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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Jun.2009
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黄落 佐江衆一

59歳からまもなく還暦を迎えようという主人公。
その父母は各々93歳、88歳にて健在であるが、当然のことながら、老いはやって来る。
この本を「壮絶な物語」などというすっとぼけた表現で取り上げている書評を目にしたが、何が壮絶なものか。
これこそが現代日本の縮図であり、近いうちにほとんどの日本人が体験する道のりだというのに。

それにしてもこの主人公は作家という職業柄、自宅に居ることも多く、比較的自由に時間を使える。
世間一般の男達にはこんなまめに親の面倒など見れるものではない。

それでもまだ足りないと自身で思っているところが驚きである。
妻に親の面倒を見てもらうほど心苦しいものは無い、その意識が尚のこと、彼にそう思わせるのだろう。

息子が親の面倒を見る、という一昔であれば当たり前だったことも、それを真っ正直に現実のものとして取り組んでしまえば、息子の家は崩壊の一途を辿る。

なんと言っても息子は外で仕事をして稼がなければならない。

そのしわ寄せは必ず妻に行き、妻は一家の家事と親の介護で疲れ果て、それだけならまだしも、老人は時にわがままで強欲であったりする。
「感謝されない」などということでもあろうものなら、「なんでそこまでして私が!」と怒り狂うのは自明のこと。

ならば俺が世話をするから、と仕事を辞めてしまっては収入が絶たれ、いずれにしても崩壊の道へまっしぐら。

介護施設の完備された有料老人ホームにて面倒を見てもらうことで、親を捨てたなどと陰口をたたくご時世ではないだろうし、そんな声を無視してでも自らの家庭を維持する方を優先するしかないのではないか。

確かに赤の他人様に親の面倒をみて頂くこと、お金を支払っていたとしても心苦しいことこの上ないに違いない。
それでもそんなことよりむ寧ろ自らが生きることを最優先すべきなのだろう。

有料ホームに入れられる人は、そんなことを気にするよりも自らにそれだけの資金的ゆとりがあったことに対して感謝すべきなのだろう。

完全介護の有料ホームだって、なかなか預けっぱなしというわけにはいかない。
週に一度やそこらは見に行かなければ、ならないものだという。

以前、ニュースの特集のような番組で、そういう介護施設で働く、若いヘルパーの女性たちの仕事ぶりを映していた。
テレビは非常に献身的に働く彼女らの仕事ぶりを放映した後に、スタジオ生出演してもらったヘルパーさんたちに直接インタビューを行う場面があった。
「ご自身が老人になった時にはどんな介護を求めますか?」の質問に
若い方のヘルパーさんは思わず答えてしまった。
「私が歳を取ったら、介護される状態になる前に死にたいですね」

番組としては
「私が歳を取った時にこんな介護をしてもらって良かったという介護をしたいと思います」的な回答を段取っていたのではないだろうか。
そうそうにインタビューを打ち切ってしまわれてしまった。

そんな一例を持って、介護の現場を語る気はもうとうないが、
「介護される状態になる前に」というのは若いもの誰しもの考えなのではないだろうか。
そういう意味ではこの小説の中に登場する母の生き様、いや死に様は、未読の方のために詳細は書かないが、新たな可能性を与えてくれたような気がする。

完全介護のホームではなかなか同じように出来ないかもしれない。
その手前での判断が必要なので、なまなかな人には出来ないことだろう。

黄落 佐江衆一 著 (新潮社)


23/Jun.2009
グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに 浜矩子

昨年秋のアメリカ発の金融恐慌が全世界を巡った時、戦争の臭いを感じた人は少なくなかったのではないだろうか。
歴史が物語っているからである。
どんな有効と思われる経済政策も打開策には成り得ず、結局戦争が再生への最大のカンフル剤だった。

恐慌発生後、オバマが大統領戦に勝利し、イラクよりの撤退、イランとの対話を打ち出していたので、その状態からいきなり戦争はまずない。
しばらくの間は戦争への臭いは薄いものになるのだな、と感じたものである。

