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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Dec.2017
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手紙 東野圭吾

あなたは犯罪者の弟を許せるか?

何も弟は犯罪者ではないのですから、許せるも何も罪すらなーにも無いですよね。
ごくごく当たり前の話だと思います。

ですがこのテーマ、重たいですよ。

犯罪者の弟。

重松清の『疾走』とその部分は共通のテーマですかね。

そもそも犯罪者そのものをあなたは許せるか?と聞かれたなら、そりゃ「犯罪の質による」と答えるでしょう。
いくらなんでも女子高生をコンクリート詰めにして殺害したり、幼女を殺害してその写真を携帯で送信したり、小学校に乱入して無防備な子供をかたっぱしから殺害する様な犯罪者を許せる訳が無いでしょう。

つい直近ではバージニア工科大学での銃乱射事件なんかがありました。
あれ、ちょうど同時期に長崎市長の殺害のニュースがありましたから、そちらの扱いの方が大きくて少しかすんじゃいましたけど・・・。
選挙期間中の政治家に対する凶弾というのは民主主義を冒涜するものであって絶対に許されるべき事ではないでしょう。

政治を志している人に限らず、ビジネスマンだって他社との戦いをしているなら、どこかで恨みをかったり、とばっちりもあるでしょう。
ここでも前に取り上げられている城山三郎の『男子の本懐』の井上準之助も選挙中に凶弾に倒れたのでしたよね。

それに比べてバージニア工科大学で殺害された32人の学生達はどうなのでしょう。
正に学び舎のど真ん中。無傷だったのはたったの4人だったとか・・。
死者以外の重軽傷者の数までは見ませんでしたが、ほとんど教室内の全員殲滅を図ったとしか思えない。
銃にそれほどの殺傷能力があった事にも驚きですが、やはり驚くべきはそういう場所で、まさかそんな事なのではないでしょうか。

アメリカではここ数年毎年の様に大学構内での乱射事件があるといいます。
なんなんでしょうね。
戯言の匂宮や零崎じゃあるまいし。

あまりに主題から離れていますよね。

話を戻しましょう。

このお兄さん、『疾走』のお兄さんとは違って、壊れたわけじゃないんですよね。
弟の事だけを思い、弟を大学に行かせるためにどうしても学資を得なければ、ともうそれだけ。
ものすごく純粋な方なんですよね。
だから弟は恨みを抱いてもそれを兄には伝えられない。

でもです。でも単に空き巣に入っただけなら罪は軽いでしょうが、いくら見つかってしまったからといっても、いくら110番をかける電話を持っていたからと言っても、ほとんど無力に近い老女をしかも逃げ込んだ部屋へ押し入ってまでして殺害してしまうというのは、そこに至った理由はどうであれ、絶対に狂気の沙汰、いや凶悪犯罪者そのものだと思うのです。

仮に空き巣で済んだとしたって、弟はそんなお金で大学へ行きたいとは絶対に思わないでしょう。

この兄の発想の貧困さで弟はどれだけ苦しめられたか、兄は知る由も無い。

弟の直貴は兄の存在ゆえにバンドのメンバーと一緒にデビューする事を断念し、
結婚を断念し、ようやく掴んだまともな就職先でも同じ理由で倉庫番にとばされてしまう。

周囲の人間が取り立てて直貴の事を嫌っている訳では無いのです。
ただ、一旦事実を知ってしまうと周囲が返って気を使ってしまう事を経営側は気にした。殺人事件のニュースなどが流れたとしても、「ひどい話だよな」とこれまでなら平気でしゃべる事が出来たものが直貴の存在がある事でそんな話をする前に皆、口を噤んでしまうでしょう。
そういう事での周囲の職場の雰囲気が乱れる事を気にした。

この直貴が勤める先の社長は弟に言います。

「差別はね、当然なんだよ」
・大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。
・犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わりにはなりたくないものだ。
・犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。
・自己防衛本能なんだ。
と。

これが世に言う常識というものなのでしょう。
この社長は真正面でそれを言っているところが返って立派だと思います。

そういう真正面な言葉というものなかなか言えるものでは無いと思います。
何か禁句の様に、とにかく避けて通る。
それが一般の人なのだろうと思いますよ。

この本を読んだ人は大抵兄に同情してしまうのでないでしょうか。
兄を切り捨てようと思う直貴に失望してしまうのではないでしょうか。

兄は被害者の遺族にも何度も手紙でお詫びをしています。
本当にしてはいけない事をしたとの反省も並々ならぬものでしょう。

でも人の命を絶つという犯罪は、どんな謝罪もどんな贖罪も、どれだけ刑期を経ようともう拭い去れないもので、残りの生涯全てが償いのためにあるのではないかと思うのです。
過去にその例外があまりに多かったですよね。
決して許されない様な凶悪殺人をおかしておきながらも少年犯罪だったがために、遺族もその名前を知らない。もちろん被害者の遺族への償いももちろんない。
少年ではなくなり社会人となったその人は「もういい加減放っておいてください」という様な。
はたまた、かつてパリで若い女性の人肉を喰らった人などというとんでも無い事件を起した人も精神鑑定で無罪になってその後芸術家だか作家だかになったり・・と。本なども書いたらしいですが、私は読んだ事も読む気もありません。

この直貴の親が健在ならば、親は息子のしでかした犯罪を生涯かけて償わなければならないでしょう。

であれば弟はどうしたらいいのか。

凶悪犯罪者の家族だろうが、元凶悪犯罪者そのものを喜んで受け入れてくれる類の社会もあろうでしょう。そういう人達の受け皿として。

また、宗教という世界に救いを求める人もいるかもしれない。

またボーカルとしてデビューする時だって、立場の逆利用では無いですが「凶悪犯罪者の弟」として破滅的な歌詞を引っさげてデビューした方が下手に隠してデビューしようとするより良かったかもしれない。
それが決して素晴らしい事だとは思いませんが、隠してデビューしたところでいずれ週刊誌の餌食となって捨てられる日が来たでしょうから。

弟に罪はありません。

でもまっとうな社会人として生き、妻子にも差別の及ばない自分達の人生を守るのであれば、兄弟の縁を切って過去のしがらみの無い場所で生きる以外にどんな生き方があるのか。

直貴を薄情だと言う意見は山ほどあるでしょうが、直貴の最終的な判断は正しいでしょうし、もっともっと早くそうすべきだっただろうと思うのです。

手紙  東野 圭吾 (著)


01/May.2007