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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Jul.2011
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てふてふ荘へようこそ 乾ルカ

短編と言えば短編だが、話は全部続いている。
一号室から六号室まで。
一編目に入る前にアパートの見取り図がまずある。

敷金・礼金:無し。家賃:月一万三千円。間取り:2K。管理費:なし。
この物件に大学卒業後、就職先が見つからず、親からも仕送りが途絶えた一号室へ入居する主人公は飛びつく。

家賃一万三千円にはさほど驚かない。
かつて家賃5千円のアパートに住んだこともある。
しかも舞台は地方都市だというではないか。

しかしながら、「敷金・礼金:無し」ということは現状復帰費が無いということで、前の入居者が壁に穴を開けていようが、扉の施業を壊していようが、直すつもりが無いということに他ならない。
もしくは大家がよほど借り手が無くて目先の金に困っているかどちらかだろう。
敷金・礼金無しどころか引っ越し代まで出してあげましょうなんて物件を見かけることもあるが、それこそ他所から移転させてでも空き部屋を減らそうとしか思えない。

しかも「管理費:なし」これは管理することすら放棄した、なんでもいいから月々1万いくらでも入るだけまし、という魂胆だろうと安アパートを引っ越し慣れをした人なら思うだろう。

あらためて見取り図を見ると一階に一号室から三号室があり、風呂、男子用トイレ、女子用トイレが有り、なぜか管理人室が玄関のすぐ右にある。
二階は四号室から六号室があり、男子用トイレ、女子用トイレと集会室があってそこにはビリヤード台がある。

管理人が居て管理費がゼロ。

しかも意外なことに玄関も廊下も階段も掃除が行き届いていて、風呂もトイレもピカピカに掃除されている。

そう。安いのには別の理由があった。

一号室から六号室の全ての部屋に地縛霊が居るのだった。

その霊達はそのアパートのその部屋で亡くなったというわけではないのに何故か、それぞれその部屋に地縛されている。

この一篇から六篇まで、それぞれの部屋の店子とその部屋のもう一人の住人である霊との暖かい関わりを描いている。

それぞれの店子達はそれぞれに何かコンプレックスを持っていたり、思い悩んだり、自信が無かったり、挫折しかかったりするところをその部屋の霊と同居することで、自信を取り戻したり、慰められたり、意欲が湧いて来たり、コンプレックスに打ち勝ったりして行く。

こんな霊となら一緒に住みたいわ、と思わせる霊と同居している。
例外の話もあるにはあるが。

丁度、そういう相性のいい霊を店子たちは入居の時に自ら部屋を見て選ぶのではなく、管理人が差し出した写真を選ぶという行為で部屋を選ばされたように選んでしまっている。
この霊たちもずっと一緒に同居してくれるわけではなく、同居人があまりに思い入れが強くなってしまって、霊としてではなく、特定の感情を持って霊に触れてしまうと、成仏してしまう。

一話一話が温かく、とても優しい話としてまとめられている。


乾ルカという人の本に出会ったのは初めてだが、いい本に出会えたなぁ、と思える本だった。

てふてふ荘へようこそ 乾ルカ 著 角川書店


27/Jul.2011
廃墟建築士 三崎亜記

「七階闘争」「廃墟建築士」「図書館」「蔵守」の四篇が収められている。

いずれも非現実な世界。
いわゆるシュールと呼ばれる世界かもしれない。

非現実の世界でありながらも、現実社会を眺めているようなアンチテーゼ。
それが作者の狙いなのだろうか。

七階も廃墟も図書館や本も蔵守や蔵も何かのメタファーなのだろう。

狙いや発想は面白いのになんなんだろうこの後味。
なんだろう、このなんとも言えないこの残念感。


マンションやアパートの「七階」で犯罪や自殺といった事件がたまたま何件か続いて発生した事に端を発する「七階闘争」。
市議会では「七階」の存在が問題の根源だという馬鹿馬鹿しいことを言い出す議員が現れたといたと思いきや、市長もそれに賛同し、「七階」を撤去する方向でに決する。