などという書き出しをしてしまうとこの本が戦争の臭いまでふれているように思われるかもしれないが、上記は本書とは関係無い。

アメリカのサブプライムローン問題に端を発した今回の世界同時不況については、これまでもメディアにても散々語られたことでもあるし、どの会社でも繰り返し話題になったことだろう。
したがって、そもそもの発端についてなどというのは、何を今更という感を誰しも持ってしまいがちである。

ところが、ことの発端の時点では日本へ及ぼす被害は少ないのではないか、との見方から、その後の急激な円高による輸出企業へ一打目の打撃。それそのものはドルの評価が下がり、円の価値が上がったわけなので、一時的な企業の為替損益や評価損益にて赤が出たとしても、寧ろ円が強くなることそのものを評価する向きも多くあった。
ところが円高が、輸出企業の首を絞めだすにしたがって、製造業そのものが苦境に立たされ、これは一時的な問題じゃない、とばかりに非正規の解雇、はたまた正規社員の解雇にまで発展。
そう、当初よりどんどん様相が変って来るにしたがい、当初のサブプライムやリーマンなどの話題などは消え去り、トヨタショックだの、未曾有の不景気だの、雇用を守れ、と今やそもそも「何がどうしてこうなった」のかさえ忘れがちになる。

そういう時期にあらためて、本書の「何がどうしてこうなった」の箇所は今更どころか忘れ去られようとしていた「そもそも」を思い出させてくれると共に、あぁ、そうだったのか、という今更を再認識する上で最も有効な読み物だろう。

現代の金融というものを分かりやすく解説しているので、普段そういう世界と縁のない人や、経済に無関心な人にもとっつきやすいだろう。

サブプライムだけの問題ではない、金融の証券化というものが数々の問題を引き起こすその構造。

2003年時点よりアメリカの実質金利がマイナスだったということを知っていた人がどれだけいるだろう。
実質金利マイナスということは金を借りれば得をするという状態。
借りれば借りるほど得をする。それに火を付けたのが住宅ブーム。

何やらどこぞの世界のいつか来た道に似てやしないか。
そう完璧にどこぞのバブルと同じ道なのである。

では、それを経験済みの日本はこの金融危機においての行く道筋を示すことが出来たのでは?については時が遅すぎた、と筆者は述べる。

オバマ大統領は日本の「失われた10年」を反面教師にすると演説で述べられていたが、日本は失われた10年からまだ完全に脱却しきれていなかったのではないか、というのが筆者の弁である。

日本の低金利、低金利どころか限りなく0に近い金利をバブル崩壊後維持して来たためにその金利に嫌気をさしたジャパンマネーが世界に流れ、投機マネーとして暗躍した。
なんと、では遠因は日本の低金利だったのか?


ではこの打開策とは何なのか。
過去の世界の歴史の中で起こった恐慌はすべからく投機というものが発端である。
金融というもの無しでは資本主義は廻らないのだが、筆者が述べるのは産業を動かす血流としての金融の世界と投機という全く違う目的で、全く違う原理で動く金融の世界を切り離すべきである、ということ。
そう、投機なんてこの世界で行うんじゃないよ。全くはた迷惑な連中だ。
宇宙の彼方でやってくれ、と言いたい。

まぁ、それは極端だろうが、いずれにしろ、切り離すべきと言ってもそれはあるべき姿を述べただけ。

この進行形の世界同時不況、先行きはどうなるのか。
6/16(本日)付けの日経の朝刊のトップには「社債発行、11年ぶり高水準」「金融不安が後退」の見出しが並ぶ。
果たしてそうなのだろうか。

各国政府は金融機関への資本注入や預金保護をはじめとする生命維持装置を取り付けたが、この一旦取り付けた生命維持装置は一体どうやってはずすのか、その基準が見えないところが危険なのだという。

「失われた10年」を反面教師とした結果は「失われた何年」になるのだろうか。

最終的には戦争で再生しよう、と言う結論だけは御免被りたいものである。


グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに 浜矩子 著(岩波新書)


