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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Nov.2017
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苦役列車 西村賢太
薬指の標本 小川洋子
くまちゃん 角田光代
暗いところで待ち合わせ 乙一
鞍馬天狗敗れず 大佛次郎
黒い看護婦 森功
黒書院の六兵衛 浅田次郎
Good Luck アレックス・ロビラ & フェルナンド・トリアス・デ・ペス
グラスホッパー 伊坂幸太郎
グリード 真山 仁
グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに 浜矩子
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苦役列車 西村賢太

芥川賞の選考委員も粋なはからいをするもんだ。
2011年1月の芥川賞受賞作にはこの「苦役列車」と朝吹真理子氏の「きことわ」がW受賞。
全く正反対と思える作品。作者。
方や、文学一家に育った才媛。そう言われるのは本人は本意ではないかもしれないが、世間はそう見る。
方や中卒で日雇い仕事を続けて来た男の独白。

「きことわ」に関しては、「精緻な文章」だとか、「高い完成度」だとかという褒め言葉が、数多く聞かれる。
なるほど、こういう作品が芥川賞を取るんだろうな、といかにもプロを喜ばせる文体とはこういうものなのだろうな、と思いつつ、さほどに文学通でもないこちらにとっては、あまりに退屈で面白みのない内容に少々辟易とさせられた。
敢えて言うなら20代の女性がよく40代の女性の心境がわかるのものだなぁ、と感心したぐらいのことだろうか。
前作の「流跡」の奇妙さの方がまだ少しは楽しめる。

それに比べてこの「苦役列車」と来たらどうだ。
よくぞ選考委員は芥川賞に推してくれたもんだ。

むさい臭いが読んでいる側にまで漂って来るような一冊である。
小学生の頃に父親が性犯罪を犯し、近所に住んで居られなくなり、母親と転居し、姓も変わる。
以来、友達らしい友達は持たず、中学もろくすっぽ行かず、中卒にして日雇い人足業に有りつく。
これと言って目標があるわけではなく、貯金も無く、少々小銭が溜まったら、フーゾクで使い果たし、その日の酒とその日のメシに有りつけばそれで良く、溜まった金を持たないので、家賃はすぐに滞納し、そして追い出され、また新たな住みかを見つけ、そこもまた追い出されの連続。

この手の本は嫌いな人からはとことん嫌われそうな本だな。

それにしてもまぁ、どうしてこうも自虐的なんだろう。
自らをゴキブリとまで言ったりして。

日雇い人足とはいえ、汗水垂らして働く喜びの一つもあっただろうに。


さて、今回の未曽有の大震災。

こんな時にこそ、主人公君のような人の出番なのではないだろうか。
主人公君がコンプレックスを抱く、エリートやホワイトカラーなど未曽有の災害のさ中でどれほどの役にも立とうか。

どこで寝ることも厭わず、肉体を資本に生きて来た19歳。

東北地方の復興に是非ともそのたくましさを発揮してくれ。


こりゃ感想でもなんでもなくなってしまった。



苦役列車  西村賢太 著 第144回芥川賞授賞作


24/Mar.2011
薬指の標本 小川洋子

読んだあと、奇妙で怖い夢を見たような気分になりました。

ざっとあらすじ。
主人公の女性はソーダ工場で働いていましたが、あるとき機械に指を挟まれて薬指の一部を失います。
切断された肉片は機械に飲み込まれ、流れた血がソーダを桃色に染めます。
女性はソーダ工場を辞め、新しい土地で標本室の受付の仕事に出会います。
仕事は簡単なもので、持ち込まれるものがどんなものであっても、
標本にできますと答え、それを受け取るというもの。
標本を作るのは一人の標本技術士。
標本技術士の不思議な魅力に女性はいつの間にか飲み込まれていって・・・。

