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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Jun.2020
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肥満と飢餓 ラジ・パテル

世界では10億人が飢餓に苦しみ、10億人が肥満に悩む。

貧困に苦しむ世界の農民。その元凶は世界のフード業界の1/4のシェアを上位数社で抱え込むと言われる巨大なフードビジネスコングロマリットの存在。

原産地でキロ当たり十数セントで売られるコーヒー豆、地元の加工業者や流通業者の手を経てもなお、キロ当たり何十セントとドル未満のものが、一旦ネスレへ納入されるとその価格は一挙にキロ当たり16ドルと20倍以上に跳ね上がる。

それは一例。

各国の農民は、フード・ビジネスやら、国やら、銀行やらから借金漬けになっており、それが貧しさから抜け出せない要因なのだという。
まさにプランテーションの頃そのままのことが現在も続いているということなのか。

アメリカの農民にしてもまるで、スタインベックの「怒りの葡萄」の頃のままだと言う。
巨大フード産業も足腰は案外もろい、と筆者は書く。
例えば、原油の値上げなどで足元をすくわれる可能性もあると。

では、今年の1月よりチュニジアから始まった、反体制派デモによる中東地域のデモの頻発により、エジプトも政権崩壊。リビアでは未だに政府対反体制派の抗争が続き、まだまだ、他の中東の国への波及も想定される今現在はどうなのだろう。
原油価格は既に上がり始めている。


昨年あたりより、コーヒー豆などは新興国での需要が増えたことも有り、品薄状態。
オーストラリアの自然災害により小麦の品薄。
それに原油高は他のいろんなものの価格高に繋がることは必須だ。

これらは巨大フード産業にどんな影響を与えているのだろう。
ネスレは早々とコーヒー価格の値上げを発表したが、これはぼったくりをさらにぼったくる、ということなのだろうか。



日本でもこの春からコーヒー、小麦、ガソリンに限らず、かなりいろいろな品が値上げになりそうな気配である。
日本は長期間デフレ脱却を目指していたはずなのだから、少々のインフレに過剰反応する必要はないだろう。
このところのメディアは過剰反応しすぎの感がある。

筆者は従来の途上国の農業水準を大幅に上げたであろう「緑の革命」にも懐疑的である。
「緑の革命」によって化学肥料に頼らざるを得なくなった極貧農家はさらなる借金漬けにされてしまったのだろうか。
その後の遺伝子組み換え技術の話などでは、その生態が何十何百億年かかって築き上げた遺伝子情報をいうものに、ほんのちょっと手を加えただけで、まるで遺伝子情報そのものの特許までを組み換え技術会社が持っているかの如くの態度に憤慨されておられる。


この筆者の主張では「関税自由化が即ち悪なのだ」とも取れる発言が至るところで登場する。

韓国で農業貿易自由化に反対し、抗議の自殺を遂げた農民活動家、イギョンヘ氏の話を持ち出し、それが各国の農民に共通するような記述。
これはどうなんだろうか。
韓国は自由化への道を選択し、そしてその選択の後にちゃくちゃくと勝利をものにして来ている。
農業自由化の際に反対意見があったのはもちろんだろうが、規制緩和・自由化によって、農民に餓死者が出たなどと言う話は聞かない。

規制がある=官の支配強化=官を抱き込んだ巨大企業に有利。
最貧国の官などでは巨大企業の袖の下など、ごく当たり前のことだろうし。
という図式を考えれば、規制が緩和されること即ち、巨大企業以外にも参入の余地有り、ということは考えられないのだろうか。


フード産業についての歴史を読み解く本としては分かりやすく素晴らしいと思うのだが、その主張せんとするところについては、やや個人的思いが強すぎる感が有り、かなり割り引いて読む必要がありそうな本である。




肥満と飢餓  世界フード・ビジネスの不幸のシステム  ラジ・パテル (著), 佐久間 智子 (翻訳)


07/Mar.2011
ある紅衛兵の告白 梁暁声

ここに描かれているのはまさに自分が体験していなければ書けない様な生々しい話ばかりだ。
これまで中国の文化大革命を題材にした本は何冊か読んだことがあるが、どちらかと言えば文革の被害に自分や家族が遭遇し、中国を出て行った人の話が多かった様に思う。

それでもインパクトはかなりあったものだが、この本の迫力と言ったらどうだろうか。
それまでハルピンの地方の街の中学生だった主人公(筆者)。
文革の波は突然にやってくる
いきなり教師が一人自己反省を始める。
次には生徒が次から次と教師をつるし上げて行く。
学校は完全に崩壊され、もちろん授業など行われるはずもない。
教師は黒い三角帽を被せられ、台の上で膝をついて頭を垂れて、反革命的言動について、自己反省の言葉を言う事を強いられる。
公安とか警察の命令ではない。自分たちの教え子であるはずの生徒達から足蹴にされ、反省を強要されるのだ。
彼らは次から次へと標的を探し始める。
スポーツシューズの裏にある模様が「毛」の字に似ている、というだけでそのスポーツシューズを履いていた連中が標的に。大鍋の底の模様が「毛」の字に似ているから・・・。
絵画に至っては○○の様に見える、などと言い出したらいくらでもこじつけが出来てしまう。
こじつけにもほどがあるだろう、というごじつけで、弾劾者が決まって行く。
弾劾する側も弾劾する側に廻らなければ、自分が反革命分子のレッテルを貼られてしまうので戦々恐々だ。