そこで、七階を守る側の人間による「七階撤去反対闘争」が始まるわけだが、ここでいう七階とは、縁起を担いで四階や四号室を設けないビル、13階か13号室を設けないビルとは全く意味が異なる。

四階が無いということは便宜的に4階を5階と呼ぶだけのことなのだが、古来より7階は希少で12階建ての建築物に遅れること200年後に7階が出来た、要は7階は迫害されて来た云々。
1階にあろうが7階と命名すれば、それは7階となる云々。
建設して間もないビル全体の各部屋に7階だと刷りこめば、各部屋は自分を7階だと思う云々。
もはや、7階とはもはや階層を表すものではないらしい。
歴史的に迫害されたり、闘争運動を起こすあたりは何かの解放同盟のようでもあり、それでも7階からの眺めが好きだというあたりはやはり階層をも表しているのか?


「廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めることになった『魂の安らぎ』の空間です」と主人公の廃墟建築士が語るところから始まる「廃墟建築士」。
この小編では「廃墟の存在こそ国の文化のバロメーターだ」という定義付けがなされている。
その展開、素晴らしい。
物凄い作品なのかも・・・と一瞬思うのだが・・・。
それから先が「偽装廃墟」が問題になって・・という展開になってかつてどこかのニュースで問題になったような偽装問題になって行く。
なんとも残念でたまらない。


図書館では本が夜になる野生になり飛び回るわけだが、物書きなら図書館という建物はともかくももっと「本」というものに思い入れを持ってほしい気持ちが残る。
美術本は華麗に飛び、新しい本は飛ぶ事を躊躇し・・などというぐらいでは本に対する思い入れがあまりに安易じゃないか。

我こそは孤高の人とばかりに孤高の道を行く本や本失格とばかりに他の本を道連れに川に飛び込む本。
左と右での論争ならぬ衝突をする本達や、ひたすら他の本を救おうとする本。
本が飛び交うにしたってそれぞれの作者や愛読者の気持ちまでもメタファーに取り入れたなら、この物語はもっと凄いものになっていたのではないだろうか。


蔵を守ることしか頭になかった蔵守と蔵の世界。
これがこの四篇の中では秀逸だろう。
ほとんどこの世の中の大半を言い当てているのにかなり近い作品なのだが、作者はどこまで意識していたのかわからない。
物語としての収まりが悪いように思えてならない。


つまるところ、出だしは全て期待させられるものの最終的に全て「残念」で括らせてもらうことにする。
蔵守はいっそのこと途中で終えておけば良かったのになぁ。



廃墟建築士 三崎 亜記 著 集英社


26/Jul.2011
砂上のファンファーレ 早見和真

読み始めて途中まで、こんな家族って結構多いんじゃないのかな、などとと思ってしまった。

バブルの末期前、もはやこれまでの通勤圏内の土地の値段は上がり過ぎて、一戸建てなど夢かとあきらめかけた頃、山を切り開いて、一戸建てのニュータウンを作るというので、通勤にはかなりきついが家を持てるなら、と最高値で家を購入し、しばらくしてバブル崩壊。
仕事も順調ではなくなり、収入も下がる。
それでも高いローンは残ったまま。
子供達は成長し家を出て行くので、広い一軒家は必要無くなっているのだが、家を売ってローンを返済しようにも、売った値段では返済も出来ないほどに土地の価格が下がってしまいそのまま売るに売れなくなってひぃひぃ言いながらもなんとか、食いつないでいる。そんな一家。

この本はある家族をそれそれ母の視点から、長男の視点から、次男の視点から、父の視点から・・と描いて行く。

第一章は母の視点。
最近、物忘れが多くなったことを気にかけながらもなんとか安心材料を見つけようとする母。

長男が結婚し、その後子どもが出来たというのでお祝いの席を嫁の父母と共に設けるが、その場でかなり支離滅裂状態に。
翌日病院で診断の結果、脳に腫瘍があることを聞かされ、ほとんど壊れてしまう。

「フリーター、家を買う」が頭に浮かぶ。
母が壊れることをきっかけに真っ当に生きようとする息子のように、これをきっかけに家族の絆が深まるみたいな展開になるのか?

