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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Mar.2016
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ナニカアル 桐野夏生

なかなかにチャレンジ精神旺盛な珍しい本ではないか。
林芙美子という実在の小説家の手記が別の作家の手によって書かれてしまう。

他の実在の小説家の名前が実名で何人も出て来るので、どこまでが作った話なのか、どこまでが実際に有った話なのか、判別が付きづらいが、巻末に掲載された膨大な参考文献の数から言っても、かなり当時をまた林芙美子を忠実に再現しようとしたのだろう。

話は林芙美子が亡くなった後で、芙美子の遺品を管理していた夫も亡くなったところから始まる。
遺品の管理は芙美子の姪で芙美子の夫と結婚している女性が、知り合いに遺品の相談などを手紙でやり取りする。
冒頭はその手紙の往復から。

亡き夫は売れない画家で自ら描いた絵は全て処分するように遺しているのだが、その絵の裏から、芙美子の手記を発見してしまう。
そして、その林芙美子の手記そのものがこの小説そのものなのだ。

林芙美子は従軍作家として中国戦線の第一線を取材し、それを書き、国威発揚の文章として発表される。
もっと年を経て女流作家だけ数名集められ、シンガポール、ボルネオ、ジャワといった南方戦線へ行っての視察団に選ばれ、陸軍の意図に沿った取材、執筆を命じられる。

病院船を偽装した船で南方へ行くまでの間に船の乗務員といい中になって抱き合ってみたり、南方へ行ってから、長年の恋人だった新聞記者との再会を果たす。
お互いに妻ある身、夫ある身だ。

南方では、作家としての本来の物書きではなく、陸軍の意図に沿ったものしか書かせてもらえない。
従卒として身の回りの世話をしてくれる老兵を付けてくれ、彼は常に身近なところに居て、恋人との仲を応援してくれたりするのだが、実は彼もまた、彼女を監視する役目だったことがわかったり、と、だんだん誰も信用出来なくなってしまう。

南方各地が日本国の地図になっていくその当時の高揚感が軍部からは伝わって来るが、作家としては欧米の支配という役割を一時的に肩代わりしただけではないのか、という冷静な視点もあるのだろうが、書けるのはおそらくこの手記の中だけだろう。

結構、夫をないがしろにした人なのだが、帰国してから、夫に内緒で出産するところまで来ると、思わず「ホヘッ」と驚いてしまった。

いくら膨大な参考文献を当たったところでこの手記がどれだけ林芙美子があたかも書いたものと思わせられるかが、この本の値打ちを決めるのだろうが、残念ながら、林芙美子という人、「放浪記」を書いた人ぐらいの予備知識しかないので、私にはその値打ちの判断はつかない。
ただ、桐野氏にそのぐらいの自信が無ければ書きはしなかったであろうから、おそらく、林芙美子を良く読んでいる人にも納得させられるほどのものだったのではないか、と推察する。

大作家が書いたものとしての文章を書いてみるという作業、かなり勇気のいることだろう。
よくぞ、こういうものを書いてみようと思い立ったものだ。


ナニカアル 桐野 夏生著


24/Mar.2016
ロスト 呉 勝浩

テレビショッピングのコールセンターでアルバイトとして働いていた女性が誘拐される。
アルバイト先に身代金要求の電話がかかって来るが、アルバイト雇用の身代金まで会社が負担するとは思えない。

誘拐された女性、このアルバイトとは別に小さな芸能プロダクションにも在籍する、まだあまり売れていない芸能人の卵でもあった。

そのプロダクションの社長が用意した身代金の1億。
それを100人の刑事にそれぞれ100万ずつ持つ様に指示する。
そしてここからがこの犯人の新しいところで、その100人の刑事全員にSNSのアカウントを登録するよう指示し、一人一人のアカウント宛てに西へ東へと別々の向かう先と到着時間を指示する。SNSのアカウントと言うおよそ刑事と似つかわしくないアンマッチが面白い。

犯人は到着した場所の目印となるようなものの前でその背後の風景を背景に刑事の顔の写真を撮ってSNSにUPする様に指示する。なるほど、これなら確かにその時間にそこへ到着した、という確認は行える。

表に顔が出てはやりづらい捜査もあるだろうに、どうどうとSNSにさらされてしまうのだ。

捜査員を全国あっちこっちにばらまくという手法は、東野圭吾の毒笑小説の中の短編の一つに金持ちの老人たちが狂言の誘拐を行う話があるのだが、その時に捜査員たちを翻弄する時のやり方もこんな感じだった。
ただ、SNSの利用というのが新しい。

誘拐されたと思われた女性は、一週間近く前に既に殺害されていた事が発覚。
その死体のある場所に居合わせたり、アリバイが無かったり、1億をポーンと用意してしまうことも含めて、プロダクションの社長が、筆頭の容疑者となり取り調べを受ける。

