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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
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きつねのはなし  森見登美彦

昔、京都に住んでいたことがあるが、この本を読むとその界隈の風景がまざまざと目の前に現出するように、懐かしく思いだされる。

京都の一乗寺にある芳蓮堂という骨董屋、古道具屋か?を舞台にする「きつねのはなし」。
「果実の中の龍」
「魔」
「水神」
の四編が収められている。

怪奇小説、と言うが果たしてそうだろうか。
「きつねのはなし」「魔」「水神」などは何やら京都を舞台にした日本昔話のような気がしないでもない。
京都で怪奇と言えばなんと言っても深泥ヶ池か。
自分が住んでいた頃も深泥ヶ池の幽霊話は良く聞かされた覚えがある。

四編の中で個人的に気に入っているのが「果実の中の龍」。
主人公が気に入っている先輩の実家は明治維新後に成り上がった大地主だったのだという。その先輩のお祖父さんは還暦を迎えてから自伝を書き始めたと先輩曰く。
幼少時代からの思い出を書き始めたはいいが、構想が膨らんで、明治時代の栄華を書き、更に構想が膨らんで明治ははるか遡り、古事記、日本書紀の時代まで遡ってそこからの家系の物語を書き始めたのだという。
無数の物語を集めて来てはその断片をつなぎ合わせ、長大な物語に仕上げて行く。
もはや妄想によって作られた一族の年代記なのだが、それを妄想と言ってしまうのはどうなんだろう。
どんな時代にも日本も他の国でも、成り上がった者が一族の箔をつけるために作り物の年代記を作って、それが年を経るうちにいろんな話が織り交ざって、今や史実になってしまったなどと言う話は山ほどあるのではないだろうか。

だが、作者の落とし所はそんなところではなかった。

先輩は祖父の血統をまさに継いでいた、いや、そうではなく先輩が祖父そのものであった・・・。
短編をあまり詳しく紹介してしまうわけにはいかないが、まことにその先輩こそ作家稼業そのものではないだろうか。
この一篇のみ他の三篇とはかなり違った味がある。

帯に「祝山本周五郎賞受賞」とあったが、なんのことはない。作者が別の本で受賞したということで、この本のことではなかったようだ。

もちろん、賞がどうしたなどは読者にはどうでもよいことで、他の三篇も何やら不思議な空間へ行って返って来たような読後感を感じる作品だった。


きつねのはなし 「新潮社」 森見登美彦著


13/Aug.2010
ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦

僕は大変頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

という書きだしで始まる。
なんて嫌なガキなんだろう。
と誰しも思うかもしれないが、とんでも無い。
このボクは嫌なガキどころか尊敬に値するほどの努力家少年。
研究熱心な少年なのだ。

今年度が「ゆとり教育」世代の第一段が社会人になった年なのだそうだ。
その「ゆとり教育」というものが批判の対象になって久しい。
本来は教科書に載っていること以外の勉強を行う時間をとろう、と。自由に研究したり、個性を育むことを目的としたのだろうが、もう一つの目的が見え隠れして仕方がない。
学校の教員は春休み、夏休み、冬休み、と1年を通してたっぷり休みがあるのにも関わらず、世のサラリーマン並みに週休二日がで無ければ不公平じゃないか、と土曜日の休みを要求していたのではないのだろうか。
そして、彼らは春休み、夏休み、冬休みとたっぷり休んで、休んでもお給料はちゃんともらえ、尚且つ土曜日の休みも手に入れた。
夏休みだって子供の生活指導があるんだ、学校へも半分は出ているんだ、などという反論もあるのだろうが、少なくとも春と夏と冬には欠かさず、長期旅行へ出かけている教員を自分は知っている。
教員の週休二日はそのまま生徒のゲームを腕を上達させる時間にあてられるか、塾通いに宛てられた。

いや、教員批判がしたいわけじゃない。

この本の主人公の少年はその本来の目的だったはずのゆとり教育を自ら実践している。
ノートを肌身離さず持ち、気が付いた事は常に書きとめ、その内容を吟味する。
毎日何かを発見しその発見を記録する。
大人になるまで3888日。
一日、一日の探求の積み重ねを3888日重ねようという心意気は大したものだ。
大したものどころではないな。そんなことを心がけている社会人だって滅多にお目にかかれない。