その次が大手家電メーカーに勤める長男の視点。
母の腫瘍は取り除けるものでは無く余命はたったの一週間と医者から告げられる。
実家へ帰った長男は、次から次へと出て来る母のノンバングからの借金に驚き、母だけでなく、父も借金の山。
破産するしかないだろうと思った矢先、大学生時代に父の保証人となっていたことを思い出し、なんという親だ!と腹を立てる。

家庭崩壊、家族崩壊、いやそんな安易な言葉で言い表せないほどに疲弊し、崩壊しきって行こうとしている。
そういうとことん落ちて行く話なのか。

母の余命が一週間でなく、三年間ならどうしていたんだろうか。
入院費用は嵩むし、借金は膨らむ一方。
父に破産宣告をしてもらおうにも、借金の保証人である自分もただでは済まない。
息子からしたらしてみればどれだけ情けなく頼りない父なのだろう。

ところが父の視点に立ってみるとどうだろう。
もし、人生をやり直せるのならどの時点なのか、と振り返ってみる父。
最初に仕事を選んだ時でもない。
結婚でもない。
子供を授かった時でもない。
家を買った時でもない。
もし、人生をやり直せるとしてもどの時点にも戻りたくはない。
借金の山だというのに。

どんどん悲惨になる家族達の中で、唯一ひょうひょうとしているのが次男。
本人は大学卒業後の就職活動を熱心にするでもなく、というよりも就職そのものに興味を持っていないようなタイプで、フリーターの後、飲食業にでもつければいいか、ぐらいの感覚で生きている。

この次男がこの崩壊していくであろう家族の救世主となって行く。
ものすごい逆転劇。

ええ? そんな展開になっていくの?と半ば驚き、半ば呆れつつも、決して後味の悪い物語ではない。

それでも現実でこんなことが起こったら、ちょっと出来すぎていて返ってこわいかも・・。


砂上のファンファーレ  早見 和真 著 幻冬舎


22/Jul.2011
オー! ファーザー 伊坂幸太郎

父と母と子供一人の家庭なのになぜか六人家族。

なんと四人の父を持つなんとも贅沢な高校生の物語。

四人の父親が同居している。
正確には母とその交際相手の四人が同居しているというべきなのかもしれないが、実際にこの母は四人の男と同時に結婚をし(籍は別だが)、四人はそれぞれで納得ずく。
この四人の仲が険悪なら(普通は険悪だろう)この子供は毎日がいたたまれないはずなのだが、性格も見た目もまるで違うこの四人の仲が良いのだ。

それに主人公である由紀夫という息子を皆が愛し、自分の息子だと思っている。

普通に考えてしまえば、ご近所から見れば同時に四人の愛人と同居する女性とその息子。ウワサになったり冷ややかな目で見られて育ってしまうのだろうが、ここではそうではない。
それはこの四人があまりに堂々としているからかもしれないが。

・大学教授で物知り、常識人の父。
・バスケットボールの名手で武道にも長けている人で熱血中学教師の父。
・ギャンブルのことならまかせとけ、というギャンブラーで地元の裏社会を牛耳っている人にも繋がりのあるの父。
・初めて出会った女性とあっと言う間に打ちとけてしまえる能力を持つ、女性にモテモテの父。

こんな四人のいいところばかりを引き継いだら、どんな息子が育つのか。
バスケットボール部では先輩よりうまく喧嘩も強く、勉強も出来て、勝負強くて、女の子にもモテる、とんでもないスーパー高校生の出来あがりだ。

