読み物あれこれ(読み物エッセイです) 検索エンジン MMI−NAVI

読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
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機械男 マックス・バリー

生身の身体より機械を愛してしまった男。

会社の研究室に勤める研究者の物語。

ある時、職場での事故がきっかけで片足を失ってしまう。

そして義足をつけたのがそもそものきっかけ。

彼は、こんなに科学が進歩しているのになぜ世の中にははこんな義足しかないんだ、と憤りを覚え、自ら義足を作成してしまう。
それはもはや義足という域をはるかに超えていて、モーターの付いた自走式のもの。

彼の科学者としての探究心はそこでは止まらない。

片足だけ優秀でも仕方がないじゃないか、ともう一本の生身の脚も機械かするべく切断してし、やがて手も・・・・。

主人公のこの一連の探究心が、今度は会社の闘志に火をつけてしまう。

彼のプロジェクトに参画させるべく人員を増やし、予算を増やし・・・。

やがては・・・・。


似たような話はアメリカ映画にはいくつかある。

「ロボコップ」などは本人の意に反して、「アイアンマン」などは自らの意思で・・。

だがどれともちょっと異質なのは、この主人公の性格だろうか。

自ら作るものが生身の身体よりも優れたものだと疑わない。
自らの身体を削ってでも機械化する方を選ぶ。

彼の最終到達地点はなんだったのだろう。

最終到達地点は生無き生なのでは無かっただろうか。



機械男 マックス・バリー 著(Max Barry)  鈴木 恵 (訳)


15/Oct.2013

森と自然を愛し、容姿端麗で1000歳まで生きる「エルフ」。

背は低いが勇猛果敢。細工物、建造物を作らせたら天下一品の「ドワーフ」。

邪悪で醜くいつも悪役の「ゴブリン」。

あまりにも有名な「指輪物語」(映画名では「ロード・オブ・ザ・リング」)や映画化が実現した「エラゴン」、世界2000万部とも言われる「アイスウィンド・サーガ」・・・・この手のファンタジー物語では必ず登場するこの手の種族。

もうあまりにも頻繁に登場するので、あたかもそういう種族が現存するのではないか、と思えて来てしまうほどです。

ドラゴンランスという本、注釈というものがついています。「注釈はネタばれになる事が書かれているので、6巻全てを読んだ後にお読みください」というコメント付きで。

6巻全部読んだ後で注釈だけを読もうとしてもそこには何頁のどの部分の注釈かがわからない。
従って最初から二度読みをしなさい、と言われている様なものなのです。

注釈を読んでいてわかるのですが、この物語はこのマーガレット・ワイスとトレーシー・ヒックマンの二人だけで書かれたものではない、という事。
チームの人達が皆でキャラクターを作っている様なのです。

マーガレット・ワイスなどは主人公のハーフエルフのタニスの性格がわからない、とさえ言っています。作者が生み出すべき個性を作者がわからない、とはどういう事なのでしょう。

また、この注釈ではそういう裏話だけならまだしも、本来本筋のストーリーの中に書かれていてしかるべき内容の様な話がいくつも書かれています。

それは何故なのか。注釈も読んで行くうちにだんだんと状況が飲み込めて来ます。
ドラゴンランスという世界はこの物語と併行してあるいはこれに先行して書かれた複数の本やドラゴンランスのゲームストーリーという制約の中で書かれている。
二人ともTSRという会社に勤める人でその会社の会社員でこそあれ、作家でもなんでもなかった。(その当時は)出版化を決めるのも会社。

後に、トレーシー・ヒックマンはドラゴンランスはゲームストーリーの制約に縛られずに書く事が出来たと語っていますが、ある種のクリン(ドラゴンランスの世界で言うところの地球に相当する)上発生した歴史というか、過去の時代背景などは既にあるものとしてその中で自由に書けた、という事ではないでしょうか。
例えば「信長の亡き後に秀吉が天下を取り、秀吉亡き後に家康が天下を取った」という様な、歴史の事実は曲げられないにしてもその中で暗躍した忍者を描くのも信長、秀吉、光秀、家康そのものをどのような人間像に描くのかは作者の自由。しかしながら、天下は信長、秀吉、家康と受け継がれて行くこの時代背景そのものには手を入れられないみたいな・・・・。

