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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Aug.2009
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イノセント・ゲリラの祝祭 海堂尊

ある新興宗教団体で起きた突然死という変死からこの物語は始まる。
実際は団体によるリンチ殺人事件だったのに、危うく急性心不全で片付けられようとしていた。

日本の死者解剖率は2%。
不審な死だと思われて、警察指定医にて出される死因はほとんど「心不全」。
「心不全」とは心臓が停止した状態を述べたに過ぎず、死因を特定するものではない。
死因が「心不全」とはつまり「死因不明」と言っているのと同じことなのだそうだ。
日本の死の9割以上が死因不明のまま放置されている。
先進国の中では稀有なことなのだそうだ。

それもこれも予算の段取りがつかないことがそもそもでありながら、誰も望んでいないメタボ対策みたいなものだけには巨額の予算が継ぎ込まれる。

この本はそんな事柄を背景として、厚労省の官僚を切って切って切りまくる。

故城山三郎に「官僚たちの夏」という高度成長期の通産省を描いた作品がある。
丁度現在ドラマ化され、放映もされていたかと思う。

その中で描かれる官僚達はまさしく日本の牽引役で、寝る間も惜しんで国家のために働く。
官僚たちもまさに戦後経済を引っ張っているのは俺たちなんだという意識があっただろう。

それでも何か違和感が残ることは確かである。

大臣が方向性を示したって、局長会議の方向性の方が優先される。
大臣は目指す方向に進むためには、局長たちに根まわしをしなければならない。

保護貿易か、貿易自由化か、省内は揺れるが、各々法案を作成するのは官僚たちだ。
法律の立案は立法府、即ち国会の仕事が三権分立の基本のはずが、いつの間にか官僚が立法することがもはや当たり前になってしまっているのだ。

戦後の復興をなし遂げようとしたこの「官僚たちの夏」の時代であれば官僚も省益のためよりも国益のために汗を流したのかもしれないが、現在は果たしてどうなんだろう。


会議のための会議、そんな無駄な会議というものが世の中のは多々ある。
それは何も官僚が主催する会議だけではないだろう。
あらかじめ結論も台本も決まっていながら、さながら会議で決まったような形式だけを重んじる会議。
そんな会議はこの日本の中に至る所で存在する。
台本からはずれた意見を言おうものなら次からその会議にも召集されなくなり、会議に参加すべき立場からも引きずり下ろされる。

この本の面白いのは、全てそういう会議の場のやり取りだけをメインに物語を成立させているところだろう。

特技がリスク回避、座右の銘が「無味無臭、無為徒食」。
ミスター厚労省と呼ばれるエリート官僚を大学教授が評した言葉。

部外者のみならず同僚の官僚自らがミスター厚労省にこう述べる。

「市民が必要とすることはせず、自分たちがやりたいことを優先する。やりたくない仕事は遅延させ、やりたい仕事にはあらゆる手立てを使ってブースターをかける。口先で指導、責任が降りかからない安全地帯で体制づくりに専念する」
それに対してミスター厚労省は 「そんなに誉めるな」 の切り返し。
なんとも笑えない現実が見えてくるようだ。
もちろん、官自らがそんな言葉を吐くのは小説ならではなのだろうが、なにやら本音を吐露されているような気がしてしまうのは自分だけだろうか。

この物語の流れは法医学が中心の解剖実施比率を高めることよりもエ−アイ:AI(オートプシー・イメージング)という呼称の画像診断を死後画像に用いることで死因不明放置の対処に、という方向性なのだが、根底は官僚批判そのもの。
上に書いた以外にも官僚自身の口から冗談まじりに官僚批判を山ほどさせている。
それが、はたまた正鵠を得ているように思えてしまうところが悲しい。
具体的な省庁名を出してでは稀有な本かもしれない。

今や官僚批判が世論の趨勢になりつつある。
この選挙期間中も各党ともそれを謳い文句にはしながらも、はてさてどうなんだろう。
小さい政府、大いに結構。
しかしながら、各党の政策実現には小さな政府どころか寧ろ大きな政府が必要となるのでは?と思えてしまう。
官僚からの脱皮を!と訴えながらも果たして可能なのか。
この本から汲み取れるような数々の無駄や欺瞞が廃せるなら大いに廃して欲しいものである。
でも逆に「官僚たちの夏」にあるように、事実上この国を動かしているのが官僚ならば、あまりの官僚批判の中で彼らのモチベーションがどうなってしまうのか、も大いに気になってしまう。

9月以降、この国はいったいどこへ向かっているのだろう。


イノセント・ゲリラの祝祭 海堂 尊 著 (宝島社)


11/Aug.2009
海松(みる) 稲場真弓

主人公は団塊の世代の少し下の世代なんだろう。
いつも団塊の世代の背中を見て育って来た世代といったところだろうか。
主人公は40歳になった頃に志摩半島の湾の近くの山の斜面という誰も見向きもしないような土地の家を買い東京よりそこへ移り住む。

主人公も田舎での生活ではいろんなことの発見の連続。
タイトルになっている「海松」もその一つ。
海松と書いて「みる」と読む。
海草の一種で、松の枝みたいな形をしているところからその名がついたのだと言う。
発見の連続と書くといかにもセカンドライフを満喫しているように見えるのだが果たしてそうなのだろうか。

数年前にご同業の団塊の世代の方から、会社を退職し、田舎へ移り住むと言う内容のお手紙を頂戴したことがある。
その後、その方からメールが来て農業を始めました、とメールが来てホームページのURLなどが記載されていた。
農業は結構順調らしく、「インゲンマメが出来ました」などとメールが来ることもある。
他にも何人かの団塊の世代の人を知っているが、なんだかんだと言いながらもこの世代の人たちはバイタリティがある。
まさにセカンドライフを満喫している。

この主人公の場合は、都会での生活に疲れ、都会に行き詰ったところから始まっている。セカンドライフありきではないのだ。
何かしら黄昏を感じてしまう。
今の時代というのは、一部の団塊の世代の人たちを除いて、日本全体がたそがれているように感じてしまうことが多いので余計にそう感じるのかもしれない。

主人公と書きましたが、この主人公って稲場さんご自身のことなんでしょう?