標本にして欲しいと持ち込まれるものは様々。
多くは辛い思い出が残していった残骸たちです。
できた標本は標本室に保管され、依頼者が見に来ることはほとんどありません。
大抵の依頼者は標本になったことで安心して、先へ歩みだします。

どんなものでも標本にする標本技術士がとても不気味。
主人公の女性の薬指を興味深く眺め、失われた一片に関心を示します。
標本技術士の異様な雰囲気は、生きているものよりも失われたものへの関心が強いように思われるからかもしれません。

私は体の一部を失った事はありませんが、
それなりに元には戻らないであろうやけどをしたことがあります。
今でも傷を見ると、若干残念な気分になりますが、
戻らないものにいつまでも心を支配されるわけにはいかないので、
忘れるよう気持ちを動かします。
標本技術士は、毎日のように依頼者が忘れたいと願った傷と対面して、
それを自分の周りの標本室に保管し続けているわけですから、
不気味なのも仕方ないかもしれません。

結末はちょっと青髭的で、特に納得したりはっきりした落ちがあったりするわけではないのですが、不思議にすとんとお腹におさまる物語です。
悪い夢を見たような、でも眼ははっきり覚めていたような感覚。
薄暗く閉鎖的な空間でありながら、その情景が鮮やかに眼に浮かぶようなのも不思議です。

この「薬指の標本」はフランスで映画化されました。
見ようかなとも思ったのですが、
私の頭の中に浮かんだ「薬指の標本」の情景はそのままにしておきたかったのでまだ見ていません。

原作には比較的忠実な映画だそうなので、
フランスから見た「薬指の標本」の情景を見るのもおもしろいかもしれません。


薬指の標本 小川洋子著


14/Jan.2011
くまちゃん 角田光代

短編集で、全ての物語で主人公が振られます。
そして振った相手が次の物語の主人公となり、別の人に振られます。
そんな変わったリレーでつながっていく一冊。

「くまちゃん」という表題作では、主人公の苑子が、偶然出会った、いつもくまのTシャツを着ている男の子に翻弄され、意味もわからず振られる話です。
思っていたような仕事ができず、つまらない毎日に不満を持つ苑子。
崇拝するアーティストに近づこうという夢があり、それを追い続けようとするくまちゃん。
くまちゃんは苑子に、「つまらないと思うことをしてはいけないよ。」と言います。
そんなくまちゃんを苑子はうらやましく思います。

実際は相手のようになりたいわけでも、相手を理解しているわけでもないけれど、自分と違う何かが、自分の生活を少し輝かせてくれるような気がするのかもしれません。

そして意味もわからぬまま振られてから数年後。
苑子は少しずつやりたい仕事ができるようになり、出張した先の海外の街で、懐かしのくまのTシャツに出会います。忘れかけていた「くまちゃん」という男の子を思い出し、側にいたときよりもくまちゃんの気持ちが理解できると感じます。

次の物語「アイドル」では、この意味不明のくまちゃんが主人公。
20代も後半になり、こんなんでいいのだろうかと思い始めたくまちゃんは、自分と同じような考え方で、でももっとしっかり生きている女性に恋をします。
初めてまともに人を好きになって、今まで適当に女の子と付き合ってきたことを振り返るくまちゃん。
苑子のことは、名前がもう思い出せないけど冷蔵庫の中身が充実していたという程度に振り返っています。

こんなに振った立場と振られた立場で、思いや見解が違うのかと思うと面白く、ちょっとせつないような気もしました。

そしてくまちゃんも思いがけぬ理由で振られてしまうのですが、前へしっかり進んでいく姿がすがすがしく、かつての意味不明のくまちゃんが、なかなかいい男になっているように感じました。

こんな風に、次々と振り振られの物語が続いていきます。
振られる人が主人公なので、振った人の気持ちについてはあまり触れられていないのですが、次の物語を読むとその気持ちがわかっていくというのが面白いところです。