証拠不十分で泳がされるプロダクション社長も独自に犯人捜しを始め、警察内の政治力学で捜査からはずされたエリート管理官と現場の部隊長の鬼軍曹刑事の迷コンビも、運び屋をやらされた内の一人で大阪ミナミの生活安全課の刑事も、コールセンターでたまたま犯人の相手に指名された男も、それぞれで捜査本部とは別に真犯人探しの捜査を始める。

この話、大阪を舞台としているので、大阪在住の身としては身近な地名がいくつも出てくるのだが、風景描写が乏しいのでおそらくその場所を思い浮かべる人は少ないだろう。

逆にコールセンターについてのみ、微に入り細に入りかなり詳細で、この作者、昔コールセンターで働いてたんじゃないかと思えるぐらいだ。

真犯人の目的はいったいなんだったのか。なんでこんな面倒なことをしたのか。最後の最後まで、引っ張ってくれる。

冒頭の場面がかなり綿密で計画的だっただけに、こんなの2〜3日の思いつきでできるかい!とかいろいろと突っ込みどころは満載ながら、最後まで楽しませてくれる1冊であることは確かだ。


ロスト 呉 勝浩 著


18/Mar.2016
人魚の眠る家 東野圭吾

この本で脳死の本当の意味が初めてわかった。
脳死と言う状態はあり得て、それを死と見做すのか生と見做すのかがちまたで議論されているものだとばかり思っていた。
臓器を提供する意思を本人なり家族なりが示して初めて脳死の判定が行われるのだそうだ。
提供の意思無しでは、いわゆる脳死状態であっても脳死でもなく、もちろん死亡でもない。
心停止を待って初めて死亡となる。
つまるところ、家族の意思次第で本人は生きていることにもなり得るし、死んでしまったことにでもなり得る。

なんとも重たいテーマに取り組んだものだ。

6歳の女の子がプールで遊んでいる時に、排水溝へと吸い込まれそうになり、浮かんで来ない。気付いた大人が助け出すものの、意識は戻らないままとなる。

可愛い盛りの娘の意識が戻らなくなって、ショックままならない状態の親を前にして医者は結構冷徹なことを言い始める。
娘さんの臓器を提供するお気持ちはありますか?と。
いきなり、そこですか? ってなるよなぁ。
もう意識が無い状態がかなり長く続いて、涙も枯れ果てた頃ならまだそういう事への判断も冷静になったかもしれないのに。 いや、これは一般的な話で、この両親にはたぶん当てはまらない。

たまたま、父親が介助のための脳からの伝達の装置やら、視覚障害者へ信号を送る事で、障害物を避けながら歩行することを可能にするような装置を開発している会社の社長だったこともあり、つてを辿って、まずは人工呼吸器無しでの呼吸を可能にし、病院を退院して自宅で奥さんが看護にあたる。

そのあとがだんだんすさまじくなっていく。
奥さんが希望の光を失ってしまわないように、そのたっての希望をかなえようと、会社の技術者を家へ出入りさせ、背中の脊髄に信号を送ることで、手をあげたり、下げたりなども出来るようになり、それがどんどんエスカレートして行く。

奥さんにしてみれば、娘はまだ生きているのよ、ということなのだが、はたから見た人には、死人の身体を無理矢理、機械で動かしているだけにしか見えない。
だが、筋肉を動かすことで全身の血色も良くなり、年を経る毎に身長も伸び、どんどん成長していくのだ。

方や、実際に臓器移植が必要な子供の患者が多くいて、日本国内でドナーを見つけることはほぼ不可能なので、アメリカへ行かざるを得ない状況がある。
その費用たるや、億を超える金額で、とても一般の勤め人に賄える金額ではない。

そういう状況の中、物語は進んで行く。

何が正解なのか。
作者はどちらを正解と思っているのか。

読んでいる立場としては、どんどんエスカレートしていくこの奥さんに誰かブレーキかけなくていいのか、とか、弟があまりにも可愛そうだろ、とか思ってしまうのだが、刑事を自宅へ呼んで、意識のない娘を刺し殺したら私は殺人罪になるのですか?皆、娘はもう死んでいる、と言っている。もう既に死んでいる人間を刺した私は殺人になるのですか、と問い詰めるあたり、かなり理路整然としている。
作者はシロとでもクロとでも言える現在の日本の法制度を憂えているのだろうか。

途中までは、もはや異常だ、と思えたこの奥さんなのだが、エンディングまで読んでしまうと、案外この奥さんが正解だったのかな、などとも思えてしまう。
まぁ、正解なんて無いんでしょうけどね。


人魚の眠る家 東野 圭吾 著


10/Mar.2016
アイネクライネナハトムジーク 伊坂幸太郎

短編だと思わせておいて、最後の方で実は全員つながっていた、みたいなパターンなんだろう、と思って読み始めたら、いきなり二篇目から繋がってた。

最後で繋がるどころか、全編にわたる人物が複雑につながりまくってる。
実はこの一篇は過去の話で、誰某は誰某の娘で誰某と友達だった誰某は誰某の会社の先輩の娘で・・・みたいな。
人間関係、複雑すぎるだろう。

