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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Oct.2017
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ヤッさん  原宏一
夜行観覧車 湊かなえ
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USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか 森岡 毅
友情 武者小路実篤
昨夜のカレー、明日のパン 木皿 泉
夢を売る男 百田 尚樹
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夜明けの街で 東野圭吾
楊家将 北方謙三
八日目の蝉 角田光代
陽気なギャングが地球を回す 伊坂幸太郎
ようこそ、わが家へ 池井戸 潤
幼女と煙草  ブノワ・デュトゥールトゥル
洋梨形の男  ジョージ・R・R・マーティン
横道世之介 吉田 修一
吉田キグルマレナイト 日野俊太郎
夜の国のクーパー 伊坂幸太郎
よろこびの歌 宮下奈都
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ヤッさん  原宏一

かつて「たんぽぽ」という伊丹十三監督の売れないラーメン屋を立て直す映画があったのを思い出してしまった。
その映画の中のでの一場面。
ホームレスの人たちが「○○の店も落ちたもんだ」などと有名店の味を語ったり、ワインについての薀蓄をたれたりする場面がある。

この本に登場する「ヤッさん」というホームレスは清潔がモットーなのであの映画のホームレスたちとはかなり様子が違うが、こと食に関するこだわりは天下一品。
自身の味覚も素晴らしければ、食材の動向を知り尽くし、築地市場と一流料理店の中を取り持ち、双方から頼りにされる存在。

そもそもこの人、ホームレスという範疇に入るのだろうか。

ホームレスの定義とは何か?
「定まった住まいを持たない人」のことを言うのだろうが、中央アジアなどの放牧民はホームレスの範疇ではないし、ネットカフェを泊まり歩く人たちにしたって定まった住居を持っているわけではないがホームレスの範疇ではないだろう。

ダンボールで囲った場所に寝泊りをしないが、公園のベンチなどで寝泊りをしている以上、その生き方がどうであれ、やはり一般にはホームレスと呼ばれる範疇に入るひとなのだろうが、そんな呼称はどうであれ、なにものにも一切束縛されない自由人という立場、自由人としての行き方をする人というのが正しいのかもしれない。

トラブルに出くわしたら、それを解決してやり、道を踏み外そうとしている人間を見れば、軌道修正してやり・・、何よりこのヤッさんという人はホームレスとしての矜持を持つ。ホームレスとしての矜持というと変な表現に聞こえるが、自身でそう言い張るのだ。
生き方に矜持を持つ人なのである。

人の内わけ話を聞いたあげくに、「ありきたりな身の上話はそんだけか?」というのが口癖。


エコノミストの浜矩子氏が良く語られる言葉に「成長・競争・分配の三角形は正三角形が理想の姿だ」という言葉がある。
今や、中国は正三角形どころか、成長だけが特出して飛び出している変形三角形。
方や日本は、というと分配だけが特出してしまった異常な三角形。
いやそもそも成長がゼロなのだから三角形としても成り立たない。

ヤッさんはまかり間違ってもその分配に預からない人である。

ヤッさんが提供する情報やコンサルの見返りは金であったためしはない。
常にその店が、問屋が提供するうまいものを食することだけ。

矜持を持つ人は人からの施しを受けることを望まない。
まかり間違ってもヤッさんなら年越しホームレス村でお世話になったり、さらにお世話になった上で「行政の対応がなっていない」などと文句をたれることはしないだろう。

政治や行政への文句は税金を払っていない自分たちは言う資格はない、と断言する人なのだから。

最近にこれが出版された、というのは偶然ではないだろう。

物乞いに対するような過度なサービス分配時代への提言なのではないだろうか。


ヤッさん 原宏一 著


17/Mar.2010
夜行観覧車 湊かなえ

人間、どこでスイッチが入ってしまうのか、怒りのスイッチ、我慢の限界のスイッチ、自分が何しているのかわからなくなってしまうスイッチ、生きて行くのをやめにするスイッチ・・・かなり個人差があるようである。