少年の興味は幅広く、小学四年生にして「相対性理論」の本までも手を広げている。
同じクラスには宇宙に関心が有り、ブラックホールに興味を持つ友達が一人。
もう一人研究熱心な子が居て、この子も相対性理論の本を読んでいるというチェスの得意な女の子。

そしてこの話に欠かせないのが歯科医院のお姉さん。
少年はこのお姉さんが大好きで、もちろん服の上からであるが、おっぱいばかりを見つめている。
その行為にいやらしさは微塵もない。

この少年は正直なだけなのだ。
嘘も誤魔化しも何にもない。
あるのは探求心とそれから得られた知識の実践。
へんにくやしがったり、怒ったりもしない。
冷静なのだ。

ガキ大将グループから嫌がらせをされて、プールの中でパンツを脱がされてしまっても慌てない。
・ぼくが困れば困るほど彼らはますます楽しくなるはずだ。
・ぼくがちっとも困らなければ彼らは面白くない。
・面白くなければ二度とこんなことはしないだろう。
の三段論法で、困ることをやめて、プールからスッポンポンで上がることにする。
まさに達観している。
こんな子にはイジメも通用しない。



彼らの住むこの小さな町に不思議な現象が起りはじめる。

ある日、大勢のペンギンが町に現れる。

そこから始まる少年たちの研究と不思議なお姉さんの物語だ。

少年はその不思議な現象の謎を解明しようと、いろんな実験を試み、データをノートに書き記し、それを分析しようと試みる。
・問題を分けて小さくする。
・問題を見る角度を変える。
・似ている問題を探す。
少年が研究に行き詰った時に立ち戻る父から教わった三原則。

少年の父も母も少年の研究には理解が有り、父は時にはアドバイスを与える。

そんなこんなでわずかな期間で少年は見事に成長して行くわけだが、読後の哀愁感がなんとも言えない本なのである。


ペンギン・ハイウェイ [角川書店] 森見 登美彦著


04/Sep.2010
黒い看護婦 森功
「看護婦」ちゅう言葉はもうそろそろ死語になってまうんやろうな。
今や看護師さんや。
「婦長さん」ちゅう呼称も無くなって「師長さん」やて。
「しちょう」で漢字変換でも出てけーへんがな。
師長ってなんか軍隊の師団長とかを連想させてくれよる。

これも皆、男女雇用均等法のなせる技かいな。
そやけどそないに安易に日本語を変えるべきやないと思うなぁ。

保健婦は保険師、助産婦は助産師かいな。
なんでも師つけたらええちゅうもんやないやろうに。
師とは教師、先生のことやで。

まぁそれはこっちゃへおいといて。
この本のタイトルはあくまでも「看護婦」やないとこの話が伝わらんやろうな。
この拙い文章もタイトルに準じて看護師やのうて看護婦ちゅう言葉を使わせてもらうで。女4人の犯行やし、それも看護婦としての知識を利用しての犯行や。
「黒い看護師」やったら男を連想してまう。

主婦4人による犯行ちゅうと桐野夏生の『OUT』を連想してまうけど、あれは殺人事件と違て、遺体処理事業みたいな話やった。
この「黒い看護師」は平成14年に発覚した「福岡の看護婦4人組による連続保険金殺人事件」のノンフィクションや。

事実は小説よりはるかにどろどろとしてるわ。

もう新聞、テレビでわんさかと猟奇殺人事件のニュースが飛び交ってるから、こんな事件覚えている人はほとんどおらんやろう。

ほんまつい最近の事件かてあまりに多すぎてどれがどれやら、少年の事件もあれば、青年の事件もあるわ、オッサン、オバハンの事件もある。
進学校の生徒やったり新聞配達の兄ちゃんやったり幼児の母親やったり・・数え上げたらキリが無い。

