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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
May.2017
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シャンタラム(上) グレゴリー・デイヴィッドロバーツ

上・中・下の三巻からなる大作。

インドを知るには上巻だけでももう充分でしょう。

自国で強盗事件の後、拘留。
そこを脱獄してインドへ。
そしてインドのスラムで暮し・・・

著者の略歴を見る限り、この本限りなくノンフィクションに近いものと思われる。

ボンベイ(現在のムンバイ)へ行くバスの中で知り合ったカナダ人のインド旅行慣れした二人の青年。
彼らは途中に並ぶスラム街を見て汚いでしょう、と口を揃えるが、主人公氏はバスが停止した時にそのスラムの家の中を観察している。
チリ一つ落ちていない。食器は整然と並んでいる。
家の中は極めて清潔なのだ、と。
その時から、主人公氏はスラムに住む資格を持っていた、ということなのかもしれない。

主人公氏は自らを犯罪者、逃亡者と言いながらも、すべからく素直なのである。
バスを降りた途端に群がって来る、ガイド希望者達。
旅慣れた人はさっさと無視してしまうのだが、主人公氏はその笑顔が気に入ったとその中の一人を雇い入れる。
また、自らの名前もそのガイドから「リン」の方が良いと言われ、そのままリンと呼ばせてしまう。

何から何まで、これまでの常識と思っていたことが覆される、目からウロコの小説(自伝か?)なのだ。
スラムの中では一切盗難は起きない。
そう、外からかっぱらって来たとしても内部では絶対に盗んだりしない。
たまに飼っている猿が手くせで人のものを持ってこようものなら、これどなたかのものです、と台の上に並べていて持ち主が現れるのを待っていたりする。
いさかい、けんか、もめごとがあれば、スラムというコミュニティの長が表れて、まさに八方がまるく収まる解決策を呈示し、皆はそれに従う。
ボンベイのスラムにはいろんな地域の人々が集まり、その宗教もヒンズーもあれば、イスラムもある。
そんな宗教上のトラブルなど、血をみない限り解決策はなかろうと思ってしまうのだが、その長は見事にいさかいをストップさせるのだ。
そして、スラムの中で困っている者が居れば皆で助け合う。
なかなかにして、すばらしいコミュニティなのだ。

まさにそのスラムのありようは「貧しいこと即ち不幸とは違う」を見せつける。

その言葉は昭和の貧しかった時代を懐かしむ年代層が言いそうだが、ちょっと意味が違う。
方や高度成長で未来に夢を見る人々だが、スラムの人々は未来に夢を見ているわけではない。

主人公のリンはボンベイから何十キロか何百キロか離れた電気も無い村へ一週間の滞在のつもりで赴くが、そこでも何ヶ月と住んで溶け込んでしまう。
貧しい村だが、ここの人々も未来を夢見てはいない。
それどころか、何百年、ひょっとしたら何千年と同じ暮らしを続けて来て、今後もずっと変わらないと思っている。
つまり未来もまた現在の延長でしかなく、これから変わるなどとこれっぽっちも思ってやしない。

インドをはじめ世界の貧困の凄まじさを書いた本はあまたある。
また、いろいろな旅行記もあるが、インドをこれほど深く知った人の本は無いだろう。
もう、これを読んだら他のインド旅行記など読めたもんじゃない。

インドでの子供の人身売買。
人身売買をするだけではなく、買ってきた子供をかたわにして、足を引きづらせたり、片手の不自由な身体にして、乞食として稼がせ、その上前をはねる商売がある。
そういうものを書いている本、いや書き手だけじゃなく読み手も、到底「人間のすることじゃない」と思ったことだろう。
それがごくごく一般の見かたというものだろう。

だが、この本は違う。
そうやって、買われて行った子供の方がまだ幸せで親も安心しているのだ、などというのだ。
そう買われなかった子供はそのまま飢えて死ぬしかないから、乞食としてでも買われた方がマシで買った大人に皆感謝しているんだ、とその商売をリンに見せるインド人は言う。
まさにこれまでの常識の正反対じゃないか。

主人公のリンはなんでも素直に受け入れる。その性格の良さがインドの人達にまた好かれる。
なんでも素直に受け入れるのは、もうどこへも逃げ場が無くなったから、とも読めるが、実際に素直な性格、そのガイドに言わせると「良い心を持っている」から。
まさにそうなのだろう。

冒頭のインド通のカナダ人旅行客は初っ端の宿泊費、三人で米ドルにして6ドル、これをして4ドルにまでまけさせられたのに・・という。

三人泊まって6ドル。もう充分に安いじゃないか。
これを三人であと2ドルばかり値切ったところで、その金にどんな使い道があるというのか。

リンは値切らない。
その2ドルを値切ることが宿泊施設の人たちの晩メシを削っているかもしれないと思ってしまうからだ。

インドの人は、ヒンディー語やウルドゥー語はもとより、自分のふるさとの言葉、ボンベイに出て来る人にはマラーティー語をふるさとの言葉として持つ人たちが多いが、そんなふるさとの言葉を覚えて話してくれる外国人が居たら、とたんに好きになる。
そして彼らは一旦好きになってしまうと、あふれんばかりの、見返りを要求しない愛で包んでくれるのだ。

「シャンタラム」。これはリンがインドの田舎で暮らしていたときに、そこでもっとも尊敬されている女性から与えられた名前だ。意味は「神の平和のひと」。

一年の間に何度も何度もインドを訪れるインド通と呼ばれる人たちがいる。
彼らの自慢はどれだけ安く旅が出来たか、であり、インドをいかに良く知っているか、なのだろう。

そんなインド通の彼らにさえ、インドの人々は、通り一辺の外国旅行者向けの一面しか見せていないのだ。


シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)作者: グレゴリー・デイヴィッドロバーツ Gregory David Roberts 田口俊樹訳


21/May.2012