後ろから眺めているだけじゃないか」
この言葉を聞いた時に、功一は江戸時代ならぬ仇討ちを果たそうとしているのだな、と思ってしまいました。

ってそれ以上書くのはご法度でしょう。これからドラマを見る人にはネタバレになってしまいます。

現在テレビドラマが進行中です。
なかなか面白い脚色付けがなされています。

詐欺を行う場面などは有明功一演出・脚本の劇中劇として面白おかしく描かれています。
原作の中では緻密でこの人の言う事さえ聞いていれば間違いが無いと思わせるほどの完璧な功一も、ドラマの中では弟、妹から
「暗れー」
「気持ち悪りぃ」
「だから友達いねーんだよ」
などと言われ放題のキャラクター。

また詐欺に引っかかる人達も、そりゃ自業自得だわさ、と誰しも思ってしまうような演出がなされています。

ドラマが必ずしも原作をなぞるとは決まっていませんが、原作のラストはドラマを観た人からしてもそりゃないだろう、という結末です。

この程度の記述ではネタバレにはならないでしょう。
いずれにしろ、ドラマから入った人が原作を読むのは最終回が終わってからの方がおすすめです。

原作が先の人は原作にはない劇中劇やら三人の、特に弟の泰輔の突っ込みが楽しめるのではないでしょうか。

他にも、ご飯に納豆をぶっ掛けて、目玉焼きをのせて醤油をかける「林さんライス」。

酔っ払うとオカマ言葉になる萩村刑事(若い方の刑事)。

静奈や泰輔の芝居に見事に引っかかる妄想男の高山。
などなど。

原作では味わえない見どころ、楽しみどころがいくつもあるように思えます。

それにしても東野さん、ガリレオといい流星の絆といい、本にドラマにヒットの連ちゃんですね。
絶好調と言ったところですか。


それはともかく、冒頭にも書きましたが物語の主役はなんといっても ハヤシライス でしょう。


普段は全く興味をそそられることもなかった ハヤシライス ではありますが、これを読んでからコンビニへ行ったらなんとあるじゃないですか「流星の絆」という名の ハヤシライス のレトルト。


思わず買ってしまいました。


流星の絆  東野圭吾 著


20/Nov.2008
リアル鬼ごっこ 山田悠介

時は30世紀。
日本は王国になっている、時の王様は150代目

日本の皇室でさえ20世紀、いや15世紀ほどか、その間に125代。
ということはこの21世紀からみての日本の未来が設定というわけでもなさそうだ。

主人公の佐藤翼は中学・高校・大学と陸上部に所属し、短距離の実力は高校時代ではインターハイのトップクラス。
中学、高校、大学という学校制度、インターハイという大会の存在、全く現在日本と同じ。
翼の家庭は翼の幼い頃に父親のDVで母親は妹を連れて出て行ってしまう。
これも日本のどこかに転がっていそうな話。

父親の職業について翼は関心が無かったが、実は大手企業に勤めていたという。
大手企業という存在があるという事は資本主義社会なのだろう。

翼の住む横浜といい、新幹線という乗り物といい、新大阪から淀川区の新北野へ移動するあたりといい、現代日本との違いは見当たらない。

その現在の日本を舞台にしながら王様がいる。
しかも独裁政権。
カリスマ性ゼロ。
誰の口からも馬鹿王様としか言われない。
その馬鹿王の苗字が「佐藤」なのだという。
その30世紀の世界の日本の人口は約1億人。
その内、佐藤姓の人口が500万人。
この王様、自分と同じ佐藤姓の存在が気に入らないので、抹殺したいと言い出す。

他の佐藤姓が気に入らないのなら、佐藤の人偏を取って左藤にでも皆の姓を変えてもらったらどうなんだ。
それも名刺やら表札やら役所の書類やら全部変えるとなると大混乱だ。あっちこっちに補助金をばらまかないと・・って全員殺すよりははるかにましなのだが。