大概は理由もわからん、通り魔的な猟奇殺人。
中には理由らしきもんはあっても、理由にならん様なけったいな事件ばっかしや。

それに比べたら、この看護婦の事件は金目当て、理由はめちゃくちゃ明解や。

それだけは唯一の救いやけど、ほんでも読んでびっくりの世界には違いない。

これを書いた森さんちゅう人は週刊新潮のジャーナリストやったっけ。
元ジャーナリストやったかな。
さすがによう取材してはる。

週刊新潮って以前は必ず木曜日に買うて読んでた頃があった。
その中に「黒い報告書」ちゅう直近の事件実話を元にした話が連載されてたけど、今でもあるんかな。森さんちゅう人はあの頃の「黒い報告書」も担当してはったんちゃうやろか。

さすがに本一冊となると週刊誌の中の数ページとはボリュームがちゃうし、この事件はかなり取材したんやろね。

そやけどジャーナリスト魂かしらんけど、子供の頃の事にページ割きすぎなんとちゃうんかいな。
子供の頃、貧しい暮らしをおくってた、それが事件の引き金?金銭に対する異様な執着心は子供の頃、貧しかったからか?
昭和30年代なんちゅうたらなんぼ高度成長や、もはや戦後は終わった、ちゅうたって今と比べたら日本中が貧しかったんとちゃうんかいな。
確かにその貧しい中でもさらに貧しい人はおったやろ。
そやけどそれは原因でも遠因でもなんでもないやろ。
暮らしの貧しさと心の貧しさは別もんやで。

ちなみに看護婦4名による殺人と言いながら、もうほとんどA子一人の独断場や。
「黒い看護師」の中では、ちゃんと名前書いてあるわ。
実名やろな。
この文章では、全部A子、B子、C子、D子にしとくわ。
同姓同名の人が見たら気分悪いやろうし。

この主犯格のA子が凄まじい。
B子もC子もD子も皆、A子の被害者ちゅうてもおかしない。

A子ちゅうのは人の弱みに付け込む天才やな。
身長150代で体重は60代ってあるからほとんど肥満。
吉本新喜劇やったら相撲取り扱いされるクチや。
その親からしてブスやちゅうとる。

そのブっ細工なA子が口だけは達者やねんな。
人の悩み話イコール儲け話。
B子もC子もD子も看護学校時代からの付き合いや。
中にはもっと前からの同級生も居る。
そやからつるんで犯行に及んだかと言うとさにあらず。

B子もC子もD子もA子に悩みを相談したのが、運の尽き。
B子は男運が悪かったせいでその悩みにのったA子から、先方にはヤクザがついとる。
間に入ったるから、とずんずんそのたくみな言葉にのせられて、金を巻き上げられる。
最初は単純な詐欺やったんが、A子の所へ住まされて、カードも預けろ、通帳も預けろ、言われるままに夜勤・昼勤でせっせと貯めたお金も月々のお給料も全部A子に持っていかれとる。

C子も弱みを知られた段階でOUT!
相手が損害賠償を起こす前になんとか手打ったろ!
また詐欺や。

同じ病院に勤務する新人看護婦が注射で失敗したと聞くと、さっそく
「相手はカンカンや。なんとか話つけたろ」ちゅうて金を巻き上げる。
ここまでやったら、口先八丁の詐欺や。

ところがB子に対してはとことんいってまう。
B子の主人は設計事務所に勤めるクソ真面目な男やのに、
「アイツは浮気しとる」とC子に揺さぶりをかける。
しまいには、殺してまわな、殺されてまうで、と殺人を持ちかける。
手の込んだ事にC子の主人の車に睡眠薬のビンまでおいて「ほれみた事か」と追い討ちをかける。
もうB子は平常心を失ってもうたんやろうな。
A子の持ちかけた殺人計画に載ってまう。

最初は薬や。食べ物の中に薬を混ぜるが、なかなか効いてけーへん。
で、酔っ払わせて更に睡眠薬を飲ませた後、薬物注射。
が、これも失敗。

通常、そこであきらめるやろ、と思いきや、突っ走ってるA子は止められへん。
ほんでも知恵を与えてもうてんのが、看護婦として一番優秀なB子。
B子もC子も一回殺人計画に失敗してんねんやろ。