ちなみに後に出版されている「ドラゴンランス伝説」邦訳全6巻ではそのクリンの歴史そのものに挑戦しようという試みがなされている様にも思えます。

話の途中でパラダインの僧侶(キリスト教の神父様に相当するのでしょうか、はたまた牧師様に相当するのでしょうか)エリスタンというキャラクターが登場します。

注釈ではマーガレット・ワイスはこのエリスタンを殺してもいいか?とヒックマン氏に相談しているのですが、ヒックマン氏は「とんでもない。神聖なパラダインの僧侶を殺してしまうなんて・・」と猛烈に反対しています。おそらくですが、ヒックマンという人かなり敬虔なクリスチャンなのかもしれません。

読む立場からしてもこの神聖なパラダインの僧侶エリスタンはなんとも存在感も希薄で、なんとも胡散臭い。おそらく次の巻あたりで死んでしまうのでは?と思ったぐらいですから、マーガレットさんのご意見ごもっともと思えてしまいます。

もっとも半分はマーガレットさんが書いている訳で、敢えてエリスタン僧侶の存在感を希薄に描いたのは彼女なのかもしれませんが・・。

そもそもゴールドムーンという癒し人が存在するのですから、存在感は当然希薄になるでしょう。
ゴールドムーンという人は怪我人たちどころに治してしまうし、死にかけている人も救ってしまうのですから、キリスト教でいえばもうほとんどイエス・キリストの様な存在。
パラダインの信者どころかゴールドムーン教の信者が出て来てもおかしくは無い様なものです。
ゴールドムーンがいる限り味方には死者は出ないのだろうと思いきや、ゴールドムーンは途中から物語の中心から去って行き、脱落して英雄死を遂げるキャラクターも出て来ます。
これにも注釈があって、仲間内から一人も死者が出ないのもおかしいだろう、というチーム内の話合いがあったらしいです。

但し、英雄スタームの死については別途、その後の「ドラゴンランス伝説」だったか、さらにその続きの「ドラゴンランス セカンドジェネレーション」の注釈だったか忘れましたが、筆者はスタームの死は無くてはならない大事なストーリーだったと語っています。

注釈は、そういう楽屋話だけならまだいいのですが、それをあーた言ってしまっては・・という箇所が多々あるのです。
それは読み手にゆだねるべきところを何故そこまで饒舌に語ってしまうかなぁ、という首を傾げたくなる箇所も存在します。

従って私の結論としては注釈は要らないと思うのであります。
読む読まないは個人の自由ですが無しで読んだ方が素直にストーリーに突入出来るでしょう。

ドラゴンランスが「ドラゴン=竜、ランス=槍」つまり「竜と戦うための槍」がどんな役割りを果たすのかと期待しましたが、あまりそこにはこだわる必要は無さそうです。
ドラゴンランスというネーミングの世界が既に出来上がっているのですね。

話の筋としてはタニス、キャラモン、レイストリン、ローラナ、スターム、フリント、タッスル、ゴールドムーン、リヴァーウィンド・・・といった面々が暗黒の女王タキシスとその配下のドラゴン卿、更にその配下のドラコニアン、ゴブリンと戦いながら、暗黒の支配から世界を救おうとする訳なのですが、いつもの事ながらこの手の物語につきものなのが、暗黒、闇、邪 VS 光、善、正義 という構図。
レイストリンという魔法使いは心のどこかにいつも闇と病みを抱えている様なキャラクターでその人気が非常に高かったと作者は驚いていましたが、この人気はわかる様な気がします。多くの読者は勧善懲悪の単純に飽きて来ているのでしょう。

