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読み物あれこれではスタッフが各々勝手きままな読書感想文を書いております。暴言・無知・恥知らず・ご意見はいろいろお有りでしょうが、お気に召した方だけお読み下さい。
   
Jul.2017
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きつねのつき 北野勇作

なんなんだー!いったい何が起きているんだー!と叫びたくなるような本だ。
冒頭では、まだ幼児言葉から抜け出せていない、かわいい盛りの娘が覚えたての言葉を使って話すほのぼのとした風景から始まる。

それがどんどんいびつな世界へと様変わりして行く。

母親が家の天井と一体化している?天井から突き出た乳房から子供が母乳を吸っている?
どうやら主人公氏の妻は何かの事故で亡くなっていたようだ。
主人公氏は亡くなった人を再生させる能力を持っているらしいのだ。
再生した妻は天井と一体化し、そしてその子宮から産まれ出たのがその娘。
結果として 「幸せを与えられた」 と主人公氏は語っている。

妻が天井と一体化している以上、どれだけ隣家のドラ息子が騒音を出そうと、ここを離れるわけには行かない。

これは一体全体何を表しているのだ?

「今日寝たら春になる?」 と娘。
「まだまだ」 と答える主人公氏。

これは何を表しているのだ?

保育所でのお楽しみ会という学芸会のような場で、先生がナレーションを語るあたりからこの話が何を表現しようとしているのかがおぼろげながら見えてくる。
劇の中に登場する「哺乳瓶の中に閉じ込められたこの国の未来をになう特別な赤ちゃん」。
途轍もない大音響の爆発音とともに瓶から無理やり出された赤ちゃんはみるみると大きくなり、人工巨大人となる。

「まだ、死んでいません。この国を守るためにまだ生きているんです」
「いつかは起きて立派な働きをするはずです」

ナレーションは続く。

「国は土とかいろんなもので覆い隠しました」
「やがて周りの町ごと高い塀で囲い込みました」
「わが国の秘密を守るために昔話にして忘れようとしました」
そして、「だから今も生きています」 と続いて行く。

これは何を表しているのだ?

この赤ちゃんこそ、ウランとかプルトニウムと呼ばれる物質、もしくは原発の炉心そのものなのではないか。
それが、あの事故で格納容器を飛び出した。

その結果の大量の放射性物質が人工巨大人か。
ということはこの物語は人も国も数年後には忘れさろうとするであろう、とした福島第一原発の周辺の未来図ということなのか。

「もちろん今も生きています」 か。
なんというアイロニーなんだろう。

そう読んでみれば、冒頭の方にいくつもの比喩が隠されていることに気が付く。

隣家のトラブルが騒ぎになるか、と心配した時も
「どうせ七十五日ほどのことだろう。この世界に起きる大抵のことがそうであるように」 と意味深な言葉で結ばれているし。

保育所へ入れる際の「お役所相手ならゴネなきゃ損だ」というのも何かの比喩か。

役所の地下にあった浄土と呼ばれる場所で勧められる「最新型追加年金」のプランは何の比喩だろう。
「主人公は国民です」 のパンフレットの文字がやけに印象的だ。

何気なく読み飛ばしてしまいそうな箇所に散りばめられていた比喩。
お天気キャスターのおまけの一言 「風向きにはご注意下さい」 という言葉もそうだろう。

防護服をまとってやってくる放送局の下請けと称する男。

いつの間にか周囲を覆うフェンス。そこに書かれた「廃線予定地帯」というプレート。

「どおんっ」という縦揺れ。
頭上のヘリコプター。
家へ帰りたいと願ったら、妻を中に入れたまま、家が目の前へ転げ落ちて来る。

これは地震のあとの津波によるものだろう。

頭蓋骨にマイクのようなものを突き立ててぐいぐいと射し込んでまでして情報を引き出そうとするレポーター。

なんというすさまじい物語なのだろう。

この本、出版社の河出書房新社の紹介では「全国学校図書館協議会選定図書」なのだという。
それがどれほどの選定基準なのかは知らないが、肉片が飛び散ったり、腐肉を蛆がミチャミチャと咀嚼していたり、そんな描写がいくつもあるにも関わらず学校で読むべしと選定するあたり、選定委員もかなり読みこんだのだろうと思う反面、被災地域の人達にとってこの本はどう映るのだろう。
天井と一体化した妻だとか、腐臭の漂うような描写だとか。

作者は現実を見て来たのかもしれない。
もしくは現実を見た人の生の声を聞き続けたか。
被災地域で、実際に海へ潜って行方不明者の捜索をした人達はまさに地獄を見たと語っていた。
現実の壮絶さを感受しまったからこそ、逆にまるで絵本のような表紙を使い、表現もやさしい子供向けの言葉を使って、時には人工巨大人の肉を食べると直らない病気が治り、死んだ人が生き返る、というようなきつねにつままれたような話を盛り込みつつも、小さな娘を登場させ、ほのぼのとした雰囲気の物語に仕上げたかったのだろう。

やがて埋められてしまう土地でも、やっぱりここに住んでいたい。
そんな死者達の叫びをやさしい物語を使って霊になり代わって語ろうとしたのかもしれない。

そう言えば、この本のタイトルは「きつねのつき」。

きつねの霊に取り憑かれた異常錯乱者は、決して被災した瞬間の被災者達ではないだろう。
あれだけ沈着冷静で秩序正しい人たちは世界中見渡してもいないに違いない。
異常錯乱者は国であるとか、レベルは違うがこの物語で言うところのレポーターにあてたものなのだろう。


きつねのつき 北野 勇作 著    河出書房新社


26/Dec.2011