それでも共に住んでいる家族なら、どんな地雷を踏めばスイッチが入ってしまうのか、ぐらいわかっていそうにと思うのはたぶん勘違いなのだろう。
それぞれが、常日頃から言いたいことを言い放題で、全く遠慮というものをそれぞれがしないような一家で、「そんなもの家族なら当たり前」と思える人にはおそらく縁のない世界。
度合いや程度はさまざまでも多少は、遠慮していたり我慢していたり、理不尽に耐えるという姿もあれば、賢い子だとかいい子だと言われて期待に背かないようにというプレッシャーパターンなど、家族にも言えないさまざまな悩みを抱えていたりする。
結局、家族であってもなかなか地雷の在り処などはわかっていない、ということなのだろう。
ただ、地雷を踏むにせよ、その爆発にはせいぜいここまで、という限度というものがあるだろう。

その怒りのスイッチが一人娘に毎日入ってしまう家がある。
中学生の娘に毎日癇癪を起こされ、どなり散らされ、物を投げつけられ、もはや奴隷じゃないかと思えるほどに下手に出ているのが、そのスイッチを入れてしまっているらしい母親。

一戸建てに住みたいという主婦は良く居るが、この一家の場合は母親にその傾向が強かった。
この市には山の手の上流家庭と坂を下った海岸側という、階級とおぼしきものがある地域で、その山の手の中でも「ひばりが丘」とよばれる地域は最上流階級の住む場所なのらしい。
その上流階級の住む場所に猫の額ほどの大きさの分譲の残り土地があるのを知り、そのひばりが丘で一番小さなお粗末な家を建てて住んでしまうのがこの一家。

そのひばりが丘には上流階級のお嬢様が通うに相応しいお嬢様学校があり、その中学へ娘は当然受かるだろうとの強い思いでそこへ移り住んだのはいいが、案に相違して娘は受験に失敗。
毎日坂を下って坂の下の公立中学へ通う。
その受験失敗を持って娘の癇癪ははじまり、そのどなり声はご近所までにも響き渡る。

お向いの豪邸には娘と同じ年の男の子がエリート中学へ通い、その姉はまさに娘が不合格となったお嬢様学校へ通い、その兄はもう同居していないが一流大学の医学部へ。
父親は大学病院のエリート医師、美人の母親。

文句無しのエリート一家。上流という言葉に相応しい一家。

事件はこの場所に不釣り合いの一家ではなくその一家の方で起きた。
傍の誰が見ても幸せ一杯であろうと思われる一家の方で。

エリート医師の父親が撲殺され、犯行を犯したのは自分だと自供しているのはその妻。
長男は遠方で一人住まい。長女はその日は友人宅に。唯一家に居たはずの二男は行方不明。

さてこのエリート一家に何が起きたのか。
この兄妹三人のこの先はどうなるのか。

やけに長い前振りだったが、ここからがこの物語の始まりなのだ。

殺人事件、ましてや上流家庭が住む地域ともなれば、マスコミは放っておくはずもなく、わんさと押し寄せる。
ネット上でもこの一家は放っておかれず、ほぼ本人が特定出来る内容でわんさと誹謗中傷される。

あんた達に誰も迷惑かけてないじゃん。
そう、迷惑をかけられてもいない匿名の人々からの怨嗟の渦。

あの酒鬼薔薇何某や宮崎何某のように無差別に近隣幼児を殺害した、などと言うのなら、話はべつだが、彼ら一家の場合は彼ら一家の問題。
それでも、一つの一線を超えてしまうことで、それはもはや一家の事件ではなくなってしまう。

この兄妹達には豊富にあったであろう未来の選択肢はかなり狭まったかもしれない。
彼らは被害者の息子、娘としてではなく、加害者の息子、娘として世間からは扱われる。
撲殺された父親は家族に暴力をふるうような人では無かったのだという。

仮に犯人がその自供のまま母親だったとして、そのスイッチの入り方は、その一家の長男が言っている通り、全く理解出来ない類のものでしかない。
ましてや息子や娘達がこの先どんな目に会うのかをほんの少しでも想像出来るだけの理性があれば、スイッチが入ったとしたって一線を超えることは思い止まれるだろうし、違う方法で爆発することを考えるだろう。
それが大人であり親だろう。いや、人間だろう、が正しいか。