この物語、ドラゴンランスの続編のドラゴンランス伝説、そしてセカンドゼネレーション(息子達の世代が出て来ます)、夏の炎の竜・・魂の戦争・・喪われた星の竜・・・と次々と続いて行くのですが、既に続編の時点で、ヒックマン氏をもう敬虔なクリスチャンとは思わなくなるでしょうし、闇VS光ではなくなって来ます。

以前に書かれたものを含めるといくらでも膨れ上がってしまうこのドラゴンランスという物語の数々。もう終わりが無いのでは?とも思えてきます。
地球がある限り、世界史に終わりが無い様にクリンの世界にも終わりが無いという事なのでしょうか。

どの本にも全世界5000万部という帯がありました。
ドラゴンランスの一巻目が5000万部だとして全6巻、更に続編・続編も5000万部か、一巻目を無事に読んでしまえば、自ずからそうなるかもしれません。
一巻目の最初からぐいぐいと引っ張るタイプの読み物ではありませんし、なんせ最初は名前を覚えるだけでも大変。
同じ人物でも「タニス」と書いたり「ハーフエルフ」と書いたり、また「スターム」と書いたり「スタームブライトブレード」と書いたり「ソラムニア騎士」だったり「騎士殿」だったり。他にもそんな表現が一杯。
まぁそのあたりを乗り切れば後は一気に全6巻、また次の全6巻・・と行ってしまうのではないでしょうか。

さて冒頭の話に戻りますが、エルフあり、ドアーフあり、ゴブリンあり、・・あれ?
「ロード・オブ・ザ・リング」で活躍したホビット族はどこへ行ったのでしょうか。

ホビットは好奇心旺盛な種族なのですが、ちょっと個性として物足らないと言う事なのでしょう。
ドラゴンランスの世界では新たにケンダー族、ノーム族が登場します。

ケンダーの好奇心の旺盛さはホビットをはるかに上回り、死ぬ事すら冒険の一つと考えている。
また錠前破りの天才でスリの天才でもある。他人の所有品、貴重品も大切に自分の小袋に仕舞い込んでしまう。

ノームもケンダーに負けず劣らず好奇心旺盛で早口言葉の天才。発明の天才。
後続の後続あたりで実はノームもケンダーも同じ種族から分かれたという事実が明らかになる。

この物語、レイストリンが人気だったそうですが、私は陽気なケンダーのタッスルホフがこの終わり無き物語の中で一番好きなキャラクターでした。

ドラゴンランス(1) 廃都の黒竜  マーガレット ワイス (著) トレイシー ヒックマン (著) 安田 均 (翻訳)


01/Dec.2006
サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争  牧 久

この連休中に国土交通相、国家戦略相が相次いでベトナム訪問。
ハノイーホーチミン間での新幹線や原発受注に向けて国を上げて動き出そうという取り組みだ。
韓国はじめ競争国が国をあげてのトップセールスのご時世だからだろうが、日本の政権に海外メディアから下された評価がloopy からcontemptに変ろうとしている最中、その政権の大臣が訪問しても相手にしてもらえるのか、とも思えたが円借款などの支援策も持ち出したとのことだったので全く手ぶらでの訪問というわけではなかったようだ。
また、そうまでしてでも食いこむ値打ちがあるほどに近年のベトナムの経済成長は目を見張るものがある。

現在のベトナムを訪問するとこれがあの20世紀最大の空爆の被弾国とはとても思えない。
また、社会主義共和国という国名からも単純連想出来ないような経済国家である。
もはや、社会主義国家、資本主義国家というかつてのイデオロギーの名残りのようなネーミングはこの21世紀においては意味を成さないものなのかもしれない。
とは言いつつもモンゴル人民共和国やカンボジア人民共和国、コンゴ人民共和国・・・などのように人民や人民共和を国名から取っ払ってしまった国も多くある。
ドイモイ(刷新)政策にて中国のように改革開放路線を取りながらも社会主義国家時代からずっと政体が継続しているということなのだろう。