悪いところばかりを引き継いだとしたら、
ネクラでありながら空気が読めない熱血漢で女たらしでギャンブル好きの高校生。
なーんてことになるのだろうか。

実はこの本にもサン=テグジュペリの人間の土地からの引用がある。
「自分とは関係がない出来事に、くよくよと思い悩むのが人間だ」
作者はよほどサン=テグジュペリに思い入れがあるのだろう。

この本、2006年から2007年まで地方紙に連載されたものなのだとか。
それが単行本になったのが2010年だからかなり間が空いている。
作者にはその頃「何かが足りなかったのではないか」という思いがあったからだという。
いやぁ、単行本化されて良かったでしょう。
こんな楽しい本。

それにこの四人の父親達は息子の窮地を救うために不可能を可能にする作戦をやってのけてしまう。
四人が協力して知恵を出し合えばどんな不可能なことでさえ「やれば出来る」になってしまう。


将来の心配ごとがあるとすれば、30年後か40年後だろうか。
それぞれが介護を必要とするような老人になった時、さぞかし由紀夫君は大変なのだろうなぁ。
それでもやっぱり「やれば出来る」!かな?



オー!ファーザー 伊坂 幸太郎 著 新潮社


18/Jul.2011
密やかな結晶 小川洋子

ものすごく怖いお話なのに、小川洋子さんはたんたんと書き進めて行き「怖い」という雰囲気を払拭してしまう。

舞台となる島では、これまで日常普通にあった物が「消滅」してしまう。
消滅が有った朝、川にはその「物」が投げ捨てられ、「物」そのものが無くなるだけで無く、人の記憶からも消滅してしまう。
そしてそれら消滅させた物隠し持っている人間を秘密警察は捕まえ、物を持っているだけでなく、記憶を持っている人たちまでも秘密警察は捕えようとする。

「消滅」はこの島の統治者側の決定事項らしいのだが、最初のうちは生活に身近なもの、特に何ら目立つようなものでもない生活品がその対象となる。リボンが消滅し、鈴が消滅し、エメラスドが、切手が、香水が消滅する。
そうした人間が作った物ばかりか、ある朝は鳥が消滅し、バラの花が消滅する。
その消滅する物で商売してした人なども当然いるわけなのに、そうした人たちは当たり前のように違う仕事にありついて、それを当り前のように過ごしている。

統治者側がそれらを消滅させることでどんなメリットがあるのかさっぱりわからないのだが、消滅指示は次から次へと続いて行く。

消滅があってもその記憶が鮮明に残っている人と消滅を受け入れてその物があったことすら思い出せなくなる大半の人。

ある朝は写真が消滅の対象にされてしまう。
写真には数々の思い出が詰まっているだろうに、消滅を受け入れてしまう人にはもはやその写真の思い出などにも何の感慨も覚えなくなってしまう。

主人公の女性は小説家なのに、ある日小説も消滅してしまう。
島の至る所で本が焼かれ、島の至るところで焚き火のあかりは夜を通り越して朝まで続く。

この消滅という事柄はどう受け止めればいいのだろう。
人には自分にとって都合の悪いことは無かったことにして記憶からも消し去ることが出来たりする。
その極限の世界なのだろうか。

文庫の解説は井坂洋子さんが書いておられた。
本が焼かれる焚書、秘密警察から逃れようと隠れ家に住む人たちを捜し連行する姿をナチのユダヤ人狩りになぞらえ、隠れ家に住む人たちをアンネフランクのような人たちになぞらえる。

なるほど、そういう読み方もあったのか。

自分はこの不思議な、そして非現実と思われる世界は実は実世界のある局面の誇張なのではないだろうか、などと思いつつ読み進めていた。

そして自分の失った物と失った記憶とはなんだろう、と思いを馳せたのだった。



密やかな結晶 小川 洋子 著   講談社文庫


11/Jul.2011
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