普段、スイッチが入らない人ほど、一旦入るとどこが一線だかわからなくなる、という典型なのだろうか。
それにしても誰がどうみたってそりゃないだろう、と思えるようなことで一線を超えてしまう人がいるとしたら・・・、他人には理解しがたいその人ならではのスイッチがあるのだとしたら・・・、世の中ってやっぱりこわいなぁ。

被害者件加害者宅に誹謗中傷のビラが山ほど貼られるが、それを剥がしに来てくれた友が居る。
世の中の他人全てから非難されようが、たった一人でもそんな友が存在する。
これは唯一の救いだろう。


夜行観覧車 湊かなえ著


18/Aug.2011
USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか 森岡 毅

この春以降、テーマパークのからみで一番話題をかっさらったのはUSJのハリーポッターのエリア、「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」。

実はUSJのハリーポーアトラクションへのの取り組みはこの本が書かれた2013年度から遡ることさらに3年前。

当時のUSJはオープンの年の入場者数1000万人を年々下回り、せいぜい700万人。売上予想は450億。
そこへハリポッターをアトラクションを誘致するとなるとその売上の2倍の資金が必要になるというとんでもない投資。
それを、次に来るボールが、打てば必ずホームランとなるど真ん中のストレートだとわかっていて、バットを振らないプロ野球選手がいるか!とばかりに経営陣を説得し、契約までこぎつけさせてしまう。

その代わりにハリーポッター開始までの3年間、新たな設備費用をかけずに売上・入場者数を伸ばす、という使命をこの筆者は達成しなければならない。

その一年目で起こったのが東日本大震災。
日本全国が自粛ムード一色でテーマパークどころの話じゃない。

もはや、3年目の初年度は目標達成は無理だろうと誰しも思う中、大阪府の橋本知事(当時)にかけあって、子供たちを無料でUSJへ招待する。
子供が来れば、親も付いてくるのだ。
その後もハロウィーンのイベント。
クリスマスのイベントなどで客を取り戻す。
USJ=映画のみ、というこだわりも捨て、大ヒットアニメ「ワンピース」のアトラクション。
ゲームソフト「モンスターハンター」のアトラクション。
と、次々とヒットを飛ばす。

そして究極の、既存設備の有効利用がこの本のタイトルになっている「後ろ向きに走るジェットコースター」。
元々のジェットコースターの品質が良かったために、作り直しをしなくても後ろ向きにして安全性が確保できた。

3年目の危機は東京ディズニーランド30周年ともうすぐハリーポッターがやって来る、という期待感から来る入場者の先延ばし感。

前段はこういうかたちで3年間、費用をかけずに入場者数を伸ばしていった逸話。
後段はマーケティングとは、という筆者の考え方が披露されている。

数々の成功をモノにしてきた人にしか語れない話だ。

いやぁ、確かに感心して読み惚れてしまうような話ばかりなのだが、いざそういう仕事をやってみたいか、と問われればどうなんだろう。

採算度外視で好きなことだけやってりゃいいなら別だが、結果が問われる世界だ。

どんな業界だって同じだろう、と言われるかもしれないが、このエンターテイメントの世界、あまりにサイクルが短い。

一つヒットを飛ばした瞬間には次のアイデアの着想に入って行かなければならない。
来るお客さんに常に新しいものを提供し続けなければならない。

やはりなんでもそうだが客側の立場で楽しむのが一番だ。


USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか -V字回復をもたらしたヒットの法則- 森岡 毅 著


12/Aug.2014
友情 武者小路実篤

恋と友情が絡んで大変なのは、
今も昔も、男も女も同じなのだなぁと思いました。

ざっとあらすじ。
主人公の野島はまだ駆け出しの作家。
彼は友人の妹、杉子に恋をします。
野島にとって杉子は理想の女性。
想いはどんどん深く、妄想はどんどん大きくなっていきます。
野島がそんな恋心を打ち上げられるのは、親友の大宮にだけでした。
大宮も野島と同じく物書きで、作家として成功しつつありました。
互いに刺激しあい、心を許せる親友同士。
大宮は野島の恋を応援し、成就する事を願います。
しかし杉子は大宮を、大宮も杉子を想うようになり、
その事実が野島に知らされたとき、野島は大きく絶望します。