そして芸術も文学も歴史もことごとく失われて行く。
「毛語録」以外の本を持っていることだけでも危険極まりない。

紅衛兵というのは誰でもがなれるわけではなく、この糾弾運動に積極的で、革命側にとってエリート、つまり両親もまたその両親も貧しい労働者階級であること。地主などが一人でも居れば、もうアウト。
つまり、紅衛兵になるか、その準紅衛兵の立場になるのか、はたまた、絶対無理な立場になるのか、共産主義で皆平等を目指すはすが、ここで明らかな階級が出来てしまうのだ。
親を反革命分子として糾弾する中学生なども出てくる。彼も最後には気がふれてしまうのだが・・。
全く身動きが取れないほどのすし詰め状態の列車で毛沢東を一目見ようと北京へ向かう学生達の大移動。

北京から更に移動した先で見る、無残な光景。
ある女性が色目を使ったなどと言う理由で、煮えたぎる大鍋の中へ放り込まれる。

その後、革命軍同士の対決が始まり、それがどんどん激化していく。
日本の学生運動の内ゲバの比ではない。こっちは戦車だの装甲車だのでぶつかりあっている。
もう完璧な戦争だ。

この文革、毛主席にすれば反革命分子の名で、先々政敵になりそうな連中を先に潰しておく狙いはあっただろうが、中学生や大学生がここまで狂気の世界に走って行くことまで想定済みだっただろうか。
また、実際に起こっていることは把握していたのだろうか。

それにしてもこの梁暁声と言う人、中学時代からほぼ10年間、勉学など出来なかっただろうに、なかなか博識なのだ。文章の至る所に、フロイト的なみたいな言葉が普通に使われているし。
ものごとの本質をちゃんと見据えているようにも思えるし。

彼は、いつこんな知識を身につけたのだろう。

多くの同世代の元紅衛兵たちはそうはいかなかったのではないだろうか。学生時代に10年間、教育を受けていないにのだ。中国でどんどん富裕層が生まれてくる時代におそらく取り残されているのではないか、と少し気の毒になる。

カルト教を信じる信者の様に、何かの熱にうなされたかの様に狂信的な世界が続いて行く、こんな熱病のような世界に何億人もが陥るという事が実際に発生してしまうのだ。

インターネットで世界が繋がった現代では考えられないと思ってしまいがちだが、SNSで一旦炎上するやいなや特定の人物を、血祭りにあげ、皆でバッシングする現代ももちろん文革ほどではないが、実はその類似の要素をはらんでいるのかもしれない。

ある紅衛兵の告白 梁暁声(リアン・シアオ・ション)著
28/Oct.2019
元年春之祭 陸 秋槎

中国の古代の話、宮城谷氏以外の書き手のモノを読むとこんなにも読みづらいのか。
いやいや宮城谷氏以外も読んでました。

なんだろう。
何故、頭に入って来ない?

前漢の時代の旧楚の国の祭祀を担う一族の元へ、旧斉の国から豪族の娘が客人として訪れ、そこで起こった殺人事件を解決して行こうというお話。

その4年前に起きた一族の長男一家殺人事件。
娘一人を除いて全員死亡。

それに新たに起きる殺人事件。

一帯の集落には一族の3家族しかいないのだから、
それぞれ、外部と遮断されているなら、ほぼほぼその親族内でしか考えられないし、第三者が捜査をしようどころか近隣に住む一族同士。
そんなの毎日一緒に過ごしていれば自然にわかってしまうんじゃないのか。

たまたま滞在しに来た縁もゆかりもないしかも若い娘二人が新たな犯行の犯人なんてちょっと無理があり過ぎる。

なかなか絶賛されていた本だけに期待するところ大だったが。

中国古代を舞台とした現代的?ミステリ、という目新しさはあったものの、なんとも読みづらい本だった。

やっぱり宮城谷氏の本を読みたくなってしまった。



元年春之祭 陸秋槎著
13/Sep.2019
悪党パーカーシリーズ リチャード・スターク
「悪党パーカー/人狩り」そもそもこれが始まりの一冊。
一匹狼の強盗男のパーカー。
アメリカの全国組織であるマフィアが相手だろうが全く怯まない。
マフィアに逆らうこと、すなわち、アメリカ中を敵に廻すことなのらしい。
なんでもマフィアの連中というのは郵便局員並みにそこら中に居るのだとか。
たぶん警察官よりも多い、ということなのだろう。

