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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Oct.2017
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理由 宮部みゆき

我々はメディアを通して現実を知る。
テレビでニュース番組やドキュメントを見ることによって、新聞や雑誌を読むことによって、今この日本で世界で何が起こっているのかという情報をつかむのである。
肉眼で見ること、自分の足で歩いて遭遇し、手で触れて体験する事などメディアがもたらしてくれる情報の量に比べたら、たかが知れている。
(中略)
普通の人が普通に暮らしてその一生の間に獲得することのできる何十倍もの量の情報をテレビやコンピュータの前で居ながらにして手に入れることができるようになると厄介な問題がひとつ生まれてくる。
「現実」や「事実」とは一体何なのだろうかという問題だ。
何が「リアリティ」で何が「バーチャルリアリティ」なのか。
(中略)「実体験」と「伝聞による知識」のふたつを「インプットされる情報」という枠でくくってしまうならば、現実と仮想現実のあいだに相違など無いと言ってしまうこともできるし・・。

上記は『理由』の中で宮部みゆきの語っている事である。多少誤植(パンチミス)もあるかもしれないので原文のままとは言えないが。

確かにごく一般の人間の行動範囲のなかには、薬害エイズ訴訟も官僚の不正行為も環境保護団体も中国のチベット問題もチェチェンも日銀総裁不在も存在しない。

私の友人にアフガニスタンのタリバンの幹部と友人になった男が居たとする。
彼はアメリカの9・11テロとタリバンは無関係であるとあの当時言ったとする。
アルカイダなどという組織そのものは実在するわけでは無く、それぞれの地域でや反米嫌米で中小のテロを起こす個別な集団や起こす可能性のある個別な連中。彼らが所謂アルカイダと言う名で総称されているだけでそんな組織は存在しないんだ、とありとあらゆるところでそれを説明してまわったとする。
述べていても既にメディアの力で出来上がったアルカイダという組織がある以上、それが事実となり、アルカイダが9・11テロを起こした事も事実となり、オサマ・ビン・ラディンがそのリーダーだという事も事実となり、オサマ・ビン・ラディンをはじめとするアルカイダをタリバンがアフガンにかくまったという事も事実となり、アメリカに攻撃されるのが当たり前なんだ、という事も事実となり、現実となる。
彼はアメリカはタリバンを制圧して勝った勝ったと騒いでいるが、タリバン、タリバンと言ったってカラシニコフを捨てて「私はタリバンではありませんでした」と言ってしまえば、彼がタリバンであった事実は無くなって、一市民に紛れてしまっているって何故わからないんだぁーと言ったとする。
でもそんな事実はメディアに載らない以上、事実では無いのである。
イラクにしても同様。今でこそアメリカも後悔しているのか、イラクからは大量破壊兵器が存在しなかっただの、アルカイダをかくまった事実は無かったという事実を米政府が正式に公表しようが、それまでの事実はそれまでは事実であり、現実だったのだ。
この問題、あまり深くふれるとどこかの政党のキャンペーンとでも勘違いされなねない。またそれは私の本意ではない。

では、私の友人は事実を語った事は果たして事実と認識されるのか。
「伝聞による」という意味ではそれも「伝聞によるもの」。
但し限りなく「現実」に近いところから発信された「伝聞による」ものである。
しかしその最も「現実」に近いところから彼が得た「伝聞」も私へ伝聞される事で、今度私が語れば「伝聞による伝聞」という非常に「現実」から遠い「事実」になってしまう。
ましてやWEBサイトにUPされた情報などはそれこそ現実よりかなり仮想現実に近いものとなってしまう。

「現実」とは?「事実」とは?

宮部氏はこの『理由』というルポルタージュを纏ったフィクションの中で結構辛辣にメディアを批判している。

ある場面では報道を通して一時は一家四人殺しの犯人として扱われた「石田」という男の言葉を借りて、
「マスコミ」という機能を通してしまうと「本当のこと」は何ひとつ伝わらない、と。
伝わるのは「本当らしく見えるること」ばかりだ、と。
そしてその「本当らしく見えるること」は、しばしばまったくの「空」のなかから取り出される、と。

宮部氏は「カード破産」という社会問題を取り上げたり、この『理由』の中でも「裁判所による不動産の競売とその裏をかく悪質業者の問題」や社会問題化されているものをいくつもその作品の中に織り交ぜている。

それらの多くの社会問題の根底にいつもあるのがメディアがもたらす社会問題。
いくつもも社会問題はそのとてつもなく大きな社会問題の一遍でしかなく、そのおおもとに鉈を振るっているかの如くである。



それにしてもボリュームのある読み物だ。
ルポルタージュはあまりにルポルタージュっぽく、これはノンフィクションなのだろうと予備知識なしに読み始めた読者はまず思ってしまうだろう。

ルポをしている記者の口調にはまったく女性臭さが無い。
たぶん男性という設定なのだろう。

いや、宮部氏そのものもかなり謎である。
写真にしたっていろんな本の著者の紹介に出て来るのはいつも同じ年代の同じアングルの写真。
そのワンショット以外にお目にかかったことはない。
実はその写真も現実ではないのかもしれない。
宮部みゆきが女性だなどというのはその名前から勝手に判断しているだけで実はマッチョな男性だったりして・・・。

いやはや・・。どこまでが現実なんだか仮想現実なんだか・・・。

理由 宮部 みゆき (著)


24/Mar.2008