読み物あれこれ(読み物エッセイです) 検索エンジン MMI−NAVI

読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Apr.2009
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
著者検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
作品検索
+ ア行
+ カ行
+ サ行
+ タ行
+ ナ行
+ ハ行
+ マ行
+ ヤ行
+ ラ行
+ ワ行
大久保町の決闘 田中 哲弥

大久保町というから新宿の大久保だろうと思っていたら、あの明石の大久保だったんですね。

完璧にコメディです。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中で、主人公が過去の西部劇時代へ飛んで行く話があったが、あれを日本のしかも兵庫県の大久保を舞台にして、徹底的にコメディにしたような話、と書けばわかりやすいでしょうか。

実在する地名なんですよ。
地元の人にはどうなんでしょうね。

JRの大久保、魚住、二見あたりって結構工場なんかも有ったような気もしますが・・。
いきなり酒場とガンマンの町になっていて、保安官事務所だのがあるかと思えば、何故か国連病院があったりする。

この国連病院の看護婦が滅法乱暴で強い。
ならず者退治にこの看護婦を使えばいいのにって、んなことはどうでもいいっか。


まぁ、難しい本を読むのに疲れたお方などの生き抜きに丁度いいご本ではないでしょうか。


大久保町の決闘 田中 哲弥 著(ハヤカワ文庫)


27/Apr.2009
小林多喜二 21世紀にどう読むか ノーマ フィールド
永らく歴史の中で埋もれていた小林多喜二という存在。
2008年に『蟹工船』が脚光を浴び、再び世にその姿を表す。
ではその生き様とはどんなものだったのか。

ノーマ・フィールドという人、母親が日本人で日本にての在住期間もあり、専攻が日本文化だとは言え、日本語で物を書くよりも英語で物を書くことの方が多いだろうに、なんとも日本の物書きよりもはりかに達者である。

小林多喜二についても丹念に資料を調査し、取材をし、綿密に分析をしている。

昨年あたりに『蟹工船』がブームとなったのは、非正規雇用社員として、ワーキングプアと呼ばれる人達の共感を得たため、と言われる。

メディアもこぞって、派遣業界を非難し、非正規雇用社員を放置した政治を非難した。

ところが今年に入ってどうだろう。非正規雇用のみならず正規雇用社員にしたって、自宅待機などという会社がわんさか出て来ており、もはやどこが潰れてもおかしくないような状態にてはそこの正規雇用社員だといったところで不安定度合いで言えば非正規と何ら変らない。

一部メディアや一部の政党がは、『蟹工船』の時代の無産労働者と、現代の若者を同列視するように喧伝し、小林多喜二関連の記事も軒並みそういう論調だったが、ノーマ・フィールド氏はそういう怪しきブームがあることなども踏まえて執筆したのだろうが、さような安易な結びつけを一切していないところが、冷静で、好感が持てる。

農地解放前の時代の地主VS小作人と現代の正社員VS非正規社員、現代の経営者VS従業員、それらの関係を同列に扱えるだろうか。明治・大正・昭和の戦前までの時代までは、当時の棒給の格差たるや今日の比では到底ない。
役人と無産労働者の棒給の比、経営者と労働者の棒給の比、それこそ何百倍、何千倍の世界である。

現在の日本においてはほんの一部(ITベンチャーと名乗る連中)を除いて、ほとんどそのようなことはないだろう。
せいぜい何倍レベル。桁違いまでいかないのではないだろうか。

『蟹工船』という本、世界中に翻訳されたらしいのだが、今の時代にその状態に一番近いのは少し前の、いや今もか?世界の工場の地位を欲しいままとするお隣、中国かもしれない。
彼の国の工場での劣悪な労働環境については、あの非正規労働者の味方の様な石田衣良の池袋ウエストゲートパークでも『死に至る玩具』として書かれている。無論、他にも多く書かれているが。
最低賃金法はなんとか出来たと聞くが、日当が百何円、残業してもプラス数十円の労働者が居ると思えば方や、数百万の自動車を安い安いと、いとも容易く購入する層もいる。
その労働者が今年の春節で里帰りをするあたりから、もう工場へ帰って来なくていいよ、と職を失い、路頭に迷う。
アメリカの自動車業界でいくら人員削減したところで組合からの失業手当で充分に生活できるレベルとは世界が違う。

それはさておき、小林多喜二という人、貧困層に目を向け、最後は獄中拷問死という暗いイメージが先ず浮かんでしまうが、この本を読む限り、かなり明るい人だったようだ。
イデオロギーなどはどこかへ置いておいて、再度『蟹工船』を読みたくなってしまった。


小林多喜二 21世紀にどう読むか ノーマ フィールド Norma Field 著(岩波新書)


23/Apr.2009
造花の蜜 連城三紀彦

なかなか期待させる出だし、予想を裏切る展開。
誘拐・身代金奪取ということを試みながらも結局一銭も奪い取らず、・・どころか奪い取れるはずのお金を返上しながらの人質解放。
犯人には別の目的があったのか・・・・・と本来ならば、ぐいぐい読まされるはずの展開。