ベトナムと聞いて連想するのはもちろんベトナム戦争にての悲惨な被爆国としての姿。そしてアメリカが去った後に大量に発生するボートピープルだろうか。
実際に現在のベトナムの人とその頃のことを聞いてみると、ベトナムはかつて中国ともフランスともアメリカともカンボジアとも戦って来た。
日本に進駐された時もある。
アメリカとの戦争の時には、韓国もオーストラリアも参戦して来た。
それでもそれらの国を恨む気持ちなどこれっぽっちも無い、などと言う。

実際にホーチミンにあるベトナムの戦争記念館へ足を運んでみて驚いた。
当然ながら、枯葉剤による被害者や、被爆で逃げ惑う姿などの写真の展示の数々なのだろうと想定していたが、いやその類も若干はあったのだろうが、実際に案内されたのは、かつての南ベトナム政府の大統領室を再現したものが大半。
いかに南ベトナム政府の大統領が贅沢三昧をしてきたかを強調する展示の数々。
戦争展示館というもの敵国の残虐さを強調する展示をされる例が多い中、ベトナム人は敢えてそれを避けているのだろうか。
それともしれだけ鷹揚な国民性なのだろうか、それとも現在の最大の輸出相手国が米国だからだろうか、と不思議な気持ちになったものである。

この本を読んでその一旦が見えて来たような気がする。
そもそも、ベトナムについて何を知っていたのか。
ベトナム戦争の頃は戦争の悲惨さを訴えるためにベトナムのニュースは連日メディアの中心だっただろう。
それがサイゴン陥落以降から今日まで、メディアは取り上げてはいたとしても矮小な記事でしかなかったではないだろうか。
ほとんどというぐらいに何が起きて来たのかを知らずに今日に至ってしまっている。

そもそもベトナム解放戦線と北ベトナムとは同じものだと思っていたが、そうでは無かった。
サイゴン陥落に至るまでの道筋をつけて来たのはベトナム解放戦線の力が大だろう。
最も影響のあったのはテト攻勢でのアメリカ大使館への襲撃。それを実行したのも解放戦線。
ところが陥落後のサイゴンに来たのは当時のソ連をバックに持つ北の労働党の正規軍。
民族独立の戦のはずが、共産軍の勝利にすり替わってしまい、あわてるサイゴン市民。
ベトナムにおける北と南の対立は相当に根深いものがあり、対立などという生やさしい言葉より憎しみに近いものがあるのだという。
その北と南の確執を知ると何ゆえベトナム戦争記念館が旧南の政府の贅沢三昧ばかりを強調していたのかの一旦が見えた気がする。

陥落したサイゴンは、サイゴンの人から見ればそれはハノイからの進駐であり、ハノイから見ればアメリカ文化に毒された愚民達への再教育の場ということになるのだろう。


ベトナムからボートピープルの人たちが大量に難民として出て来た頃、ベ平連と反対の立場の人たちが「それみたことか」の類の主張を繰り広げていた。
しかしながら彼らとてどこまで真実を知っていたのだろうか。
解放戦線がハノイの思惑と異なっていたことまで知っていただろうか。
旧南の政府を破った後の南の政府であるはずの臨時革命政府が申請した国連加盟申請を圧倒的に賛成国の多い中、米国の反対一票で申請が見送りになったことなど日本でどれだけの人が知っていただろう。
臨時革命政府が国連加盟となれば、北と南の二つの政府が国際的に認められたことになり、北の労働党側もやすやすと南北統一を成し遂げえなかったかもしれない。

また何よりも驚くのは実はボートピープルそのものが、北が政治的に仕向けたのではないか、という著者の指摘。北はサイゴンの愚民たちを再教育するよりもむしろ資産は全て剥奪した上での棄民政策をとったのではないかという見方。