自分の姓を「大佐藤」とか「キング佐藤」とか勝手に変えりゃいいものを、他の佐藤姓は全員抹殺したいのだという。

それではじまるのが、リアル鬼ごっこ。
兵隊が鬼で逃げるのが佐藤姓の人達。
鬼ごっこのルールは晩の11時から午前0時までの1時間。
期間は一週間。
この時間帯には全ての交通機関をストップ。公共交通機関だけではなく車も単車も使用すれば即死刑。
この交通機関の無い静かな1時間を佐藤姓の人達は鬼から逃げ回る。
兵隊達も佐藤を捕まえなければ、死刑。
いやがおうにも兵隊は必死になって佐藤を殺戮し、この世から佐藤姓が消滅するだろうというのが、この馬鹿王様の思いつき。

というより、実際にそういう展開になっていく。

なんとも荒唐無稽なむちゃくちゃな設定に、この本をそのまま読み続ける値打ちがあるのだろうか、などと考えてしまうがせっかく手元にあるのだから、と一時間を目途に一気に読んでまう事にした。

一週間の深夜一時間の鬼ごっこで、500万人の佐藤さんを全員抹殺出きるとは到底思えない。
日本という国、国土は狭いと言われるが、存外に広いのだ。

国内線の飛行機に乗って地上を見るとなんと緑豊かな山林の多い国土なのかとびっくりさせられるほどだ。
近隣の他の国、例えば中国でもモンゴルでも地上を見ればまっ茶、茶。岩石砂漠の地域が緑の大地よりもはるかに多い。

横浜の住宅街やら大阪の十三近辺などというところで逃げ回る場面だけが登場するが、
あの山林の中に一週間籠っていれば、そうそう捕まるもんでもないだろう。
日本には昔から山の民という人達が居てその末裔は現存している。
山の民なら逃げ場所などいくらでも提供してくれるだろう。
なんせ彼らは時の権力にあまり従順ではないのがさがなのだから。

山の民ならずとも横浜や大阪の住宅地の人だって、全てが全て傍観しているわけがないだろう。
人口1億に500万人。20人に一人の割り合い。
現在の正確な割り合いは知らないが小学校、中学校、高校、大学、社会人・・どの場面を思い出しても周囲の知り合いに4〜5名の佐藤さんが居た様に思う。
いや佐藤さんに限らず、田中さんだって、鈴木さんだって、井上さんだって、山田さんだって、山本さんだって・・・いつも周囲に何人か居たっけ。
中田さんだって、中沢さんだって、中村さんだって、中山さんだって、宮本さんだって、秋田さんだって、稲本さんだって、森島さんだって、小野さんだって、高原さんだって、三浦さんだって、釜本さんだって、都並さんだって、三都主さんだって、ラモス瑠偉さんだって、呂比須ワグナーさんだって、ってなんかいつの間にかサッカー歴代日本代表選手に変ってる?

そんなことはさておき、知り合い、同級生、友人、親戚、先輩、後輩、ご近所さん、サッカー選手、野球選手、有名人(ファンなら特に)・・・そんな佐藤さんを見て見ぬフリをするか?
あっちこっちでレジスタンスが蜂起するだろう。
日本人はお上の言うことに素直で大人しいと良く言われるが、自分の知り合いが、友人が、何の罪も無いのにこれからお上によって殺されようとしているのだ。
消費税のUPやら年金記録の間違いなどとは全く次元が違う。
必ずや人々は蜂起するだろう。
片や鬼の方の兵士にしても事態は同じだ。
鬼になった兵士100万人、100万人の軍隊って相当な軍事国家だな。自衛隊だって30万人も居ないだろう。その100万人の兵隊の中にも5万人相当の佐藤さんは居るはずで、その仲間達を狩れるか?
ともに戦い、訓練して来た戦友、部下、教え子、上官にそれぞれ佐藤さんは何人もいるだろう。そんな仲間を狩るか?
狩る前にクーデターを起こすだろう。

