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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Apr.2014
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ターミナルタウン 三崎亜記

三崎亜記さんがまたまた不思議な三崎ワールドを書きあげた。

隧道と呼ばれる植物のような通路やそれを作る隧道師。
植物のようなもので感情が伝わるものらしいので作るというより育てる、という言葉の方が合うかもしれない。

影の無い人たち。無いというより失ったという方が正確か。

鉄キチならぬ鉄道原理主義者たち。

現実界には無いものなのでじっくり読まないと理解しづらいものがある。

舞台は日本のどこにもない架空の町。

でありながら、逆に地方ならどこにでもあるような町に思えてしまう。

それは、地方の商店街が軒並みシャッター通りになっていき、このターミナルタウンも御多分にもれず、シャッター化しつつあるという背景。
かつてはじゃんじゃん人が住む予定で建てたニュータウンに閑古鳥が鳴いている様はまさにバブル景気とその後の日本の姿じゃないか。

その地方をなんとか活性化しようとする若者に対して、補助金さえあればいいじゃないか、ともはや諦め気分の大人たち。
この構図も今の地方商店街と似通っている。

なんとか地域活性化をしてくれるはずの計画が、地元に益を一切残さず本社のある首都にのみ益を出すチェーン店だらけの計画だったり・・・これもどこかで聞いたことのある話ばかりだ。

ターミナルタウン、大阪の北部で言えば十三や淡路のような駅だろうか。
いろんな線が交差して乗り換え客は多いが、案外改札を出る人は少ない。
その十三や淡路に特急はおろか急行も快速も通り過ぎるだけで乗り換えも不要になったとしたらどうだろう。
さぞや閑散とした駅になるんだろうな。

この物語に登場する静原というのもそういう駅だ。

アーケードがボロボロになっていよいよ取り壊されようという時に、よそ者の若者が提案したのが、鉄道でしか使われることの無かった隧道を使ってレトロな雰囲気の商店街を作ろう、というもの。

さて、果たしてこの架空の町、ターミナルタウンは地域再生を果たすことが出来るのだろうか。



ターミナルタウン 三崎亜記 著


21/Apr.2014
ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む -4万5千キロを競ったふたりの女性記者- マシュー・グッドマン

ジュール・ヴェルヌに「八十日間世界一周」という作品がある。

ジュール・ヴェルヌと言えば、後にアメリカのアポロにてほとんど再現してしまった月世界への旅行であったり、2万マイルの海底であったり、地底への旅行だったり、ほとんどが当時の技術では為し得ない夢の地術を描いたSFの作家なのだが、この「八十日間世界一周」だけはSFではなく、実際に当時に有った技術で行えるはず、として書かれたものだ。

19世紀後半のその時代にジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」に挑んだ二人の女性記者。

その時代のアメリカは、いくらアメリカとはいえ、まだまだ女性が男性と同様に仕事をまかされる時代じゃなかった。
女性の新聞記者と言っても、男性と同様の取材仕事などはやらせてもらえない。
社交界のお飾りみたいな記事を少し書く程度。

そんな中で、危険を顧みず、潜入取材で身体を張って取材活動をする女性が現われる。
ネリー・ブライという20代の女性記者だ。
当時の精神病院がいかにひどいところなのか、精神病患者になりすまして入院して牢獄よりひどいその実態をあばく。
またある時は工員として働き、その苛酷な労働条件を体験取材したり、当時治安が悪く危険だと言われたメキシコへ渡って、実際のメキシコを体感し、アメリカよりもはるかに安全な国だという記事を書いてみたり。

とにかく身体を張って取材をする人なのだ。
その人がヴェルヌの書いた「八十日間世界一周」を自分なら75日でやってのけるから、やらしてくれ、と上司を説得する。

その世界一周の発表を受けて、別の社も即座に動く。
文芸評論のコラムを書いていた文芸記者のエリザベス・ビズランドという女性記者に命じてネリーとは正反対の方向で世界一周をせよ、と命じる。

ネリーはニューヨークから一路東へ。大西洋を経てイギリス、フランス、イタリアのルート。
エリザベスは逆に、一旦サンフランシスコまで機関車で移動し、そこから乗船して日本へと向かう。