そのあたりで一回冷静になれんかったんかいな。

二回目決行。
今度は薬やのうて空気の注射や。

全く同じ事をD子にもする。
D子も騙され、D子の亭主も同じく睡眠薬を飲まされた後に注射。

A子は人を恐怖に陥れるために必ず架空の人物を話の中で作り上げる。
バックにヤクザがついてる政治家だの、弁護士だの・・。
A子はその恐怖心もたくみにあやつる。

両方ともちゃんと救急車で病院行って、息を引き取っとる。
部外者は誰も殺人とは思て無いわけや。

そんだけの事をしてもC子もD子も亭主の保険金は全く受け取ってない。
全部A子がせしめとる。
すべて、脅された相手に支払った事になっとる。

A子はこの一連の犯行で2億以上せしめた、ちゅう事になってるけど、本人の懐にはほとんど残ってない。

元々がずさんな生活してるやっちゃ。
サラ金から借りてでも高級エステ行って月に100万も散財するわ、じゃ金なんぞ残る訳がないわな。

ほんでも、保険金を独り占めにした後に限ってマンション購入。
D子の亭主の保険金の時は最上階の一番高額な部屋で、さらに何百万もかけてリフォームして女王の部屋に仕立てるところまでやっとんねん。

同じ看護婦やってたら、給料だけでそんだけの事出来るわけないやろ、って気ぃ付くやろ。普通。

これがこいつらの普通やないところや。
皆、同じマンションに移らされて、A子の子供やら母親やらの面倒までみさされてる。

B子もC子もD子も皆、A子の無償奉仕の家政婦であり女中や。
おやっと、男女雇用均等法やったな。
家政婦も女中もあかんがな。
家政婦はまさか家政師かぃ?
そないに意味も無く「師」ばっかり作っっとったら古文の先生怒って来るやろな。
日本語では諦めてまさかハウスキーパーかぇ?

赤の他人への無償の家政労働奉仕といいながらも事実上奴隷みたいなもんや。
もう殺人に手をそめた以上、もう奴隷にならなしゃーないちゅう事か?

それにしてもこのA子、これだけの計画性があるんやったらこんな手使わんでも大成功してたんとちゃうんか、と思う向きもあるかもしれんが、A子には短期的な計画性はあっても長期的な計画性はゼロ。

贅沢三昧で使うだけ使って手元の金がなくなってサラ金に借金が嵩んだら、詐欺。
得た金で、借金返してまた贅沢三昧。
保険金ともなると額が大きくなるから、借金返すだけやのうて高級マンション購入。
ほんでも金みたいなもんそないな使い方しとったらすぐ無くなるわいな。
また次の犯行計画や。

B子もC子もD子は自分らがA子の詐欺に会うただけやのうて、B子なんぞは実の母親を殺害されるところやった。
実行犯はC子とD子。
もちろんA子の指示である事は言うまでも無い。
B子の母親の家へ行ってD子が注射針をたてようとするんを振り切って母親は助かった。
全く摩訶不思議な事に事ここに及んでもまだ、この犯行が事件性ゼロのままやったちゅうこっちゃ。

B子の母親はさすがに騒いだとしても老齢がわざわいした。
「年寄りやから何かと騒ぐのよ」の一言で片付けられて警察沙汰にはなってない。

これだけの事をしても尚、無傷やったら図にのってまうんやろうかなぁ。

ちょっと目先を変えればええもんをさらにD子から4000万を騙し取ってその上実家の土地まで騙し取とうとしたあたりでやっとD子が亭主殺害は隠した上で叔父に相談する。
叔父はまさかD子が亭主殺害に加担したとは知らずに警察へ。

それでようやく犯行が明るみに出て来る。

逆に言えば、A子がその短絡的思考で無ければ、この犯行は明るみに出ぇへんかったちゅうこっちゃ。

ほんでも福岡あたりの金融業者はワルじゃなかったちゅう事なんやろうな。

この一連の犯行で一番儲けたんは高級エステの経営者と高利でA子に貸し付けてそれを毎回きれいに返済してもうた金融業者やろう。
商売で金を貸す以上、相手の身元はわかっとるやろうし、たかが一看護婦の給与で何千万もの借金をそないにきれいに返されたら、なんぞ裏がある事ぐらい金融業者の嗅覚でわかるやろう。
下手したら騙しているつもりのA子ですら金融業者の意のままに動かされる可能性もあった訳や。