全然話は変りますが、大雨による土石流で家が流されるようなことが相次ぐ最近の気候状況です。

山の斜面になんて住んで、大丈夫なんででしょうね。
稲場さん。


海松(みる) 稲葉 真弓 著 新潮社 川端康成文学賞受賞作


05/Aug.2009
「世界征服」は可能か? 岡田斗司夫

ゴミ問題の次にいきなり「世界征服」って、どんなサイトなんだと思われてしまいそうですが、ジャンル問わずが方針なのでこんなのも有りでしょう。

かつての勧善懲悪の子供番組の中に登場する悪役達が良く口にするのが、我々悪の組織が世界征服を成し遂げるのだ、のような発言。

必ず正義の味方が現われて、悪の組織を毎回退治して行くのだが、著者にはそのワンパターンが気に食わない。
悪の組織の方を応援してしまう。

お歳を召した方には水戸黄門が毎度同じパターンで印籠を出す、というあのパターン、完璧にワンパターンなのですが、それが返って安心出来て毎回見てしまう、などという話を聞いたことがありますが、著者はそんなお歳ではないのでしょう。

また、著者は「世界征服」を目標にした勧善懲悪ものが散々ありながら、「世界征服」をして何をするのか、その先の展望を出しているものがほとんどない事を嘆きます。

政権交代をすることが目標じゃおかしい。政権交代した上で何をするのかが問題だ!って最近よく耳にする現与党側の言い分を思い出してしまった。

で、唯一、その先に何をしたいかを具体的に言っているのはピッコロ大魔王だけなんだそうです。

しかしまぁ、よくそれだけ研究されたものです。
仮面ライダーだ、北斗の拳だ、ぐらいならまだ知名度は高いのでしょうが、「ヤッターマン」だとか「レインボーマン」だとか「バビル二世」だとかって、知っている人は一体でどれだけいるんでしょう。

仮に知っていたってあまりに昔の放映ものなので、ここで触れられるような内容を覚えている人など皆無なのではないでしょうか。
著者にしても同じでしょう。

昔、見た事を記憶に残していてそれをもとに書いているとは思えない。
あんな膨大な量の映像を割りと直近でご覧になられた、ということなのでしょうか。
それだけでも驚いてしまいます。

本ならばまだしも自分のペースで読めばいいでしょうし、ピックアップして読むことも出来るでしょうが、映像となるとそうはいかない。
映像が流れる膨大な時間を映像と共に費やさなければならない。

いくらその道の専門だとしても、まずそこに感心してしまいます。

そして、著者が投げかけるのは、本当に世界征服なんて可能なのか、世界征服を企てることは果たして悪なのか、そもそも悪とはなんなのか・・・という問いかけ。

はたまた「世界征服」を実行に移す前にどれだけの資金が必要なのか、継ぎ込まれる予算たるや天文学的な金額になるはず、とその根拠を並べておらます。

そんな、だって子供向けの作り話にそんなに真剣に取り組まれても・・などと言うのはシロウトの浅はかな考えなのでしょうね。
最近のものがないところを見ると今ではそんな昔のような単純な勧善懲悪ものでは誰も見てくれないということなのでしょう。

まぁ「世界征服」などというものをちゃんと分析すると、ほーらこんなに無理があるんだよ、ということになるのでしょう。
そんな力づくでなんてことは有りえないでしょうが、もしそんなことを真面目に考えている組織や人間がいたら、どのような選択肢をとるのでしょうね。

人を動かすには当然人件費がかかりますが、著者も何度も本の中で触れておられるオウムのような組織は洗脳という手段を用いました。
洗脳された人間は人件費がかかるどころか逆に稼いで来て貢いでくれる。
あの組織は「世界征服」を目指していたのかもしれません。
日本どころかロシアにも信者が居たというし。

もう一つは、村上龍が「愛と幻想のファシズム」で書いた鈴原冬二のような私兵を持った全体主義者の存在でしょうか。
支配される方が楽なんだ、という意表をついたあの作品。
自民もいやだけど民主もね、というこの時期だけにもの凄いカリスマ性を持った人間が現われたら、ひょっとして、と考えなくもない。

それでもいくら熱烈な信者を抱えた宗教にしたって、無宗教な国ならいざ知らず、自爆テロも辞さずというイスラムシーア派やら、他の宗教を信ずる人がほいほいとついて来るとは到底考えられず、世界までは無理でしょうし、どれだけカリスマ性を持った人間だって、せいぜい日本どまりで、「愛と幻想のファシズム」だって巨大なアメリカの組織を前にこれからどうするんだろう、というところで物語は終わっていたと思う。

まぁ、そんな選択肢をあれこれ考えてみることもないのでしょう。
著者にしてみれば、いくら勧善懲悪ものだからといって、手を抜かずもっと深く考えて作れよ、ということなのかもしれないですし。

この著者、芸術大学の客員教授なのだそうです。
どんな授業をしているのでしょうね。
一度、聴講してみたいものです。
アニメ作家を多く排出する芸術大学にはこの本のような授業が有用なのかもしれませんね。
この本の中にもアメリカの南北戦争についてのくだりや、織田信長の評価などは別の意味で勉強になりますし。

論文問題の問いはまさに「世界征服は可能か?」だったりして。


「世界征服」は可能か? 岡田斗司夫 著


01/Aug.2009
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