なんせ、その王様は誰からも尊敬されていない馬鹿王様なんだし。

もっと言えば、王さんがその策を言い始めた途端に側近が、とうとう気がふれたか、と王さんを幽閉してしまうのが最もありそうな話で一般的な対応か。

100万歩譲って、物語通り兵隊による狩りが行われたとしよう。
鬼ごっこで佐藤さんを捕獲出来なかった兵隊もまた死刑なのだ。
双方命がけ。

ところがこの物語、夜の11時までの間は佐藤さんはのんびり自宅で過ごし、夜の11時前に、街へ出て鬼と遭遇して逃げ回る。

鬼さんも命がかかってるなら、もっと必死になるんじゃないのか。
夜の1時間だけと言いながら、11時が来れば即座に捕獲出来る様に、昼に尾行し、居場所を押さえて置こうとするだろう。
逃げる方だって、それは同じじゃないのか。
結局、夜の1時間だけの捕獲時間と言いながらも、24時間見張り、24時間見つからない様になってしまうもんじゃないのか。

全く突っ込みどころが満載過ぎて書ききれない。

この本、果たして千円という本代の値打ちがあるんだろうか。
1時間で読み飛ばされた後おそらく二度と読まれる事も無いだろうに。

ところがなんと、この「リアル鬼ごっこ」、本が大ヒットして更に映画化もされたという。

なるほど、確かに映画にはぴったりかもしれない。
本だと突っ込みたくもなるが映画なら全て許される。
映画こそ一回こっきり観るためだけに1800円也を払うわけだ。
それに比べて本代が惜しいはずがないっか。


あまりこの本のことを褒めていないような文章になってしまったが、なかなか感動的なシーンもあるので、そのあたりを紹介しておこう。

妹も佐藤姓。妹を助けるために土地勘の無い大阪へやって来て、そして14年ぶりの再会を果たす。
この妹との兄弟愛と絆。

命がけで自分を助けてくれた、かつての悪ガキ仲間の同じ佐藤姓の友人との友情と絆。

初日は遭遇さえしなかった鬼が、日に日に佐藤さんが減ってくるに従って遭遇する確率も高くなりだんだん追っ手の数が増えて来る、その恐怖。

ただねぇ、結末は誰しもそれだけはあまりに当たり前だろうから、と結末の選択肢からはずすと思われる結末。

なんとも・・。


ちなみにこの本のジャンルはホラーなのだそうだ。
確かに30世紀と言ってもSFでも無ければ、ファンタジーでもミステリーでも無い、いくら該当するジャンルが無いからって・・・ってなことをつらつらと考えるにつれ、おぉ、やっぱりホラー以外の何者でもないように思えてきた。

リアル鬼ごっこ 山田悠介 著


01/Dec.2008
リストラなう! 綿貫 智人

この本、ブログがそのまま本になっている。
「リストラが始まりました」というタイトルではじまるブログとそのブログに対するコメント、どうやらそのまま本にしてしまったらしい。

最初の「リストラが始まりました」では、「頑張って!」とか「私もリストラ組です」、「応援しています!」みたいなコメントがついているのが、だんだんと回を重ねる毎に厳しいコメントが付くようになる。


で、このブログ主が実は結構高級取りだとわかってくるとかなり手厳しくなり、とうとうこのブログ主が年収を発表してしまう。そうなるとほとんどその高額年収に対する集中砲火で、もう同情の声はほとんど無くなる。

それにしてもこのブログ主さん、どれだけ叩かれようと、毎度毎度「心が折れました」などと書いてはいるものの、叩かれた内容について反論も激怒もせず、ひたすら「その通りですよね」と続けて行くところが好感度を持たれるのだろうか。