非常に発想の面白い作品なのだが、何ともリアリティが無いという印象が残ってしまうのである。
小説なんてそんなもの、と言ってしまえばそれまでなのだが・・・。
もっとリアリティの無い世界を舞台に描いている作家でさえ、バックボーンにリアリティが無い分、ディテールにおいてのリアリティさにかけては細心の注意を払っているはずである。


細かいことを言い出せば、被害者宅へ来た刑事が「ご主人が金持ちだという事を云々」
「金持ち」って・・・そんな表現。
ちょっとした言葉遣いだけでも、それまで積み上げて来た、エリート刑事のキャラクターを台無しにしてしまいかねない。


それにしても日本の警察もずいぶんとなめられただ。
いくら昔に比べて未解決事件が多くなったとはいえ・・・。

渋谷のど真ん中でいくら人通りが多いからと言って、犯人が指定した場所へ車を乗り付けての人質解放。
それで、共犯も誰一人逮捕者が出来ない?
周囲一体、私服の警官が取り巻いているというのに。
遠隔地から指定場所への監視体制も整っているのに。

その前にも指定の交差点に目印の赤いペンキのようなもの。結局血だっただが、それをどうどうと撒き散らかした車も追跡出来ない?
そこまでひどい?

ミステリーものというのは謎になった部分について最後には全て、あーそうだったの、という納得させる答えを読者に提供するものとだと思っていたが、いくつもの「?」はそのまま放置されたままである。

人質の母香奈子と刑事が渋谷で共に見た、目つきの鋭いいかにも人相の悪い犯人っぽい男。
それって結局何者だったの?
何故、刑事にあれが犯人なんですか?と聞かれて「犯人です」って香奈子は答えたのは何故なんだ?
渋谷の交差点に撒かれた血は結局なんだったの?。
などなど・・。
あえてグレーにする部分とグレーを明らかにすべきところについて、少し極め細やかさに欠けていやしないか。


刑事が質問している事に「そんなことどうでもいいじゃないですか」などという香奈子の口調ってどうなんだ。
一般人がいくら誘拐事件の最中だからと言って刑事という人種を前にしてそんな言葉を吐けるか?

相手が刑事だから、だけでなく、誘拐された被害者宅は刑事を呼んで来てもらっている。助けを請うている。そういう立場である。
彼女は偉そうな言葉を吐ける立場にはいない。

納税者の立場から言わせてもらうなら、この女性は国民の血税を使って、誘拐された子供の救出に来てもらっているのである。
この被害者側の態度は許しがたい。

後にもっと許しがたい存在である事があきらかになるのだが、その前に反感を持たれてどうする。

共犯者でもあり被害者でもある青年の話のくだりなど、なかなかに面白い筋立てだろう。

それでもいくらなんでも最後の事件のくだりは、もうほとんどアルセーヌ・ルパンじゃないか。
平成日本に現れた女アルセーヌ・ルパンといったところか。

物語の要所要所に必ず蜂が登場する。
蜂が所謂キーワードなのだろうか。蜂という存在に何かを暗示させているのだろうか。

そんな一見極め細かいようなつくりに見えながら、実はかなり荒っぽい作品なのである。


閑話休題。
蜂と言えばこの本が出版された2008年、日本から大量に蜜蜂が減少した。農家は授粉作業を蜜蜂に頼って来ただけに、今後が大変なのだとか。
閑話休題終わり。


この本、新聞の書評欄でのベタ褒め記事を読んで読む気になったのだが、その書評といい、ずっしりとしたこの本の重量感といい、いかにも面白い本ですぞ、と言わんばかりの装丁といい、読む前にかなり大きな期待を持ちすぎてしまったのがいけなかったのだろう。宮部みゆきばりの事件的描写を期待してしまった。

少々辛辣な感想になってしまった。

この辛辣さは、あくまでもそういう過度な期待度が事前にあった上で読んだためのものであって、予備知識なしに読み始めれば、間違いなく面白い作品の範疇に入るのではないだろうか。


「造花の蜜」 そうまさに造花なのだ。本物の胡蝶蘭では無く、あくまで造花の蜜。
なかなかにして相応しいタイトルではないだろうか。

造花の蜜 連城三紀彦 著(角川春樹事務所)


15/Apr.2009
まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん

元、車のセールスマンの男が開業した便利屋。
ある日の仕事の帰りに、バッタリと高校時代の同級生に出会う。

その同級生というのが変わり者で高校3年間、ある一瞬の一声(痛い)と発したのが唯一で、その他には一切しゃべらなかった、というつわものである。

その同級生である行天が便利屋の多田のところに何故か居候することになる。
行天は高校時代3年間沈黙を通した男と思えないぐらいに饒舌になっている。
変人であることに変りはないが・・。

