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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
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とっぴんぱらりの風太郎 万城目学
トップ・シークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家 デイナ プリースト ・ ウィリアム アーキン
斗棋(とうぎ) 矢野 隆
蕩尽王、パリをゆく ― 薩摩治郎八伝 鹿島茂
時が滲む朝 楊逸
時のみぞ知る ジェフリー・アーチャー
特命捜査  緒川 怜
床屋さんへちょっと  山本幸久
図書館戦争 有川浩
途上なやつら まさきとしか
トロール・フェル キャサリン ラングリッシュ
トワイライト 重松清
独居45 吉村萬壱
同期 今野敏
道徳の時間 呉 勝浩
土漠の花 月村了衛
ドラゴンランス マーガレット・ワイス、トレーシー・ヒックマン
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とっぴんぱらりの風太郎 万城目学

いやぁ、楽しい本でした。

時代は関ヶ原より後、徳川が征夷大将軍となるが、大阪城にはまだ豊臣が残っている、そんな時代。

伊賀の里から放逐された忍者、風太郎。
文字通りプータローになったわけで、京都の吉田神社の近くにて隠遁生活を送る。

究極の忍びとは目の前を歩いても気が付かれない。それだけ「気」というものを消す。
その「気」を消すことでは伝説の人、果心居士.。
その片割れだという因心居士という「ひょうたん」の幻術使いにいいようにあしらわれる風太郎。

その因心居士から語られる豊臣家のひょうたんの馬印の由来。

自分でひょうたん作りまではじめて、出来あがった立派なひょうたん。
何の因果か因心居士からの頼みで大阪城の天守閣へと届けなければならない。

とはいえ、その時には、大阪夏の陣が始まろうとしている。
冬の陣の和議の結果、城の周囲の堀は埋め立てられ、もはや裸同然の大阪城。

滅ぶ寸前の大阪城へ今度は高台院(亡き秀吉の未亡人)からも秀頼あてに届け物を頼まれる。

これから大阪夏の陣で滅ぶ寸前の大阪城へ忍び込む使いを仰せつかる。

10万の大軍に囲まれた中へ忍び込んで、無事に脱出するなどという離れ業が成し得るのか。

秀頼からはまだ赤子の娘を託される。

「プリンセス・トヨトミ」の昔語りと一致はしないが、一応は「プリンセス・トヨトミ」につながる話にはなっている。

この本、トヨトミとかひょうたんとかはおまけだろう。

これからは太平の世。

もはや忍びなどは要らない。

武将も武勲をあげるやつは必要ない。
徳川に従順な大名であればいい。
その部下は、殿さまに従順なだけの侍でいい。

忍びなどの特殊技術はもはや必要とされない時代になったのだ、という中で生きている忍びたち。

なんだかどこかで聞いたことがあるような話ではないか。

古くは自動織機が出来たから織り子さんたちは要らなくなる。
最近では、3Dプリンターが出来たら少量多品種の金型メーカーは要らなくなる、とか。

江戸時代になっても忍びには忍びの役割りがあった如く、それぞれの産業でも手作りで無ければ出せない味のために機械化が進んでも残っては来たし、今後もそうなのだろう。
それでも、 電話の交換手みたいに日本では100%消えてしまった職業というものもある。

この時代の分かれ目に居る忍びたち、敵・味方で戦ってはいるが、それぞれ「もう俺達の時代は終わったんだな」と思いながら戦っているかと思うと、なんだか哀愁が漂ってくる。



とっぴんぱらりの風太郎  万城目学 著


22/May.2014
トップ・シークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家 デイナ プリースト ・ ウィリアム アーキン

9.11後のアメリカ、いろんな意味でそれまでのアメリカを制御していたネジがぶっ飛んだ。

我々は断じてテロには屈しない。
これは戦いだ。戦争だ。テロとの戦争だ。

となっていくと、過去には公然とは有り得なかった容疑者の暗殺、しかも法治国家である外国の施政権下で平気で行われるようになっていく。

国家機密を扱う組織がいくつも出来あがり、入り乱れ、収集する情報量があまりに多くなり、誰もその情報の実態を掴めなくなってしまいつつある。
またその国家機密を扱うはずのプロフェッショナル集団で作業を行うのは大半が民間企業からの出向者。
発注する側の官の上の方の人材からどんどん民間に引き抜かれ、発注される側の民間企業での報酬は政府にいた頃よりはるかに高額。

アメリカの敵=テロの標的はやがて米国国内へと向けられ、監視カメラに覆われた国へとなっていく。
特定される個人の数も膨大なら、収集される個人情報の量はさらに膨大な量に・・・。
超監視社会だ。
もはやジョージ・オーウェルの『1984年』の世界か?