ブログ主はやがてはコメントに対して反省の弁を書く世界から脱して行き、もうこうなったら好き勝手書いてやるとばかりに突っ走り、方やコメントの方もかなり手厳しいコメントは続きながらも手厳しいとはいえ、真剣であまりに真っ当な意見が多いのに驚かされる。

本ではブログ主の書いたブログ本体とそれに対する、コメント、コメントに対するコメントなど、ブログ本体とコメントの割り合いはだいたい半々ぐらいだろうか。

そのコメントを含めてそのまま本になるほどに、コメントの質が高いのだ。

話題は電子書籍になったかと思えば、出版社、取次店、著者、書店の各々の力関係だの、利益配分だの、返本制度の問題点、本来はこう有るべきの類の意見があったり、出版という業界のいい勉強になる。

同じ出版関係の人のコメントもあれば、書店の店員さん、そして著者の立場からの意見などもある。

それぞれのコメントがかなりの真剣なもので、長文なものが多い。

出版業界はどうあるべきかという業界話題から、仕事たるものどうあるべきかという広い話題に至るまで、コメント欄は達者な方でいっぱいだ。

まぁしばらくたってしまえば、筆者(ブログ主)の周辺では知れ渡ってしまったらしいから、そういう身近な人達の書き込みもあったのだろうか。

それにしてもこのブログ、初っ端の投稿があってからもうその翌日にはかなりのコメントが寄せられている。

いくらブログタイトルが人の関心を惹くものであったとしたって、ブログを初めて直ぐにそんなに読者が現れるものだろうか。

この筆者(ブログ主)はもっとかなり以前からブログを維持し、ブログ読者を持っていたのではないだろうか。でなければなかなか説明がつかない。

冒頭にては電子書籍の登場にて、出版社もとうとうリストラか、と言うような流れだったと思うが、そうだったとしたら、電子化でリストラされて書いたものが電子媒体から紙媒体に移って売れてしまう、というのはなんという皮肉なんだろう、と思ってしまうところだが、ブログが進展して行くにつれ、リストラに至る要因が電子書籍でもなんでもなく、もっともっと根の深いところにあることがブログ主とコメントから書き間見えて来る。

いずれにしてもブログとそのコメントとで出来あがるというスタイルとしては新しい姿の出版物が世に出たわけだが、それも筆者(ブログ主)のいかなるコメントも受け入れるという懐深さ無しでは成り立たなかったのではないだろうか。



リストラなう! 綿貫 智人 著


24/Jan.2011
理由 宮部みゆき

我々はメディアを通して現実を知る。
テレビでニュース番組やドキュメントを見ることによって、新聞や雑誌を読むことによって、今この日本で世界で何が起こっているのかという情報をつかむのである。
肉眼で見ること、自分の足で歩いて遭遇し、手で触れて体験する事などメディアがもたらしてくれる情報の量に比べたら、たかが知れている。
(中略)
普通の人が普通に暮らしてその一生の間に獲得することのできる何十倍もの量の情報をテレビやコンピュータの前で居ながらにして手に入れることができるようになると厄介な問題がひとつ生まれてくる。
「現実」や「事実」とは一体何なのだろうかという問題だ。
何が「リアリティ」で何が「バーチャルリアリティ」なのか。
(中略)「実体験」と「伝聞による知識」のふたつを「インプットされる情報」という枠でくくってしまうならば、現実と仮想現実のあいだに相違など無いと言ってしまうこともできるし・・。