ボスクラスのところへ単身乗り込んで親分を脅す。
そのボスクラスで話にならないとさらにその上のボスクラスを脅す。

元はと言えば、その子分に強奪した金を奪われたからで、脅すというより、
「俺の金を返せ」という取り立てをやっているわけなのだが。

そこで伊坂の陽気なギャングだったら、
「だから、それはもともとあんたのお金じゃないって」
って突っ込みが入るところなのだが、パーカーの世界ではそんな突っ込みを入れる人物は登場しない。

訳者があとがきで書いているが、本来「悪党パーカー/人狩り」、これで完結する話だったそうだ。
パーカーが最後には死んでしまうストーリーだったとか。
連載の要望強く、ストーリーを曲げて、パーカーシリーズは続いて行った。

マフィアのボスをも恐れない男。
その先どんな話が続いて行くのか。
「悪党パーカー/殺人遊園地」これなども現金輸送の装甲車から金を強奪する。
仲間と言ったって元々一匹狼の集まりだからどんな連中が揃うかわかったもんじゃない。運転手役の男が逃走中に焦ってカーブで車を横転してしまう。

逃げる先は休園中の遊園地。

遊園地各テーマパークにいろんなしかけを使って追っ手を退けて行く。
遊園地ならではのしかけでなかなかに面白い。

さらには「悪党パーカー/殺戮の月 」
「殺人遊園地」では隠した金をいつか取り戻しに行こうと追っ手から逃げるのがせいいっぱい。
で、取り戻しに来るのがこの話。
金を取り戻しに行った先の遊園地の隠し場所に金がない。

そこを取り仕切るマフィアの親分に脅しをかけてまたしても「俺の金を返せ」なのだ。
「だから、それはもともと銀行のお金だって」とは誰も突っ込まない。
マフィアの親分に揺さぶりをかけるうちに、結局そのマフィアの内紛状態に首を突っ込むことになる・・というような展開。

それにしても、もう少しマシなタイトルが付けられなかったのだろうか。
タイトルだけ見るともの凄い残虐なシーンの小説をイメージしてしまうが、中身に残虐性などはない。
タイトルから言えば「イン・ザ・ミソスープ」の真逆だ、と言えばわかりやすいか。

邦訳タイトルは各々、人狩り:The Hunter、殺人遊園地:Slayground、殺戮の月:Butcher's Moon とまぁほぼ原題に忠実だったという事か。

チェルシー・テラスへの道(As the Crow Flies) 悪党パーカー(Parker) シリーズ リチャード・スターク(Richard Stark)井淳訳


14/Nov.2008
さよなら、愛しい人 レイモンド・チャンドラー

刑務所から出所したばかりの大男に引っ張られるように黒人専用の店へ連れて来られた私立探偵のフィリップ・マーロウ。
その店で大男はその店のオーナーを殺害し、ゆうゆうと出て行ってしまう。

警察の依頼も有り、マーロウは一旦この大男の行方を追う捜査をするが、その時に別の依頼が舞い込む。

強奪された宝石を強奪犯から買い戻す交渉をしたので、同行して欲しいというのが依頼。マーロウは男に成り変わって運転席に座り、同行することにするが、取引の場所で席を離れた一瞬に依頼者の男は殺され、マーロウ自身も殴られ失神する。

まったく無関係に思える双方の事件を追いかけて追いかけて、最後の最後に全て一本の線でつながる。

そもそも私立探偵とは依頼主からの依頼に基づいて調査やら内偵をすることで生計を立てている職業だろう。

ところがこのマーロウという男、依頼主があるわけでもないのに、次から次へと命がけで調査に乗り出すのだ。

さすがにそこへ単身で乗り込んでは、殺されても仕方がないだろう、みたいなところへ、何度も出向いては何度も後頭部を殴られるだけで撃たれずに済み、またある時は薬漬けにまでされて、それでも生きてのびてまた同じことを繰り返そうとしている。

無論、声援は送るが、そこまで無防備だと、その学習能力の無さに呆れてしまう。

冒頭の殺人のあたりで気になる表現がある。
その街では黒人が殺害されても新聞記事にもならない、だとか、黒人が被害者なら懸命に捜査などやってられるか、みたいな表現。

いったい、いつの話なんだろ、と思っていたら、なんと原作が書かれたのは1940年だった。

それを村上春樹氏が翻訳。
それにしては妙な表現が多々あったが、1940年代ならではのアメリカンユーモアなのか、レイモンド・チャンドラーならではの凝った表現というのか、そういうものを原作に忠実に意訳をせずに訳したということなんだろうか。



完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 フランク ブレイディー (著), Frank Brady (原著), 佐藤 耕士 (訳)


08/Nov.2013
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