読み物あれこれ(読み物エッセイです)
読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
作品検索
|
村上龍映画小説集 村上龍 著
前回村上龍映画小説集について書くはずの人間が途中で放り出してしまっているので、代わりに書いてみようと思う。 映画小説集の登場人物は18歳〜22、23歳といったところだろうか。 丁度、その年ぐらい時、私は居を転々とする生活を送っていた。 10数箇所引越しをしたと思う。元来、引越しが好きでもある。 環境変化を非常に好むのである。 一度は吉野屋の店長と親しくなり、吉野家の店の近所のアパートを二人で借りた。 家賃・保証金は折半である。 そのアパート、不動産屋が紹介する時には部屋に電灯がついてなかったので、わからなかったが、いざ借りてみると、壁紙がはがれまくっており、その中を見ると壁が真っ黒けになるぐらい、うじゃうじゃと黒い虫がいた。 同居人が吉野家の店長だった事もあり、毎日三食全て吉野屋の牛丼だった。 来る日も来る日も吉野屋の牛丼を食べたが、これがまた飽きないのだ。 逆に食べない日などを作ると牛丼が恋しくてなくなってしまう。 吉野屋の牛丼にはひょっとしたら中毒症状を起こさせる何かが入っていたのかもしれない。 余談であった。 当初、その店長と二人で住み始めたのだが、友人がまず泊りに来る様になり、しばらくするとその友人の友人が泊りに来る様になり、またまたしばらくすると、友人の友人の知り合いが泊りに来る様になり、しまいには知り合いの知り合いだか、ひょっとしたら誰も知らないのかもわからない様な連中の溜まり場になってしまった。 泊りに来た当初は壁の虫を見て、一旦は気持ち悪いと言い出すのだが、皆しばらくすると忘れてしまうらしい。これも誰も退治しようとはしない。放置したまま。 そんな状態がどのぐらい続いたのだろう。 私はある日、そこを出る事にした。 特に深い理由は無い。単に飽きただけなのである。 店長に保証金の返金分は放棄する旨だけを伝えて、そこを出る事にした。出ると言ったって引越し荷物などは無い。 単車一台の荷台に積めるバッグが一つあるだけだ。 そこから何ヶ所か引っ越しを繰り返し、三畳一間の小部屋を借りた。 普通の家であれば入り口を開けると玄関がある。 その玄関だけが住まいだと考えてもらうとわかりやすい。 引っ越しを繰り返したアパートは皆共同便所で風呂などもちろん無い。 だが何故か、水道とガスだけはどの部屋にも有った。 その三畳一間にも水道とガスは有った。 水道の前に窓があり、その窓を開けるとわずか30cmばかりの隙間を隔てて隣りのアパートがある。私の部屋は丁度窓を開けるとそこは隣りのアパートの便所の窓と向かい合っていた。もう臭いのなんの。 そこの住所をどうやって見つけたのか、ある日、吉野家の店長が小型の冷蔵庫を送って来た。 元々、二人で住む時に私が持ち込んだものらしい。 三畳一間に冷蔵庫、置く場所を作ると寝る場所が無い。 私はいい考えを思いつき、冷蔵庫の扉を開けてその中に頭を突っ込んで寝る事にしたのだ。 ただでさえ蒸し暑い部屋でしかも窓を開けると異臭がする。 クーラー代わりに冷蔵庫を使ったのだ。 だが、それも長続きはしなかった。酔っ払った時やがむしゃらに眠たい時はなんでも良かったのかもしれないが、通常であれば眠れる態勢では無かった。 当時は何もかもが無茶苦茶であった。 知り合いの車のメンテナンスの用事で行った車屋で魚屋さんのトラックを改造したヘンテコなキャンピングカーが置いてあり、二日酔いの勢いで返済の目途も無いのにそのキャンピングカーをローンで購入していた。 それを見た人は「派手な霊柩車」と呼んだ。 私はその派手な霊柩車で毎晩寝る事とし、三畳一間へは一切帰らなかった。 そんな日々なのだ。 もちろん、映画小説集に登場するヤザキの様にヘロインやらドラッグをやるわけでも無い。 無茶苦茶の次元が違うだろうと言われればそれまでだが、その先には何かがあるはずだ、と思いながらも無用に消費した若き日々だった。 03/Aug.2005
|
|