マーケットリサーチ会社に勤める男が夜中の街頭でアンケートを取るはめに。
本来はサーバの中に鎮座しているはずのマーケティングデータが、システム管理担当の先輩のチョンボでぶっ飛んでしまったためだ。
そこでアンケートに答えてくれたフリーターの女性。
その女性とあるところで再開するという、割りと平穏な出だし。

次の舞台は美容院。
美容院の常連客が弟を紹介するという。
断ったが、客は勝手に携帯の電話番号を教えてしまい、弟君と週に二三度、長電話をする中に。お互いにあったことも無い相手と8カ月以上電話だけでデートをしているようなもの。
その相手が誰だったのか判明した時はさすがにぶっ飛んでしまいましたね。

客とトラぶったりして一方的に罵られている女性への助け舟として、さも罵っている男を心配してあげているかのような「この方は誰の娘さんかご存知ですか?」作戦。
この作戦が、軸になっていろんな人に伝授されてまた、その繋がりが見えてきたりする。
なんとも面白すぎる構成だ。

他にも日本人のヘビー級プロボクシングのタイトルマッチ、これも縦軸の一つか。

ある一篇の中で広告代理店のクリエーターがいかに大変か、という話になる場面がある。作家やアーティストは一度、探し出した金鉱と同じ路線を掘り続ければいいのだが、広告のクリエーターに二番煎じは無い。それって前にもあったパターンだよね、が通用しない、常に新たな発明をし続けなければならない、云々。
(近年はシリーズもののCMってのも多くなってきたかもしれないが・・。)

でもどうだろう。
伊坂さんの作品って、充分に新たな発明ばっかりじゃないの?


アイネクライネナハトムジーク  伊坂 幸太郎 著


07/Mar.2016
オールドテロリスト 村上龍

とんでもない爺さんたちだ。

低迷する日本経済をして、戦後、焼野原から立ち直ったんだから、その気になりゃいつでも復活できますよ。などと言う連中が居るが、焼野原を体験したことの無い人間がその気になどなれるわけがないだろ。
ならばどうするか。もう一度、日本を焼野原にするしかない。

なんともダイナミックで斬新な爺さんたち。
地方再生なんていうチマチマした話じゃない。
全てリセットしようかって。

そんなことを頭の中で考えている分には、なかなか楽しいだろうが、事件は起きる。

まず、NHKの玄関で起きた爆破テロ。
全身が焼けただれるような死体が出るほどのひどいもの。
異臭のする液体を撒いて、それに火をつけた犯人はその場で焼死。

次が、自転車が通ってはいけない商店街を自転車で横切ろうとした人の首を草刈り機で切り落とすという凄惨なテロ。これも犯人はその場で自殺。

その次が歌舞伎町の映画館でのイペリットという毒ガスによるテロ。
これが最も規模も大きく、最も陰惨なもの。

でもこれはほんの序の口。

老人たちは旧満州から持ち帰った対戦車砲を浜岡原発近所にぶっ放し、日本国相手に戦争するとまで言い放つ。

この老人たちの大胆さ、豪胆さ、潔くもある姿に比べてなんと主人公のセキグチというジャーナリストのふがいないことか。次元が違いすぎて比べることそのものがおかしいと言えばおかしいが・・・。

当初の2件の事件以外は記事をスクープするどころか、書く行為すら行わない。
肝心なネタ取りの場所では震え上がり、嘔吐し、しょんべんを漏らし、その時もその後も安定剤と酒に浸って、ひたすら書くことから逃避する。
ジャーナリスト魂のかけらでもあれば、少なくとも書くだけは書くだろうに。

この話、ほんの数年後(2018年か?)の未来の話で、直近までの実際に起こった事件のことも書かれているので、10年後、20年後の読者はどこまでが事実なのか、少々混乱するのではないだろうか。

なんか読んでて龍さんそのものも年をとったのかなぁ、とも感じさせられる。
立派な戦士を前にいくらビビる主人公を描いたって、加齢だとかという言葉はこれまで使わなかっただろうし。

至るところに過去に村上龍が書いた小説のエキス満載。
学校を放棄した中学生たち独立国を作ろうとする「希望の国のエクソダス」の若者たちはダメダメ日本の例外として描かれ、この老人たちの武闘意識は「愛と幻想のファシズム」を想起させられ、日本が降伏せずに地上戦で戦っていたら、という老人たちの言葉は「五分後の世界」を想起させられる。

まさか、龍さん、これを集大成としようとして、こういう長編ものからの引退を考えているんじゃないでしょうね。
まだまだ早いですよ。龍さんにはこういう豪快なものをもっともっと書いて欲しいですから。


オールドテロリスト 村上龍 著


01/Mar.2016
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