16/Jun.2009
地球温暖化後の社会 瀧澤美奈子

この著者の書き進め方、非常に好感が持てます。
温暖化だ!温暖化だ!とエキセントリックに騒ぎ立てているるのでは無く、誠に冷静な目で事実を分析しようとしていらっしゃる。

「うちエコ」という言葉をご存知でしょうか。
・車の運転で発進時にふんわりとアクセルを踏む・・207g
・ホットカーペットの設定温度を「強」から「中」へ・・193g
・自動車の代わりに自転車を使う・・180g
・エアコンの冷房を22℃から20℃に・・96g
・エアコンの暖房を26℃から28℃に・・83g
・シャワーの使用時間を1分減らす・・74g
・主電源をこまめに切って、待機電力を50%削減する・・65g
・冷蔵庫の設定を「強」から「中」へ・・64g
・車を運転する時1日5分のアイドリングストップを・・63g
 XXgは二酸化炭素の削減量の目安。

などなどの個人レベルもしくは各家庭レベルで出来るエコ活動を「うちエコ」と呼ぶそうです。
上記の様な「うちエコ」を筆者は紹介しながらも、個人で出来るレベルの削減効果のMAXは17%でしかない、と述べ、「うちエコ」を最大限行ったところで根本的な解決には程遠いともおっしゃる。
但し、そういう意識を持つ事は大切なのだ、と。
アメリカの人、人にもよりますが、あのとんでもない浪費癖、エネルギーの無駄使い癖にはエコなど意識したことのない日本人でも驚くという話を良く聞きます。
日本人にはエネルギーの無駄使いを無くそうとする癖が元来あるように思えてなりません。
根本的な解決には程遠いと言いながらもその押しつけがましくない表現で伝えられるので、読む側は元々そういう意識が潜在的にあるだけに逆に「うちエコ」を意識してしまう。
この筆者にはそういう伝達力の巧みさを感じます。悪い意味では無く。


また、ゴミの分別やリサイクルについてもリサイクルを行う事で余分に化石燃料エネルギーを消費する様なリサイクルならやらない方がマシ、と述べる。

まさに当たり前のことなのですが、世の中なかなか当たり前が当たり前じゃないことしばしばです。

序章で温暖化に伴って発生するであろう異常気象などを列挙しておられるので、あぁこの方も環境オタクなのか?と思ったのですが、どっこいそうじゃなかった。
もちろん、環境を大切にする気持ちは同じでも、ものの見方が非常に冷静なのです。

二酸化炭素の増加と温暖化の関連性についての科学的根拠に否を唱える論に対しても敢えて反論をされない。
それでも歴史的背景から見て、産業革命以降に、更に第二次大戦後の石油エネルギー全盛時代に、さらにここ10年で温暖化が急速に進んで来た、という事実を淡々と述べられます。

筆者は既に温暖化がかなり進行していることを認識されています。
二酸化炭素の排出量を現在時点で西暦2000年レベルまで戻したところで、温暖化そのものが即座にストップするかと言うと、この先20年は続いてしまうのだそうです。

ということはもはや温暖化時代に突入して、これはもう避けられないものと認識した方が良いのでしょうか。

結局、産業が石油をはじめとする化石燃料を消費している限り、個人レベルにてはどうにもならないのが現実でしょうし、仮に排出がSTOPしたところで、一旦走り始めた温暖化を逆戻りさせるのには何十年の歳月が必要。


何か抜本的対策があったらいいのですが。

二酸化炭素が問題ならばCO2をCとO2に分解してしまうということは出来ないものなのか。
実際に二酸化炭素増が水蒸気増につながり、それが温暖化をもたらすのであれば、世界各地の水蒸気を定期的に雨にしてしまう、とか。


北朝鮮もテポデンや短距離ミサイルを発射する代わりに、中国が北京オリンピック直前に披露してみせたみたいな、人工降雨ロケットでも飛ばせば、ちっとは評価も変ったでしょうに、ってそれも領空侵犯は領空侵犯だし、そういう名目で長距離ミサイルを開発されても困るか。ましてあの国がそんなことするわけないし。