この二人、ひたすら旅を急ぐので、そこでの発見や取材や紀行文は極めて少ないが、その極めて少ない中にエリザベスが見た日本の印象がある。

彼女は富士山を見て感動する。日本人の信仰の対象となるのはもっともだと感じる。
彼女の見た日本は明治維新から約20年。
日本に非常に良い印象を持っているところは嬉しい。
人力車の車夫を見てその筋肉質に惚れぼれとしたりするところはやはり20代の女性ならではだろうか。

ネリー・ブライは最初のうちこそ、フランスで本物のジュール・ヴェルヌを訪ねたり、という余裕があるが、半ばから、旅の目的はとにかく急ぐことそのものになってしまったようだ。

取材する対象があっても、取材するに足る時間が空いていたとしても、取材という熱意が消え去ってしまっている。

彼女は72日という驚異的な記録で世界を一周し、一躍全米で最も有名な女性となり、行く先々で、熱狂的な歓迎を受ける。

遅れて帰国したエリザベスは、騒がれることもなく、彼女自身も旅については沈黙を守るという、同じことを行いながら全く正反対の状態となる。

瞬間熱烈な歓迎を受けたネリーがその後、幸せだったかというとそうはならないのが物語とドキュメンタリーの違いだろう。

記者としてではなく、講演旅行に出る彼女にだんだんと世論は覚めて行く。
記者に戻ろうにもあまりにも顔が売れすぎてしまって潜入取材などはもはやできない。


この本、500頁を超える大長編である。
その大半は、彼女達の軌跡を追ってこの著者がこの時代の各地の出来事や時代背景などをを膨大な資料を元に書いているもので、その合い間にはラフカディオ・ハーンやらピューリッツァー賞で有名なピューリッツァーなども登場する。

あらためて彼女たちの旅の意味はなんだったんだろう、と思う。
蒸気機関車やスエズ運河の開通で世界の距離は短くなったことの証明?

いやいや、それよりも新聞社そのものの宣伝の意味しかなかったのではないだろうか。

彼女たちが訪れたそれぞれの地に短くとも2週間や3週間ずつは滞在し、旅そのものは1年かかったとしても、そこで若い女性記者ならではの感性で、また弱者の味方で帝国主義の英国人の驕りが大嫌いなネリーの見方、イギリス大好きのエリザベスの見方、それぞれで観たもの、聞いたもの、感じたものを取材し、書きあげていたらどうだっただろう。

その書きものは100年たっても200年たっても色褪せなかったのではないだろうか。
少なくとも彼女たちの足跡が歴史から消えてしまうということだけは無かっただろう。

著者が資料集めをして書いたものより、彼女たち自身が書いたものを読みたかった。




ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む -4万5千キロを競ったふたりの女性記者-  マシュー・グッドマン 著


14/Apr.2014
迷わない 櫻井よしこ

櫻井さんの本ということで、今の日中問題、日韓問題などの話題もかなり踏み込んでいるのだろうと思っていたが、全然違った。

櫻井さんの生い立ち。
学生時代の決断。
ジャーナリストとしての一歩を踏み出した時の経験。
テレビのキャスターとして招聘された時の決断。
16年間務めたキャスターから身を引く時の決断。

そんな自らの人生の節目節目での決断に至る過程を振り返って書いているのがこの本だ。
イデオロギーも主義主張に関しての記述もこの本にはない。

日本の高校に通いながらも父の居るハワイ大学へ行き、そこで父から突き放されても尚、ハワイ大学に残る決断をする。
凄まじい父で彼女は一文無しで放りだされる格好。
それでもその父の一貫性に対して彼女は感謝をしている。

櫻井さんの社会人としてのスタートはアメリカの新聞社の東京支局での勤務。
その支局でアメリカのプロの女性ジャーナリストのアシスタント兼通訳として働く。
どんな雑用からも将来プロとしてやって行くための学ぶべきところを発見するという気概に惚れてしまう。

櫻井さんはその米人女性ジャーナリストから多くのことを学んだと述べておられる。

櫻井さんはどんな意見の合わない人が相手でも常に笑顔でやさしく分かり易く話される。
優しい笑顔でありながらも主張される内容そのものは核心に迫るもので相手にとってはかなり辛辣だったりする。
日本のサラリーマン社会では決して学べないことをその人の下で学んだことが今日の櫻井さんを培ったのかもしれない。