いや『1984年』の方がビッグ・ブラザーという独裁者のためと目的がはっきりしているだけにわかり易い。
ここで収集される情報は誰が何のために集めたもになのか。何に使うものなのか、だんだんと誰もわからなくなっていく。

この著者の最も焦点を当てたいところはこれらの組織が出来あがり肥大化して行くことによるアメリカの多大な無駄遣い、なのかもしれない。

これら機密情報を取り扱う組織が縦割りとなってしまい、それぞれシステムも別々、情報の共有も満足にできていないのが現状。
ところが、その無駄を省いてシステムが統合し、情報が共有化されたとしたら、どんなことがおこるのだろうか。

個人情報どころか近未来小説のような全個人のヒストリーと全ての日常のデータベース化が実現してしまうかもしれない。

アフガンを攻め、イラクを倒し、アルカイダの幹部と呼ばれる人たちを暗殺しても尚、これだけ予算を投じ国内の個人情報を収集したとしても、アメリカはテロの脅威から抜け出ていない。
状況は変わっていない。

それどころか、各組織が集めたトップシークレットであるはずの情報が、意図も容易くハッカーの餌食となってしまっている状況を著者jはセキュリティの専門会社で目にする。

これらの組織はブッシュ政権時代に出来たものばかりだが、オバマの代になってなくなったものは何一つ無い。


それにしてもこの二人の著者、よくこれだけ調べられたものだ。
取材対象もトップシークレットなら、書いてある内容も充分にトップシークレットだろう。

取材させてくれる相手がいることにも驚きだが、どうどうとこの本が出版出来てしまえることがさらなる驚きだ。

ほんの20数年前の自国の民主化運動でさえ自国民の前では無かったことにしてしまうような隠ぺい国家ではまず考えられない。

そう考えると、アメリカという国のふところの深さにはやはり感心せざるを得ないか。



トップ・シークレット・アメリカ  最高機密に覆われる国家 デイナ プリースト (著)  ウィリアム アーキン (著) Dana Priest William M. Arkin 玉置悟 (訳)


18/Jul.2014
斗棋(とうぎ) 矢野 隆

昨年出版の本で「ダークゾーン」(貴志祐介著)にという仮想世界の中での将棋やチェスに似たルールで人間が闘うという物語があった。

「斗棋」という話もそれに近いのか、と思っていたが、全く違う世界が繰りひろげられていた。

「ダークゾーン」は次のステージになれば再度生き返るが、「斗棋」はそんな仮想世界じゃない。一度きりの命を張った闘いだ。

舞台は江戸時代の黒田藩内にある宿場町。

博徒の二つの勢力が、いや組と言い換えた方がわかりやすいか。
本の中の言葉とは違うが、元は一つだった組が分かれて二つになって、縄張り争いだの抗争だのを繰り返している。

まともにぶつかりあったら、即、お縄になる。将棋での勝負なら問題あるまい。
そこで、始まるのが「斗棋」だ。

歩が互いに九枚ずつ、飛車、各、金二枚に銀二枚。

相手と駒が接触するまでの棋譜で言えば、普通の将棋と一緒だ。
▲7六歩 △3四歩と互いに角道を開けて角を取りに行くということは即ち角交換だ。
相手の角を頂く代わりに、自分の角を相手に差し出す。


どころが「斗棋」では、相手の角の上に角を置いた段階で、互いの角の役割を与えられた子分同士が命を張った闘いをする。
勝てば、相手の角は盤上から消え、手駒にもならない。
だから、相手の角を頂く代わりにがない。その角を銀で取りに来れば、その銀の役を担った子分と角がまた闘う。