とまぁ事件の全容をかいつまんだつもりがえらい長い文になってもうた。

B子、C子、D子については確かにA子に騙されたかもしれんけど、あまりにも頭が悪い。思考回路は幼稚そのものや。
A子みたいな人間は必ずおるで。
自己本位。
自分中心主義。
行きつくところは詐欺。発展して殺人やけど、どの殺人も直接手を下してない。
みなB子、C子、D子に手を下させとる。
その目的が自分の贅沢であり、見得であり、虚栄や。
世の中、もっと巨悪と言えるもんがあるんかもしれんが、このA子も浅ましさイジマシさは巨悪よりも醜悪そのものや。

この事件のおそろしさは、D子のオジが警察へたれこまない限りは、もしくは犯行を続行せーへん限りは全く事件としても発覚せーへんかったっちゅうところや。

保険金の支払いには保険屋も何の疑いも持たん。
当たり前やわなぁ。
ちゃんと救急車で運ばれて、XXXでお亡くなりになりました、ちゅうんやから。

ちゅうことはやで。
これが氷山の一角やとしたら、世の中なんぼでもこんなんあったりして・・。

人の弱みに付け込んで金を騙し取る、それを立件もせんまま泣き寝入り。
これは山ほどあったとしても看護婦ちゅう専門知識を利用しての殺人、これがわからんままやとしたらこわいもんやで。

殺害された亭主二人。
ヨメはんにそんな意図が有った事なんぞこれっぽっちも疑う事なく、息絶えてもうたわけや。


世間の亭主諸君!
クソ真面目に働いて給料入れてたら安泰、と思てたるやろう。
メシの塩加減にも気ぃつけた方がええかもしれんでぇ。

黒い看護婦 森功 著


22/Sep.2007
DIVE!! 森 絵都

夏の高校野球の出場校 全国で4112校。大阪だけでも188校。
サッカーとなるともっと多い。高校選手権の加盟校は大阪だけでも223校。その比率で行くと全国では5000弱ほどか。中学、大学、社会人、プロ、少年クラブ、その他クラブ・・・そのチーム数掛ける1チームあたりの平均選手数。どれだけ凄まじい人数になるのだろう。
その頂点に立つ選手の出した答えが先日のイエメン戦だとしたら少々寒いものがあるが、本題からはずれるのでその話はよそう。

このDIVE!! という本、飛込み競技でシドニーオリンピックを目指す若者達の物語である。
この本の中にも書いているのだが、日本での飛込み競技人口はたった一つの高校の生徒数程度。せいぜい600人なのだそうだ。

いかにマイナーなスポーツかがこの数字に表れている。
競技中も隣りで競泳をやっているので、観客はその競泳の一着、二着にどよめく。
そんなどよめきとは無関係に飛込み競技は行われるのだそうだ。
同じ競技場で複数の競技が行われるという意味では陸上でも同じ様な事がいえるかもしれない。
トラック競技が行われている最中に走り高跳びが行われ、砲丸投げが行われ、・・・
選手は自分の競技に集中するのが大変だろう。
ましてや飛込み競技というのはほんの一瞬、たったの1.4秒にこれまでの練習成果を出さなくてはいけない。

マイナーなスポーツという意味では射撃の五輪代表やアーチェリーの五輪代表を知っている人はそうそういない。
だが時にマイナーなスポーツが大化けする事もある。
カーリングというスポーツがある事すら知られていなかったものが五輪終了後にはカーリングブームが起こったりもする。
カーリングの場合はあれなら自分にも出来るのでは?と思わえてしまう事がブームの発端だろうが、飛込みの場合はそうはいかない。
第一、競技をしようとしてもその競技をする場が無い。
この本の中では屋内ダイビングプールを有する施設は東京都内でもたった一つだけ。
記載されている東京辰巳国際水泳場というのは実在しているのでごたぶん事実なのだろう。
それに自分にも出来るのではないか、とは誰も思わないだろう。
きれいに入水出来なかった場合は、時速60キロで水面に激突する。その痛さは亀田興毅の連打をくらうより数段痛いだろう。
入水失敗も痛いだろが、飛び板に頭をぶつけてしまったら・・そういえばソウル五輪で実際に飛び板に頭をぶつけて頭から血を流している選手がいたっけ。
そのマイナーさを象徴する様に、主役達の所属クラブも高校生が1人、中学生が7人、小学生が26人。
その中学生もどんどん脱落して行く。尻つぼみなのだ。学年が上がる毎に減ってしまう。