上記は『理由』の中で宮部みゆきの語っている事である。多少誤植(パンチミス)もあるかもしれないので原文のままとは言えないが。

確かにごく一般の人間の行動範囲のなかには、薬害エイズ訴訟も官僚の不正行為も環境保護団体も中国のチベット問題もチェチェンも日銀総裁不在も存在しない。

私の友人にアフガニスタンのタリバンの幹部と友人になった男が居たとする。
彼はアメリカの9・11テロとタリバンは無関係であるとあの当時言ったとする。
アルカイダなどという組織そのものは実在するわけでは無く、それぞれの地域でや反米嫌米で中小のテロを起こす個別な集団や起こす可能性のある個別な連中。彼らが所謂アルカイダと言う名で総称されているだけでそんな組織は存在しないんだ、とありとあらゆるところでそれを説明してまわったとする。
述べていても既にメディアの力で出来上がったアルカイダという組織がある以上、それが事実となり、アルカイダが9・11テロを起こした事も事実となり、オサマ・ビン・ラディンがそのリーダーだという事も事実となり、オサマ・ビン・ラディンをはじめとするアルカイダをタリバンがアフガンにかくまったという事も事実となり、アメリカに攻撃されるのが当たり前なんだ、という事も事実となり、現実となる。
彼はアメリカはタリバンを制圧して勝った勝ったと騒いでいるが、タリバン、タリバンと言ったってカラシニコフを捨てて「私はタリバンではありませんでした」と言ってしまえば、彼がタリバンであった事実は無くなって、一市民に紛れてしまっているって何故わからないんだぁーと言ったとする。
でもそんな事実はメディアに載らない以上、事実では無いのである。
イラクにしても同様。今でこそアメリカも後悔しているのか、イラクからは大量破壊兵器が存在しなかっただの、アルカイダをかくまった事実は無かったという事実を米政府が正式に公表しようが、それまでの事実はそれまでは事実であり、現実だったのだ。
この問題、あまり深くふれるとどこかの政党のキャンペーンとでも勘違いされなねない。またそれは私の本意ではない。

では、私の友人は事実を語った事は果たして事実と認識されるのか。
「伝聞による」という意味ではそれも「伝聞によるもの」。
但し限りなく「現実」に近いところから発信された「伝聞による」ものである。
しかしその最も「現実」に近いところから彼が得た「伝聞」も私へ伝聞される事で、今度私が語れば「伝聞による伝聞」という非常に「現実」から遠い「事実」になってしまう。
ましてやWEBサイトにUPされた情報などはそれこそ現実よりかなり仮想現実に近いものとなってしまう。

「現実」とは?「事実」とは?

宮部氏はこの『理由』というルポルタージュを纏ったフィクションの中で結構辛辣にメディアを批判している。

ある場面では報道を通して一時は一家四人殺しの犯人として扱われた「石田」という男の言葉を借りて、
「マスコミ」という機能を通してしまうと「本当のこと」は何ひとつ伝わらない、と。
伝わるのは「本当らしく見えるること」ばかりだ、と。
そしてその「本当らしく見えるること」は、しばしばまったくの「空」のなかから取り出される、と。

宮部氏は「カード破産」という社会問題を取り上げたり、この『理由』の中でも「裁判所による不動産の競売とその裏をかく悪質業者の問題」や社会問題化されているものをいくつもその作品の中に織り交ぜている。

それらの多くの社会問題の根底にいつもあるのがメディアがもたらす社会問題。
いくつもも社会問題はそのとてつもなく大きな社会問題の一遍でしかなく、そのおおもとに鉈を振るっているかの如くである。



それにしてもボリュームのある読み物だ。
ルポルタージュはあまりにルポルタージュっぽく、これはノンフィクションなのだろうと予備知識なしに読み始めた読者はまず思ってしまうだろう。

ルポをしている記者の口調にはまったく女性臭さが無い。
たぶん男性という設定なのだろう。

いや、宮部氏そのものもかなり謎である。
写真にしたっていろんな本の著者の紹介に出て来るのはいつも同じ年代の同じアングルの写真。
そのワンショット以外にお目にかかったことはない。
実はその写真も現実ではないのかもしれない。
宮部みゆきが女性だなどというのはその名前から勝手に判断しているだけで実はマッチョな男性だったりして・・・。

いやはや・・。どこまでが現実なんだか仮想現実なんだか・・・。

理由 宮部 みゆき (著)


24/Mar.2008
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