いやはや、歴史とはこうまでも複雑怪奇なものなのか。

この本の後段にさしかかると更に複雑怪奇な話にぶち当たる。
解放戦線側の中には旧日本兵がいたのではないか、という話。
日本の敗戦時に仏領インドシナに駐留していた日本兵は9万人。
その内、ベトミン軍の中核となった日本兵は四千人にのぼるという。

ベトミン軍の要請を受けて士官学校を創設し、人民解放軍百名を養成した旧日本兵の手記もある。

その背景は何だったのか。
旧大本営の唱える大アジア主義を地で行くものそのもので、アジアの解放のための捨て石になることだったという。

いや、日本という国、とうとう国レベルでは軽蔑すべき国とまで言われるようになってしまったが、個人のレベルでは尊厳を失わず、尊敬される存在も居たということか。

この本を読んで一番に切ないのは、この著者の存在そのものか。
ジャーナリストとしてあれほどの危険な場所に危険な時期に残留することを自ら選択し、北の姿を発信し続けた行為は、捕縛されることすら覚悟の行為だったのだろうが、最終的には国外退去で済んだ。
しかしながら現地での通訳をこなしてくれたスタッフはその後、さんざんな目に会い、最後はボートピープルとなって国を捨てる。
彼の目に著者は日本の大新聞をバックにベトナムの国旗が血に染まり、引き裂かれている姿を見下ろしている、そんな存在に思われていたことを知った著者はさそかしショックだったことだろう。

いずれにしろ、本書は「もうひとつのベトナム戦争」というサブタイトル通り、これまでスポットの当てられることのなかったもうひとつのベトナムのを当時のジャーナリストの視点から描いた歴史書であり、これを書き残してくれたことに一読者としては感謝の気持ちで一杯である。



05/May.2010
途上なやつら まさきとしか

なんともダメダメ人間の集まり。

小学校5年生の息子を放っポリ出してどっかへ消えて行く母親。
親戚の家と言われてやって来た先には、40歳を超えてまだ無職の男が一人。
70歳を超えて、ろくにお礼の一つも言えない爺さん一人。

そこはまるでシェアハウスのようなのだが、そうではなかった。
そこには誰も逆らえない人が居た。
マツコデラックスばりの体型の女性。
実に何事にもそっけないこの人に誰も口答えは出来ない。
全員、その人の家の居候だ。

大人に向かって平気で「生きてる価値が無い」と言い放つ小学生には少々げんなりさせられるが、実際にいとも容易く詐欺商法に引っかかりそうになる大人をこの小学生は助けたりしている。

この話、ストーリーはともかくもとにかくこのマツコデラックスの個性がひかる。

そっけないが結構ふところが深い。

凄い体型で到底もてそうにないのに、無茶苦茶男にもてたりする。

特に人さまにお勧めするような本でも無いが、暇つぶしには丁度手頃な本だということで紹介しておきます。


途上なやつら まさきとしか 著


16/Mar.2015
ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む -4万5千キロを競ったふたりの女性記者- マシュー・グッドマン

ジュール・ヴェルヌに「八十日間世界一周」という作品がある。

ジュール・ヴェルヌと言えば、後にアメリカのアポロにてほとんど再現してしまった月世界への旅行であったり、2万マイルの海底であったり、地底への旅行だったり、ほとんどが当時の技術では為し得ない夢の地術を描いたSFの作家なのだが、この「八十日間世界一周」だけはSFではなく、実際に当時に有った技術で行えるはず、として書かれたものだ。

19世紀後半のその時代にジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」に挑んだ二人の女性記者。

その時代のアメリカは、いくらアメリカとはいえ、まだまだ女性が男性と同様に仕事をまかされる時代じゃなかった。
女性の新聞記者と言っても、男性と同様の取材仕事などはやらせてもらえない。
社交界のお飾りみたいな記事を少し書く程度。

