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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
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ブラックオアホワイト 浅田次郎

学生時代の同級生の通夜の帰りに立ち寄った同じく同級生の都築君の住むマンション。
そこで都築君から、昔むかしの夢の話を聞かせられる。

商社マンだった都築君が語り始めるのは30年前、ジャパンマネーが世界を席捲していた頃の話だ。
その時代に海外の各地で体験した夢の話。

スイスの夢、パラオの夢の話、インド、北京、最後は日本の京都での夢。

スイスの高級ホテルで固い枕との交換をお願いすると、バトラーが枕を二つ持って来て、「ブラックオアホワイト?」と尋ねてくる。

白い枕はいい夢を、黒い枕は悪い夢。
どこで見た夢にも同じ女性が現われる。
白い夢の中では彼が愛する女性として。

黒い夢を見た後は悪い事は夢に留まらず、現実でも悪いことが起こる。
いや、黒い夢に影響されて自ら誤った選択を行い、結果、失敗する、と言った方が正しいか。

黒い夢には必ずと言っていいほど、昼間に会った人間が登場し、都築君は彼らにひどい言葉を浴びせられたりする。
しかも夢の中で語られる彼らの言葉の方が何やら本音とも思えてくるのだ。

いくつもの白い夢、黒い夢の話がさも昨日起こった出来事かの如くに鮮明に語られる。

そのいくつかの話の中でも印象的なのは、パラオの白い夢とパラオの黒い夢だろうか。
パラオは第一次大戦後、日本が国連から依頼されて委任統治をすることになった国。

現地では、日本統治時代の名残りが数多く生きており、古き良き時代の日本がそのまま残ったかの如くだった。

ここで白い夢、黒い夢を見るのだが。
白い夢では、30年前からさらに40年以上前なのだろう。日本統治時代のパラオのコロール島が出て来る。

黒い夢の方はペリリュー島が舞台となる。。

今年、天皇皇后両陛下がパラオを訪問されたが、その訪問の中でも最も印象深いのがペリリュー島へのご訪問。

ペリリュー島というこの小さな小さな島で一万人以上の日本兵と米兵が死んだ。

黒い夢では都築君はペリリュー島の島に籠って上陸する米兵から逃げ回る。
一万人以上が玉砕した日本兵の一人として、その場に居る。


浅田次郎さんは、いや浅田次郎さんに限らないか。作家は、本の中の登場人物の言葉を借りて、ご自身の本音を良く語られる。

このパラオのコロール島の白い夢の中の風景。
男は男らしく、女は女らしくあった時代。
夜が昼の様に明るい現代とは違い、夜は夜らしくあった時代。
冷蔵庫やスーパーマーケットや自動販売機の登場がいかに我々の生活を貧しくしたか。

80〜90年前のパラオのコロール島を見て、人間の文明の反映などはこんなところが上限で良かったのではないか。
都築君の言葉を借りてはいるが、浅田さんの本音なんだろうな。


ブラックオアホワイト 浅田次郎 著


18/Jun.2015
黒書院の六兵衛 浅田次郎

黒書院の六兵衛、このタイトルが日本経済新聞の朝刊に連載されていたのは知っていた。
せっかくの浅田次郎さんの書きものなので何度か読んでみようとトライしたが、どうしたって毎日、毎日読めるわけじゃない。
とびとびになる日があると、ストーリーが繋がらないので結局読むのは断念することになる。

新聞には各紙とも連載小説が載っているが、果たしてちゃんと読んでいる人なんているのだろうか。
よほど隈なく新聞を読めるほどに時間的に余裕のある人たちか。
それでもコラム欄なら一日飛ばしたところで次の日に支障はないが、連載小説となるとそうはいかない。
月刊誌ならともかく、毎日発行の新聞でこれが続いていることは大いなる疑問なのである。

で、黒書院の六兵衛である。

勝海舟と西郷隆盛との取り決めで江戸城が無血開城することと決まった。
官軍の先遣隊長は尾張徳川の徒組頭。
城内の侍の大方は恭順を誓っているというのだが、たった一人どうしても了簡できぬ侍が居るのだという。

彼が見たのは江戸城内に黙って居座るたった一人の御書院番。
御書院番というのは旗本中の旗本。

西郷隆盛の命令にては、一切腕ずく力ずくはいけないという。

いかに説得を試みようにも、そのご書院番は黙して語らない。じっと座っている。

周囲の話を聞けば、その的矢六兵衛というご書院番、ある日突然別人に入れ替わったのだという誠に不思議な話。

幕末ともなれば、御家人はおろか旗本と言えども借金だらけ。
御家人の株を買ってにわか武士になるということもあるらしいが、旗本ではまず有り得ない。買うにしてもあまりに高すぎて値段が付けられないほど。
しかもその時期たるや、大政奉還をしようかという時期。