野島の杉子に対する気持ちはとても強いのですが、
杉子を理想化しすぎているのが難点です。
杉子という女性は野島が思うような理想の女性ではなく、かわいらしさもあれば、時にはずる賢さもある普通の女性のように思われます。
そんな杉子が野島に理想化されることを嫌い、大宮に惹かれていくのは仕方のないことだと思ってしまいます。
なんせ大宮という人は、頭がよく器用で、変な癖は無いけど芯のある男性。
女性に対して変にやさしくも無ければ、偉そうでもない自然体の人。
どう考えても野島より魅力的なのです。

しかし物語は野島の強い思いを土台に突き進んでいくので、
野島の恋が成就してくれれば、と願うようになっていきます。
しかし残念ながらそうはいかず、最後にドカンと事実が突きつけられます。

それまで冷静で、杉子に対する愛情を微塵も感じさせなかった大宮からの報告は、かなり衝撃的です。
その事実は彼の口からではなく、大宮と杉子の手紙のやり取りから知る事になります。なんだか知らなくてもいいことまで、二人の恋の盛り上がりを知らされます。
こんな形でなくてもいいのにと思いますが、友人にすべてを隠さずにぶつかって、どのような反応をされようともそれに耐える、というのが大宮が選んだ親友に対する姿勢なのでしょう。
野島は大宮のしたことに対して心から怒り悲しみます。そしてこれから待つ孤独を嘆きます。
その様子は痛々しいですが、同時にすがすがしさを感じます。
それは野島と大宮の間に隠し事は何一つ無く、互いに正直な感情をぶつけ合っているからだと思います。
二人にとって一大事なのだけれど、きっとまた立ち直る日がくるであろうと思えます。

最近は携帯でお手軽につながる友人関係ですが、これだけ本気で向き合う情熱があってこそ、本当の友人、友情と呼べるのかなと思いました。


友情 武者小路実篤著


27/May.2011
昨夜のカレー、明日のパン 木皿 泉

義理の父親の事をギフ、ギフとペットのように呼ぶヨメ。
ヨメと言いながらもその夫は7年も前に他界している。
25才という若さで。
ということはこのヨメも相当若かったに違いない。
姑であるはずの夫の母親は夫が高校生の時に他界している。

ということは、この若いヨメは実家に帰ることを選ばず、ギフと暮す方を選んだわけだ。

職場へ行けば、結婚しよう、結婚しようと言い寄って来る男があり、別に嫌いではないのだが、彼女にその気持ちはこれっぽっちも無い。

亡くなった夫を中心円にして、その生きた時代に周囲に居た人々。
そんな人たちが順番に主人公となり、日常の小さな話を語っていく。

時には、亡き夫の幼なじみだったり、亡き夫の従兄弟だったり、亡くなったギフの妻の若い頃だったり。
彼女は特殊な能力を持っているのだった。
知っている人が亡くなる予兆が現れる。涙が止まらなくなると決って誰かが死ぬ。
百田尚樹の「フォルトゥナの瞳」を思い出したが、あれは寿命の短くなった人がどんどん透明に近づくので、誰が死ぬかはわかっているのだが、彼女の場合は、その誰がまったくわからない。
でも、それがきっかけでギフと結婚することになったようなものなのだ。

秋になればイチョウで黄金色いろになるこの亡き夫家の庭。その庭で取れた銀杏を食することの出来る家。

なんだかんだとそして皆、この家がいごごちがいいのだ。

本屋大賞の2位になったというこの本。
時代は行ったり来たりするが、平凡な日常の中でのちょっといい話が集約されている。



昨夜のカレー、明日のパン  木皿 泉 著


09/Oct.2015
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