そんな中で、危険を顧みず、潜入取材で身体を張って取材活動をする女性が現われる。
ネリー・ブライという20代の女性記者だ。
当時の精神病院がいかにひどいところなのか、精神病患者になりすまして入院して牢獄よりひどいその実態をあばく。
またある時は工員として働き、その苛酷な労働条件を体験取材したり、当時治安が悪く危険だと言われたメキシコへ渡って、実際のメキシコを体感し、アメリカよりもはるかに安全な国だという記事を書いてみたり。

とにかく身体を張って取材をする人なのだ。
その人がヴェルヌの書いた「八十日間世界一周」を自分なら75日でやってのけるから、やらしてくれ、と上司を説得する。

その世界一周の発表を受けて、別の社も即座に動く。
文芸評論のコラムを書いていた文芸記者のエリザベス・ビズランドという女性記者に命じてネリーとは正反対の方向で世界一周をせよ、と命じる。

ネリーはニューヨークから一路東へ。大西洋を経てイギリス、フランス、イタリアのルート。
エリザベスは逆に、一旦サンフランシスコまで機関車で移動し、そこから乗船して日本へと向かう。

この二人、ひたすら旅を急ぐので、そこでの発見や取材や紀行文は極めて少ないが、その極めて少ない中にエリザベスが見た日本の印象がある。

彼女は富士山を見て感動する。日本人の信仰の対象となるのはもっともだと感じる。
彼女の見た日本は明治維新から約20年。
日本に非常に良い印象を持っているところは嬉しい。
人力車の車夫を見てその筋肉質に惚れぼれとしたりするところはやはり20代の女性ならではだろうか。

ネリー・ブライは最初のうちこそ、フランスで本物のジュール・ヴェルヌを訪ねたり、という余裕があるが、半ばから、旅の目的はとにかく急ぐことそのものになってしまったようだ。

取材する対象があっても、取材するに足る時間が空いていたとしても、取材という熱意が消え去ってしまっている。

彼女は72日という驚異的な記録で世界を一周し、一躍全米で最も有名な女性となり、行く先々で、熱狂的な歓迎を受ける。

遅れて帰国したエリザベスは、騒がれることもなく、彼女自身も旅については沈黙を守るという、同じことを行いながら全く正反対の状態となる。

瞬間熱烈な歓迎を受けたネリーがその後、幸せだったかというとそうはならないのが物語とドキュメンタリーの違いだろう。

記者としてではなく、講演旅行に出る彼女にだんだんと世論は覚めて行く。
記者に戻ろうにもあまりにも顔が売れすぎてしまって潜入取材などはもはやできない。


この本、500頁を超える大長編である。
その大半は、彼女達の軌跡を追ってこの著者がこの時代の各地の出来事や時代背景などをを膨大な資料を元に書いているもので、その合い間にはラフカディオ・ハーンやらピューリッツァー賞で有名なピューリッツァーなども登場する。

あらためて彼女たちの旅の意味はなんだったんだろう、と思う。
蒸気機関車やスエズ運河の開通で世界の距離は短くなったことの証明?

いやいや、それよりも新聞社そのものの宣伝の意味しかなかったのではないだろうか。

彼女たちが訪れたそれぞれの地に短くとも2週間や3週間ずつは滞在し、旅そのものは1年かかったとしても、そこで若い女性記者ならではの感性で、また弱者の味方で帝国主義の英国人の驕りが大嫌いなネリーの見方、イギリス大好きのエリザベスの見方、それぞれで観たもの、聞いたもの、感じたものを取材し、書きあげていたらどうだっただろう。

その書きものは100年たっても200年たっても色褪せなかったのではないだろうか。
少なくとも彼女たちの足跡が歴史から消えてしまうということだけは無かっただろう。

著者が資料集めをして書いたものより、彼女たち自身が書いたものを読みたかった。




ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む -4万5千キロを競ったふたりの女性記者-  マシュー・グッドマン 著


14/Apr.2014
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