で、にわか旗本に入れ替わったはずの六兵衛の方が元の的矢六兵衛よりもはるかに武士らしい。
品格といい、その挙措といい、旗本らしい堂々たる威風といい・・。

六兵衛はその後も、上野の山の彰義隊が散った後もずっと居座り続けるのだが、だんだんとその行為が本来の御書院番士としての行為なのではないか、と思われて来る。

幕府が出来て260年間、その間に失われていった本来の旗本の有りようとはそういうものではないのか、と思われてくる。

浅田次郎 に「一路」という260年前の参勤交代の行軍録を再現する武士の話があるが、似通った面がある。

彼は260年間で腐りきった旗本・御家人の本来の姿を幕末のしかも将軍が退去した後の江戸城で再現してみせている。

浅田次郎氏は最近、幕末からみた復古の話に凝っているのだろうか。



黒書院の六兵衛 浅田 次郎著


16/May.2014
一路 浅田次郎

世は幕末である。

もはや参勤交代でもあるまい、という時代なのだが、代々、お家の参勤交代の差配をする御供頭という家柄に生まれた主人公の一路。

参勤交代のお役目さながらに一路と名付けられたというが、まだ19歳にして一度もお供をしていない。
そこへ来て父の急死。

参勤交代の御供頭を命じられるが、何をして良いのやらさっぱりわからない。
ようやく見つけたのが、200数十年前の行軍録。

参勤交代の行列とはそもそもは、戦場へ駆け付ける行軍なのだ、とばかりに古式に則った行軍を差配する。

江戸時代も200数十年続けば、たるむところはたるみ切っている。

そこへ来て「ここは戦場ぞ!」とばかりに中山道の難所を駆け抜けて行く。

その行軍におまけがつく。
お殿様の命を狙うお家騒動の悪役達が同行しているのだ。


古式にのっとった行軍も面白いし、お殿様という立場も面白く描かれている。
決して家臣を誉めてもいけないしけなしてもいけない。
「良きにはからえ」と「大儀である」だけじゃ、名君なのかバカ殿なのか、わからない。

ここのお殿様は蒔坂家という別格の旗本で大名並みのお家柄らしい。
同じような家格を例にあげると赤穂浪士に打ち取られた吉良上野介の家柄などがぴったりとくるのだそうだ。
バカ殿かどうかは読む進むうちにわかってくる。


上下巻と結構な長編ではあるが、読みはじめればあっと言う間に読める本だろう。


ただ、惜しむらくは浅田次郎作品にしては珍しく、悪役が完璧に悪役そのものなのだ。

浅田次郎という人の書くものはたいてい、悪役を演じさせながらも最後にはその人の止むにやまれぬ事情などが明らかになって、ぐぐっと涙を誘ったりすることが多いのだが、この作品に限っては、悪役は最初から最後まで悪役のまま。

まぁ、浅田さんにもそういう気分の時もあるのでしょう。



一路(上・下巻)  浅田 次郎 著


08/Nov.2013
赤猫異聞 浅田次郎

矜持というものを巧みにあやつり、人の心を鷲づかみにする。
これでもか、っとばかりにぐっとくるいい話を書かせたら、浅田次郎の右に出る人はそうそういないんじゃないだろうか。

江戸の町に大火事が発生した時、牢獄の中の人間を、一旦解き放ちを行う習慣があったのだという。
もちろん、牢の中で焼け死んでしまうようなことがないようにだ。

解き放った後、鎮火した日の夕刻には定められた場所へ戻ってくる事。戻らなかった者は死罪。戻った者には減罪とする。

その解き放ちのことを「赤猫」と人は呼んでいたのだとか。

習慣といったって滅多にあることではなく、牢奉行なる仕事をしている人達が一生に一度巡り合えるかどうか、というほどの頻度。

明治初年という、極めて特殊な時にそれは起こった。

前回が天保年間の20数年前。
その時に解き放った牢の中の人達はなんと全員ちゃんと戻って来たそうだ。

火事のどさくさに紛れて逃げてしまうのは容易だったろうに、それでも戻ってくるのは解き放ちを命じてくれた牢奉行への恩義に報いるためだ。

明治初年という江戸が最も混沌としている中、天保年間の時のように果たして皆は戻って来るのだろうか。

その話だけでも充分に値打ちがあるのだが、ここに特殊な事情を持った三人の囚われ人が登場する。

一人は、賭場を仕切らせれば天下一品の博徒。
親分の身代わりで捕縛されるが、その器量にて牢名主として牢内を仕切っている男。
理不尽な沙汰で打ち首になる寸前に赤猫騒ぎが起き、一命を取りとめた。