と、とんでもないところに話が流れてしまいそうですが、そんな緊急の特効薬でもない限りはもはや「STOP・ザ・温暖化」どころではないのではないのでしょうか。

せめてもの提案。
ビルというもの屋上緑化はもちろん、壁面にも緑化工事を義務付けしてしまう。
管轄がもし、国土交通省なら、道路を作るお金をビルの緑化工事助成にでも使って頂けないものでしょうか。
温暖化ストップはともかくもここ近年続いているヒートアイランド現象の対策には少しでも役立つのではないでしょうか。


筆者は江戸時代の人々がいかにものをリサイクルしていたか、環境に優しかったかを書いておられるが、自ら述べておられるように今更、江戸時代に戻れるわけでも無し。

筆者は、
低炭素な街づくりを、
新しいビジネルモデルを、
もったいなくてもエコ製品へ買い替えを、
と解決策を模索される。
また、折りしも、昨日には温室ガスを2020年までに15%削減するという方針が首相より発表された。

しかしどうなのでしょう。
この筆者も政府も温暖化防止のための明確な答えを持ち合わせているわけではないのでしょう。
いくらビジネスモデルが少々変ったところで産業構造が少々変化したところで、個人個人の意識レベルが向上したところで、この温暖化のスピードを緩めることはあってもストップさせるわけじゃないでしょうし。
筆者も自ら述べておられるように慣性の法則ではないですが、STOPさせてもSTOPするまでに何十年かかるのですから。

では、どうすれば良いのか。
個人個人としてはもちろん出来る限りの「うちエコ」をしつつも、来たるべき温暖化社会、いやもう突入しているのでしたっけ。
その温暖化社会の中で生きて行く覚悟を持つべし、ということなんでしょうかねぇ。
最終的には。。


地球温暖化後の社会  瀧澤美奈子 著(文春新書)


12/Jun.2009
墜ちてゆく男 ドン・デリーロ

出だしの描写が凄まじい。
あの貿易センタービルが倒壊していく映像は未だに記憶に新しい。
まさしくその9.11の現場に立ち会った人でなければ表せない様な描写が続く。

貿易センタービルから脱出したビジネスマンが目的も行き先もわからないまま、ブリーフケースを片手に歩く姿から話は始まる。

この本は読んでいて決して楽しい本ではない。
ストーリー性がほとんどないのだから。
ノンフィクションではないが、限りなくノンフィクションを再現しようとしたフィクションと言うべきか。

9.11事件に関してはあまりにもまだ生々しすぎて、脚色付けなど出来ないのかもしれないし、ドン・デリーロという作家がそういうもの書きなのかもしれない。

ストーリー性がほとんどないということは、一旦読みづらいと思った人にはとことん読みづらいかもしれない。
また、シチュエーションが変る毎に語り手が変るというのは良くあるパターンだが、いつの間にかシチュエーションが変っていて、そこでの彼、彼女はいったい誰のことなんだ?なんてことがしょっちゅう。
これも作者が因なのか、訳者に因があるのか、はたまた読み手が読解力を駆使していないことが因なのか。

9.11は映像を見た世界中の人に衝撃を与えたが、中でもアメリカ人にとっては、衝撃などという言葉では表しきれない出来事だっただろう。
真珠湾どころじゃない。本土の中枢部が攻撃されたのだから。
まさにこれは戦争だ、と当時のプレジデントの発言を待つまでも無く、そう思った国民は大勢居たのかもしれない。

片や、この本ではテロの実行犯をも登場させ、彼らの行動と命をかけて突き進む気持ちを描こうとしている。

この9.11の前からも散発的にアメリカ人を狙ったテロは頻繁に発生していた。

また、アメリカは宣戦布告をするわけでもなく意味も無くアフガンへの空爆などを頻繁に行っていた。

かつて、中東で仕事をしていた友人が言っていた。
アメリカ人には何故自分達が嫌われているのか、という事はおそらく一生わからないだろう、と。

この作者はその気持ちをわかろうとした唯一の人なのかもしれない。



丁度、本日6/5配信のニュースにてオバマ大統領がスラム世界に向けて演説を行い、イスラム世界との関係を新たな始まりに導く意向を示したが、果たしてどうなのだろう。
まだ、アフガンへの増兵などと言っているうちは、私の中東の友人に言わせれば、やっぱりアイツもわかってないヤツ、の一人にカウントされるのかもしれない。