親分はもちろん、玉だ。
将棋のルール通り、玉が取られたらそれでゲームセット。
極端に言えば、△8四歩 △3三角成(王手)で三手で玉を倒せばそれでゲームセット。


逆に「詰み」というものも発生しない。
これまた極端な話、自陣の駒が全部相手に倒されようとも、玉が残りの勝負全て勝ってしまえば、手駒無しでも勝ててしまう。

ならばやはり、喧嘩の強いヤツが一人居れば勝つだけじゃないか、と思うかもしれないが、そのとことん強いやつをどこに配置して、次の手をどう打つか、という戦術が大事になる。
とことん強いやつが居たところで、そいつをかわして玉だけを狙いに行く戦術もありえる。

物語としては、そんな戦術めいた話があるわけではない。
侍同士の斬り合いでは無く、田舎の博徒同士の泥臭い命掛けの闘いだけにやけに生々しい、そんな闘いが繰り広げられる。

と、出版されて間が無い本なので、未読の方のためにも本筋をはずした本の紹介をしておきます。



斗棋  矢野 隆 著 (集英社)トウギ


22/Aug.2012
蕩尽王、パリをゆく ― 薩摩治郎八伝 鹿島茂

大富豪が散財の限りをつくし、現在の貨幣価値にして800億とも言われる金を放蕩で使いつくしてしまう。
明治〜昭和のノンフクション。

なんだか途轍もない豪快な逸話の数々を期待してしまう。

タイタニック号を借り切ってみたり、全世界の映画スターと豪遊してみたり、オリンピックの金メダリストを集めて自分だけのオリンピックを開催したり・・・なんて途轍もない逸話が書かれているわけではない。

治郎八氏は芸術を愛する人でありながら、決してコレクターにはならなかった。
コレクターとして収集するのにお金を使うのではなく、寧ろ芸術家のパトロン、良き理解者としての散財をする。

明治から大正という時代、第一次大戦を経て、空前の好景気を甘受した日本人は多かっただろう。

今のお金にして800億というのはとんでもない巨額だが、平成の今でさえ100億という巨額をバクチにつぎ込んでしまう人がいるぐらいだ。
当時の貨幣価値をどういう基準で現在の価値に結びつけたのかは知らないが、その当時の大金持ちなら、もっと桁違いの金遣いをしていた人が居てもおかしくはない。

コレクターとしてもっと金を使った人もいりゃ、本業を維持しながらも豪快に金を使った人もいる。

本の冒頭では、治郎八氏は放蕩で全てを使い切ってしまうところが素晴らしい、とそのあとの展開にかなり期待をさせてくれる。

ところが、寧ろ、豪快な逸話がありながらも極めて記述の仕方は地味なのだ。

それどころか、この筆者はやはり学者なんだなぁ、と思ってしまう。

本人の書いた手記にアラビアのロレンスと会ったことや、コナン・ドイルと会ったこと、フランスの外人部隊に入隊したことなどが、事実だったかどうか、その年号や妥当性の検証やら傍証にかなりの枚数を割いている。

史実探究の推理の過程を楽しむ人にはおもしろいのかもしれないが、初めて薩摩治郎八なる人物にお目にかかった読者がそこまで治郎八オタクになるには、少々関門が高過ぎる。

放蕩で全てを使い切ってしまう、というよりも昭和の戦争で日本人が皆、何もかも失ったのと同様に、金の出どころの実家が傾いてしまった。
日本人が皆一文無しからの出直し。
放蕩で使い切ったというのは、ちょっと意味が違うかもしれない。


それでもまぁ、いずれにしろ、若い頃からとんでもない金を自分のやりたいことのために自由に使いまくったわけだ。

当然、我が人生に悔い無しだろう。

蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝― 鹿島茂/著 金は使うためにある! 大富豪の華麗にして波乱万丈の生涯。 新潮社