一人は、旗本直参男。
鳥羽伏見の戦い、上野のお山での戦で死に場所を見つけ切れず生き延びて、その後、夜な夜な偉ぶる官軍を切りまくっていた男。
辻斬りの罪として捕縛されているが、彼にすれば不本意だろう。辻斬りではなく戦の延長としてやっていたのだから。
しかして、薩長の小役人を切り廻る男を解き放っていいものか。

もう一人は夜鷹の元締めをする威勢のいい姉御で、江戸三大美人と言われた人。
罪科はもちろん死罪に値しないが、お役人の弱みを握っている。
解き放って良いものか。

揉めた末に、三人共解き放ちが決まる。
但し「三人共に戻れば無罪、一人でも逃げれば全員死罪」という条件付きで。


そこから、彼らの物語が始まる。

浅田氏が書いた幕末もの、大抵は薩長が敵。旧幕府側の人の立ち位置で書いたものが多い。
薩長のいなか侍が260年の江戸の文化・歴史も知らずに、何を戯けたことを!という江戸庶民の声が浅田氏には聞こえるのだろう。

やれ改革だ、解放だ、方や叫ぶが、実は江戸260年の積み重ねの仕組みはかなり良く出来上がっていたのだ。
火事にあたっての火消しと言い、牢屋の中のしきたりといい。

この物語、この三人の千両役者だけの物語全てだと思ったが、それだけでは無かった。

260年間、武士でありながら不浄と蔑まれた立場の牢屋同心。

彼らの矜持もまた、見事なのである。



赤猫異聞 浅田 次郎著


07/May.2013
降霊会の夜 浅田次郎

郊外の森に住む団塊の世代の初老の男が毎晩、同じ夢を見る。
同じ女性が現われて、過去への懺悔を求めている様子なのだが、男は夢の中で言う。
この歳まで生きて、悔悟のないはずがない。それらを懺悔して贖罪するなどあまりにも都合が良すぎるではないか、と。

そんな彼が降霊会に招かれる。
振り返る過去の時代は二つ。
一つは、彼の小学生時代。もう一つが大学生時代。

それにしても小学校の一学年のたった一学期だけ、という短い付き合いの転校生のことが良く頭に残っていたものだ。
いや、普段はとうに忘れ去っているが、降霊会という場が思い出させたという方が正確か。

戦争が終わって、さぁ復興、という波にうまく乗れた人と乗り遅れた人の差。
うまく乗れた人が主人公氏の父親で乗り遅れた人がその転校生の父親。

方や、瀟洒な家に住み、都心で会社を経営するプチ・ブルジョア。

方や、空き地にバラックをおっ建てて、トタンを被せただけのボロ屋住まい。
ボロ屋というよりは、ただの空き地に住んでいるのだから寧ろホームレスに近い。
母親はニコヨンと呼ばれる、日給240円の日雇い労働者。
父親は普段はパチンコ屋通いの当り屋稼業。
当り屋と言っても自分の身体を使うならまだしも子供の身体を使って当り屋をする、とんでもない親を持つ子。

そういう霊に主人公氏は懺悔しなければならないことの一つでもあったのだろうか。

小学時代の近所の警察官の霊が現われて主人公氏に言う。
人間は嫌なことを片っ端から忘れていかなければ、とうてい生きてはいけない。
でも、そうした人生の果ての幸福なんて信じてはならない、と。

忘れてしまう罪は、嘘をつくより重い、と。

それを当時小学生だった主人公氏に言うのは酷すぎやしないか。

いや、高度成長時代にも貧富の格差はあったとか、貧困はあった、とか、そんなことは当り前だ。
ただ、仕事など探せばいくらでもあった時代に、自ら「くすぶり」だと決め込み、「せっかくやろうと思ってた矢先なのに」と、まるで子供の駄々のような理屈をこね、悪いのは他人で、世間で、時代だとばかりに怠惰な暮らしを決め込んだその転校生の父親こそ、どうしようもない。


方やの大学生時代は、まさに学生運動の真っただ中の時代。
ゲバルトもノンポリもフーテンも含めて、自分達が地球上のほかのどこにも、歴史上のどこにも存在しないぐらい稀有な人種であることに気が付いていなかった、と当時のやりたい放題だった自らの学生時代を振り返る。

ここでも主人公氏は一人の女性を忘れ去ってしまっていたわけなのだが、小学時代の回顧にせよ、大学時代にせよ、あたかも高度成長を否定しているかの如くに読めてしまえそうな箇所がいくつもある。
だが、著者が言いたいのは、そんなことではないだろう。

著者は忘れ去って捨て去ってしまったものを、今一度振り返って見つめ直してみよ、と言いたいのかもしれない。


浅田氏の本に霊のようなものが登場するのは少なくない。 だが、これは少々重たいなぁ。

降霊会の夜  浅田次郎著 朝日新聞出版


08/Jun.2012
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