墜ちてゆく男  ドン デリーロ (著) Don DeLillo (原著) 上岡 伸雄 (翻訳)(新潮社)


05/Jun.2009
会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く 勝間和代

この本、リスクという言葉が一体何回登場するのだろう。
1ページに一回、二回、三回・・・と二十回を超えたところで数えるのを止めた。
サブタイトルにもある単語なので、何度か登場するべき単語なのだろうが、頭の良い人らしいので愚鈍な読者にこうやって繰り返し、繰り返し、同じ単語を使って、読者を洗脳して、いや教育しておられるのだろうか。
なんといっても「世界で最も注目すべき女性50人」の一人なのだと本の筆者紹介にあるほどの人だ。

先日サンデープロジェクトという番組に勝間和代という女性が登場していた。
あぁ、この人だったのか、と読んでいる本の筆者にテレビで遭遇。

その番組では月々17万の給与で保育園の園長をしながら二人の子育てをするシングルマザーがその日々の苦労を語り、この筆者はほんの二三回、話を振られた程度で、「政府はもっと子育てを支援しなければ・・」云々の様なコメントを述べておられたように思う。
この同世代と思われる二人の女性がテレビにツーショットになる絵、テレビ局にも本人にもその意思は全く無いのだろうが、どうしてもいわゆる勝ち組(この言葉はあまり好きではないが)とそうでない組のツーショットに見えてしまうのはなんとも皮肉であった。

そこで筆者が本でさんざん述べておられる「リスク」という言葉を持ち出して、
「結婚する時にリスクを考えたの?」
「子供をつくる時にそのリスクを考えたの?」
「離婚する時にそのリスクを考えたの?」
などと畳み掛ければ、なるほろ、この人は一貫しているんだ、などと変に感心してしまったかもしれないところであったのに。

それは余談。
さて、この本は一体誰に対してうったえたかったのだろう。

終身雇用の制度を奴隷制へなぞらえ、会社を辞めて転々とするとどんどん就職が困難になる現状について片や述べながら、会社に人生を預ける事を否定する。
現在就職している人や、これから就職する人達を対象に発しているのだとしたら、何か矛盾してやしないか。
世の中の経営者連中や大企業の採用担当へ働きかけるのであれば、それはそれで筋が通っているかもしれないが、会社を辞めて就職しづらくなっている人達に向かって就職が困難になるが、会社に終身雇用される考えを捨てよ、といってもそれは言う対象者が違うだろう、という気がしなくもない。

とは申せ、我々のコンピュータ業界ほど、終身雇用の概念の薄い業界も珍しいかもしれない。技術者はそれなりのスキルを身につければ、より条件の良い会社に転職するという事が最も他の業種よりも早くから行われていた業界である。
業界そのものにも転職者というものに対しての違和感が全くない。
このご時世でこそ、敢えて自ら退職して独立しようという人は少ないが、これまでは、転職の末、最後は入社せずにフリーの技術者になるというパターンも少なくなかった。
筆者の言うところのリスクとリターンは表裏一体であるという事を充分意識し、体現して来たのは我々の業界だったのかもしれない。

我々の業界はその動きが早かっただけで、一時、というより少し前までは終身雇用などはもう古いという風潮が当たり前になりつつあったのではなかっただろうか。

その最後のピークが、筆者の批判する小泉政権の時代だったかもしれない。

この本は一体誰に対して・・・の答えが読んでいくうちにわかったような気がする。
今の政治に対してうったえたかったのだろう

「よりよく生きるために」
「リスクを取れる人生はすばらしい」

これらの投げかけは目下の仕事を確保するのに精一杯の人達に対してのものではないのだろう。
政治に対して言いたい事が多々あるお方なのだと思われる。
まもなく総選挙もあることだ。
この筆者は政治家が向いているのではないか、とお見受けした。

04/Jun.2009
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