30/May.2012
時が滲む朝 楊逸

中国人として初めての芥川賞受賞。
あの天安門事件の時の大学一年生が主人公。
学生達の叫んだ民主化、民主化は掛け声だけだったのだろうか。
登場人物は民主化とはいかなるものなのか、イメージがつかめないままどんどんその運動の渦中に入って行く。
天安門事件を扱うのなら、あの当時中国の学生達を燃え上がらせた、また燃え上がらざるを得なかったその背景についてもっと踏み込んでいってほしい気持ちはあるが、民主化と言ってもそのイメージもないままに突入した学生が主人公ならばその背景を描くことは返って矛盾となる。

学生を煽った先生はアメリカへ亡命。
かつての同志たちもバラバラに。
日本へ移住した主人公は中国の民主化運動のグループに参加する。
ちょうど北京五輪の最中である。
その北京五輪の開催反対の署名活動を行う人物が主人公になった本がこの時期に賞を受賞したこととの因果関係などを勘繰りたくなってしまうが、芥川賞の受賞作家達が選考委員となって決定される賞である。
背後に政治的意図などは皆無だろう。

主人公はひたすら生真面目に香港返還の反対運動や五輪開催反対運動を行おうとするのだが、グループに集まる人々の目的は様々で、商売のための人脈作りが主だったりする。

中国本国の経済発展を横目で見ながら、民主化という名の霞みだけを食っていては誰も満足に食べてはいけないということなのだろう。

この本より何より楊逸という人の芥川賞受賞のインタビュー記事の方がはるかにインパクトがあった。
このインタビュー記事の内容を小説にした方がはるかに読む者を引き付けたのではないだろうか。

幼年時代は文化大革命の真っ盛り。
五人兄弟で長姉は下放の折りに事故で亡くなる。
その次は一家全員が下放でハルピンの家から地方へ。
行った先は零下30度の激寒の地。
もちろん電気もガスも暖房器具に相当するものも何にもない。
何年かしてようやくハルピンへ帰ることが出来るのだが、一家で飼っていた愛犬までは連れて帰るわけにはいかない。
近所の人に面倒をみてもらおうとお願いしたら、鍋にして食べられちゃった。
うーん、なんとも中国らしい話だ。
帰ったハルピンには住む家がない。
一家が住んだのはなんと高校の教室。
学生達が登校してくる前に携帯のコンロで朝ごはんを作り、登校してくる頃にはそれぞれの職場や学校へ散って行き、学生達が帰るとまたその教室へ舞い戻り、晩御飯。

ようやく学校の敷地内に部屋を設けてもらうが、お隣りの一家が学校が購入したテレビをお正月にみようと自分の部屋に持って来て、というあたりも中国人らしさならそのあとがもっとすごい。スイッチを入れたとたんにテレビから火が吹き出して、部屋は全焼。
そのあおりを受けて楊逸さん一家の部屋も全焼してしまう。

なんともはや踏んだりけったりもいいところ。
ただ多かれ少なかれ、党員のエリートでもない限りは同じような境遇に出くわした時代なのだろう。

今でこそ、経済発展めまぐるしい中国だが、ほんの少し前までは街中は人民服と自転車であふれ、カラー写真といえば毛沢東の写真ぐらい。
モノクロの時代だったのだ。スイッチを入れただけで燃え上がるなんてというテレビを作る方が難しいのではないか、と思えるが、この話は誇張ではないのだろう。
肝心の天安門事件の頃にはもう日本へ移住していたが、北京に学生が集まる姿を見て傍観は出来ないと北京まで足を運んでいる。
人民解放軍が登場する頃には実家へ戻っていたので、難は逃れたが、その楊逸さん自身が民主化運動って何なのか意味が良くわからないままだったと言っている。
素直な人だ。
妹を連れて北京を歩き、蘭州ラーメンを食べさせたところ妹がチフスにかかってしまう。親はそんなものを食べさせるからチフスにかかるんだ、と中国に住む人でさえ中国の食に対する信用は薄い。このあたりは今でもそうなのだろうか。

いずれにしても、そんな生い立ちをもってしても楊逸という人なんともあっけらかんとしている。
これがいわば大陸の気風というものだろうか。
次作ではそういう大陸の気風というものが作品に表れたらいいのになぁ、などと思ってしまうのである。

第138回芥川賞受賞 時が滲む(にじむ)朝 楊逸(ヤン・イー)著


20/Aug.2008
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