読み物あれこれ(読み物エッセイです) 検索エンジン MMI−NAVI

読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Nov.2017
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
著者検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
- ワ行
-
綿貫 智人
綿矢りさ
和田竜
+
+
作品検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
リストラなう! 綿貫 智人

この本、ブログがそのまま本になっている。
「リストラが始まりました」というタイトルではじまるブログとそのブログに対するコメント、どうやらそのまま本にしてしまったらしい。

最初の「リストラが始まりました」では、「頑張って!」とか「私もリストラ組です」、「応援しています!」みたいなコメントがついているのが、だんだんと回を重ねる毎に厳しいコメントが付くようになる。


で、このブログ主が実は結構高級取りだとわかってくるとかなり手厳しくなり、とうとうこのブログ主が年収を発表してしまう。そうなるとほとんどその高額年収に対する集中砲火で、もう同情の声はほとんど無くなる。

それにしてもこのブログ主さん、どれだけ叩かれようと、毎度毎度「心が折れました」などと書いてはいるものの、叩かれた内容について反論も激怒もせず、ひたすら「その通りですよね」と続けて行くところが好感度を持たれるのだろうか。

ブログ主はやがてはコメントに対して反省の弁を書く世界から脱して行き、もうこうなったら好き勝手書いてやるとばかりに突っ走り、方やコメントの方もかなり手厳しいコメントは続きながらも手厳しいとはいえ、真剣であまりに真っ当な意見が多いのに驚かされる。

本ではブログ主の書いたブログ本体とそれに対する、コメント、コメントに対するコメントなど、ブログ本体とコメントの割り合いはだいたい半々ぐらいだろうか。

そのコメントを含めてそのまま本になるほどに、コメントの質が高いのだ。

話題は電子書籍になったかと思えば、出版社、取次店、著者、書店の各々の力関係だの、利益配分だの、返本制度の問題点、本来はこう有るべきの類の意見があったり、出版という業界のいい勉強になる。

同じ出版関係の人のコメントもあれば、書店の店員さん、そして著者の立場からの意見などもある。

それぞれのコメントがかなりの真剣なもので、長文なものが多い。

出版業界はどうあるべきかという業界話題から、仕事たるものどうあるべきかという広い話題に至るまで、コメント欄は達者な方でいっぱいだ。

まぁしばらくたってしまえば、筆者(ブログ主)の周辺では知れ渡ってしまったらしいから、そういう身近な人達の書き込みもあったのだろうか。

それにしてもこのブログ、初っ端の投稿があってからもうその翌日にはかなりのコメントが寄せられている。

いくらブログタイトルが人の関心を惹くものであったとしたって、ブログを初めて直ぐにそんなに読者が現れるものだろうか。

この筆者(ブログ主)はもっとかなり以前からブログを維持し、ブログ読者を持っていたのではないだろうか。でなければなかなか説明がつかない。

冒頭にては電子書籍の登場にて、出版社もとうとうリストラか、と言うような流れだったと思うが、そうだったとしたら、電子化でリストラされて書いたものが電子媒体から紙媒体に移って売れてしまう、というのはなんという皮肉なんだろう、と思ってしまうところだが、ブログが進展して行くにつれ、リストラに至る要因が電子書籍でもなんでもなく、もっともっと根の深いところにあることがブログ主とコメントから書き間見えて来る。

いずれにしてもブログとそのコメントとで出来あがるというスタイルとしては新しい姿の出版物が世に出たわけだが、それも筆者(ブログ主)のいかなるコメントも受け入れるという懐深さ無しでは成り立たなかったのではないだろうか。



リストラなう! 綿貫 智人 著


24/Jan.2011
憤死 綿矢りさ

いままでに綿矢りさの小説作品は何作も読んできた。
「インストール」や「蹴りたい背中」に始まり、「勝手にふるえてろ」や「かわいそうだね?」などなど、どの作品の主人公も女性だ。
女子特有のもやもやした感情を書いているのに、不思議と暗い物語にはならず、スムーズに読んでいけるものばかり。そんな読みやすさが気に入っていた。

しかし今回の「憤死」は、男の子の主人公の作品もあった。
いつもの癖で女の子だと思って読み始めたので、男の子だとわかってからも最初はほんの少し違和感があったが、読んでいるうちにすぐ慣れた。
全4作品の中でも印象に残った2つを紹介したいと思う。

■トイレの懺悔室
少年たちが公園で遊んでいると、よく声を掛けてくるおじさんとの交流から始まる。
そのおじさんの自宅へ行った時、おじさんはキリスト教の考え方を子供たちに話し、牧師めいたことを語った。
そしてひとりひとり薄暗いトイレに来てもらい、子供たちの懺悔を聞こうというのだった。
主人公の男の子は残忍なやり方で虫を殺したことを告白。
そして万引きの経験を打ち明けた。最初はおじさんの牧師の真似事を馬鹿にしていた少年だったが、懺悔することでどこか心が晴れるのを感じた。

そして月日が流れ、少年たちが再会したとき、おじさんの話題になる。
おじさんの様子を見に行くこととなった主人公は、年老いて弱ったおじさんの姿を見ることとなる。
懺悔しに来た時のことを思い出し、暗い気持ちになったところで物語は終わる。
人が弱くなったところを見るのが怖くて、お見舞いには行きたくないという彼の考え方が妙に心に残った。