物語はそこから始まり、便利屋稼業の種々雑多な仕事を多田とその手伝いの行天がこなしていくというお話。

便利屋の手伝いとしては何の役にも立たないように思えるこの行天。
便利屋の親方である多田はこの行天をお荷物としか考えないし、そう扱うが、その行天が肝心なところで誰も思いもしないような力量を発揮する。

意表をつく行動。
喧嘩が滅法強い。
ヤクザもチンピラも恐れない。
初対面では危ない男に見られがちだが、しばらくすると誰にでも好かれてしまう。
「フランダースの犬」の物語のラストシーンを「あれはハッピーエンドでしょ」と言い切る男はそうざらにはいない。

方やの多田だって、チンピラ相手に言うべきことはしっかり言うし、決して、生真面目優男と無鉄砲無頼漢という取り合わせでもない。
たぶん、便利屋は多田一人でもその依頼に無難にこなしていくんだろう。


だからこそ、相変わらず「お荷物の行天」としてしか考えないを多田なのだが、だんだんと行天のその存在の大きさ、というより自分の相棒としての必要性が分かっていく。

この本、3年ほど前の直木賞受賞作である。

従って、書評などは山ほど書かれているだろうから、あまり無用な解説をする必要も無いだろう。

それにしても、なんだか選者に読み手の力量を試されているのか、と疑いたくなるような芥川賞受賞作に比べて、直木賞受賞作というのはなんと安心して読めるのだろう。

なんとも言えないほろ苦さを漂わせながらも軽快で乗りのいい会話。
物語がテンポの良く進んでいく。

やはり素直に「面白い」と言う言葉を発せられるのも直木賞受賞作の方である。

これは余談だったか。


まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん 著(文藝春秋)


07/Apr.2009
砂漠 伊坂幸太郎

「俺達がその気になれば、砂漠に雪を降らせる事ぐらい余裕で出来るんですよ」

その本意を汲み取ることが出来たのなら、なかなかにしてインパクトのある言葉ではないでしょうか。
この本の主題がこの言葉に集約されているようにも思えます。
この言葉、大学の新入生が交流を深めるための宴会に参加した西嶋という男の発言。
この西嶋君、遅れて乱入しながら、アメリカの中東への軍事介入を大声で非難したかと思うと地球温暖化を嘆き、宴会という場のTPO(Time,Place,Occasion)を全く度外視した男。

少し前の言葉ならKYというやつでしょうか。空気が読めない、のではなく空気を読まない男。それが西嶋君なのでしょう。

今頃の学生の言葉で言えば「イタイやつ」ということになるのでしょうか。
「アイツ、イタいわー!」と聞こえてきそうです。

そのイタイ男、西嶋というキャラクターを無視せずに仲間にとして扱うのが、覚めた美人キャラの東堂、超能力があるかもしれない南、ちょっとはすっ葉な鳥井、そして主人公の北村という物事を俯瞰して見る、と言われる男。

ここで既に東堂、南、西嶋、北村とトン、ナン、シャー、ペイが揃ったあたりで何か予感めいたものが頭をよぎるのですが、案の定、麻雀の場面が何度も出て来ます。
そのあたりもなかなか読めますよ。
確率論 VS 麻雀とはこうあるべき論 なんてね。

世の中は平和であるべき、とピンフのみでしかあがろうとしない西嶋君。
まぁピンフは麻雀の基礎でもあり王道でもあると思えなくもないのですが、何故か西嶋君はいつも一人負け。

その大学生活を四年共に過ごすなかで、寒い、痛いはずの西嶋君の影響をだんだんと皆が受けてしまっているところが面白い。
俯瞰的な立ち位置のはずの北村君も感化されている。

この西嶋君、単なるKYな平和論者なのではないのです。
「彼方で人が難破している時に手をこまねいてはいられない」男であり、常に行動が伴う男。
「人間とは自分に関係の無い不幸な出来事にくよくよする」男でもありつつ、目の前で行われる空き巣犯人達を放置することなど到底出来ずに勇猛果敢に立ち向かっていく勇気のある男でもあるのです。

友人が落ち込んでいる時に、その窓から見えるビルの電灯を麻雀の「中」に見立てて、ビル全体に「中」を浮き彫りにするなどという途方もない根回しをして元気づけてやるような、到底KYとは思えないことまでしでかしてしまう男。

だからこそ冷めた人間も感化される。

歳こそ近いが既に社会人になっている女性がつぶやく。
「あなたたち、学生は小さな町に守られている」と。
その外の世界は一面、砂漠が広がっている、と。
一旦、社会に出ればそこは砂漠ような過酷な世界が広がっているのですよ、と暗に諭したのでしょう。
彼らはその砂漠にどうやって、どんな雪を降らすのでしょう。


この話、伊坂氏のいつもながらの東北、仙台が舞台。
この大学のこの仲間達はまぎれも無く、東北大学法学部なのだと読めます。

まさに著者の出身校。

著者は自らの学生時代と何かをかぶらせたのでしょうか。

読後、サン・テクジュベリが読みたくなってしまいました。

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」


砂漠 伊坂幸太郎 著(実業之日本社)


02/Apr.2009
    1