最終的には同じクラブに所属する高校生と中学生がデッドヒートする。

一人は両親共飛込み競技の選手で共にオリンピックに出場し、自らも3年連続の中学生チャンピオン、高校1年にしてすでにインターハイの最有力選手。まさに飛び込みサラブレッドの要一。

また一人は伝説の天才ダイバーを祖父に持ち、津軽の断崖から海に向かって飛び込んでいた沖津飛沫。
その祖父の名前が沖津白波。まるでどこかの焼酎か地酒の様な名前だが、代々命がけで海に飛び込み海神の怒りを静めるという家柄に相応しいさんずいだらけの名前が水との縁の深さを強調している。

もう一人は動体視力の良さ故、ダイヤモンドの瞳を持つとコーチに言われた中学生、知季。

断崖から海に向かって飛び込むと言うとつい思い浮かべてしまうのが、あの自殺の名所の東尋坊の断崖絶壁から海へ飛び込んでいたオジさん。
これは「探偵ナイトスクープ」というローカル放送でだいぶん以前に放送していたものなのだが、それは競技用の飛込みでも何でも無く本当に単に飛び込んでいる、それだけなのだ。
何が楽しくってそんな所から飛び込むんでしょう、というのはオジさんには愚問だろう。
登山家に何が楽しくって山なんか登るんでしょう?って聞くのと同じ事だろうが、本当のきっかけはなんだったのだろう。
東尋坊あたりでは低い所から飛び込み位置を順番に高くする様な事は出来ないだろう。
本当は自殺志願者だったのかもしれない。死を覚悟して飛び込んではみたものの生きていた。
そしてあまりの気持ち良さに飛び込みの魅力に魅入られてしまった・・・?。

沖津飛沫が子供の頃、海へ飛び込む姿を見た元飛び込み選手だったオーナーが感激してダイビングクラブを作ったという。
感激するぐらいなのだから、ちょっと危険すぎて考えづらいが、東尋坊の飛び込みオジさんとは違ってかなり華麗な飛込みを海に向かってしていたという事になる。
いずれにしても飛沫もダイブする事に魅入られてしまった一人には違い無い。
プールでの飛び込みなんて、と野性児の様な飛沫には幼稚なお遊びに見えていたものが隣りの競泳の観客の視線を独り占めするに到って競技としてダイブの魅力に魅入られていく。

この物語を急展開させるのは新任のコーチの夏陽子の存在。アメリカでコーチングを学び、飛び込みにかける熱意は並々ならぬものを持つ。
具体的で的確なアドバイス、そして選手を潜在能力を見出す能力。何より中学生の大会ですら上位にも入れない選手を見て、オリンピックを目指そうという無謀とも思えるこころざしの高さ。

そしてエリートなだけで面白みの無さそうな要一。
物語の中盤から徐々にこの少年の個性が光って来る。
「あがるのはダイバーとして素質がある証拠だ。大事な試合で緊張もしないやつには感受性がない。感受性がないやつには美しいダイブなんてできない」
と、本番を前にして緊張しているライバルに声をかけ、緊張を和らげる。
人からはサラブレッドと呼ばれ、そのプレッシャーを小学生時代から抱えながらも、自らクラブを引っ張って行くリーダーであり続けようとし、遊びも友達も部活動も休みもガールフレンドも、焼肉もプリンも・・・。
同年代の少年達が味わったであろう楽しみの全てを投げ打ち、飛び込みのためだけに全てを捧げて来た。
友達よりコーチに評価され、それを友達に嫉妬されて悩む後輩には、
「いつかどでかい会場で十万の観衆をわかせたいと思うなら、そばにいる一人や二人の事は忘れろ。いちいち気を配っていたら、十万の観衆をわかせるエネルギーなんか残らないぞ」と声をかける。
このスポーツそのものを背中に背負ってしまったかの様に、アスリートとして一流なだけで無く、時には名コーチの役割も担っている。