キャスター時代に原稿をわかり易い言葉に置き換えたからといってクレームをつける記者たちに対してとことん誠実に対応し続ける内容なども書かれている。


交渉上手で信念を曲げない凛とした櫻井さんみたいな素敵な人がどうやって出来あがって来たのか。
人生の岐路でどちらの方向へ行くのか、常に人生は迷う事ばかりだ。

「迷わない」という櫻井さんのこの本、若い人の必読の書ではないだろうか。




迷わない 櫻井 よしこ著


09/Apr.2014
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹

主人公は大学へ入ってから高校時代に五人で一組と思っていたほど仲の良かった親友四人に突如絶縁を言い渡される。

その四人は名字にそれぞれアカ、アオ、シロ、クロと色がついた名前を持っており、主人公だけが「多崎つくる」と色の文字が無い。
多崎つくるは絶縁された後、死ぬことだけを考え続け、満足な食事もせず痩せこけるのだが半年後には回復する。だがその後もずっと自分のことを色も中身もない空っぽの人間だと思っている。

その四人の内、男はアカとアオ、女はシロとクロ。
その内のシロがよくピアノで弾いていたのが、リストのピアノ曲「巡礼の年」。

序盤でこの長々としたタイトル「色彩を持たない」「多崎つくる」「巡礼の年」のキーワードは登場する。

36歳になった多崎はあの大学時代に何故突然に絶縁を言い渡されたのか、その理由を知らないまま、またまた絶縁されるのがこわくてか、友人の一人すらいない。

その多崎に2歳年上の彼女が過去に何があったのか、その4人に会ってくることを進言し自分探しならぬ過去を探しに行くというお話。


この本の登場人物はみな、饒舌で話が上手だ。
結構わかりづらいことも言っているはずなのにそれをわかり易く話す。

アカ、アオの旧友たちのみならず、大学時代に知り合った灰田も灰田の話の中に登場する緑川も。

文章も後に英文になることも意識しているのか、村上氏の文章そのものが昔からそうだったのか、難解な比喩もなく分かり易い。
従って非常に読みやすい本なのだ。

だが、なんだろう。すらすらとあっという間に読んでしまったが、何かが足りない気がする。
最終的に何が心に残ったのだろう、と問われれば、不思議と何も残っていなかったりする。

これがあのものすごい行列まで作ってバカ売れした本なのか。


やっぱり不思議な小説家だなぁ。
この村上春樹という人は。




色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年  村上春樹 著


08/Apr.2014
独居45 吉村萬壱

なんだろう。
異物を飲み込んだようなこの変な感じ。

冒頭から読めば読むほど、気分が悪くなって行く。
途中で何度、読むのを放棄しようと思ったことか。

それでも新聞の書評やらでやけにベタ誉めしていたしと、続行していく内にどうにも気分の悪かった話がだんだんと最後はどうなるのだろう、と最後まで読みたくなってしまうのだから不思議だ。

ある街へ一人の男が引っ越してやってくる。
男は何故かいつも上半身裸。
彼は作家なのだという。

彼の主張は、
人間の残虐性は何もナチスドイツに限られたことではない。
人間はみな、残虐性を持っている。
人間はみな、人間という同類を殺しまくる残虐極まる狂った種であるという考えを持ち、本ばかりか講演会でもその考えを街の人にぶつける。

その後、家の中に籠りっきりとなるが、その家の中からは呻き声や悲鳴や絶叫が家からは聞こえて来る。
そればかりか屋根に血に塗れた全裸の女マネキンを置いてみたり、巨大な手を据えてみたり・・・と、彼の奇怪な行動はエスカレートし、子供達からは妖怪退治だとばかりに窓へ石を投げられる。
やがて町民の方もエスカレートし、街のいわゆる普通の人たちが彼に石を投げ始める。

くしくも彼の主張通り、普通の人たちが自分たちの常識の範疇外の行動を取る人間に対しては残虐性を発揮してしまうわけだ。

それにしてもまぁ、この本に登場する男たちはなんでこんなに至る所で勃起するのだろう・・・。



独居45 吉村萬壱 著


07/Apr.2014
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