角田光代さんのあとがきに、仕事と恋愛が複雑に絡み合っているときの恋愛を描きたかったとありました。そして「ふられ小説」を書きたかったと。

物語には、憧れの仕事をしている人を好きになったり、同じ夢を追う人を好きになったり、仕事が成功したことでうまく人を好きになれなかったり、様々な人が登場します。
そして共通していることは、それぞれがもしその仕事をしていなかったら、その恋愛は存在していないのだろうなということ。
仕事と恋愛が複雑に絡み合っていると意識したことがなかっただけに、目からウロコでした。

ふられ小説を書きたかったというのはなぜなのかと考えてみました。
物語を読んでいると、振られた方が先へ進みやすいというは伝わってきました。
振らてしまってはどうしようもないから、散々悲しんだら立ち直る以外することない。とてもシンプルで明白な状況だと思いました。
そして、立ち直れるとそれが自信になります。自分に対しての自信だったり、そんな状況でも続けてきた仕事に対してであったり。

あとがきには、角田さんにとって、仕事というものが確固たる何かになってしまったから、もうそのような恋愛はできないとも書いてありました。

恋愛と仕事が複雑に絡んでいるとも感じていなかった私には、到底たどりつかないであろう角田さんの境地。
世にいる社会人の恋愛というものはこんなものだったのか、と勉強になった一冊でした。



くまちゃん 角田光代著


29/Nov.2011
暗いところで待ち合わせ 乙一

駅のホームから人が突き落とされ死亡。
そのホームから逃げて行く男が目撃される。

その駅のすぐ近所に目の不自由な若い女性が一人暮らし。

そこへ殺人犯かもしれない男が扉の開いた瞬間に転がり込んでくる。
男は部屋の片隅でじっと動かず、身をひそめる。
彼女は誰かの存在に気が付いてしまってはいるが、気が付かないフリをしている。

そりゃ、人が居るかどうかぐらい嗅覚に頼るまでも無く、温度変化に頼るまでも無く、
息づかいの音に頼るまでも無く、気配というものでわかるだろう。
物語の中では途中まで気が付かないことになっているが・・・。

気配どころか、自分に危害を加える人なのかどうなのか、も瞬時にわかってしまうのではないだろうか。

だんだんと彼女にとってこの無言の同居人は無くてはならない存在になって行く。

この話でも登場するのは、人付き合いの苦手な人。
ここへ隠れ住んでいる男がその典型。
仕事場でも無駄な付き合いを避けるがために、周囲から浮いた存在になってしまい、浮いた状態がエスカレートし、ほとんど嫌がらせを受ける状態に・・・・・。
まぁ、それでもなかなかそいつを殺したいとまではなかなか思わないものだとは思うが・・・。


目の不自由な彼女も出来ることならもう外など出たくない。
一人で暮らす事に慣れ過ぎてしまっている。
その二人が沈黙で同居し、お互いの存在を認め合っている。

そして人付き合いの苦手な人達はここでもやはり優しい人たちなのだった。


暗いところで待ち合わせ   乙一著
21/Aug.2017
鞍馬天狗敗れず 大佛次郎

何故、今 鞍馬天狗なのか。
大佛次郎という明治生まれで、40年近く前に亡くなった方の本が、しかも鞍馬天狗なら連載ものだろうに何故この一冊だけがこの近年になって出版されたのか。

この本は生麦事件の騒動直後が舞台となっている。
生麦事件とは日本史の復習になってしまうかもしれないが、幕末に薩摩の島津久光の行列に騎馬の英国人が闖入したのを薩摩藩士が切って捨て、それが元で外交問題に発展し、英国は40万ドルという法外の賠償金を幕府に求める。
肝心の薩摩はそれは「岡野新助」という架空の人物を仕立てあげ、彼がやったことで、行方不明だからと幕府を無視。
幕府はとうとうその支払いに応じてしまう。