■憤死
このタイトルで、憤死をいう言葉をはじめて知った。
文字通り、憤りすぎて死んでしまうことらしい。

愛する人と別れることとなり、自殺未遂をしたという昔の同級生、佳穂。
これだけ聞くとなんとも繊細な女の子を想像してしまう。
しかし彼女、別れが悲しくて飛び降り自殺未遂をしたわけではない。
別れたことが悔しくて、腹立たしくて怒りに打ち震えていると、気が付いたらポンと飛び降りていたのだという。

主人公の女の子は、この話を聞いて学生時代の佳穂のことを思い出していた。
ウサギ当番をしない佳穂を、みんなが責めたことがあった。
彼女は主人公の女の子を連れて、おとなしくウサギ小屋に向かった。
そして餌の入ったバケツを持ち上げると、狂ったようにバケツをそ振り回し叩きつけ、激昂したのだ。

佳穂はケーキを食べるとき、最初にメインのいちごにフォークを突き立て、食べてしまう。
佳穂は自分の自慢話ばかりを並べ、主人公を今も昔も見下しきっている。
決して万人受けするとは思えない佳穂。
しかし怒りを全身で表現し、感情をぶつける佳穂の行動を読んでいると、なぜだろう、完全には憎めなくなってしまう。
死んでしまうほど激しい感情を持つ彼女の素直さに、魅力さえ感じた。


「憤死」に収録されている、「おとな」「トイレの懺悔室」「憤死」「人生ゲーム」は、どれも幼少時代の話が基盤にあり、大人になってから再会したり理解が深まったりして、話が進むという共通点がある。
子どもの時はなんとなく過ぎ去ってしまった体験も、大人になり振り返ってわかることもあるということだろうか。
作品の内容1つ1つだけではなく、本全体の構成からもテーマが読み取れる一冊だ。


09/Sep.2013
村上海賊の娘 和田竜

この本、2014年の本屋大賞。
全国の本屋さん達が一番売りたいと思った本。
本の目利きが最もおすすめする本なのだ。
こういう時代ものって一般受けするのかなぁ、と思いつつ読み進めていくうち、途中からもう面白さ爆発。
下巻になるともう止められない。一気読みしてしまった。

結構ハチャメチャに書いているようで、実はかなり歴史に忠実に書かれていることがうかがえる。
本文の中にも「信長公記」の中では、とか「石山軍記」の中では・・ルイスフロイスはその著書の中で・・・とか、至る所に引用文献が記載されているが、巻末の主要参考文献を見ると、その文献を羅列するだけでなんと4ページも。

この作者、この本の一つ一つの描写の裏付けにかなりの歳月をかけたのではないかと、思わせられた。

方や史実に忠実でありながら、その史実に無い行間を思う存分、好き勝手に書いちゃった感が満載。

織田信長が大坂の石山本願寺を攻める際に、攻めあぐねて兵糧攻めにしようとする。
石山本願寺は毛利家へ海路での兵糧補給を依頼する。
単に兵糧を運ぶだけなら毛利家だけでも充分なのだが、兵糧を運ぶにはそれを守る部隊が必要となる。
そこで登場するのが村上海賊。

村上海賊は来島村上と因島村上、能島村上の三家からなるが、最も力があるのが村上武吉が率いる能島村上で、ここだけは他家と違ってどの大名傘下にも属さない。

その村上武吉の娘が主人公の景(きょう)。

この主人公の活躍が最も史実から遠く、作者が好き勝手に書いちゃった感が最も出ているのがそこ。

毛利の助っ人が村上海賊なら、織田方の助っ人は泉州の地侍達で、中でも突出しているのが眞鍋七五三兵衛率いる眞鍋海賊。

この泉州侍たちの書かれ方がまたすさまじい。
この本では「俳味」という言葉で何度も書かれているが、要は「洒落っけ」を何より重視する。自らの命よりも俳味に重きをおく。

全国区ではちょっと受け入れられるのか、ちょっと心配になるのが、すさまじいまでに登場する泉州弁。
この本の泉州弁は今の和歌山弁に近いように思える。
目上への敬語が無いのは今でも紀州の特徴だ。

泉州侍達は元より織田の家臣では無いし、戦況次第ではどちらにでもすぐに寝返るのが泉州の特徴の様に書かれているが、この時代、そんなのは泉州に限らずどこでも当たり前かもしれない。

毛利側が兵糧船と戦船合わせて千艘。傍から見れば、千艘の大軍団だ。
でも実際に戦えるのは300ばかり。
方や泉州側も海賊150と陸の泉州侍が載る船が150。

村上海賊の娘が泉州の怪物、眞鍋七五三(しめの)に対して掛け合いに行く(もう戦うのんやめとこや、と交渉に行く)シーンがあるのだが、そこで物語上では七五三はまんまと千艘まるごと戦船と信じさせられるのだが、そこで七五三が出した答は、「そんなん面白ないわ」の一言。
仮に99%負けるのがわかっていても面白いか面白ないかが判断基準となる。

方や自家存続のためなら何でもするはずが、大将のたった「面白ない」だけのことでどれだけの命が失われる事か。自家はもとより味方の軍勢の命。もちろん敵の命も。

ここらあたりも史実の行間というやつなのかもしれない。

おかげで話は俄然面白くなってしまった。

本屋さんがおすすめするのむ無理無いな。これは。




村上海賊の娘 和田竜 著


06/May.2015
    1