この本を読んだ後に飛び込みの映像を見るチャンスを得た。

高さ10メートル。とんでも無い高さだ。本当にそこから飛び込むのか?
これまでたまに見た事のある飛び込み競技は3メートルか5メートルだったのか。10メートルという圧倒的な高さにまず威圧される。
第一群 前飛込 第二群 後飛込 第三群 前逆飛込 もうこのあたりから唖然としてしまうのだ。
なんだなんだこの飛び方は?最初の回転で良く踏み板に頭をぶつけないものだ。第四群 後踏切前飛 第五群 捻り飛込 第六群 逆立ち飛込・・・。

前回のアテネ五輪の後、成績不振に終ったメダル候補の各競技の選手達の「楽しめたから満足です」のコメントラッシュに対して国を背負い国費を使っての五輪出場だというのになんというコメントか、という不評がプンプンであったが、結果についてのコメントそのものの是非を云々するつもりはない。

だが実際に、この高さ10メートルの踏み板を前にした時の選手の気持ちはどうだろう。
全てのプレッシャ−を抱えたままでの1.4秒はあまりにも重たい。
もう楽しんでやろう、もうそれしか無いのではないだろうか。

かくして私の中では次回の五輪では飛び込みは絶対に見逃せないスポーツとなったのだった。

DIVE!!  森 絵都著


01/Oct.2006
ラン 森 絵都

レーンを超える、と言う言葉、自分のコースからはずれてしまって、隣のコースに移ってしまった時などに使われると思うのだが、特にボーリングなどでレーンを超えてしまったら、ハタ迷惑やら、恥ずかしいやら。
いや、ボーリングに限らずどの競技でもそうか。

この本の中では「レーンを超える」という言葉が、生者の世界から死者の世界へと飛んでしまう時に使われる。

13歳の時に両親と弟を亡くして、その後の育ての親だった叔母さんにも死なれた天涯孤独の女性。

唯一の話相手が猫と自転車屋のおじさん。

その猫も亡くなり、おじさんも田舎に引っ越してしまう。

いよいよ本当の一人ぼっちになってしまった。
その自転車屋のおじさんが別れ間際にプレセントしてくれた特別仕様の自転車、ほとんど漕いでないのに勝手にスピードが出る、というシロモノでそれに乗って走っている内に彼女はレーンを超えてしまう。

レーンを超えた先に居たのは、生きていた頃より優しくなった父親、母親、弟で、その後、彼女は失った期間の家族の団欒を取り戻すかのように週に何度もレーン超えを行うようになる。
ここまでは前振り。

そのレーン超えするにはいくつかの条件が必要となるのだが、その自転車の存在がその条件をカバーしていたのに、ある時期を持ってその自転車を手放さなければならなくなる。
自転車無しにレーン超えをするには、一定時間内に40キロを走破しなければならない。

これまで5分も走れなかった彼女が、40キロ走破を目標にランニングに打ち込んで行く。

毎日、早朝に走り、仕事場の昼休みにも走る。

個性豊かなメンバの集まっている「イージーランナーズ」というチームに勧誘され、毎週の休みには集まってのチームランニングをする。

チームの目標は久米島で行われるマラソン大会へ全員が出場し、マラソン雑誌に掲載されることなのだが、彼女の目標は42.195キロではなく、あくまでも40キロの走破。

さすがに毎日走っているだけのことはある。
1時間で10キロを走るのだという。
同じペースで2時間。20キロを2時間なら、市民ハーフマラソン大会女子などでは真ん中よりもかなり上のペースではないだろうか。

孤独だった彼女に仲間が出来たこと。走り続けることで湧いて来た自信。
死者たちに会うのが目的だったものが、だんだんと、死者たちの世界との別れを受け入れられるようになって行く。

どんどん走る距離を伸ばして行く話を読んで行くうちに、読んでいるこちらも走りたくなって来る。

読み終えた翌日に久しぶりに20キロ走ってしまった。

後で後悔したことは言うまでも無い。



ラン 森 絵都 著


06/Nov.2015
    12 >>