そんな背景の中のお話。
鞍馬天狗は自分が岡野新助だと名乗って、他の英国商人がアヘンを扱っているのを知り、その商人を樽に詰めて海に浮かべてしまう。
その商人を「黒ひげ危機一発」の黒ひげオヤジよろしく樽から首だけ出した状態で身動きの取れない憐れな姿にした上で、アヘンを扱っていた証拠品を岸辺に並べるばかりか、幕府の現地を差配する外国掛りの役人にも送りつける。

これで英国から言われる一方ではなく、向こうへも抗議を呈する下準備をしてあげたわけだ。

岡野新助を名乗る天狗が外国掛りの責任者に言う。
何故、抗議をせぬのか、と。
アヘンを扱っていたのは生麦で切られたのと同じ英国商人だぞ、と。
相手に直面している責任者が臆病風に吹かれて、一歩事を誤ったら、日本の歴史上取り返しがつかぬぞ、と。
信念を持て!
現状を無難に乗り切ることを考えずに日本の末始終を考えて行動しろ、と。
一度、膝を折れば何度も折ることを繰り返さざるを得なくなるぞ、と。
如何なる場合にも国の威厳を損じるな、と。
命を叩きつけるぐらいのつもりで談判してみよ、と。
さすれば必ずその至誠は人を動かす。
敵の軍艦を恐れるな。大したことは敵も出来ぬ。
大砲をぶっ放したところで手持ちの砲弾が尽きればお終い。
上陸戦どころか上陸すら出来ないはず。
恐れるには至らない、と。


ところがその役人は英国へ抗議するどころか、反対に岡野新助を名乗る男を捕えようと懸命になる。


まるで昨年秋の事件と似ているではないか。
尖閣での一連の事件。
あろうことか、首脳会談を開きたいばかりに尖閣ビデオを流出させた国士を捕えようとし、相手に抗議をするどころか、肝心の首脳会談では手持ちのメモを読むのに精いっぱいで始終俯いたまま、相手の顔を見ることすら出来なかった、もはや外交とも言えぬ国の恥を世界にさらしてしまったあの一連。
40万ドルで結着させた幕府どころの話じゃない。
その恥ずべき人もようやく辞めるハラを決めたようだが、あれほどひどいことはないにせよ、彼を総理大臣にと投じた同志の誰かが代わりを務めるわけだ。
まぁ当分、期待するには当たらない。


むろん、大佛が生存していて今の民主党政権のうすら寒さを見て書いたわけではもちろんない。
もっとはるか以前に書かれている。

ただ、今これだけを引っ張り出して出版した側には何らかの意図があっただろう。


上の天狗の現地責任者に対する物言い、何かまるで櫻井よしこさんが民主党政権に一言ブッっているかのようだ。
いやあの方々の政権じゃ、さすがの櫻井さんだってあきれてモノ申す価値にも至ってないか。

この本を出版したのは丁度、前政権が誕生した頃。
だから、何か意図があったとしてももっと前の政権に言いたかったはずで、思い当たるのは、あの何事にも他人事の言い方をしていた福田何某か。

洞爺湖サミット中国の毒入りギョウザの一連対応に関しても、チベット問題に関しても何ら抗議はおろかコメントすらせず、温暖化対策をしない国相手に日本の温暖化対策を約し、この期に及んでまだODAだの、と約すあの無責任他人事総理あたりの時にカチンと来たのではないだろうか。

この手のことは前政権あたりからもう手の付けられないほどにひどいことになって行くのだが・・。

大佛次郎が存命なら、もはや呆れてモノなど書けぬと言い出しかねない。

元へ戻すが、「鞍馬天狗敗れず」というタイトルながら、結局この物語で天狗は「勝ち」は決してしていない。
負けに近いが「敗れず」だった、ということだ。

どのあたりを持って「負け」なのかはさておき、せめて「敗れず」であって欲しいものである。


鞍馬天狗敗れず  大佛次郎 著 大佛次郎セレクション


12/Aug.2011
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